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二人きりの打ち上げ

 扉を開けた瞬間に香る肉の焼ける匂い。


 肉が炭火で焼かれる「ジュー」という良い音も聞こえる。


 焼肉屋に入店した俺は、店員に「いらっしゃいませ、何名様でお越しでしょうか?」と迎えられた。


「二人です」


「かしこましました。12番のお席にご案内いたします」


 俺と海は、窓際の席に案内された。


 窓の外には、東京の美しい夜景が広がっており、帰宅する人たちの足取りや、空に浮かぶ白く霞んだ月が見える。


 俺の対面の席に腰かけた海は「はぁ」と、深いため息をついた。


「海、疲れた?」


「うん。楽しかったけど、一日中歩き回ったからね……」


「ハハッ、海って、今まであんまり動いてなかったもんね」


「不登校にはキツイっつーの」


 そう言いながら、海は注文用の液晶タブレットを手に取った。


 明確に「楽しかった」と口にしてくれたことで、俺の心は救われた気がする。


 俺も、海の「楽しかった」という気持ちを作ることに貢献できたんだと、安心することができたのだ。


「何食べようかな~今日はいっぱい食べたい気持ちかも」


「ドリンクバー付のファミリーセットでいいんじゃない?」


「あ、いいね。これぐらいならペロッと食べられそう。ごはんは?私は大盛りいくよー」


「俺は草食だから、普通盛りで」


 海は「りょーかい」と言って、注文のボタンをタップした。


 俺は立ち上がり「ドリンク持ってこようか?」と、テーブルに突っ伏していた海に尋ねた。


 海は俺に呼ばれて、バッと顔を上げた。


「ありがとう。私はジンジャーエールで」


「おっけー」


 俺は、自分の分と海の分のドリンクを取りに向かう。


 昼間のメイドの海の真似をしながら「お待たせいたしました、ジンジャーエールでございます」と冷たいジンジャーエールが注がれたグラスを差し出した。


「ふふっ……」と、海はちょっと笑ってくれた。


 空腹を訴えるかのようにジンジャーエールをぐびぐびと飲む海に尋ねる。


「海、もう吸ったりしてないよね?」


「なにを?」


「……これ」


 俺は、人差し指と中指で【それ】を挟んで口元に運ぶジェスチャーをした。


 声に出してくことができないそれは【たばこ】のことだ。


 ちょっと前のことだが、俺と海は「お酒とたばこは、もう絶対にしないって、約束」と、誓いを交わしていたはずだ。


 その約束が守られることを条件に、俺と海は連絡先ラインを交換したのだ。


「ああ。神様に誓って吸ってないよ。安心して」


 海は、窓の外の夜景をチラッと見て、ジンジャーエールを飲んだ。


「約束は守るよ、陸にお願いされたんだから」


「っ……」


 飲んでいたレモンスカッシュを噴き出すかと思った。


 海は、俺の黒い瞳をじっと見つめて「陸にお願いされたんだから」と付け加えて言ったのだ。


 つまりそれが意味するところは、俺との約束なら、守ってくれるということだ。


(俺のこと、単なる陰キャ口下手の人間じゃなくて、海にとって何か特別な人だと思ってくれているということ……!?)


 緊張と沸騰する恥ずかしさから顔が赤く熱くなる。


 俺は、目線を海から逸らして、空に浮かぶ霞んだ月を見上げた。


「……つ、月、キレイだね」


「ん、そうね。人生最後の日に相応しいぐらい綺麗」


 俺は、海に向けて「空に浮かぶ月と同じぐらい美しいあなたが好きです!」というメッセージを籠めて月の美しさに言及した。


 けれど海は、その言葉の意味が分かっているのか分からないのか、俺にニヤッと微笑みかけた。


 微妙な空気が流れた俺と海の席に、注文した品々が運ばれてきた。


「お待たせいたしました、カルビロースハラミ盛り合わせのファミリーセットと、石焼ビビンバ、牛タンセット、フライドポテト、ごはん大盛りと普通盛り、シーザーサラダとマルゲリータピザでございます。ごゆっくりお過ごしください」


「……頼みすぎじゃない?」


「いいの。カロリーとか塩分とか太るとか、今日は気にしないでいいから」


 いつの間にか石焼ビビンバやら、牛タンセットやら、フライドポテトやら、シーザーサラダやら、マルゲリータピザやらを注文していたらしい海。


 二人で食べるには少々多いような気がするが、海はとにかく空腹らしい。


 テーブルの上は、おいしそうな品々のお皿で埋まった。


「今日は私のおごりね」


「え、いいの?」


「いいの、いいの!この後のことなんて気にしないで、遠慮しないでいっぱい食べて!」


 やけにテンションが高い海。


「「いただきます」」


 俺と海は声を揃えてトングを掴み、肉を炭火で焼き始めた。


「これこれ。肉が焼ける音聞くだけでごはん3杯はイケるよ」


 香ばしい白い煙を目の前にして、海はご満悦であった。


 海は、たっぷりとタレをからめた肉を口に放り込み、白いごはんをかき込んで、満面の笑みを見せた。


「んは、おいひい~たまんない~」


 一口一口食べるたびに、海は笑っていた。


 その笑顔が無邪気で可愛く思えた。


「海、めっちゃ笑ってくれるじゃん」


「うん。美味しいごはんが食べられて、すっごく幸せだから」


「ねぇねぇ、私のこと、可愛いって言って」


「ええ!?なんでそんな突然」


 突然、可愛いと言えと命じられ、俺はぎこちなく応えた。


「……可愛いよ、食べてるときの笑顔」


「ありがと。嬉しすぎて、今日死んでもいいかも」


「大げさな」


 海との雑談も、ごはんもよく進む。


 夕食時だからか、店内が混雑してきた。


 今日は週末なので、家族連れや仕事を終えたサラリーマンらしき人の姿もちらほら。


「今日は、私の人生の中で一番楽しかった一日だな~」


「そんなに?!」


「お気に入りのメイド服着て、みんなから褒められて、ウザい女に勝って人気者になって、空ちゃんと陸と一緒に文化祭のお店楽しんで、陸と一緒に焼肉食べに行って二人きりの打ち上げして……幸せに決まってるじゃん」


 そう語る海は、箸を置いて俯いた。


「でも、この幸せは長くは続かない」


 いつもの海の低い声だった。


 肉が焼けるジューという音と、周囲のざわざわとした話し声に掻き消されてしまいそうなぐらいの細い声だ。


「今日を頂点に、どんどん幸せの数値が下がる。今日みたいな超幸福な日が来ることは、なかなかないって考えると、気持ちが落ち込むんだよね」


「すごい……海のその考え方、究極的にネガティブだね」


「うん。ネガティブな考えに囚われて、全部嫌になって、死にたくなる」


「……」


 そういえば海は「いざとなれば死ねばいい」と考えていた。


 しかし、その本質は死への願望にあらず。


 たぶん、嫌なこととか不安なことを全部忘れられるように、誰も不幸にせず誰にも知られず一人で消えてしまいたいということが本当の気持ちなのだろう。


(本心では絶対に、死にたいなんて思ってないよな。だって今日、海は過去一番、笑ってたし)


 死ぬなんて、苦しいから嫌だ。


 これまで積み上げたもの、これから起こる幸福を失うから嫌だ。


 それは、誰だって同じはずだ。


 海だって、きっと心の底でそう思っているだろう。



――俺も何度かそう思ったことがあるから、なんとなく分かる。



「ごめん、陸」


「なんで謝るの?」


 謝りながらも、海はシーザーサラダをモグモグしている。


 レタスが海に食べられて、鮮度の良さが分かる「シャキシャキ」とした咀嚼音が聞こえる。


「せっかくおいしいもの食べに来たのに、こんなに暗い雰囲気にしちゃって……」


「いやいや、俺は、海と話ができて楽しいよ」


「陸」


「はい?」


「あーん」


 海は、ごはんを食べ終えたお椀を添えて、俺に焼けた牛タンを箸で挟んで差し出してきた。


「え、ええ!?ここで!?」


「いいじゃん。周りの人たちは、知らない人たちだよ。もう二度と会わない人たちなんだよ」


 俺は以前、海の「あーん」を、周囲の学生たちの目が気になって恥ずかしいからという理由で断っている。


 そして「人の目がないところなら……」と、海に伝えていた。


 周囲の人たちは、食堂の生徒たちとは異なり、今後の人生で二度と会わないであろう人たちだ。


 有象無象と言っては聞こえが悪いが、俺と海がイチャイチャしていたところなんて、三日後には忘れているであろう人たちだ。


(ヤベェ……これって、めっちゃ恋人同士っぽくないか!?)


 恥ずかしさと困惑とドキドキと高鳴る期待で感情を混濁させながら、俺は口を開いた。


 緊張からか、変な汗が額や背中に湧いて出た。


 海は、そこへ甘辛いタレを絡ませた牛タンを運んだ。


「……」


 黙って、人生初めての「あーん」の余韻を楽しむ俺。暑いから、シャツを指で摘まんでパタパタして風を通した。


……うん、お肉はいつも通りおいしい。タレも甘辛くて、肉によく合っている。


 けれど、言葉や味として説明できない特別感と多幸感に浸ることができた。


「おいしい?」


「ああ、めっちゃうまい」


「ふふ、よかった」


 海は、肉を食べている間も、ずっと俺のことを見つめていた。


 そして最後には、窓の外の白い三日月を見上げた。



「「ご馳走様でした」」

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