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不登校になった理由

 漫画や雑誌がホコリを被って山積みにされて、いつから放置されているかも分からないフライパンや食器がシンクを埋め尽くしている。


 その隣には、コーラやお酒の空き缶や空き瓶が乱立。


 酸っぱさがある異臭が立ち込めたアパートの一室に招かれた俺は、ワッフルと冷たい牛乳を海からご馳走してもらった。


 スナック菓子の食べこぼしと髪の毛が隅っこに溜まった薄汚いソファーに座って、ワッフルをいただいた。


 こんな不潔な場所で飲み食いするのは嫌だったけど、せっかくご馳走してもらって断るのは流石に失礼かなって思った。


「なんで、俺を家に入れたんだよ。面白くないだろ、こんな口下手がいても」


「うん。面白くないよ」


「え……」


 海に素っ気なく言われて、俺は言葉を詰まらせた。


「でも、毎日毎日、同じこと繰り返すよりはマシだから。私は、ずっと家に引き篭もってて退屈してたんだよ」


「海って、ほんと自分勝手で……」


「自己中のクソ女って言いたげな顔だね。自己中で何が悪いの?私の人生の主人公は私なんだから、自己中心のマインドで生きるべきだよね」


 そこまでの悪口を言うつもりはなかったけど、実際、自己中だなとは思っていた。


「じゃあ、俺にも自己中なこと言わせて」


 俺の人生の主人公は俺なんだから、海の理論に従って言わせてもらおう。


「?」


「――俺は、あなたのことが大嫌いです。何の生産性もない、誰も幸せにならない意地悪をして、俺をからかうから大嫌いです」


「チッ……うるさい。私が楽しかったから、それでいいの!」


 海は舌打ちをしながら、ワッフルの包装を力ずくで引きちぎって、大口でかぶりついた。


 そんな彼女の仕草が恐くて、俺はビクっと震えて縮み上がってしまった。


「私は自己中でいいけど、他のやつらは自己中にされると私が困る」


「ほ、ほら、そうやって都合が悪くなると自分の考えをすぐ曲げる。海のそういう仕草も嫌い」


「は?マジでキモイ。死ね。出ていけ」


「え、え……あの、家に入れたのはあなたですよね!?」


 ド直球の誹謗中傷を受けて、俺は鋭いツッコミを入れざるを得なかった。


 語気が強くなってしまったのは、海の無責任な発言にちょっとイラついてしまったからである。


「あーあ、うるさいうるさい。私の耳が腐る~」


「っ……」


 俺だって、堂々と海に悪口を言いたかった。


 けれど、殴られるんじゃないかと思わせるほどの権幕を放つ海に気圧されて、黙り込んでしまった。


「……」


「……」


 互いに無言の時間。


 聞こえてくるのは、換気扇のファンが回る音だけだった。


 海は黙ったまま、スマホでショート動画を見始めた。


「あの、海……」


「なに?」


 勇気を出して、いてみることにした。


 海と二人きりで面と向かって話すことができるこんな状況は、二度と訪れないだろうから。


「なんで学校来なくなったの?クラスの人たちは、心配してたよ」


「え、なんでって……めんどくさくなったから」


「え……」


「ある日ふと、学校がクソ面倒くさくなって、行くの止めた。そしたら、あとはドミノ倒しでバイトもやめて、家から出るのも面倒くさくなって全部全部やめた」


「そ、そんなことで人生を棒に振って……いいの?」


「陸もあるでしょ?ふと、全部投げ出して何もかも辞めたくなる瞬間って」


 右手でスマホの画面を下から上にスワイプして動画を流し見る海。


 スマホの画面に集中するばかりで、俺のほうには一瞬たりとも視線をくれなかった。


「……俺もあるよ。実際、学校に行くの嫌になった時期はあるよ」


「スーパーマジメくんな陸も、学校嫌になるときあるんだ」


「そりゃ、ね」


 ふくよかな胸のふくらみの上にスマホを置いた海は、俺のことを見てニヤッと不気味に微笑んだ。


「話戻すけど、学校に行かないからって、人生無駄になるって私は思ってない。母さんは、高卒で女手一つで私をここまで育ててくれたんだから」


 女手一つ、つまり、この家に海のお父さんはいないということだ。


「でも、海がこのまま学校に行かないままでいると、お母さんの学歴にも届かなくて、中卒になっちゃうよ」


「中卒も高卒も変わんないって。どっちも頭からっぽのバカ」


(人生を舐めている、この人……)


 中卒の人も高卒の人も必死に生きているのに、まだ高校生(しかも不登校)の海にバカにされるのは酷い話だと思う。


 というか、高校生になるまで大切に育ててもらった高卒のお母さんまで、海はバカにしているようにしか聞こえなくて、心の中でちょっとイライラしてしまった。


「あんただって、私と同じ高校生じゃん。高校生のクソガキが人生語るなっつーの」


 なんでいちいち棘のある言い方しかできないのかな、この人は!?


 さっきから、他人ひとのこと言えないブーメランばっかりである。


「確かに私の未来は、マジメくんの陸と比べたら、望みは薄いかもしれない。でも、私は今だけでも自由になれるんだよ」


「今だけでも、自由に……」


「そう、自由。フリーダム。真昼間からゲームやってても、真夜中にぷらっと出かけても誰にも怒られない」


 ジャージの袖で萌え袖しながらスマホを左右に振った海。


 自由……その言葉に、俺は妙に惹かれた。


 そのとき、別の部屋から物音がした。


 ガタンという、何かが床に落ちたような音だった。


「あ、母さん起きてきたかも。顔合わせたくなかったら、隠れてて」


「え、え……どこに……」


 心臓が破れそうなほどドキドキしてしまう。


 まさか、海のお母さんがいるとは思わなかった。


 つまり、インターホンを鳴らしたときも起きてこなかったってこと?


 とにかく、今は海に言われた通り、どこかに隠れたい。


「陸は体が小さいから、そこ入れるんじゃない?」


 海は、ソファーの下を指さした。


 慌ててフローリング床にうつ伏せになって、ソファーの下に潜りこんだ。


 ソファーの下はホコリっぽくて、くしゃみが出そうになるのを必死にこらえた。


 顔の隣には、何を拭いたのか分からない丸まったティッシュペーパーも落ちている。


……海の家、申し訳ないけど、汚いと言わざるを得ない。


「おはよう、海」


「おはよう、母さん」


 奥の部屋から出てきたのは、海のお母さんだった。


 海に似たボサボサの黒髪で、化粧をしていないだろうに若々しく見えて、顔に艶があった。


 海のお母さんは、まさかソファーの下に俺が隠れているなんて知らずに、この場で着替えを始めた。


 しわくちゃのパジャマの下から、黒の下着が露わになった。


「っ……」


 荒くなる呼吸を必死に抑える。


……見ちゃいけないものを見ている気分だ。


 しかし、心の奥底で眠る人間のオスとしての本能をくすぐられ、海のお母さんの黒いパンツに目線を釘付けにさせられた。


 そのとき、俺を見下ろす海と目線が合った。


 海は、俺が海のお母さんの下着を見ていたのを知ってか、口角を上げて微笑していた。


……恥ずかしい。


 もうソファーから出られる気がしなかった。


「これ、今月の昼食代ね。よく考えて使いなよ」


 海のお母さんは、テーブルの上に一万円札をピラっと置いた。


 海は、その一万円札をボロボロの長財布に大切そうにしまった。


「ありがとう」


「じゃあ、お母さんお仕事行ってきます」


「いってらっしゃい、母さん。気を付けて」


「うん。いってきます、海」


 カジュアルな恰好に着替えを済ませた海のお母さんは、家を出て行った。


「いいよ、もう出てきて大丈夫」


 海に許可されて、俺はソファーの下から這い出た。


 お気に入りの黒パーカーには、白っぽいホコリと、海のものと思しき髪の毛がくっ付いていた。


「お母さんは、何の仕事してるの?」


「え、何だと思う?」


「うーん……こんな夕方の変な時間から、スーツを着ないで出勤する職業が、ぜんぜん思いつかない」


「正解は、夜のお店だよ」


「え、あ……」


 海に耳打ちされて、俺の頭は真っ白になってしまった。


「いったい一夜で何人の相手をしてるんだろうねぇ~私もあんまりよく知らない」


 顎に手を添えて舌の先を出す仕草をした海。


 俺は何と言えば良いのか分からず、赤面して黙り込んだ。


「なんか……ごめん。聞いちゃいけないことをいちゃった気がする」


「なんで?母さんのあれも、立派な仕事でしょ?」


「え、ああ、まあ、確かにそっか……」


 なんか申し訳ない気持ちになって完全に黙り込んだ俺。


 海は、スマホをテーブルの上に置いてソファーから立ち上がった。


「さてさて、母さんは昼ごろまで帰らないだろうから、何でもかんでも自由だね」


 天井に向けて腕を伸ばした海は「んん~」と低い声で唸った。


……海って、背高いな。


 隣に立つと、俺の目線が海の首のあたりにある。たぶん、170cmはある。


「今夜は寝かせないからな……陸には、私にとって都合がいい玩具おもちゃになってもらうよ」


「言い方……というか、俺、帰る」


「ダメ。私の暇つぶしして。これは命令。逆らったら殴る」


「……冗談だよね?」


「うん、冗談だよ」


「嘘つけ……ああ、恐い」


 強迫されて、俺はソファーに座り直した。


 海の声は、冗談には聞こえないガチのトーンだったけど。


 そろそろ仕事から帰ってきたであろう母さんには『友達の家で遊んでるから、ちょっと帰りが遅くなるかも』と連絡を入れておいた。


 カーテンを閉め切った薄暗い部屋には、茜色の夕日が差し込んでいた。

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