大嫌いな幼馴染
【古谷 陸】は、他者との会話が苦手な人間だ。
人見知り、陰キャ、引っ込み思案。
そんな感じだ。
だから、俺は小学生のときに、ちょっとしたからかいを受けた。
「マジメくんさー、もっと喋ったら?なんのために口がついてると思ってるの?」
俺のことをからかっているのは、幼馴染の【宮本海】だ。
彼女はおしゃべりが大好きで、常に人に囲まれているようなやつで、成績があんまり良くなくて、授業中に私語をしたりして、無口で人見知りな俺とは正反対の性格だった。
「あれ、マジメくんじゃなくて、無口くんに改名かな~?私のこと無視するとかサイテーじゃん」
「……なに?」
「私、友達と遊びに行くから、黒板掃除やっておいて」
「え……」
海はそう言って、ランドセルを背負って教室を出て行った。
教室の扉の向こうから「今日、宿題忘れちゃったー!」「え、ヤバーい」という溌剌とした海と、彼女の友達の声が聞こえてきた。
「はぁ……」
俺は溜息をつきながらも、海から頼まれた(押し付けられた)黒板掃除を嫌々やった。
断れば良い話だが、俺には海の頼みを押し退けてまで断る勇気がなかった。
それに、もしも断ると、根も葉もない悪評をクラス中にまき散らされることになる(体験談)
「陸くんは、黒板掃除をしないおサボりさんだ!」って。
いや、おサボりはお前だろ、海!
――幼馴染だけれど、俺は海のことが嫌いだった。
掃除や給食の当番の仕事を押し付けられたり、わざわざ『足遅いね』とか『学校来るのやめたら?』と書かれた手紙を下駄箱に入れられたり、面と向かって「無口くん」とか「マジメくん」とか言われたりした。
俺よりもテストの点が低いくせに、俺よりもバカなくせに、俺を見下していたんだ、あいつは。
でも、それが大きなクラス問題になって、親や先生に心配や迷惑をかけたくないので、俺は黙っていた。
別に、海の意地悪に耐えられないということはなかったから。
その後、俺と海は同じ中学、高校に進学した。
「また一緒のクラスだね、マジメくん!」
「……」
進学して最初の数ヶ月は、海に言葉でからかわれることがあった。
けれど、海に友達が沢山できたのか、俺に関わってくることは少なくなった。
でも、高校二年生の夏休み前のある日……
「えー、27番、宮本海さん……あれ、休みか」
担任の先生も珍しそうにして、出席簿にチェックマークを入れた。
海が、高校を休んだのだ。
これまで毎日休むことなく学校に来ていた海が、一日、二日、三日……気が付けば、一週間、一か月と学校に来なくなった。
「ウチ、こんど海の家行ってみようかな……すっごく心配だよ!」
「この前、海の家に行ってインターホン鳴らしてみたけど、返事なかったよ。そもそも家にいないかもしれないよ……」
「男とヤって妊娠して退学じゃね?」
「さすがにそれはないだろ。いくらなんでもそこまでバカじゃないだろ」
よくない噂がクラス内に流れているのを、俺は小耳に挟んだ。
仮に、もしも彼女が死んでいても、涙を流すどころか微塵も悲しまない自信があった。
むしろ、他者のことをバカにするようなあんな人間、生きている価値がないとさえ思う。
「悪いね、古谷くん。プリントと書類が入ったこのファイルを、宮本さんの家まで届けてくれないかな?」
だから、先生から書類がたくさん入ったファイルを手渡されたときに、それをぐしゃぐしゃに破り捨ててやりたい衝動に駆られた。
けれど、先生の目の前でそんなことができるはずもなく……
「は、はい。分かりました」
「わざわざ職員室まで呼んじゃって、ごめんね。古谷くんの家が一番近いから……」
「い、いえいえ、お気になさらず。お任せください。しっかり送り届けてまいります」
「古谷くんはしっかり者だね。ありがとう。こんどの清掃委員会の仕事、古谷くんの分だけ少なくしておくよ」
「ご配慮、ありがとうございます。失礼しました」
俺は書類が入ったファイルを受け取り、職員室を出た。
そのファイルをカバンにしまって、自転車を漕ぎ、電車に乗り込み、帰宅途中にある海の家を訪ねた。
♦
俺は、海の実家であるアパートに到着した。
(ポストに入れて帰えるのは、よくない気がする)
ファイルの中の書類には、奨学金に関わる重要そうな書類もある。ポストに入れるのではなく、手渡ししたほうがよさそうな感じだった。
余計なお世話かもしれないが、俺はインターホンを押した。
「すみません、東京豊穣高校の2年生、古谷陸です。担任の先生から書類を預かっております。お母様かお父様はいらっしゃいますでしょうか?お受け取りいただけるとさいわい……」
俺が電車の中で考えておいた定型文を言い終える前に、玄関の戸が開いた。
玄関のドアから顔を覗かせたのは……
「あ、陸。久しぶり」
「う……み」
黒い髪がボサボサの状態の海が顔を覗かせた。
彼女が上下に着ているのは、俺たちが着ているのと同じ高校のジャージだった。
何日も着っぱなしなのか、少し離れたこの距離でも、変な臭いを感じることができた(嬉しくないし臭い……)
「書類届けに来てくれたのね。さんきゅー」
海に奪い取られる形で書類を手渡した。
書類を送り届けるという仕事は終えたので、俺は海に背を向けてその場を去ろうとした。
「待ちなよ。せっかく来てくれたんだから、寄ってきな」
「は?い、い……」
「は?なに?声小さくて聞こえないから、ハッキリ言ってくれない?」
「……嫌だ。ごめんなさい」
「嫌だ」という拒否の言葉を口にした瞬間、海は眉間にしわを寄せて不満顔を露わにした。
「は?私が上がってけって言ってんのに、断るわけ?」
「い、嫌だっていってるでしょ……」
「お茶とお菓子ぐらい出してやるって言ってんの!早く来いって!あーもうっ、ノリ悪いなぁ……」
頭をボリボリ掻きむしる海に制服の袖を引っ張られて、俺は宮本家に引きずりこまれた。
――この日が、俺と海の、奇妙な恋物語の始まりの日だった。