小篇 米(くめ)の進撃
720年大崎地方でのエミシの反乱(南九州では隼人の反乱)
(朝廷とエミシの境をきっての平穏期)
759年桃生城の築造
774年桃生城焼き討ちに遭う
↕(エミシ英雄時代)
802年阿弖流為降伏
稲というものが始めて日本列島に持ち込まれた時、それを携えてきた民、その民達が秋に現した風景を見て原住民達はどう思ったのだろうか。見慣れた平地の森や水際に黄金色に光る穂を見た時にどこか奇っ怪さを感じたかもしれない。
しかしすぐに彼らも物品交換で得た稲を直植えで作り始めただろう。地に生える稲、神聖言語で米の霊力にたちまちに魂を魅了されたからだ。こうして日本列島の米の北進が始まった。元来熱帯地域原産の稲が植物として異例の速さで亜熱帯、温帯を突破し亜寒帯の陸奥国まで達した。食べれば力がわき出て心が躍る、炭水化物を大量に蔵した植物は共に生きる人々の在り方も変えながら俊足で北限を踏破し続けた。
782年の伊冶公呰麻呂の反乱を引き継ぐ形で朝廷、国府と対立するアテルイが北から大崎地方を見ている。
倭人移民達を囲んで守る城柵を中心に耕地が広がっている。それが出羽国の海岸から並んで陸奥国太平洋岸に至り朝廷の新開地の北限線を成している。その線の内側には城柵を持たない耕地も生まれている。ヤマトと約を結んだエミシ支族の村だ。目が東の端に達して顔をしかめる。
「ヤマトと誓約が成らぬことはわかりきったことだろうが。」
点ほどにしか見えはしないが、桃生城がある。
天の下を自由に動いて精霊が示した地で耕し蕎麦や稗を得て獣を狩りまた去ってゆく。古来より続くエミシの営みだ。しかしいつの頃からか南の方から世界が変わり始めた。平地が切り拓かれて秋に黄金の穂が地を照らすようになった。水を走らす路が至る所に走り、アバタのように池がポカポカ、と空き始めた。森の濃い緑から邑を囲むように薄い緑葉が植えられて、所々に朱く塗られた木組みが立ち始めている。かつては阿武隈川の向こうまでがエミシの歩き回る地であった。それが変わった。巨大な力がこの地に生きたエミシやヤマノモノ、南から来た倭人を取り込んで大地を作り替えている。中心は地を照らすあの黄金穂。古老達は口を揃えて言っているし、間違いないだろう。
「あの霊の力はすごく強い。如何なる神の力か。」
その旺盛な力が多賀に作り直された国府、松島湾をも超えて涌谷に至り数々の城柵が建てられた。
「あれは鎮め、ヤマトが我等が世界の北の限り、と祈り、誓いエミシの祖霊の力を防ぐために大きく建てられた。」
それはこれより北には進まぬ、というヤマト・エミシの誓約であった。しかし米の力はあふれて境の北に桃生城が築かれた。誓約は破られた。猛るエミシの戦士の刻が始まった。戦になるとオトナ達の声は小さくなり、若い戦士達が支族を動かす。北の端からも戦士達が集い、桃生城を焼き払い、出羽国まで足を伸ばし攻撃、ヤマトの軍を打ち破った。
戦いが終わると戦士の権はオトナに返される。そうすると倭人達は焼かれた棲家を直し、田を打ち始める。しばらくすると不思議なことに勝った方のエミシのいくつかの支族がヤマトに走り、鎮めの外で地を耕し始めた。
「オトナがなぁ、、、。こそこそあっちと話をしているんだよ。」
母禮が忌々しげに言った。
「ヤマトと、もだし、先にヤマトに従った族長と相談してやがんだ。」
阿弖流為は思い出す。ほんの少しだが鎮めを超えて涌谷に冒険したことがある。ひどいところだった。黄金を手に入れるために川は掻き乱され、山の緑は薄くなっている。精霊達は遠く去ろうとしていた。そこでエミシ頭と呼ばれていたオンダテと云う者の世話になっていた。荷物持ちとして隷属エミシの村を回ったこともある。一目見て蔑んだ。皆、背が低く、細い身体になっている。しかし数がとても多い。女達は年子が生まれても育てることができている。頭が眩む思いがした。同じエミシなのに全く違う世界に生きていると思った。どこもそうだと分かると怖くなって逃げ帰った。
「いつの頃からか北のエミシも稲を作るようになった。あれは力が詰まっているからな。でも稲に手を出した時からオレたちは倭人に近づいた。」
阿弖流為は大墓公という姓を与えられている。阿弖流為から大墓公阿弖流為へ。大君というヤマトの神から名を与えられるということは支配を受けること。もはやオヤを大君として、コとしてある事。精霊ではなく南の神を崇めるということ。秋の稔りの時にしか口にしてはいけない神聖言語「米」に浸った者はそれを受け入れる。
また戦いが始まり、ヤマトの軍は負かされて退いてゆく。終わるとオトナが話にゆき、小さな支族が下ってゆく。北へ北へ稲が進んでゆき母なる大地に水路や溜池が穿たれてゆく。戦に勝つ度にエミシの力が弱り、反対にヤマトの野山は広がってゆく。
「大君は生も死も操れる。倒しても倒しても彼の軍は生き返って進んでくる、、、、。」戦士達にも畏れが広がっている。
そして降ったエミシはヤマトに染まってゆく。大君の天地で幸を受けて生きる者になるのだ。
「また支族が降った。稲をどっさり生やしてたらふく食って、子沢山になりたいってよ。」
母禮は吐き捨てるように言った。
「ヤマトノオオキミってのはとんでもない神だ。負かしても負かしてもこっちが北へ押されている。こんな戦いは訳が分からない。そして霊威に浴した地の姿も変えてしまう。稲で敵すらも魅入られてしまう。女が一度抱いちまうと急に大人しくなるみたいに、戦士たちも槍を捨て鍬を持ち懸命に振るうようになる。」
捉えきれない巨大な者と戦って、絡め取られていっている。
「母禮。どうしようもなくなったらあっちで生きて良いんだぜ。」
「!?」
「あっちを見たことのある俺には分かる。誇りとこれまでの想いを捨てるのならヤマトは気持ち悪いくらいに優しい。多分、稲が“私を育てよ、刈り入れよ、貯めよ、撒けよ”と人に語っているんだ。そのための人が来るなら大概のことは許される。」
「ヤマトノオオキミの草に命じられて生きるなんて、真っ平ごめん。それなら山の向こうのミーライにとっとと行きたいわい。」
阿弖流為はそれを聞いて笑った。
「確かに人に言われるのならともかく、草には言われたくないな。なら、最後の最後まで!」
「坂上田村麻呂はヤマトの倭人にしては強い。軍が来る方向を見ろ、黒雲が出て風向きもあっちに追い風だ。ヤマトノオオキミの軍にしては別格のモノだ。」
エミシはヤマトと混ざり合いながら鎮めの向こうにもいる。あちらにこそ数は多いかもしれぬ。我らが残らず倒れても血はミャクミャクと続くだろう。
「降るものは降った!ならば我等はこれからに繋がる心をここに示す。精霊達よ、祖霊よ、力を!」
巫女が祈り終わった。示す吉方は、真っ直ぐ前に。
802年阿弖流為、母禮、そして率いる兵500は胆沢城駐屯の坂上将軍の元へ出頭。そこで何が語られたかは闇の中だ。しかしこれ以後、各族長への位の贈呈、従順なエミシへの安堵が大幅に図られるようになった。それから徐々に公民身分への編入が進むこととなった。
最後の抵抗を担保した会談が行われたのだろう。そして降伏、阿弖流為、母禮ら首領は京の都へ連行され処刑された。出羽・陸奥両国按察使、陸奥守、征夷大将軍を兼任して白河関から向こうの全権を委ねられていた坂上田村麻呂は助命嘆願を出したが叶わなかった。
是を以て80年近く断続したエミシの動乱は急速に鎮まり、東北の地は率土の浜となり、衆生は朝廷の威光を仰いで過ごすこととなった。
国史の中の桓武帝治世の一大事項ではあった。
桓武帝は光仁天皇と百済系渡来人の母、高野新笠もとに生まれた傍系の皇子だった。だから偉業へのこだわりが強かったのか、だからこそ視点を広く持つことが出来て偉業を成せたのか?いずれにせよ、皇室と朝鮮半島との絆を示す時に挙げられる天皇ではある。
帝以前の皇統と比べ、現皇室と繫がりが太く桓武平氏の祖。その桓武帝治世下で九州島、四国島、本州島の親洲統一がほぼ成ったのは面白い。




