小篇 女は覚えている 人々ぞろぞろ
陸奥国府はひたすらに北に続いてゆく未開の大地の中に存在する。朝廷の拓いた大道の行き止まりにある道奥の町だ。寒い。
801年、阿弖流為の乱が朝廷の勝利に終わってからエミシ達のより苛烈な運命が始まった。
乱に参加して捕獲された者達は蝦夷捕囚として西に送られて奴隷として生を終えた。諸国の働き手を増やし、反乱者達を生まれ育った地から追い払い治世の障りを無くす。一石二鳥の冷血な策だ、思いついた官人はさぞや讃えられただろう。生国を追われる者が居るなら集められる者もいる。開拓のために諸国から送ってこられたはみ出し者達、しかし広大な世界を拓くにはとても足りない。各地の城柵周りを何とか充実させるために促進されたのが「人狩り」であった。陸奥国に散居するエミシ達を軍団兵が駆り集めることに躊躇があるはずがない。もう阿弖流為や母禮のように剣を持って立ち上がる族長は居ないのだから。蝦夷捕囚達の働きは陸奥国の血となり肉となった。田舎の田畑で、国府の巷で。
もうイヤだ。どこでも良い、逃げてやる。蝦丸はそう思った。もうヤマトの者に殴られるのは沢山だ。連れてこられたエミシでそう思わぬ者はいない。招きに素直に応じなかった蝦丸の一族は国府でひたすらに重労働にこき使われている。
「逃げたところでどうなる。もう何処にも我々の天地なぞ無いのだぞ。」
国府でかつてエミシだった者達、“まだ”エミシである者達を世話する太助は言った。
「ここには仲間も居る。生きてはいけるのだぞ。主人には扱いを掛け合うから気を張って耐えろ。」
毎日誰かにこんな事をしているなと思いながら宥めた。とるに足らない奴隷風情とはいえ数多くの者を束ねる蝦夷頭、太助のもとには日本の民側からも取り持ちの頼みが来る。この寒い地ではまだ扱いが良い方のエミシだ。
「太助、あなただけが彼らにとって頼りなのよ。弱音を吐いてどうします。」
祖母であるムツキは愚痴を言う太助を励ました。
「同胞皆で力を合わせるから生きて行けるのよ。」
いつもと同じ事を言われている。
「言いたくもなるよ。日本とエミシに挟まれてはな。」
次に何を言われるか予想がつく。
「これでも昔よりはましになってるの!」
百済王敬福がこの陸奥国で河底の黄金を発見した。このことによって日本は中華である震旦から知識、物品を大量に購入できるようになった。東大寺の大仏を作れただけではないのだ。その為にまず最初に1000両程の黄金が都に送られたと云うから余程大量に採れたのだろう。その黄金を浚っているのは連れてこられたエミシ達だ。それを見ている男女二人。
「もう辞めさせなさい!これ以上は死ぬ者が出る。」
女が声を上げて川に入ろうとするのを官人が止めた。
「どうぞ身を大切に。そろそろ交代させようとしていたところです。」
川から上がった者は火が焚かれている小屋へ。温められてようやく血の気がさす。その者達を柔らかい布を惜しげもなく使って拭いている。
「川働き風情に、その様な。」
と言うや
「同胞を労るはこのムツキの使命。エミシ頭オンダテの妹としても。」
後ろでそのオンダテが目をギラつかせている。共に川に入ったり、同胞の取り扱いに目を光らしたりと忙しい。そうやって国府特に陸奥国の富の産出のほとんどを成す川での黄金の浚渫に働くエミシの身を守っている。その力の中心はムツキ。かつて陸奥守を勤め、功により都で重責を担うようになった百済王敬福の現地妻をしていた。この地を去る時に敬福は「この兄妹こそがエミシとの間を繋ぐもの。努々、共に治世を成せ。」と厳命した。その威がちゃんと活きている。そしてもう一つ。発見者の利権で百済金堀衆もこの地で川を浚っている。その衆の手練れが兄妹の後ろで控えている。
「この川の一部は百済王氏の縄張りとなっている。ここで励み富を得よ。そしてエミシ頭達を守れ。我等がここで残るには彼等の協力も必要だ。」この言葉は百済金堀衆に残されたものだ。朝廷、倭人民、エミシ、百済、黄金があふれ力と思惑が入り乱れる、ここは国家も注視している。そこに利権を持つなら細心の注意が必要だ。国の富を掠め取っていると取られては排除されるだろう小天地とはいえ国家は強大だ。あくまで由来ゆえに留まって生きるに必要なものを得ている、と許容してもらう必要がある。その上で倭人や連れてこられたエミシ達と三竦みし隙間を築いてそこにあり続ける。慈悲だけでなく、百済から別天地に逃げてきた当地の王家の処世術がある。残された言葉だけで続いているものではないのだ。
「今日も忙しかったな。」
蝦夷溜まりと呼ばれている川辺の一角でオンダテ達は集まって住んでいる。渫い場に近い賤が屋の集まった区だ。日が暮れても同胞の住処を周って今帰った。火に当たりようやく気がほぐれる。
「お前はいつまで陸奥姫と名乗る気だ。妾だった頃の名から元の名に戻れ。」
敬福が都に戻る時には「これからも共に生きて、、、」と言ってきたのは男子として当然と思った。しかしムツキはそれを謝絶しこの地に残った。それ以来誰にも嫁がずに名も戻そうとしない。そして兄の家に同居して一粒種の8歳の息子を育てている。
「貰い手ぐらいはすぐ見つかる。いつまでも独り身は虚しいものだろう?」
「虚しくはありませぬ。」
そう断ると寝床に息子を連れて行った。
次の朝、日が昇ると騒ぎが起こった。楽丸が追われて住処に逃げ込んできたのだ。
「ウヌ、、いや楽丸。またつまらぬことをしたな。」
やせっぱちの体を藁で隠すとオンダテは外に出た。何人かの男が立っている。
「ウヌを出してもらおう。」
「ここには居らん。」
聞くや男達が身構えた。それを制して
「用はなんだ。」
と聞いた。
「ウチの女が稼いだ上前をはねた。殺す。」
「奴が売って歩いてるから稼げるんだぞ。上前ぐらい、、、、。」
「昨夜はそれでも取りすぎだ。酒が買えねえじゃねえか。」
静にため息が出る。待ってろ、と手で示すと家に入る。
「抱かれて得た金を取りすぎたら、こうなるだろ。余分な分を渡せ。」
楽丸は卑屈そうな顔をキッとさせた。
「俺はこうすることでしかメシを食えない。力もないし、バカだから。苦労して倭人に話を持っていってんだ。もう少しくれても良いじゃないか。あいつら、自分達がやらないのに、、、。」
懐の銭を取り上げ分け直した。外に出る。
「伴の稼ぎではなく、もっと川に入ったらどうだ。女に頼るな。」
「図に乗るな!ヤマトの使いっ走りが。」
銭を取って去ってゆく。昔はこうではなかった、と思う。エミシの男は雄々しく、女は気高かった。今は国府の倭人の下で何とか生きているだけだ。少しでもマシな方に持ってゆきたい。
「もっと金を渫わんかぁ!」
声が響く。やりきれないことにその声は倭人ではなく、エミシの男の声だ。ヤマトの官人は隙のない連中だ。従順な者の中で力と知恵に優れた者を見つけては褒めて人を率いさせる。働きが上がれば役得もある。更に繫がりが強くなれば、人手が欲しい時の手配も任せる、実入りは大きい。頭が良いだけにそこまで来ると国府に「忠」であることの良さが芯からわかる。ヤマト以上に容赦のない、事情に通じた手下の誕生だ。何かと厄介なエミシ頭へのけん制にも使える。
「そういう奴ぁ、住むところも良いところに行くし仲間でもなくなる。倭人達とばかり歩くようになる、、、。」
日が暮れて家でポツリと言った。
「自分の女を軍団の兵に抱かせて稼ぐよりはマシでしょ?」
ムツキは縄をないながら言った。
「お前は女の身だからそんな事が言えるのだ。黄金に惹かれてやってくる倭人の下でいろなどと。」
オンダテは静かな怒りを声に乗せた。昼に川沿いで睨み合ったことを思い出す。倭人側に何人もエミシの者が立っている、仕事の邪魔をするなという顔だ。こういう顔は醜悪だ。昼からほっつき歩いて銭が入ると呑んでいる奴らと同様に。
「えぇ、女の身だから言っている。」
子を寝かしたムツキが静かに言った。
エミシの男が誇り高かったなんて嘘。気が荒くて女は力で従わせたがる、意地っ張りで部族が違うと張り合ってばかりいる。ヤマトがやって来ると仲が良くない部族を売ることに熱心で、何かをもらうことばかり考えている。そういう奴の一番賢しいやつが族長になる。未だに陸奥国の未開地で移動農耕生活をしているエミシ達をヤマト達が恐れるよりも恐れて討伐に出てくれることを望んでいる。
そんな彼等に組み敷かれている女の身から見ると今が昔より酷いという気はしない。川働きの周りで仕事は多い。そこで男がしない仕事をして自分たちなりに生活の資を得る、それは昔の地に縫い付けられる前からの女のあり方と変わらない。倭人に抱かれるのだってエミシの男か、違うのか?ぐらいのものだ。誇りなんて男の物、女には与えられなかった。そんな母や祖母の恨み言を知る身は違う立場で兄に言っている。
「ヤマトの倭人はなんだかんだでよく働く。エミシはぶらぶらしている男が多い。」
妻を倭人に抱かせてふらついている連中の姿を想う。
「誇りだなんだと言っても川で働く男は女に見捨てられない。ぶらぶらしている奴らは愛想を尽かされて倭人に走られる。そんな奴らがより声高に叫びたがる。」
「ムツキ!口に出すな!」
言霊は恐ろしい。言葉の霊力で靄に隠された世界の姿がはっきりと現れる。ヤマトの下に組み込まれる哀れな自分たちの姿が。その兄の苦しい心を妹は感じている。
「下にいることは悲しいことじゃない。ここで力を入れて働いているからヤマトもエミシが居ないとどうにもならない。役人の下っ端をしているエミシも奴らと向かい合う兄者も勇者。悲しくない。」
この妹の言葉には力がある。これがなければ北に向かって「まつろわぬ」道を選んだろう。知らずに自分は導かれている。
「もう寝て。明日も頑張って。強い狼は下手に唸らないもの。」
「朝廷が黄金を求めているのです。もっと攫えと。ですから蝦夷達ももっと働いてもらわないと。」
「蝦夷ではなくエミシ。」と言い返してムツキは官人の前に立つ。これから寒くなる。頑張るにも無理が出てくる。
「帰順が早いエミシには水路のついた田が与えられた。ここで働く我らには死なぬぐらいの温情を。」
兄妹、百済衆、エミシ達の眼差しが混じり合って官人に迫る。川にいた者達が声に励まされて火が焚かれている蝦夷小屋に温まりにゆく。
「百済王殿の言付けを思い出していただきたい。黄金は都に送られているでしょうが。」
大方、国府の連中がちょろまかす分を見込んでいるのだろう。心のやましさがある分、こちらが押し返すと存外に詰まる。
チャッ、百済衆の名も知らぬ者が小刀を繰る。ビクッと官人が動いた。
「フン、ならもっと動ける季節に励めよ。」
と言い残して去って行った。ヤマトエミシ達が驚いて後を追う。オンダテはじっとその姿を追っている。この感情を声に出すことは出来なさそうだ。
「我等が自分達で建てた小屋じゃ。さあ早く、もっとくつろげ。」
振り返ってようやく口を開いた。




