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小篇 春を知る前に(前)

ソドンが新羅村の中を歩いている。何ともないいつもの風景だ。村内で飛び交うのは新羅の言葉。朝鮮半島の動乱時に周りの住民一団となって倭国ワアクに渡り、ここ武蔵国大里と呼ばれる所に集団移住した。後から少数で来た高句麗の火民たちとは違い、近くの倭人達と混じり合うことが少なくやってこれた訳だ。

何せ恵美押勝が新羅征伐を思い立った頃にも関東に新羅の言葉、習慣を求めたというから「武蔵国の新羅」といえばよっぽど広く知られたものだったのだろう。「お~い、ソドン。学問やってるかー?またお前の家に行くから頼むぞー。」

カラジンおじさんが声をかけてきた。何かと村長の父スマンの所に来る飲んべえだ。返事をしてさらに歩くと向こうから馬に二人乗る少年少女。後ろで手綱を握っていた少年が降り、駒引いて進む。

足助ダルス、家まで乗ってゆこうよ。」

「新羅村では騎馬は控えろって言われただろ、トゥル。」

またクリ村の親族のところに行ってたのか、13にもなって、相変わらずのお転婆だ。そう思いながら通り過ぎる。麦畑が切れて村中に入る。ささやかな柵で囲まれている。家に着いた。

「ソドン、乱れを直して。父様アボジが呼んでいます。」

オモニのユンがすぐ声をかけてきた。急いで父の部屋に行く。


「ソドン、お前はもう数年したら国衙に勤める。そのつもりで励んでいるだろうな?」

スマンは小さな頃から繰り返してきた問いをソドンに投げた。

「はい、父上。息子として、我等が郷党を代表するために。」

スマンは満足そうな顔をした。

「良い答えを聞けた。読み書きも問題ない。国衙での奉公、頑張れよ。、、、、それはそうと、ソドン、お前は近々嫁を取ることになる。」

「、、、、は???」

「急だろうが、国府に行く前に早めに決めておくべきと思うてな。発ったあとでは村の娘との話も進め難いからな。ジェミンのところのトゥルを、と話をしている。あっちも乗り気だ。もうまとまる。」

「き,急に言われても。」

「もう15と言えばそのような頃合いだ。俺もそうだった。」

「、、、、、、、」

「トゥルは女に成ると美人になる顔立ちだ。後で後悔しないようにな。」


夕方にカラジンがやってきた。女達は忙しく動き回っている。

「倭村のガキがまたこっちの子どもに突っかかってきている。しょうのないやつらだ。」

「その事は向こうにも言っている。近くのヤマモモの実を食い散らかすからだ。と言われた。誰だ、やった奴は。」

「ソドンが調べている。お調子者のコラム辺りじゃないか。」

酒の席で話が続く。

「ソドン。」

そう言えば、という感じでカラジンが声をかけた。

「はい。」

「そういや、嫁を取るらしいな。」

「ええ。そういうことらしい、です。」

くいっとまた飲んだ。

「なら、先達ということで言わせてもらうがな。初夜は焦るなよ。」

「はっ?」

「お前、考えてみろよ、これまで全く他人だった奴と一生暮らすんだぞ。戸惑わないか?」

当然、そう思う。思うと少しぞっとした。

「でもなぁ、男でそれだ。女はもっと泣きそうな思いでいる。」

「、、、、、。」

「だからな、まず床に入ったなら、気に任せてがっつくなよ?体を優しく撫でて言ってやるのだ、「大丈夫、お前が心配していることは何一つ起こらぬ、安心してほしい」とな。」

ユンがそこまで言うべきか?と言おうとしたのを制して続ける。

「そうするとな、やがてお前のつまは、なんというか、実に良い顔をするようになる。全てを受け入れる柔らかい顔というかな。始めるのはそれからだ。忘れるなよ?」

飲兵衛がこんな事を言うものだ。その後も話は続いたが、何か頭が熱くなって覚えていなかった。

その夜、夢を見た。トゥルがいる。見慣れた娘だが切れ長の目が柔らかく下がっている。自分は近寄ってゆき、抱きすくめると、、、、そして目が覚めた。先は色々あったが覚えていない、しかし胸の高鳴りは残っていた。

「坊っちゃん、そんなことする必要はないよ。」

畑打を手伝っている。というよりしゃにむに土を掘り起こしている。つらい労働だ。ウチの畠でこんなに大変なことを皆んなしている。土と汗で汚れながら、こうでもしないと、もやもやして気が済まなかった。やがてどうしようもなく体が動かなくなったところで、ようやくやめた。

「もう休んで。村長に怒られる。」

畠から上がってへたり込む。まだ種を蒔く前でもこんなに辛い。春小麦が秋にできるまでにどれだけの汗と涙が流れるのか。この苦労を課税する武蔵国府、朝廷は知らないだろう。とりとめなく考える。そうして休んでいるとふとトゥルの顔が浮かんだ。「女になると美人になる顔」、そういえば最近、顔をよく見ていなかった。見にゆくか!そう思うとたまらない気持ちになって、立ち上がるや急いで駆けた。娘衆の働くところは知っている。何をするでもないがとにかく会いたい。社倉のところにいる。若衆と同じく年長者の指示のもと動いている。息せき切ってやって来た若君に何人かが目を向ける。ざっと見渡すと端のほうにいた。トゥルだ。若い男と話をしている、コラムだ。この時の感情を説明するのは難しい。とにかくカッとした。

「コラム!」

思わぬ大声が出た。コラムもトゥルもびっくりしてこちらを見ている。そこに向かって荒い足音が近づく。

「お前らは!」

と叫んでハッとした。まだ話が進んでいるだけだ。トゥルも自分の身が向かう先を知っているのか?単に自分が先走っただけじゃないか。三人は固まって見合っている。

「齢六歳にして席を同じくせず、ということを知らないのか。」

それだけ何とか絞り出すと踵を返した。足早に去ってゆく中、久しぶりに見たトゥルの顔が目に残っていた。

後日、二人の身の上に進む話を知ったコラムが詫びに来た。気まずさしか感じなかった。元服クァンレもしたのに大人気なかったな。


トゥルは暗がりに座って考えている。自分はソドンさんに嫁ぐらしい。そう親から知らされた。ちょっと前の事はここに関わっているのだろう。彼には何の思いもない。良い悪いではなく、背が高く物知りな人ぐらいだ。怒鳴られてから、娘衆の中での立ち位置が変わった。どこかソドンの手がつけられたような、よそよそしい接し方をして来る。嫁となったら所有権が実家から夫に移る。肌感覚としては知っていたが、気が沈む。

「こういう話が進んでいるから他の男子とは話すな、もう嫁になるなら乙女とは見られないぞ。」

父のジェミンに言われた。母のキィは何とも言えない顔をしていた。

翌朝、娘衆の集まり場所に向かう。いつも通りに隣の同い年、ヨンと手を繋いでゆく。娘時代は誰でも娘同士で手を繋ぎ、よくいだき合う。この時期は特に肉体の触れ合いで心を通わせようとするのだ。若衆が何かあるともろ肌脱いで肩を組みたがるのに遠くないだろう。

「トゥルちゃん。」

「なに?」

「お嫁に行くんだね。」

「らしいね。」

ヨンの握る手にきゅっと力が入った。何か言おうとしているが、目を伏せて何も言わない。そうしている内に、着いた。

「あなた達!」

姿を見るなり、3つ年上のシプが声を上げた。

「もうトゥルは貰い手ができたのよ!勝手に触れるのはやめなさい!」

びくっとしてヨンは手を放した。トゥルは呆然としている。ぐいっと手を握って離される。

「ヨン、あなたもちゃんと分かりなさい。いつまでも娘じゃないのよ!」

少し向こうでヨルが険悪な顔をしている。そして近づいてきた。

その日はそれから家に帰された。

何か自分を取り巻く世界が暗く、息苦しく沈んできた気がする。母のキィが迎えて、ふわりと抱いた。


次の日に足助ダルスが来た。壺に水を汲んでいるトゥルを見つけると

「貸せ。汲んでおくよ。」

と器を取ろうとした。

「ダメ!」

強く握った。

「大変なのに?」

「、、、、、、。」

昨日、ヨルが近づいてくるとこらえきれないように言われた。

「なんで貴女なのよ、、、、」

そんなことは知らない。いつの間にか決まったことだ。でも怒っている。言い返しようもない。二人で何も言わないで向かい合っている。やがて息を吐くと

「夫が決まっているのに、これまで通り気ままに男の子とはしゃぐなんて、はしたないと分かりなさい。」

そう言うと去っていった。


ガッと器をもぎ取った。トゥルの方が少し背が高いがいざとなると足助は遠慮がない。そういう時は力負けする。

「とにかく汲んどくから座っとけ。探し物を神憑きで見てほしいんだ。馬で急ごう。」

そうやって壺に一杯水を入れると馬に乗せて後ろで手綱を取る。びくっとトゥルの体が震えた。

「足助!気をつけてゆけよ。」

ジェミンが無頓着に任せた。そこは親類だからか。キィも黙って見ている。

「せや!」

急いでいるのか、村の中から乗ってゆく。まるで風に乗ったように走りクリ村に着いた。

2日してトゥルは帰ってきた。物探しは簡単に終わったらしい。

「近々、クリの水源探しがあるから、その時は。」

顔色が少し明るくなったトゥルを狩人ガルド足助親子が願いついでに送ってきた。

「とうとうか。役立ててやってくれ。」

クリ村とはいえ親類だからジェミンも気安い。その横をやや軽やかにトゥルが通ってゆく。


その夜の夢は心地よかった。別に特別なものではない。馬に乗っている。風に向かったり、背に受けたりして心のままに。怖わさも何もなくただ走る。馬を駆る少年と伴に。

目覚めると、まだ暗闇。しかし清々しい思いに満たされている。心の中に声が湧き出るように響いた。「我等が、、、子達、、、。昔、新羅より渡ってきたように、、娘、その足で、、、、選ぶのだ、、、、」

そうしてまたとろとろと眠りに落ちた。


蒸した米を噛んでいる。何回か噛むと壺の中に入れる。酒噛みだ。これを密封して発酵させると酒ができる。乙女の仕事だ。季節は外れているが、婚姻に使う酒だ。花嫁の準備としてやらねばならない。クリ村から帰ってきてからトゥルは静かに自分のすべきことに努めている。

「やっぱり物事が決まると女ってのはすぐ覚悟を決めるな。」

ジェミンはキィに言った。そうかしら?と思う。この子は簡単に運命の力にこねくり回される子だろうか?そう思って見守っている。そんな自分を見ている。トゥルは窺っている。

ある日、ジェミンが畠に出かけた後、突然キィにトゥルが聞いてきた。

オモニアボジが好きだから嫁いだの?」

「、、、、、いきなりね。」

じっと見ている。強い意志を感じる目だ。神憑きの霊感少女はこの目あってのものなのだろう。

「お母さんはクリ方のおばあちゃん、ムゥ母に言われて嫁いできたの。顔は知っていたけど何も想っていなかったわ。」

「好き?」

「、、、、一緒に暮らすようになって、良いな、って思うようになったの。」

「、、、、こうするしかない、じゃなくて?」

突然、心の奥底のちょっとした蟠りを見通されたように感じた。

「と、いうより一緒に居るとね、こうなるものなんだなって慣れてくるの。子達が生まれるとね。」

答えになってるか、分からない。お互いをつまと呼び生きることは好悪では色分けできない事が多すぎる。だが、精一杯言った。

「、、、、ありがとう。」

そう言うと他の事をし出した。どこか大人びた声に聞こえた。


一ヶ月後、水源探しのためにまたクリ村から迎えがあった。それを機会とトゥルは出奔した。

家の前でキィは待っている。村長スマンのところに行ったジェミンを待っている。ただならぬ気配に子供たちは静かだ。

向こうから小さな灯りがやって来る。ジェミンだ。近づいていって呆気にとられた。顔が腫れている。

「あなた、、、、。」

「気にするな。スマンも親としたらこれぐらいはするだろう。」

「ヨモギを、、、。」

「もう暗い。水で冷やすから大丈夫だ。」

話はついたらしい。息子のソドンが父が殴るのをやめさせたからだ。大した若衆だ。濡らした布を当てて寝転ぶと急に睡魔が来た。何とか眠れそうだ。


クリ村を若衆が行く。

平狗ヘイグ、まことか。」

「おうさ、そうやって足助は見事に娘を攫ってきたのさ。」

「行ったら見せてくれそうか?新羅村の娘を見たいものじゃ。」

連れ立って足助の家に向かう。噂のトゥルは若衆の興味の的だ。

「足助。睦んでいるか?」

「大した奴だ。足助勇士ダルス・ユルゲンだな。」

足助が出てくると口々にしゃべる。

「うるさくするな。トゥルも疲れてるんだ。」

そうたしなめて家から離す。

「いつも家の前で集まって!」

「心配してるからさ。いつ新羅村の連中が取り返しに来るかわからないだろう。だとするなら、もうお前の嫁だ、俺たちも力を合わせるべきと思うからさ。森の清水にかけて!」

「、、、、来そうなのか?」

「分からん。しかし村の女を奪ったなら、それは戦うに充分だろう。」

足助の中に少し前まではなかった想いが生じつつある。トゥルは隣村の親戚だ。しかし今は違う。他所から自分を目指してやってきた女だ。もう離れたくない。まして奪われるのなら怒りで狂ってしまうかもしれない。いや、狂う前に相手を殺す。そんな焼けるような気持ちに戸惑っている。

「しばらくは若衆のとこには来ずにトゥル?を見ていろ。昨日も来たが、無用だ。」

「平狗、、、、」

言いかけた所で若衆達から声が出た。トゥルがひょい、と顔を出したのだ。あぁ、、、とため息のような声。

「やっぱり新羅の娘はいい、、、、。」

「あの目でいつも見つめられているのか?」

「あそこは連中の中でしか嫁がんからな。」

ぺこり、と挨拶をして引っ込む。若衆達も夢見心地で去っていった。夏の中。蝉の声の中で足助はひたすらに体の芯からこみ上げる熱さを感じていた。


「おい、ソドンよぉ、、、、。」

大きな体が若衆の真ん中にある。

「あの小娘アマ舐めた真似しやがって。いつまで待つ気だ?このまま済まそうとでも思ってんのか?」

ドクンッ。身体が揺れたような激しい鼓動。

「そう思っているのか?」

怒気に声が震えている。言ってきたデジュンを睨む目には、

「ぶちのめす。足助という奴を」

言葉と同じく意志が宿っている。

「あ、いや、疑ってなんかいない。ただやる時は俺達も。」

「俺がやる。足助を。合力は無用。あと、あっちの構えが取れた頃にな、、、、、。」

本気だ。問うたのが間違いだった。今ソドンは灼けつく炎の中にいる。変に問うなら力はその者に向かうだろう。

「なら、これよりは言わない。でもやり合う時は言えよ。」

なまじ自制を知っている分、隙を待つことができる、しかしその間ずっと娘のことを思っている。身体がおかしくならないのだろうか?デジュンは思った。


クリ村で田の水源が見つかったのはそのすぐ後だった。村が喜びに包まれる中、足助の母カナは先を思いやっていた。

足助がトゥルを連れてきた時、てっきり少女がただ熱に浮かされやってきたのかと思った。だからどうして良いのかわからない様子の足助をたしなめ、トゥルを迎えた。まさか婚姻相手から逃げてきたとは。新羅村の中は近いのに、知りがたい。知っていればなんとか説き伏せて帰らせただろう。しかし迎えた以上、そうすることもできない。クリの祖霊がまだ高句麗にいた頃から伝わる「寄ってきた者を迎えるなら同胞と扱え」という決まりが活きている。だからつまの狩人も家から出すことを解決と考えない。騒ぎは起きるだろう。どの村でも「暴」の力を宿す若衆のヴァカな動きは大人は止めきれない。

「どうなるの、、、、、。」

蝉の声の中、一人案じる。





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