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質問の嵐

出勤時間は午前8時だ。


朝ご飯はいつも会社で済ませていた。


他の社員たちは普通、出勤時間の10分前に到着してコーヒーを一杯持って席に着くが、私は会社で提供される朝食を食べるためにいつも30分早く到着する。


今日も少しパサついたクロワッサンを電子レンジで温め、アプリコットジャムを塗る。


その間にスイスチーズを2枚はさみ、緑のリンゴを一つ洗った。


エスプレッソマシンでルンゴを一杯淹れて座れば、簡単な朝食の準備完了だ。


ここ数年間の私の朝食メニューである。


昼食は会社の近くにあるビストロで済ませていた。


焼きチーズサンドとコーヒー、クッキー一つがランチセットで税抜き7ドル。1ドルはチップ。


自分のお金で食事をしているとはいえ、誰かが用意してくれた食事を食べるのが好きだった。


理由はどうであれ、自分のために準備された一食を見ると、それだけで誰かが気にかけてくれている気がしたからかもしれない。


大人になっても、誰かに気にかけてもらいたいと思うなんて。


自己憐憫に陥るのは嫌いだけれど、こういうことからしても、生まれながらにして見捨てられた人生だったという思いは、人生を通して簡単に振り払えるものではないのだろう。


幼い頃の記憶はかすかに残っている。


両親や保護者の顔は覚えていないが、私は日本語を話せたし、「サトウ・ジュン」という自分の名前を覚えていて、雪が降っていた誕生日のことも覚えていた。


とはいえ、実の親を探すことができたわけではなかった。


私が育ったのは静かなアメリカの田舎町で、アジア人は一人もいなかった。


「アイツはどこから来たんだ?」という子供たちの問いに、院長のシスターはこう答えた。


「ジュンは目も小さくなく、肌も白いからハーフかもしれないね。」


どこから来たのかという質問の答えにはなっていなかったし、今思えば少し無知で人種差別的な発言でもあったが、子供たちは納得していた。


子供たちが納得すると、最初は私も納得しかけた。


今思い返しても、呆れるばかりだ。かすかな記憶だが、私の両親は二人とも日本人だった。


そうやって時々思い出す院長シスターは、確かに特別な人だった。


彼女はヘビースモーカーで、大抵の男より体格がよかった。


どこから広まった話かは分からないが、彼女の机の引き出しにはリボルバーがあるという噂があり、みんな行動に気をつけていた。


子供は子供だ。シスターがリボルバーなんて持っているはずがないじゃないか。


ダブルバレルのショットガンならともかく。


ナプキンで口元を拭き、雑念をチップと一緒にテーブルに置いてビストロを出た。


冷たい風が吹き抜け、コートの前を閉めると、懐の中で携帯の着信音が鳴った。


院長シスターだった。


***


土曜日の午前、養護施設の近く。


「30分でいいって?」


「うん、お願い。」


家から1時間の距離にある養護施設は、タクシーに乗るには負担が大きく、バスも便利ではなかった。


だからといってシスターの頼みを冷たく断ることもできず、親しい同僚のグレッグに酒でもおごるからと頼んで送ってもらうようにしたところだった。


ただし、長くいるつもりはなかった。30分もあれば十分だろう。


路地の角で降り、養護施設へと歩いていくと、トラックが数台と作業員たちの姿が見えた。


建物のリノベーションでもしているのか?


私がいた頃から古びた建物だったから、大々的に補修工事をしてもおかしくはなかった。


『アンジェルス養護施設』


色あせた表札を通り過ぎ、芝生の上を横切った。


久しぶりに戻った場所に浸る間もなく、家具を運ぶ人たちを避けながら中に入ると、院長室から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。


コンコン。


ドアをノックすると、見知らぬ顔が扉を開けた。たぶん新しく入った見習いのシスターだろう。


無言でじっと見つめる大きな青い瞳が気まずく感じられ、すぐに用件を告げた。


「院長シスターにお会いしに来ました。」


青い瞳のシスターは今回も何も言わずに扉を大きく開けた。


院長室の奥には、果物かごのようなバスケットの中で泣いている赤ん坊と、混乱の中でも厳かに老眼鏡をかけて書類を見ている院長シスターの姿があった。


彼女は顔を上げ、私に手招きして席を立った。


「よく来たね。君は変わっていないね。」


それは私が言いたかった言葉だった。


久しぶりに訪れた院長室は、昔と全く変わっていなかった。


シスターもまったく変わっておらず、まるで同じままだった。


はっきりとした声と堂々とした体格。昔も今も頑固そうな顔つき。


あの人はきっとあの表情のままで生まれてきたに違いない。


院長シスターは青い瞳のシスターに赤ん坊を預けた。


「この子と話があるから、少し赤ちゃんと席を外してくれるかしら。」


「はい、シスター。」


エロイーズ・ベレット、50代半ばの女性は、今も昔もシスターという職業より現役の軍人の方が似合いそうだった。


シスターは二人が出ていくとすぐに窓を開け、タバコに火をつけた。


そういえば、昔は子供の前ではタバコを吸わなかったはずだ。


今は私が子供じゃないから気にしないのかもしれない。


私の視線がタバコにとどまっているのを見て、シスターが尋ねた。


「君も一本吸うかい?」


「結構です。」


「タバコは吸わないのね。うん、君はなんだかそんな気がしたよ。」


それはどういう意味だろう。


そう思って結論を出す間もなく、すぐに次の質問が飛んできた。


「それじゃあ、君は恋愛依存症だったりするの?」


「いいえ。」


質問を聞き間違えたのかと自分の耳を疑ったが、無感情に答えが先に出た。


奇妙な質問は続いた。


「借金は?」


「ありません。」


「前科は?」


「ないです。」


「それ以外に主の前で恥ずかしいようなことをしたことはないかい?」


「はい。」


なぜこんな質問攻めをされているのか、見当もつかなかった。


でも、食事の時に十字を切らないことや、家に十字架や聖書がないことは気づかれないようにした。


代わりに、慎重に尋ねた。


「どうして私を呼ばれたのか、聞いてもいいですか?」


「さっきグレタ・シスターが連れて行った赤ん坊を、しばらくの間見ていてほしいの。」


「……突然ですね?」


「来るときに見たかもしれないけど、しばらく補修工事が必要なんだ。」


他の子供たちは事前に預け先を見つけたが、この赤ん坊は数日前に急に施設に来たのだという。


「どう考えても赤ん坊にとって良い環境ではないから、今後数ヶ月間、この子を見てくれる人を探していたのよ。」


シスターはふうっと長く煙を吐き出した。


「他の養護施設に送ればいいんじゃないですか?」


「近くの施設は定員がいっぱいで、遠いところに送るには、もしかすると両親が戻ってくるかもしれないから、そうしたくないのよ。」


「そうおっしゃっても……急に私を呼ばれた理由がよくわからないんですけど。」


「君に連絡する前に、連絡が取れた子たちはみんな、ヘビースモーカーか恋愛依存、借金まみれか前科持ちだったんだよ。」


なんてこった。


「そして私の記憶では、君は子供の世話が上手だった。」


「私が、そうでしたか。」


だから人は親切にしすぎちゃいけないんだな。


どうせあの子たちとの連絡も、養護施設を出てからは完全に途絶えたというのに。


そのことが原因で呼び出されるなんて。


この急な提案をどううまく断ろうか考えていたとき、シスターは煙草を灰皿に押しつけて消し、机の上にあった書類を私に差し出した。


「里親として知っておくべきことがそこに入っているよ。」


20年前に印刷されたようなパンフレットと冊子だった。


その頃から今まで、制度はそれほど変わっていないのかもしれない。


私は無意識にシスターの机と、その奥にあるキャビネットに目を向けた。


まさか本当に銃が入っていたりしないよね。


「工事が順調にいけば、半年から一年以内には終わるはずだから、それだけ頑張ってくれればいいのよ。」


……ここに、里親になるには最低でも数か月の研修を受けなきゃいけないって書いてありますけど。


いや、それより、里親になりたい人が他にもいるんじゃないでしょうか?


「最近はみんな生活が厳しいでしょ。ちゃんとした里親を見つけるのは本当に難しいのよ。誰かに研修のことを聞かれたら、しっかり受けたって言っておけばいいの。」


「でも、記録がセンターに残りますよね?」


「意志あるところに道は開けるって言うでしょ。それはもう済んでるわ。」


神よ、なんてことだ。


「……シスター、私、そのパンフレットに書かれたセンターに行ったことないんですが。」


「そんなの問題にならないわ。」


どうしてですか。


「シスター、私もお手伝いはしたいです。でも、ここに書いてある研修時間とか……」


シスターは片手を上げて私の言葉をさえぎり、受話器を取った。


私より年上に見えるダイヤル式の電話だった。


ジーッ、カチ。


ジーッ、カチ。


よく今まで壊れずに使えてるな。この部屋だけ時間が逆行しているとしか思えない。


ジーッ、カチ。


ジーッ、カチ。


規則正しく回るダイヤルの音に、突然不安が込み上げてきた。


この町は古い歴史を持つ地域で、院長シスターはこの地の有力者みたいなものだった。


ジーッ、カチ。


ジーッ、カチ。


もしかすると、人々の信仰心のおかげで、政治家や富豪以上に影響力があるのかも……


ジーッ、カチ。


ジーッ、カチ。


そして神聖なショットガンを手にする。


ジーッ、カチ。


ジーッ……カチ。


10個の番号が回る間、一生懸命この状況から逃れる口実を考えたが無駄だった。


かける時間に比べて、通話の内容は驚くほど簡潔だった。


「この子が引き受けるそうです。書類は問題がないようにお願いしますね。」


[分かりました、マザー・エロイーズ。]


カチ。


それで終わりだった。


……


ホーリー・マザー。


どうして私にこんな試練を与えるのですか。


「あのパンフレットと冊子は、参考にと渡しただけだから。他のことは心配しなくていいわ。」


「でも……」


「私の小さな子よ。」


はい。


私の言葉を遮るその毅然とした声に、私は一瞬で「小さな子」になってしまい、声も出せず目で答えた。


「長くても数か月よ。赤ちゃんは年上の子より早く養子縁組されることが多いから、君の里親期間もすぐ終わるかもしれない。」


嘘だ。


私を含めた大半の子供は、養子に出されることなく18歳で施設を出て行った。


私の知る限り、アメリカだけでも養子縁組を待っている子供は10万人を超えている。


「そのときになって、君が資格不足だったかなんて気にする人はいないよ。」


私はため息をつかないように必死にこらえながら、最後の勇気を振り絞って聞き返した。


「……私、いろいろと未熟だと思うんですけど、本当に大丈夫なんですか?」


「この町の一人で身動きも難しい老人たちよりは、手足がちゃんと動いて元気な君の方がずっといいさ。しかも政府からの補助金も出るよ。」


「補助金だけじゃ、赤ちゃんの衣食をまかなうのにも足りないんじゃ……」


「実際、お金は大した問題じゃないんだよ。行き場のない子をしっかり育ててこそ、君が亡くなって主のもとへ行ったとき、褒めてもらえるだろう?」


そう言ってシスターは席を立った。


会話が終わったという合図だった。


論理と理屈で構成された会話が、唐突な信仰の言葉で締めくくられた。


***


院長室を出ると、再び騒がしかった。


家具が運ばれながら床を引きずる音、あちこちで聞こえる人々の話し声、電話のベル音、ついには近所の犬の鳴き声まで。


音が多すぎた。頭が混乱しそうだった。


建物の外に出てベンチに座ったが、それでもまだうるさかった。


騒音が耳をかき乱し、視界すら曇らせそうな中で、どんどん近づいてくる赤ちゃんの泣き声が雷鳴のように聞こえた。


生まれてすぐに捨てられた子。


誰も責任を負いたがらない子。


それも、私の責任ではない子。


やっぱりこれは無理があるんじゃないか。


しかし、あらかじめ聞いていたかのように素早く近づいてきた青い瞳のシスターが、赤ちゃんと、何が入っているのかわからないショッピングバッグを私の胸に押しつけてきた。


あの、ちょっと……


「よろしくお願いします。主のご加護がありますように。」


そう言い残して、彼女は振り返りもせずに小走りで消えていった。


シスターたちとは話が通じないようだから、神父さんを探してみようか。


それとも守衛室に赤ちゃんを預けようか。


やっぱりこれは……


この場に赤ちゃんを置いていったら、またどこかで荷物のように扱われてしまうのだろうか。


呆然と赤ちゃんを見つめていると、泣きやんだ赤ちゃんの淡い金髪が陽の光にきらめいた。


……こんなに白く輝く子も、いつか私のように灰色になってしまうのだろうか。


私のように、味気ない日常を送りながら、自分は大丈夫だと何度も何度も唱え続ける大人になるのだろうか。


そのとき、赤ちゃんが私に向かって両腕を伸ばした。


ただ体が不安定でじたばたしただけかもしれないが、私にはそう見えた。


反射的に手を伸ばすと、赤ちゃんが私の指を握った。


「……一緒に行くか?」


まるで返事をするかのように、赤ちゃんの小さな手が私の指をぎゅっと握った。


「……そうだな。じゃあ、一緒に行こうか。」


思わず私は赤ちゃんにそう語りかけ、そっと立ち上がって赤ちゃんを抱きかかえ、騒がしい敷地を後にした。



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