表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

息吹

作者: Light Up Field

 あら、またいらっしゃったのね。一年待っておりましたよ。

 大きな瞳を輝かせて見上げてくる小さな御仁は、とても微笑ましいです。紅葉のような手が、わたくしのごつごつした体に触れてきました。くすぐったくて体をよじると、貴様のあどけない笑顔は咲きます。咲くという表現が、わたくしや、わたくしの同報よりも似合っておいでです。

 わたくしたちは、春を告げる役目を担っています。「エダ」と言われる腕を伸ばし、草木の中で先陣を切って花を咲かせるのです。


 幼い「ヒト」は、わたくしが花を付ける、春の限られた期間にしか、ここに訪れていただけません。貴重な笑顔を見ると心が穏やかになるのは、わたくしだけでしょうか。

 はらはらと舞う白いわたくしの分身を、嬉々として追いかける姿を見ると、「ネ」と言う足に躓いて転んでしまわないかと心配になります。貴方が瞳に涙を浮かべて痛みを我慢しているのを見ると、寿命が縮むのですよ。ヒトの親というものはこんな感情を持つのでしょうか。それとも、親なら子が掠り傷を負ったくらいでは、騒がないのでしょうか。

 はらはらしながら貴様を見守ることは、嫌ではありません。それがわたくしに出来る唯一のことです。転んでしまわれても、抱き上げてあげることは出来ませんから。

 あ、御髪に分身が落ちてしまいました。

 ヒトはわたくしの分身を「ハラビラ」というそうです。そのハナビラを貴様の御髪から取り除いて差し上げたいのですが、その思いも叶いません。理由は簡単です。ヒトのように歩くことや、手で何かを掴むことなどが出来ないからです。あと、会話も出来ません。わたしが話しかけたとしても貴様は解かりませんし、わたくしも貴様が何をおっしゃっているのか理解差し上げません。

 ヒトになりたいとは思いません。貴様もわたくし、ヒトが言う「キ」にはなりたいと思わないでしょう。それと同じことです。種族の差を感じますが、どうしようもないのです。

 貴様はハラビラを追いかけることを止めました。ああ、もうお別れの時でしょうか。

 遠くから女性の声が聞こえました。ヒトの言葉は分かりませんが、貴様のお名前が「ハルキ」というのは存じております。貴様をお迎えに来る貴女が「ハルキ」とおしゃっていたからです。

 お二方が何をお話になっているのか、とても気になります。似通った二つの顔が緩んでいますね。面白いことをお話になっているのでしょうか。

 腕をほんの少し動かしました。ハナビラがはらはらとお二方に降りそそぎます。幼い御方はこうすると、明るい表情でハラビラを追いかけてきます。

 なぜでしょうか。貴女の方は喜んでいただけませんね。ほんの少し眉を顰め、表情が硬いのです。更にハナビラを降らせても、その表情は変わりません。寧ろ、漸次硬さを増しているような気がしました。


 そろそろ潮時です。貴女の表情についての疑問は、解せませんでした。良いのです。眠りについている間に、じっくり考えれば良いのですから。

 柔らかな日差しを受け、春を象徴する花――「サクラ」とおっしゃるそうですね。その方が咲かれると、わたくしの周囲に訪れる者は皆無です。仕方がありません。わたくしは空気の温暖をいち早く覚り、蕾をほころばせますが、春の象徴にはなりえないのです。悔しくはありません。……少し寂しいのです。「ハルキ」様もいらっしゃいませんし。

 四季は輪廻です。幾星霜を経ても、その理に変化はありません。わたくしは移りゆく時をじっと待つのです。外界に向けている意識を薄めます。来るべき時になれば目が覚めますから。

 次に目が覚めると、酷い睡魔に襲われました。今までは、すっきり目が覚めたのに。意識を外に向けると、思わず息をのみます。

 ここはどこでしょう。しかも、この身を切るような寒さは一体。

 見たことのない風景、外気、異なった感触の(ベッド)。戸惑います。

 自力では動くことのないわたくしめが見知らぬ土地に来てしまったということは、答えは一つ。ヒトがわたくしを移したということでしょう。あまりにも不条理な扱いです。いかにわたくしの存在意義が小さいのか思い知らされます。

 もうハルキ様には会えないのでしょうか。いいえ、お会いしても、わたくしだとは気付かれないでしょう。

 薄い意識のもと、再び春の気配を探します。冬から春にかけての、にわかに変化しつつある外界を感じるても、花を付ける準備が出来ませんでした。体が思うように動かすことが出来ないのです。

 所変わってから、明かに力が落ちていきました。花を咲かせることなく惰眠の毎日で、時の感覚が狂っていきます。最後に花を咲かせたのはいつのことだったでしょうか。酷く遠くの日々ですね。

 ある日、はっと覚醒しました。知らない間に、青年がわたくしの体に触れていました。久しいヒトの柔らかい感触です。昔日の日におもいを寄せます。ハルキ様は実に愛らしかった……。瞬間、幼い顔と、青年の顔が重なります。

 ああ、ようこそいらっしゃいました。

 少年独特の柔らかな頬の輪郭とちぐはぐな屈強な体の作りを見て、成人が遠くないことが読み取れます。どうやらわたくしは寝過ぎていたようですね。反省しなくては。

 さあ、笑ってください。

 なけなしの精力を振り絞ってみました。やはり、満開は難しいようです。苦渋の選択ですが、致し方ありません。みすぼらしいとも取れる、一つの蕾を作ります。わたくしが今出来るのは、これだけなのです。情けないですね。

 ハルキ様の顔は浮かないまま。口が幾つかの形を取りますが、解読いたせません。口惜しい。わたくしには限界が近づいておりました。蕾一つさえ、奇跡に近い所業だったみたいですね、この体調では。

 眠りとは異なる意識の薄れかたに戸惑いはありましたが、一度身を任せてしまえば心地良いです。

 四季は輪廻です。栄えては消えての繰り返し。消えるということが、どんなものかを身を持って思い知りました。今になって春樹様のお母様の表情に納得がいきました。ハナビラが散るということは、盛りを過ぎるということ。すなわち、命の終わり。

 白の分身が春風に揺すられ、一枚、また一枚と、わたくしのもとから離れました。


 誰かがわたくしを呼んでいます。春のように暖かな声音に誘われ、目を開けたくて仕方があり

ません。

「……まだ目開かないのかなあ。早くして、かわいい娘さん」

 聞き覚えのある声ですが、どなただったでしょうか。

「やだ、赤ちゃんの顔はまだ皺くちゃよ。ねえ、桜ちゃん?」

 体がふわっと浮きます。腕の中で揺すられ、あまりの心地良さに意識が再び遠のきます。

「『桜ちゃん』? 名前、桜にしたの?」

「ダメ?」

「ダメじゃないけど……『梅』がいいな」

「梅?」

「僕が好きな花だから。春のためにゆっくり蕾を付けて、のんびり散る。お腹の中で僕たちに会うためにゆっくり準備してくれたんだ。そうだな、人生を謳歌して、のんびり歳を重ねて欲しい」

「なんだ、ちゃんとと考えてるじゃーん。さすが旦那様」

 巡り廻って二月三日。馥郁たる梅の香が漂う頃、わたくしはヒトとして、この世に生を授かりました。生も輪廻だなあと、深く納得した所存でございます。

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ