第九話 いつかきっと
たった一声だというのに、全身に鳥肌が立った感覚がした。
恐る恐る振り返れば、
「お、とう、さま……」
そこには、父の姿があった。そばには、義妹であるアイシャと元婚約者のギルバート様もいた。
どうして考えなかったんだろう。今日は外交を兼ねたパーティー。伯爵家である実家も参加しているはずなのだ。
「見間違いかと思ったが、間違いではないようだな」
父が私たちに歩み寄ろうと一歩踏み出す。それを見た途端、私の心は動揺で満たされた。
ガラクタ。価値のない人間。商品。死ぬべき存在──いつも私に向けられていた父の目と、言葉の暴力。
(怒られるっ……!)
私はもう魔法使いなのだから、堂々としていていいはず。そんな考えは浮かばなかった。
「ヨハネ王子殿下。どのような繋がりで我が娘を選ばれたのかは存じませんが、その娘は、王子殿下には相応しくないのでは?」
「……どういった意味でしょうか?」
ヨハネ様は至って平然と笑みと言葉を返す。だが、王子の相手に向かって「相応しくない」という父の言葉に、周囲は騒めき、緊張感が漂った。
父は企みを持った笑みで、ヨハネ様に語り掛ける。
「私もなにも、このような場で王子殿下の評判を下げたいとまでは思っておりませぬ。ただまあ……我が家とのよいお取引ができるのではないかと」
「といいますと?」
「せっかく帝国に来られたというのに、荷物だけ得ては勿体ないでしょう」
父は、私の存在をヨハネ様の弱みとして使い、隣国との繋がりを作ろうと考えているのだろう。
(ヨハネ様に迷惑をかけたくなかったのに……!)
強くそう思ったとき、私は周囲の温度が急激に下がったのを感じた。
周囲が「何かしら、急に寒いわ……」と口にする。あ、と思ったときには遅かった。
「魔法が……!」
私の手から勝手に冷気が流れてくる。頭の中には、どんな魔法が出ようとしているのか全く想像がつかない。
今までなかった魔法の顕現パターンに、混乱が押し寄せる。
「け、消さないとっ……!」
焦れば焦るほど、上手くいかない。私の足元が凍り始める。
(このままじゃ……!)
多くの人を傷つけてしまうんじゃないか、との恐怖に駆られる。そんな私の手を、ヨハネ様が握った。
「落ち着くんだ、フィオナ」
焦り一つない声。私は、握られた手を見て、声を上げる。
「ヨハネ様! お放しください! 手が!」
ヨハネ様の手は、私の冷気に当てられて氷を纏っていた。赤らみを帯びた手は、きっと痛みを伴うはずだ。なのに、ヨハネ様は痛がる素振り一つ見せず、言葉を続けた。
「フィオナ、俺を見ろ」
ハッキリとした強い言葉に、私はようやくハッと顔を上げる。すると、ヨハネ様の真剣な瞳と視線が交わった。
「俺がいままでそばにいて、怖いことがあったか?」
「……ない、です」
「じゃあ、大丈夫だ。俺を信じろ」
大丈夫、その言葉が、まっすぐに胸に染み渡る。信じろとの言葉に、頷きそうになる。
「俺の精霊魔法は、本人が魔法を信頼していないと使えない。……フィオナ、もう君は、自分の存在を信頼できているはずだ」
私は氷の魔法使い。誰かを助けられる力を得た。そのことは、ヨハネ様との日々を経て実感したはず。
では、非魔法使いだった私の存在価値はなかった? ……いいえ。力の有無に限らず、誰しもが生きる価値を平等に持つ。それもまた、ヨハネ様との日々で実感したはず。
私が最初から魔法使いだったのなら、気づかなかった。ヨハネ様と出会える世界ではなかった。
身分や能力に限らず──私は、フィオナ・バーネット。
「はい、ヨハネ様」
私の返事を聞き、ヨハネ様はホッとした表情をした後、私の額にもう片方の手をかざす。すると、私の体から溢れていた冷気が自然と収まった。
事態が収まり、真っ先に声を上げたのは周囲にいた者たちだった。
「まさか、あのご令嬢は氷属性!? なんと貴重な!」
「見ました? あれがかの有名な精霊魔法なのね!」
「いやはや、言葉ではなく姿でご自身らの素晴らしさを表すとは……流石はヴァルデ王国のお方だ」
「素晴らしいものを見せて頂いたわ!」
唖然とする私に微笑み、ヨハネ様は改めて父の方を見る。
「それで。お話の続きをどうぞ」
「あ、いや……」
父は私が魔法使いだったということを信じられないのか、目を泳がせる。だがすぐに、媚びへつらった笑みへと変わった。
「じ、自慢の娘なのです! つい親心から嫁に出したくない気持ちが溢れてしまって! ええ、ええ。ヨハネ王子殿下に選んでいただけるのであれば!」
「俺は、俺に相応しいと思える女性を選んだつもりです。……少なくとも、貴方のいうところの“荷物”なんかでは決してない」
取り返しのつかないことをした父に救いの手は現れない。
「丁度ヴァルデ王国も貿易事業の拡大に力を入れていまして。グルア帝国に訪れたのは、本当に良い外交となりました。……どの家と付き合うべきか、見極めることができましたから」
ヨハネ様はニコッと笑う。貿易事業を主としている実家だ。ヴァルデ王国との付き合いがなくなるだけでなく、この件は多くの者が目撃した。国内で受ける打撃も計り知れないだろう。
ヨハネ様はその場に膝を突く父には目もくれず、私の背中を押した。
「帰ろう、フィオナ」
「は、はい……」
チラリと振り返れば、立ち上がれずにいる父にも構わず、義妹とギルバート様が喧嘩を繰り広げている。
「アイシャ! 姉が魔法が使えないと嘘をついたな!」
「う、嘘じゃないですわ!」
「君の家だけじゃなく、我が家も赤っ恥だ! 君との婚約はなかったことにする!」
わあっと泣き崩れるアイシャの声を背に、私たちは会場を出た。
◆
「……騒ぎを起こしてしまって申し訳ございません」
城から出た先で迎えを待つ間、私はヨハネ様に頭を下げた。
「気にしなくていいさ。むしろ、収穫のほうが大きい」
本当に気にしていないようなヨハネ様の素振りに、ホッと胸を撫で下ろす。それでも、本来のヨハネ様の予定からはズレてしまったのではないかと、眉尻を下げた。
「もしかしたら、私がヨハネ様の正式な婚約者であると勘違いした者もいたかもしれませんね……」
相応しいと思える女性を選んだつもり。その言葉は嬉しかったが、ゴシップ誌が喜びそうな言葉でもある。だがヨハネ様は、小さく首を振った。
「それも構わない。だって俺は……」
「私を殺す予定、だからですか?」
無知のままであれば、「仮ですものね。破談になったとそのうち気づくでしょう」なんて気軽に言えたかもしれない。
ヨハネ様は驚いた表情で私を見る。そんな彼に対して、私は怒りも憎しみも何も感じていなかった。ただただ、感謝ばかりが胸を満たす。
「フィオナ、なぜそれを……」
「お手紙を見てしまったこと、心よりお詫び申し上げます。しかし……私は貴方様に手にかけてもらえるなら、嬉しいです」
会場で実感した、自分自身でコントロールが利かない魔法。危険だ、と私も思った。
ヨハネ様がいなければ、一体何人の命を奪ってしまっていただろう。
「ヨハネ様にいつも守っていただきました。救っていただきました。だから、私の未来は貴方に託します」
「俺は!」
さあどうぞ、と言わんばかりに手を広げた私に対し、ヨハネ様は大きな声を上げる。初めて見る、必死な彼の表情に私も目を丸くした。
「……確かに、君の魔法は扱いを間違えれば危険を伴う。氷属性とは、それほど強力な属性なんだ」
「知っています、だから……」
「だから、俺が守りたいと思った」
ヨハネ様の言葉に、私は勝手に回していた思考が止まった。
「君が初めて俺に触れたとき……俺は、暖かいと感じたんだ。冷たい印象の氷属性とは真反対な君の心の美しさを感じた。だがその美しさの反面、君は酷く傷つき、今にも消えそうなほどの儚さを纏っていた」
まるで、春には溶けて消えてしまう雪のように。
「一目ぼれだった。俺の力で、生涯消えてしまわないよう守ってやりたいと感じた。だからどうしても、君と一緒にいる理由がほしかった」
子供の我儘みたいだろう、とヨハネ様は恥ずかしそうにはにかむ。私は、すでに熱を感じる頬に意識が向かないよう必死だ。
「確かに父上はフィオナについての調査を求めた。だがそれは国王としての父の意思であり、俺の意思じゃない」
ヨハネ様は私の頬にそっと手を触れる。切なそうにも覚悟を決めたかのようにも見える瞳が私の姿を捉える。
「君を殺すだなんて以ての外だ。逆だ。俺は君を守り続けたい」
だから、とヨハネ様は言葉を続ける。
「俺の正式な婚約者になってくれないか?」
涙で視界が滲むのは、感じたことのない喜びが心に満ちるから。
私は震える声を抑え、言葉を返す。
「私はっ……生きていてもいいんですかっ……」
死んだ方がマシだと言われ続けた人生だった。
しかし、誰しもが平等に生きる世界があると学んだ。僅かだったとしても、その役に立てることが嬉しかった。
死んだ方がいい。死んでもいい。……違う。
生きていたい。ヨハネ様ともっと、世界の美しさを見ていたい。
「私、ヨハネ様が好きですっ……ヨハネ様の暖かさが何よりの幸せですっ……!」
「俺もだ。愛している、フィオナ」
与えられた優しさは、嘘偽りなどではなかった。
最初から分かっていたはずなのに、信じ切れなかった自分の弱さがあった。でももう、惑わされない。
「私も愛しています、ヨハネ様……!」
いつかきっと……その世界があると信じ、失わずにすんだ奇跡を、私は魔法だと言いたい。
何にも代えがたい想いがある。
誰にも奪われてはならない未来がある。
不要だと踏みつけてはならない美しさがある。
それは、誰しもが平等に持てるもの。
得られるはずだったと嘆く前に、どうかそばにある温かさを信じて欲しい。
いつかきっと、自分を迎えに来てくれる愛がそこにはあるはず。
私は、私の人生を誇りに思って生きていきたい。
これにて第一章完結です!
いい話だった。もっと続きを読んでいたい! そう思ってもらえるよう、一生懸命書きました。
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