第六話 綺麗だよ
(どうしましょう、どうしましょう……!)
「フィオナ? どうした?」
次の日、教会内で右往左往していた私を発見したのはヨハネ様。
ビクッと肩をあげて、ぎこちない笑みを浮かべる。
「ど、どうしましょう、ヨハネ様……私、とんでもないことを……」
「な、なにがあったんだ?」
私のあまりの慌てように、ヨハネ様も息を呑む。
訳を話せば、ヨハネ様は「なんだ、そんなことか」と安堵した。
「そんなことか、じゃないですよ!」
「できるさ」
「できないから焦っているんです!」
気軽に「できる」なんて言わないでほしい!
そもそも私は伯爵令嬢として生まれたが、令嬢とは縁遠い暮らしぶりだった。社交界にいったこともなければ、美術鑑賞もしたことがない。
確かに家には調度品がいくつもあったが、どれも美しいとは思ったことがない。
教養がなければ美しいものは作れない。彫刻なんて、私が手を出していいものじゃないはずだ。そもそも、氷属性で彫刻なんてどうやってやればいいというのだろう。
「フィオナはいま一番なにで困っているんだ?」
「私に美的感性なんてないです! 家にあるものを美しいと思えたことはないですし、そもそも美術に向いてません!」
「洞窟に一緒に行ったときは、そんな壊滅的だとは思わなかったけども」
「あれは直感的にそう思えただけで……! 美しいものに触れたことなんてそもそもなくて!」
縋る勢いで捲し立てる私に、ヨハネ様は「ふむ」と考える。
そして、思いついたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「よし、じゃあ行こう」
ヨハネ様の思い付きは突拍子もない。と、何となく察する。
頼る人間違えたかしら、と思う間もなく、あれよあれよという間にお出かけ準備が始まった。
(移動はこの風魔法でぶっ飛ばされるしか本当にないのかしら……)
辿り着いたのは、帝国中心部。森の中にある教会とは違い、人通りも活気も盛んだ。
タイル畳の大通りを大勢の人が行きかい、両脇にはいくつもの店が並んでいる。もう間もなく始まる美術祭典に向けてか、空中には色とりどりの風船が浮かんでいた。
「ヨハネ様、一体……」
大通り迷いなく歩いていくヨハネ様の背中に問いかけると、彼はとある店の前で立ち止まった。
「フィオナ。どれが綺麗だと思う?」
ガラス窓の先には、いくつかのネックレスが飾られている。
「ど、どれも綺麗です」
「一番を選んで欲しい」
私の感性を審査しよう、ってことなのかしら?
不思議に思いながらも、私は迷った末に一番右端にあったネックレスを指さす。
装飾は控えめだが、並べられているネックレスの中で一番宝石の輝きが強いように感じた。
「なるほどね」
ヨハネ様は微笑み、ガラス窓をノックする。すると、店の中にいた店主が私たちに気づく。
しかし特に会話を交わすわけでもなく、ヨハネ様が店主にウィンクをすると、店主も頭を下げるだけだ。
「ヨハネ様? 何を?」
「ただの挨拶さ。次を見に行こう」
ヨハネ様は再び歩き出す。
「あの、私の感性はどうでしたか!」
「どうだろうね」
意地悪そうな顔をするので、頬を膨らませて抗議する。
「意地悪しないで、教えてください!」
「ははっ。そんな構えなくても、気軽に街の散歩を楽しもう」
楽しもう、と言われて私は改めて周りを見渡した。
確かに、私は家の外に出たことがない。こうして誰かと一緒に歩いて、感想を言い合いながら出かける機会なんてなかった。
(……はじめての外出)
私がしたいと願うことすら許されなかったことを、ヨハネ様は簡単に叶える。
込み上げてくるワクワクとした感情に、胸が高鳴った。
それからヨハネ様は、事ある毎に店の前で立ち止まり、同じようなことを聞いてくる。
靴屋、仕立て屋、宝石店。女性ものばかりの店なのは、きっと私に気を遣ってくれているのかもしれない。
選んでは立ち去る。その繰り返し。
答えは教えてもらえないので、私もいつしかその問答を素直に楽しんでいた。
「ヨハネ様だったら、女性にどっちのイヤリングを贈りますか?」
装飾品店にて、私は逆に問いかけてみる。
「……意地悪な質問だな」
「やり返してるだけですよ」
クスクスと笑えば、ヨハネ様は私の耳に手を伸ばした。
「……こっちのほうが似合うかもな」
勿論、手には何も持たれていない。
ヨハネ様の行動の意味を反復遅れて理解し、私の耳が真っ赤に染まった。
「い、意地悪です!! ちゃんと答えてください!」
「ははっ。さ、最後の店に行こう」
気づけば、大通りも終わりかけである。
最後に訪れたのは、鏡屋だった。今までとは違い、ヨハネ様は店内に私を案内する。
大小様々な鏡が並ぶ静かな店内は、大通りの喧騒から離れた独特な雰囲気が流れていた。
「ヨハネ様……ここは?」
「さて、答え合わせをしようか」
ヨハネ様はそう言って、店主に何かを話しかけた。店主は笑顔で頷き、私の元へとやってくる。
「お嬢様。どうぞ店の奥へ。手伝いは妻がやりますから」
「え? あの……」
ヨハネ様は店内にある時計を確認すると「そろそろだな」と言って、店の入り口に視線をやる。すると、店の扉が開いたかと思えば、いくつもの荷物が店の中に届いた。
一時間後。
店の奥から出てくれば、ヨハネ様は椅子に座って優雅にコーヒーを飲んでいる。
そんな彼に、緊張で震えそうな声で語り掛ける。
「ヨハネ様……これは一体……」
私の姿は、一変していた。
舞踏会で着るようなドレス。首元に飾られたネックレス。控えめながらドレスとよく合った靴。少しだけ背伸びをした髪飾り。
店主の妻が化粧や髪のセットまでしてくれたので、私自身自分だと思えないほどの変貌ぶりである。
何より……今私が身に着けている品はすべて、さっきまで私が何気なく選んだものばかりだった。
令嬢であれば着慣れているのだろうが、私には無縁だったものばかり。恥ずかしがればいいのか、恐れ多いと恐縮すればいいのか。どの感情が優先されるべきか分からず、俯きかける。
ヨハネ様は私が出てきたのを見て立ち上がり、目の前に立つ。
混乱の中で、私は店を見るたびにヨハネ様が店主に視線を送っていたことを思い出した。
「も、もしかして、全部買われたんですか?」
「街にきたのなら、買い物くらいはしたいからね」
「ぜ、全部私のばかり……! しかもこんな高価なもの……!」
一体いくらしたんだろう。私は何も考えずに選んでしまっていたから、値段なんて見てない。どれだけ働いたら返せるだろう。
グルグルと頭を回していると、
「フィオナ」
呼ばれて顔を上げる。
「やっぱり、こっちのほうが似合っていたな」
ヨハネ様が触るのは私の耳。そこには、さきほどとは違ってイヤリングが付いていた。
透明ながら光を受けて輝く飾りは、まるであの洞窟の水晶みたいだ。
「おいで」
体を引き寄せられて立たされたのは、大きな鏡の前。
改めて自分の姿が鏡に映る。
白くて長い髪はハーフアップでまとめられ、薄い水色のドレスは白い肌と調和しているように見える。化粧をした自分の姿を見るのは初めてで、思わず「綺麗」だと思ってしまった。
「綺麗だ」
囁かれる声に、顔が真っ赤に染まった。
「わ、わたし、は……綺麗、なんかじゃ……」
「フィオナが選んだものは、全部フィオナに似合っている。すべてが噛み合っているね」
「そ、それは品がいいからで……私の容姿は関係ないですっ……」
「そうじゃない。美術も人を選ぶ。フィオナ。君が持つ感性は、綺麗だ」
ヨハネ様の行動はすべて、私に自信を付ける為に……?
(何一つ持っていなかった私に、こんな……)
潤みかけた目を拭う。
「俺が贈りたいと思った。だから、贈らせてくれないか?」
「ありがとう……ございますっ……」
ヨハネ様の心遣いが、勿体ないくらいに心に満ちる。
「君が選ぶもの、君が美しいと思うものは美しい。だからフィオナ。きっと君ならできるよ」
「はい……!」
涙を拭って顔を上げる。鏡に映った私の顔は、今朝のような不安を一つも映していなかった。