第五話 思わず依頼受注
「綺麗……」
洞窟の中は、見たことのないほどの美しさで輝いていた。
壁に張り付いた水晶が幻想的に光り、魔法でありふれた世界とは真逆な光景に見惚れる。
暗さをまったく感じない洞窟内は怖くなく、歩くたびに鳴る水音すら心地よかった。
「フィオナのおかげで、この光景をまた多くの人が見られるな」
「よかったです。誰かの役に立てたという実感が今更湧いてきました」
ヨハネ様が見に行こうと連れて行ってくれなければ、ぼんやりとしたままだったかもしれない。
「……ヨハネ様は」
ヨハネ様は、どうして私を目にかけてくれるのだろう。
確かに助けられたから、といえばそれまでかもしれないが、本当にそれだけだろうか?
帰国したくない理由作りに丁度よかっただけ。と言われた方が、よっぽどしっくりくる。
有難いけれど、信じすぎてはいけない気がする。
「フィオナ」
そんな曖昧な感情故に言葉が続かなかった私に、ヨハネ様から呼びかけがあった。
「見てごらん」
「わあ……」
視線を上げた先にあったのは、小さな泉だった。周辺がすべて水晶で囲われており、洞窟の最終地点に相応しい光景だ。
どれも同じ水晶であるはずなのに、不思議と色合いが様々であるように見える。七色に輝く景色を見て、私は先ほどまでの不安が消え去っていく。
「綺麗です。どれも違う輝きを放っていて……水の透明度も見たことがないくらいです」
「人間に似ていると思わないか?」
「え?」
顔を上げれば、ヨハネ様は優しいながら真剣な表情をしている。
「水が透明であればあるほど、輝きは鮮明になる。もしこの泉が泥水だったら、水晶らは輝きを失っていたはずだ」
「そうですね」
「人間の心も同じだ。差別や憎しみで汚れれば汚れるほど、人としての輝きを失う。俺は……」
ヨハネ様が私と目を合わせ、頬に手を触れた。
「フィオナは輝くべき側の人間だと思っている。君はきっと最初から輝いていたはずだ。輝いていないと、自分で否定してほしくない」
「そんな……」
「少なくとも、俺は一目見た時からそう信じている」
ドキッと心臓が鳴る。
頬が熱い。目を逸らしたいのに、ブルーの瞳から逃げられない。
同時に、自分の後ろめたさも実感した。私は、ヨハネ様を信じすぎてはいけないと思ってしまったから。
「……信じてもらうほどの人間ではありません」
「では、疑う理由はどこに?」
「それは……」
答えられない。ヨハネ様の言葉は、そっくりそのまま自分にも返ってくる。
私の様子を見て満足したのか、ヨハネ様は私の頭をそっと撫で、踵を返した。
「さ、帰ろう。これ以上長引くと、いよいよライアンの雷が落ちる」
「雷属性なんですか?」
「ははっ。モノの例えだよ」
ヨハネ様の背中を見ながら、私はギュッと胸の前で手を握りしめた。
……信じてみよう。
裏切られることにも、失望されることにも慣れている。いまさらだ。
だったら、とことん信じて、「きっといつか」の世界の可能性を見てみたい。
ヨハネ様が語る言葉の全てに憧れてしまったのだから、とことんついていってみよう。
「……ありがとうございます」
私は髪で隠れた熱い頬を誤魔化すように、小声でお礼を言ってヨハネ様の背中を追いかけた。
◆
後日、私の元には依頼者からのお礼の手紙が届いた。
教会の木陰で読みながら微笑んでいると、目先の中庭から悲鳴が聞こえる。
「む、無理ですよぉ!」
「無理だと思うから無理なんだ。もっと自分の可能性を信じろ!」
どうやらヨハネ様による魔法訓練が行われているらしい。
水属性の魔法使いの人が、これでもかと大きなウォーターボールを作り上げているが、ヨハネ様は納得がいっていないらしく、指導が飛んでいる。
「いきむんじゃなくて、呼吸に合わせて魔力を込めるんだ」
「はああああっ!!」
「い、いきむなと言っているだろ……」
そこら中から「はああああっ!」や「ふううう!!」といった気合が聞こえてくる。
大変そうだけれど、みんな楽しそうだ。
どうやらヨハネ様が持つ精霊魔法とは、超強力な後方支援型魔法らしい。
味方の属性に合わせた属性の精霊を呼び出すことで、術者本来の力を爆発的に底上げさせる――ヨハネ様は全種の精霊を扱えるので、彼の国の軍事力は、彼の存在のおかげで名だたる大国に引けを取らない。
(精霊を通じて魔法を鍛える、なんておとぎ話の世界みたい)
微笑ましい光景に見惚れていると、私のスカートがか弱く引っ張られる気配がした。
視線を落とせば、氷の精霊が私を見上げている。
中庭を指さしているので、「行かないの?」と問われているようだ。
「……上手くいかなかったのよ」
そう、当初は私も訓練に参加した。珍しい氷属性ともあって、教会の人からも注目された。
けれど、教会内で私の魔法が発動することはなかった。氷の精霊も、訓練をやれとはいうが特に協力する気がないみたいだ。
そもそも、氷属性自体が教科書に載っていないほど珍しい。
他の属性の人らが使う詠唱や術名も存在していなければ、訓練方法すら謎。
だからこそ、私の魔法訓練はヨハネ様無しでは成り立たないはずなのに……。
ヨハネ様から「やはりフィオナは目的がないと魔法が使えないみたいだな」と言われたので、魔法訓練は観察係になった。
妖精は腕組みをしてため息を吐いた後、どこかに飛んでいく。すぐに戻ってきたかと思えば、依頼書を引きずってきていた。
「ダメよ、勝手に行ったらまたライアンに怒られてしまうわ」
ブンブンと首を振られてもダメなものはダメ。
「返してきましょう」
私は妖精から依頼書を受け取り、元にあった場所に戻すために教会内に入る。
「えっと、確かこっちの掲示板……」
記憶を辿って教会内を歩いていると、正面の柱の奥から声が聞こえた。
「ですから、うちではこの依頼は……」
「お願いします! もうこちらしか頼るところが……」
「しかし……」
話し合っていたのは、ギルド長のバーボンさんと初老の男性だった。労働者階級の服装をしていて、少しやつれたように見える。
「お金なら全財産用意してきました!」
「お金の問題では……」
話している途中、バーボンと目が合う。私の存在に気づかれたので、軽く頭を下げた。立ち聞きをして立ち去るのも、と思った反射で「どうされたんですか?」と咄嗟に聞いてしまった。
「フィオナ様、それが……」
聞けば、どうやら長らく断り続けている依頼らしい。
私はバーボンさんから差し出された依頼書に目を通す。
「彫刻、ですか……」
間もなく季節は夏。この時期、帝国では美術祭典が開催される。
国中の技術者が集まり、広場で美術品の展示を行うのだ。
貴族らが所有している美術品を自慢する祭典としても有名だが、数少ない非魔法族がこぞって参加する場所でもある。
理由は、祭典時に行われる買い付けだ。美術は唯一といっていいほど魔法族と非魔法族の差別がない世界であり、価値が認められれば高い買値が付く。
非魔法族にとっては、売れれば三世代安定と言われるほどであり、収入格差のあるこの帝国では何が何でも出店をしたいのが本音だろう。
私が内容に目を通していると、男性が縋るような顔で口を開く。
「うちの組合一の技術師が数カ月前に骨折をしまして! 非魔法族を受け入れてくれる病院がなかなか見つからず、治った今でも痛みの症状が出てしまっていて、作業ができない状況なんです!」
「そんな……見てくれる病院もないなんて……」
知らなかった平民の世界に愕然とする。
バーボンさんは眉尻を下げながら、申し訳なさそうな顔をした。
「彫刻、となると土属性の魔法使いが最も適任ですが、実は半年前に高齢のため引退をしてまして……」
「お願いします、バーボンさん! 私らはこの美術祭典だけを食い扶持として生きているんです! 参加できないとなると、私だけでなく、多くの家族が路頭に迷うことに……!」
別の仕事を、と言えるほど非魔法族に与えられる仕事は少ない。
実際、貧困による犯罪率が多いのも事実だった。
理不尽な世界だ、と思う。
私もずっとその理不尽を受けて生きてきた。
……助けたい。私が、私にできるなら……。
「……私がやります」
自分の言葉にハッとする。考えるより前に言葉を発してしまっていた。
「本当ですか、フィオナ様!!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!!」
喜ぶ彼らを前にして、「いえ、勢いで言ってしまっただけ」だなんて言えない。
もう後には引けない。
血の気が引く私とは対照的に、この場にいる者で誰よりも大満足そうなのは肩に乗っている精霊だった。