第二話 仮の婚約者
氷属性の、魔女……?
言われた言葉が咀嚼できず、首を傾げる。
男性はぐったりとしていた体勢を立て直し、私の手を握った。
「ひぃ!」
元々額を触ったのは私の方だけれど、男性からの接触に慣れていない私は情けない声を上げてしまった。しかし、そんな様子の私にも構わず、男性は「ふむふむ」と言いながら私の手のひらを観察する。
「間違いないな。氷属性とは珍しい」
「あ、あの!!」
私は身を引き、言い返す。
「何かの間違いです! 私は魔法を使えない人間です!」
世界には魔法族と非魔法族がいる。
グルア帝国では古くから非魔法族は差別の対象となっていた。平民であれば狭いながらにして一定のコミュニティが存在するが、貴族ともなれば別だ。
ステータスが全てである貴族において、非魔法族は人間以下の存在。
私が生まれた直後、非魔法族だと分かった父は、家の恥だとして私を殺そうとした。
しかし、母が烈火のごとく怒ったので、辛うじて生きることを許された。代わりに、使用人同然の生活をこれまで送ってきたのだ。
『フィオナ、生きなさい。生きていればいつかきっと、貴女の価値を見つけてくれる人に出会えるわ』
自分が生きる価値すらない人間であったこと。それでも母が守ろうとしてくれたこと。
いつかきっと……。
それだけを心の頼りとして、どんな扱いを受けようとも我慢してきた。
そんな私が……魔法使いだなんて、あり得ない。
私の混乱を見て取ったのか、男性は少し考えた表情をした後、外で待機していた御者に声をかける。
「俺の行先にこの女性も連れていく。すまないが、そっちの馬車は積み荷を移してくれないか?」
男性が視線を向ける先は、私を運んできた馬車。御者は戸惑った表情で私と彼を交互に見ていたが、彼から渡されたチップを見てルンルンな表情で了承した。
「あの、ちょっと!」
「少し、君と話がしたい」
真剣な眼差しが私に向けられる。
……いつぶりだろう。誰かに真っすぐと見て貰えたのは。
私は少し迷って、こくりと頷いた。
しばらくしてキャリッジの扉を閉めて、馬車が再び揺れだす。
「俺の名前はヨハネ・ヴァレンタインだ。君は?」
「ふぃ、フィオナと申します。姓は名乗るほどの者ではありません……」
ヨハネ、と名乗った人物は肩書こそは名乗らなかったものの、身に着けている衣服は高貴である。
「姓がない?」
ヨハネ様は不思議そうな顔で私の衣装をチラリと見る。
私は使用人服しか持っていなかったので、家を出る際、長らくしまっていた母のワンピースを着用した。母は伯爵夫人。普段着で質素とはいえ、畑仕事などとは縁遠い衣装だ。
それに、平民ならば馬車に乗ることなど少ない。
総合的に判断して、私を姓のない低い地位の者だと扱うには疑問がある、というヨハネ様の反応は正しい。
「……今朝、勘当されたばかりです」
隠しきれないと思い、私は事の経緯を簡単に説明した。
しばらく黙って聞いていたヨハネ様だが、話し終えると同時に「ふむ」と手を顎に当てる。
「なるほど、聞いてはいたがこの国では随分非魔法族への差別が酷いようだな」
「ヨハネ様は外国の方なんですか?」
「ああ。旅行がてら、な」
含みのある言い方にどこまで聞いていいのだろう、と迷う私を見て、ヨハネ様はニコリと微笑む。
「礼が遅れた。改めて、助けてくれてありがとう、フィオナ」
「いえ、ですから私は何も……!」
「俺の熱が下がっている。君の魔法のおかげだ」
何度聞いても、信じられない。
私は自分の両手を広げ、見つめる。
「だって私、ずっと……」
「非常に稀だが、後天的に魔法族として覚醒する者がいる」
「こんな急に……! もっと早く……」
そう、もっと早く魔法が使えていたら。
そしたら、お母様は私の身を案じながら天に召されなくて済んだ。
お父様からもきっと愛してもらえた。アイシャともいい姉妹関係でいられたかもしれない。
普通に結婚をして、普通の幸せを築けていたかもしれない。
「いまさら……どうして……」
あれほど欲しかった魔法が、今は遅すぎると感じた。
「後天発症の原因は正確には解明されていない。最も有力な条件は、“願いの共鳴”だと言われている」
「願いの共鳴……?」
「ああ。俺は自らを助ける術を持たなかった。誰かに助けて欲しいと願った。そして……君は誰かを助けたいと願った。それが強く共鳴したと、現状は推測するしかない」
私はヨハネ様の言葉を脳内で反芻しながら、これからのことを考える。
魔法族になれたのなら、父に報告に行くべきではないか?
いや、いまさら受け入れられたところで、受けた心の傷は癒せない。
ましてや、氷属性なんて聞いたこともない。不気味だと、また拒絶されるのではないだろうか。
目を伏せる私に、ヨハネ様が静かに語り掛ける。
「俺が魔法の使い方を教えてやろうか?」
「え?」
顔を上げれば、どこか自信に満ちた姿のヨハネ様と目が合う。
「俺は君に救われた。だから、俺も君を救いたい」
「し、しかし……見知らぬ方にご負担をかけるわけには!」
素性の知れない相手に身を任せることなんてできない。そんな私の警戒心が伝わったのか、彼はクスリと笑った。
「正式に名乗っておこう。俺の名前は、ヴァルデ王国ヨハネ・ヴァレンタイン第一王子。怪しい者じゃない」
第、いち、王子……?
肩書の大きさに唖然とするしかない私に、ヨハネ様がそっと手を差し出す。
「辛かったな、フィオナ。今日俺と出会う日まで生きていてくれてありがとう」
生きていてくれてありがとう。その言葉が、私の胸深くまで突き刺さる。
母以外からは、誰からも見向きもされない人生だった。
誰からも愛されず、蔑まれ、貶められ、常に生きる価値のない者だというレッテルを貼られ続けた。
辛い、苦しいなどと発することも、意識することすらも許されない人生だった。
そんな私をもし、誰かが必要としてくれる瞬間があるのなら……。
『フィオナ。いつか、いつかきっと……』
母の言葉が繰り返し木霊する。
ほろり、と温かいものが私の頬を伝う。
「私は……何かの価値がある存在ですかっ……」
「価値のない人間などいない。君がそれを信じられるまで、俺がそばにいてあげたい」
だからどうか手を。そう言いたげに視線を向けられたのは、さきほど伸ばされたヨハネ様の手。
「よろしく……お願いしますっ……」
溢れた涙を拭いながら、私は藁にも縋る想いで自分の手を重ねた。
そんな私を見たヨハネ様はニコリと笑う。
「さて、フィオナ。後出しで申し訳ないんだが、君に一つ頼みがある」
「はい! なんなりと!」
他国の王子に失礼があってはならない。そんな想いで返事をしたが、次の言葉に私は涙が吹き飛んでしまった。
「しばらくの間、俺の仮初の婚約者になってくれないか?」