第一話 婚約破棄
「すまない、フィオナ。俺はやっぱり君と結婚はできない」
結婚を直前に控えたある日、私は婚約者であるギルバート様から婚約破棄を伝えられた。
ギルバート様の隣では、義妹であるアイシャが得意げな顔をして微笑んでいた。
私は動揺をグッと飲み込み、口を開く。
「理由を聞いてもよろしいでしょうか」
「簡単な話だよ。やはり、魔法を使えない人間は……気持ち悪い」
ギルバート様の一言に、少し目を伏せた。そんな私を見たアイシャは、高笑いをする。
「言った通りでしょう、ギルバート様! おねぇさまは反論しないって」
「ああ、君の言う通りだ。過ちを犯そうとした僕を救ってくれてありがとう」
そう言って、ギルバート様はアイシャの頭を撫でる。
そんな二人の光景がやけに遠く見えて、悲しさよりも後悔と自責のほうが強かった。
(やっぱり……あの時、もっと自分の意思を主張するべきだったわ)
私の名前はフィオナ・バーネット。バーネット伯爵家の長女として生まれた私は、父の第一夫人であった母が亡くなってからというもの、家では忌み子のように扱われていた。
魔法が使えない人間。
父から何度も繰り返し言われたレッテルは、いつだって呪いのように私の自由を縛る。
使用人のような生活を続けていた私に転機があったのは、17歳のときだった。
時代の流れに伴う戦争の影響で、伯爵家の主な収入源であった貿易事業が大打撃を受けた。家計が大きく傾いた我が家は、早急な利益確保が求められる。
その一環として、父から私に縁談が持ち掛けられた。
相手は、ギルバート・ドラグノフ次期伯爵家当主。同じく貿易事業を手掛ける家として、より強い繋がりを求めての結婚だ。
『しかしお父様! 私は……』
『お前は魔法が使えない女だ、そんなことは百も承知だ』
この世界で魔法が使えないということは、平民ならまだしも、貴族としては汚名に近かった。
利益を求めての結婚であればなおさら、相手が納得するはずがない。
ならば、アイシャのほうが適任なのではないかと父に告げた。
しかし父からの返事は、
『アイシャは私の命以上に大切な子だ。我が家と同じ程度の爵位の者に渡してたまるか』
そんな一言で一蹴されてしまった。
『ドラグノフ家も私では支援を渋るどころか、破談になるのでは……』
『大丈夫だ。先方にはお前のことを魔法が使えると言っておいた』
なんてことを。との言葉が飛び出しかけて、口を押える。
震える声で言葉を紡ぐ。
『ば、バレます……必ず』
『構わん。欲しいのはドラグノフ家からの結納金だけだ。結婚式の日まで黙っていれば、あとはお前が修道院に行こうがどうだっていい』
伯爵家同士の結婚ともなれば、内外ともに莫大なお金が動く。父はそのお金を新事業の糧にしようという企みだった。
『しかし……』
『断っても構わん』
父からの意外な一言に顔を上げる。だが、目が合った父は、私のことを蔑むような目で見ていた。
『お前は物だ。商品が売買を拒むというのなら、その商品には価値はない』
出ていけ、との一声に私は言葉を失う。
『金一銭、物一つ持たせるつもりはない。二度と我が家の姓を名乗ることも許さん』
『せ、せめて母との……』
『ならん』
母の形見は少ない。それでも、毎日手入れをするほどに大切にしてきた。
父にとってアイシャが命より大切なものであれば、母との形見は私の命以上だ。
それが奪われると聞き、私は迷ってしまった。
家を出されることも姓を捨てることも構わない。それでも、たった一つでもいいから母との思い出を……。
『け、結婚をすれば……ドラグノフ家に母のものを持っていくことを許してもらえますか』
『いいだろう。お前みたいな物を産んだ女の遺品など、どうだっていい』
黙り込んでしまった私を見て、父は勝ったと言わんばかしに鼻を鳴らす。
『最初から大人しく言うことを聞けばいいものを。分かったなら下がれ』
顔合わせにやってきたギルバート様は、とてもお優しい方だった。
デートを重ねるたびに、いつ嘘がバレるのか心が痛かった。いっそのこと、真実を告げてもこの人なら受け入れてくれるのではないか。
そんな期待すら持ったが、結局は「気持ち悪い」と言われてしまった。
「ちょっとお義姉様? いつまでも私たちの前に立ち尽くさないでくださります?」
アイシャの声でハッと顔をあげれば、ギルバート様はすでに私のほうなんか見ていない。
「君の父上はズルいな。君のような魅力的な女性を隠しておくだなんて」
「うふふ。私も王子の婚約者だなんて、お父様の妄想に付き合って行き遅れるのは嫌ですわ」
アイシャも父が自分に高貴な縁談しか持ってこないだろう、というのは分かっているようだ。そして、家計が傾いている我が家にそんな話はこないという現実も。
だったら、今ある縁談話に乗っかった方が早い。というのが彼女なりの結論だろう。
「……失礼します」
私は二人の元を立ち去る。
重い足取りで父に報告に行けば、父はアイシャの行動を肯定し、私とは縁を切ると言った。
「フィオナ、お前は明日には家を出ていけ。お前はもうバーネット家の者ではない」
そうして、私は一日にして何もかもを失った。
次の日、私は修道院へと向かう馬車に乗る。
従者もまともな荷物もない。平民となんら変わりない状態の令嬢の移動に御者は首を傾げたが、深くは聞かれなかった。
(これからどうしましょう……)
修道院に行くこと自体は嫌ではないが、それ以上に私は生きる価値のある人間なのだろうか?
そもそも、私のような人間を神すらも受け入れてくれないかもしれない。
ならば、適当なところで馬車を降りて、森の中ででもひっそりと暮らしていく方が楽かもしれない。
そんな考えを過らせていると、突然馬車が止まった。
「どうしたんですか?」
窓から顔を覗かせて御者に尋ねると、彼は困惑した表情で前方を指さす。
「いえ、前の馬車が止まっていて……」
視線の先では、一台の馬車が止まっている。半分開いた扉の前では、御者がオロオロと焦った表情をしていた。
道は狭く、これではすれ違えそうにもない。
「お困りごとですか?」
私は馬車を降り、御者に声をかける。
「いえ、その……」
彼がチラリと視線を向けたキャリッジの中を確認すると、一人の男性が奥の窓にもたれかかるようにして座っていた。
「この先の道についてお尋ねしてもお返事がないので、確認をしたらすでにこのような状態になられていまして……!」
呼吸は荒く、顔色は真っ赤だ。
額に滲んだ汗が淡い銀髪の前髪を湿らせ、纏ったマントは厚手ながら防寒に役立ってそうにない。
季節柄、ただ寒くて凍えているわけではないのは明らかである。
「大丈夫ですか? どこが苦しいですか?」
僅かばかりに持ってきた荷物の中に、少し薬があったはずだ。不調の理由さえ聞ければ、合う薬があるかもしれない。
とりあえず熱を確認しようと、彼の額に手を伸ばす。
「なんて熱……」
触れた途端から、手のひらに正常ではない熱が伝わってきた。
(助けなきゃ……!)
そう願った瞬間に、私の手のひらが僅かに光った。
え? 光った?
二度見して、三度見までしてもやっぱり光っている。
何が、と動揺しているうちに男性はゆっくりと目を開けた。
「君は……」
弱々しい声と共に見つめられ、緊張感が高まる。
なにせ、先ほどまでの苦し気な様子も、熱による頬の赤らみも、辛さを表していた汗もない。
至って健康そうに見えるその姿は、目を奪われるほどの美丈夫だ。
「君は、氷属性の魔女か?」
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