22歳の地図 1984
まえがき
22歳 大学卒業から新入社員時代の記録を34歳のとき「22歳の地図」というエッセイにしたことがありました。今、62歳になり「1984年 22歳の地図」として、少し整理、リライトして書いてみます。
30年前の気持ちは、あえてそのまま生かします。
まえがき
22歳 大学卒業から新入社員時代の記録を34歳のとき「22歳の地図」というエッセイにしたことがありました。今、62歳になり「1984年 22歳の地図」として、少し整理、リライトして書いてみます。
30年前の気持ちは、あえてそのまま生かします。
March 1984
僕の周りにいる人々の
僕に対する忠告は
たいていの忠告がそうであるように
最もリスクの少ない生き方を
奨励するものだった。
僕はそのいくつかの忠告に
少なからず影響を受け
今日の僕があり
明日からの人生がある。
「何もできないうちに卒業するなんて
18歳のときには想像していなかった」
————————————————————————
卒業式。語学のクラスの友だちと
原宿の「キーウエストクラブ」に行く。
水着ディスコパーティーで16年間の学生生活を締めくくった。
ディスコチャートNo.1だったボーイズタウンギャングの「君の瞳に恋してる」、ギブソンブラザーズの「恋のチックタック」…
そのあと、テニスサークルの女子メンバーと合流し「ラジャコート」、「TOKIO」、「クレオパラッツィ」と朝までおキマリのコースでカフェバーをめぐった。
僕には自信があった。しかし、
巨大なガリバーみたいなやつが
目の前に立ちはだかっていることに初めて気づいた。
こいつに勝てるか?
大きすぎて、今までこの相手が見えなかった。
「人は孤独でなければやさしきくなれない」
「やさしすぎることはあまさになる」
————————————————————————
April 1984
大学時代の友だちと六本木で一杯。
早朝4:00 原宿でひとりになり
表参道、青山通りを通って渋谷駅に出る。
まだ世は明けていない。
入社してわずか二週間、
学生時代に見た六本木と
今見る六本木では
ネオンサインの色が違って見える。
もう戻れない。
「気を許してはいけない。
笑顔は戦術でしかない」
戦って勝つよりも人を大切にしたいと思う。
しかしそれは、人の逃げ口上なんだろう。
どちらかが正しいなんてことは、
—— ありえない。
「やりたいことをやるのとメシを食うことは別だ」
と思うようになってしまった。
人は自分を正当化していく。
早稲田の名画座で「イージーライダー」を観た。
—- 自由を論じ叫んでいても
本当に自由なやつを見ると
怖がる
まったくそのとおり。———————————————————
May 1984
5月になった。
会社は結果で人を評価する。
—- 望むところだ。
中島みゆき「キツネ狩りの歌」
〜キツネ狩りにゆくなら気をつけてお行きよ
きみと駆けたきみの仲間は
ねぇ、きみの弓で倒れてたりするから〜
「おまえの企画は学生のおもいつき」
聞き飽きたこのセリフ。
「一軍に入りたいならゼロからやり直せ」
言いたいことはよくわかる。
でもね。
ゼロから、普通のフォームを習ったら
普通の人になってしまうかもしれないじゃないか。
「社会」なるものは、
なんて偏っていて
偏った人が多くて、
かつ正しいんだろう。
June 1984
“ギブ・アンド・テイク”、
これが社会の原則らしい。
いつのまにか、
友人に対してもギブ・アンド・テイクを求めるようになる。
例えば、相互にとり有用な情報の交換、といった具合に。
もらうもの無ければ与えない。
与えなければもらえない。
だから、ギブ・アンド・テイクできない相手とは付き合わない。
もらうものが無さそうな人には近づかない。
それが当たり前らしい。
良い意味でも「利用し合う」のが人付き合いか。
やっぱり「ひとり」だ。
ギブ・アンド・テイク、
利用するか、されるか。
やるか、やられるか。
—- ずるいやつは強い。
社会人は金を稼いでいる。
騙し合いのつらさを知っている。
それで?
だからどう?
それが尊いか?
人を騙せると偉いのか?
人を裏切ったり裏切られたりすると一人前なのか?
そう考えている人を僕は軽蔑する。
大人(社会人)は求める何かを得るために
越えねばならない壁の厚さを知っている。
また、
彼らにとっては、求めるものを得たとしても、
それが一瞬にして消えるようなものではなく、
その得たもの、あるいは得たことによって
発生する何らかメリットが、
恒久性なり連続性を持っていないと価値が無い。
それが「生活」なのだ。
人はできる限り
やりたいことをやって生きたほうが
幸せではないかという気がする。
最低限の忍耐と
それに伴い生まれる「小さな幸せ」だけで
一生終わるなんて
僕には考えられない。
————————————————————————
July 1984
人格以上に、その人に付随する
「手かせ足かせ」が信用の基礎になる。
結婚していたり、家があったり、子供がいたり…。
相手の足もとを見る。
足かせがある。
安心する。
「足かせ」を生きるための武器にしようと
自らはめる人が多いらしい。
「No!」 だ。
「足かせ」がある者どおしの
共同被害者意識が
仕事のつながりを強くすることがあるのではないか?
「一年なり三年の忍耐がのちの人生の勝利につながる」
「地道に働いて三年、信用を得る」
「会社を2年未満でやめるとキャリアに傷がつく」
「長い先の見通しを考えて働け」
なんてくだらない世の中。
みんな歳の功だけで仕事している。
大人の世界は一歩引いてみれば茶番劇。
みんな必死の覚悟で茶番を演じる俳優。
あやつり人形。
June 1984
“ギブ・アンド・テイク”、
これが社会の原則らしい。
いつのまにか、
友人に対してもギブ・アンド・テイクを求めるようになる。
例えば、相互にとり有用な情報の交換、といった具合に。
もらうもの無ければ与えない。
与えなければもらえない。
だから、ギブ・アンド・テイクできない相手とは付き合わない。
もらうものが無さそうな人には近づかない。
それが当たり前らしい。
良い意味でも「利用し合う」のが人付き合いか。
やっぱり「ひとり」だ。
ギブ・アンド・テイク、
利用するか、されるか。
やるか、やられるか。
—- ずるいやつは強い。
社会人は金を稼いでいる。
騙し合いのつらさを知っている。
それで?
だからどう?
それが尊いか?
人を騙せると偉いのか?
人を裏切ったり裏切られたりすると一人前なのか?
そう考えている人を僕は軽蔑する。
大人(社会人)は求める何かを得るために
越えねばならない壁の厚さを知っている。
また、
彼らにとっては、求めるものを得たとしても、
それが一瞬にして消えるようなものではなく、
その得たもの、あるいは得たことによって
発生する何らかメリットが、
恒久性なり連続性を持っていないと価値が無い。
それが「生活」なのだ。
人はできる限り
やりたいことをやって生きたほうが
幸せではないかという気がする。
最低限の忍耐と
それに伴い生まれる「小さな幸せ」だけで
一生終わるなんて
僕には考えられない。
————————————————————————
July 1984
人格以上に、その人に付随する
「手かせ足かせ」が信用の基礎になる。
結婚していたり、家があったり、子供がいたり…。
相手の足もとを見る。
足かせがある。
安心する。
「足かせ」を生きるための武器にしようと
自らはめる人が多いらしい。
「No!」 だ。
「足かせ」がある者どおしの
共同被害者意識が
仕事のつながりを強くすることがあるのではないか?
「一年なり三年の忍耐がのちの人生の勝利につながる」
「地道に働いて三年、信用を得る」
「会社を2年未満でやめるとキャリアに傷がつく」
「長い先の見通しを考えて働け」
なんてくだらない世の中。
みんな歳の功だけで仕事している。
大人の世界は一歩引いてみれば茶番劇。
みんな必死の覚悟で茶番を演じる俳優。
あやつり人形。
開き直ったときの僕の見解
・現代社会に自由はありえない
・忍耐は幸福の基本
・手かせ足かせは人間の弱さゆえに最低限必要な束縛
管理されているが、保護もされている。
それが社会。
たとえば戸籍。
婚姻で性関係が管理されたとしても
それにより社会保障や数々の恩恵が得られる。
会社のサラリーマンも同じ。
管理と保護。
飼い犬は安泰だな。
————————————————————————
「言葉」が金のため、処世のために流通する。
真実を語る言葉はお金を稼がない。
表にでてこない。
何のための言葉?
何のためにするコミュニケーション?
言葉とコミュニケーションの商業ユース化が
人の心を追い詰めてゆく。
人の価値は会社の名前で決まる。
無名の広告プロダクションの営業、22歳。
社会の底辺を這いつくばって生きる感覚。
営業は人を騙す勝負。
仕事として誇れないと思う。
————————————————————————
人が汚すぎる。
社会の問題じゃない。
負け犬が傷口を舐め合うようなまねはしたくない。
大企業の社員のまわりには
やたらと人が集まる。
与えるものが多い立場の人間に群がるハイエナ。
相互理解が恋愛を生む。
だから、生きる技を身につける以前の
僕を知る女性しか愛せない気がする。
仕事はカラオケに似ている、
歌っている本人だけがイイ気持ち。
周りの人は内心さめている。
順番を待つ人はただ焦ったいだけ。
ピーナツ齧りながら待つ。
手拍子とかして。
いざマイクが回ってくると
アホくさいと思っていた人も
ついつい楽しくなり
「もう一曲!」
となる。
やみつきにもなる。
————————————————————————
September 1984
人間関係だけで仕事をやるのなら
仕事なんてやりません。
仕事の駆け引きだけが人間関係なら
人間関係なんていりません。
あきらめてしまった人たちが、
低いレベルの価値基準を作った。
あきらめてしまったことを
無意識に誤魔化して。
労働意欲を支える価値観。
しくまれた共同幻想。
子供の頃に
「一流のセールスマンになりたい」
なんて夢を持つことってあるのか。
「大きくなったらトンネル掘る人になりたい」
これは自然な発想。
September 1984
横浜駅のホームで高校の同級生とばったり出会った。
デパートの経理部で働いているという。
彼女はこんな話をした。
「私はお茶を入れるのが好きなの。
自分の仕事が忙しいとよけいに意地になって
お茶を入れちゃうの」
「なぜ?」と僕。
「お茶を飲んでる人を見るとうれしくなるから」
世のため人のためになるような仕事をしたいと思っても
その目的を果たすまでの過程には
多かれ少なかれ
不純な行為を犯さねばならないことが予想される。
一人前の社会人って
鬼か公務員だ。
みんな
殴り合いながら
切り合いながら
差し合いながら
生きている。
許せ、と念じながら。
みんな、
血まみれ。
半年もあればマスターできる仕事を
5年、10年かけて覚えていく。
たとえば寿司職人。
たとえばCMディレクター。
世の中のしくみ。
近ごろの僕はやる気喪失。
与えられた仕事だけをそつなくこなし
それ以外の時間は、
てきとうにサボるようになった。
不思議なことに社内での僕の評判は
良くなりつつある。
少なくとも日本では
年が若いということは大きなハンデだ。
20歳代ではなかなか一人前のビジネスマンとしての扱いを受けられない。
30歳を超えたらアホでも
それなりの扱いを受け
それならの仕事を仕切るようになる。
30歳まで待つのか___。
30歳になったら仕事が楽しくなるのかもしれない。
あと7年もある。
————————————————————————
October 1984
新入社員が5月病を乗り切るのが
この時期だという。
彼らはどのような自己変革により
社会に順応し
目標を設定したのだろう。
企業の価値体系を受け入れたのか、
無気力になったのか。
僕の友人は
前者が8割
後者が2割。
僕自身はたぶん後者に近い。
「おまえもそのうち笑えなくなる」
と言われた。
何を言いたいのかは分かる。
でも、僕は思う。
苦しくなればなるほど
汚さに巻き込まれるほど
笑いたくなる機会は増えるだろう。
他人を裏切ってもかわまないと
思っている人は、
きっと他人から裏切られる。
他人の喜びを自分の喜びとして
どこまで捉えられるか。
他人に喜んでもらうのが
人の喜びだと思う。
「お互いずるいもんどうし、
表だけでも丸くおさめましょうよ」
が世の大勢だけど。
仕事をする人が目指すべきは、
自分の利用価値をどこまで高めるか。
仕事の人間関係は利用し合う関係。
はっきり割り切らねばならない。
仕事上で人と会っているとき
「こいつとは仕事以外の場所で
知り合いたかった」
と思うことがよくある。
————————————————————————
己は結果で勝負して
他人の過程は大切にしてやる。
————————————————————————
ウソの海。
真実の飛び石。
————————————————————————
老後、夫婦で4,000万円必要だそうだ。
老後のために生まれたわけじゃないんだけど。
———————————————————————
判断能力を持たない学生が
就職先を自分で決める。
そして、その決定は取り返しがつかない。
そんな終身雇用制度は納得しかねる。
————————————————————————
大学生のころ、
慶応大学のマリンヨットクラブに所属している友人が
「メジャーじゃなきゃ、やっぱりダメなんだよ」
と言っていた。
思いだして、なるほど、と思う。
————————————————————————
November 1984
大きな山。
小さな山。
子どものころは
大きな山を見ていた。
おとなになると、
小さな山のてっぺんばかり見つめるようになり
ついには大きな山の存在さえ忘れてしまう。
瞳の輝きがなくなるのは
夢がなくなるから。
「みんながおまえをつぶそうとしてるし
俺もおまえをつぶそうとしている」
と、彼は言った。
勝手にしたら。
企業と社員の関係は
男に対する女の関係に似ている。
自分に力があれば
独立性が保てる。
見栄っ張りの女と結婚しないほうがよい、
というのは、つまり、
亭主が見栄を張らせてあげられる経済力が無い、
ということ。
金があれば幸せになれる
のかもしれない。
————————————————————————
営業部 M先輩のセールストーク
「◯◯さん、頼りにしてますから。
寄りかかりはしませんけどね。
寄りかかりはしませんが、
◯◯さんは頼りにしてますよ」
うまいな—。
頭の中で考えているときには
何の価値もないことが、
実際やってみると
新しい何かが見つかることがある。
————————————————————————
一流の打者は自分のストライクゾーンを持つ。
同様に人も善悪の判断基準を持つべきだろう。
くさい球はファウルする。
————————————————————————
人は後ろめたさがあると
他人を説得するパワーが削がれる。
だから、
普通の悪いやつは、
かえって底が見え透いてしまうので、
成功しにくい。
が、悪を犯しているにも関わらず、
自分が正義だと思いこめる人は強い。
本当に社会通念上の「善」だけで
ビジネスできるか?
難しいと思う。
ビジネスの世界では一般の社会通念と
ある程度、善悪の基準ラインが異なる気がする。
商慣習の中では
社会通念上の「悪」でも
必要悪とし許容される部分、範囲がある。
商人として商慣習のルール(許容範囲)を
ギリギリ超えないところまで「悪?」を駆使する。
それがビジネスマンだ。
————————————————————————
December 1984
学生の世界はもう別世界。
うらやましいとも思わない。
「負けたことを誇る人間」にだけは
なるまい。
街の風景は刻々と変化して
物理的にさえ原形をとどめなくなっていく。
そのような流転の中でも
僕と過去の共通体験を持つ人たちは
僕に対し変わらないでいてくれる。
————————————————————————
May 1985
学生、正しいよ。
でも、正しいからって通用しない。
あまい。
通用しないものに価値はない。
5月26日 一世を風靡した六本木のディスコ「ナバーナ」が閉店した。
ホール&オーツ「マンイーター」
ウェザーガールズ「ハレルヤ•ハリケーン」
トロピカルドリンク。
レイヤードのJJガール。
この店で僕は生きた。
「ファイナル・ナバーナ」と印刷された
パーティーチケットを手に
僕より5歳は歳下の世代が集う。
昔、栄華をきわめた時代おくれのディスコが
閉店するから。
彼らは西麻布の常連らしい。
————————————————————————
自分の意志に反して
やらなければならない悪が多すぎる。
はたして、できるか。
物事は、できるだけたくさんの人に
メリットがある方向に運ぶのがセオリー。
でも、すべての人にメリットがあることなんて
ないんだ____。
生きることの悲しさを知った人たちが
街にあふれ
生きることの悲しさを知った人たちを
傷つけている。
自分に「何もできない」ことがわかっても
漠然とした虚しさがあるだけで、
以前のように
追い詰められた気持ちになることは無くなった。
目先の充実を求めて生きている。
今まで引きずってきた数々の夢、意地、理想、
もう、いつのまにか
遠くに置いてきてしまっている。
「何もできない」ことに
慣れてしまえば
大人になれる。
楽になれる。
…. 慣れてしまえば。
僕は東京が嫌いだ。
駆け引きの匂い。
策略の予感。
おびえながら生きる人たち。
そんなことにも無感覚になってしまった人たち。
ボーイズ・タウン・ギャング
「君の瞳に恋してる」
のイントロがかかった瞬間、
ディスコの表情は一変する。
あの季節をともに駆け抜けた。
最後に君と会った1985年、春。
君は25歳だった。
Can’t take my eyes-off you.
END
あとがき
(28年間年間、34歳のときに書いたあとがきをそのまま載せます)
「時代と差し違えたい」
そんな気持ちがあのころにありました。
今もその気持ちは変わっていません。
だから文字にしました。
僕は今、34歳です。
12年前の日記をパラパラとめくりながら、
22歳の僕に戻ってペンを走らせました。
僕は企業で働いています。立派に!?
実は3つ目の会社ですが、もう10年になります。
こんな人間を辛抱強く育ててくれたことに感謝しています。
(22歳のときは、ひとつめの会社にいました)
「22歳の僕 VS 34歳の僕」
どちらが正しいでしょうか?
よくわかりません。
少なくともこの二人は、お互いを良く理解しています。
そして、考え方の相違をいつでも熱く討論できる親友でもあります。
だから、「22歳の僕」は、これからも今の僕といっしょに成長していってくれます。
読んでくださり本当にありがとうございました。
1996年 1月 吉村毅
【追伸】
今の僕は62歳。
3人目の僕です。笑
(僕、って言う歳ではないですが)
22歳の僕と34歳の僕を微笑ましく感じています。
達観しているわけではありません。
がんばらないとな、と言う気持ちになりました。
吉村 毅 (Takeshi, Yoshimura)
あとがき
(28年間年間、34歳のときに書いたあとがきをそのまま載せます)
「時代と差し違えたい」
そんな気持ちがあのころにありました。
今もその気持ちは変わっていません。
だから文字にしました。
僕は今、34歳です。
12年前の日記をパラパラとめくりながら、
22歳の僕に戻ってペンを走らせました。
僕は企業で働いています。立派に!?
実は3つ目の会社ですが、もう10年になります。
こんな人間を辛抱強く育ててくれたことに感謝しています。
(22歳のときは、ひとつめの会社にいました)
「22歳の僕 VS 34歳の僕」
どちらが正しいでしょうか?
よくわかりません。
少なくともこの二人は、お互いを良く理解しています。
そして、考え方の相違をいつでも熱く討論できる親友でもあります。
だから、「22歳の僕」は、これからも今の僕といっしょに成長していってくれます。
読んでくださり本当にありがとうございました。
1996年 1月 吉村毅
【追伸】
今の僕は62歳。
3人目の僕です。笑
(僕、って言う歳ではないですが)
22歳の僕と34歳の僕を微笑ましく感じています。
達観しているわけではありません。
がんばらないとな、と言う気持ちになりました。