第9話 駆けつける二人
時は過ぎていき、それでも過去の記憶と同じで、会議はさっぱり結論に達しそうになかった。途中で意見を求められ、二日前を思い出しながら何とか答えたが、気が気でない。
頭の隅を、ポコリンや愛美の姿が何度も何度もよぎる。
時刻は18時を上回った。
そのとき、何の前触れもなく会議室のドアが開いた。見慣れない男性社員が入ってくる。彼はみんなの注目を集めながら尋ねた。
「深川さんってかた、ここにいますか」
「はい」
こんなこと、過去になかった。何があった、と思いきや、ポコリンがドアからひょいと顔を出した。
拓はテーブルの上に広げてあった資料を無造作にまとめて、駆けつける。
「深川のおじさん!」
ポコリンがこちらを見て、大きな声を出す。
「あの、親戚です。すみません、ちょっと席を外します」
周りの人に断ってから戸口まで来て、呼んでくれた男性社員に会釈をする。
拓はポコリンと一緒に足早に会社をあとにした。
「来ちゃったけど、大丈夫だった?」
ポコリンが小声で問いかけてきたので、拓も声をひそめて話す。
「いや、むしろ助かったよ。なかなか抜け出せなかったんだ」
「連絡は?」
「あっ、そうだな」
拓は慌ただしくスマホを取り出す。今度はレトロだの何だのと、言い合う暇もない。
愛美の番号を押す。コール音。繋がる。
『只今電話に出ることができません』
無情にも機械の声が響く。
「やっぱりだめか」
「はあ、難しいね」
二人してため息をつき、そのまま進んでいくしかない。愛美のマンションへと。
歩いてすぐに駅に着き、そこから電車で二十分少々。ところが、二人でようやく落ち着いて座席に座ったところで、ポコリンがあっ、と声を上げる。
「ごめん、一旦降りて」
「えっ、もっと先なんだけど」
「大変。わたしが……」
ポコリンが手を差し出す。少しだけど薄くなっている。
「時間になったら、わたしが前に来たわたしと一緒になるんだった」
慌ててポコリンと共に席を立つ。
周りを見渡して、他の乗客がポコリンの透明化現象を気づいていないかどうか確かめる。気づいても見間違えかと思ってもらえそうだが。
電車が駅に到着すると、すかさず降りて、拓とポコリンはトイレへ向かう。
まるでポコリンが急にトイレに行きたくなったように見える。しかし、冗談になっていない。
ポコリンはトイレで消えてしまうのだ。
「とりあえず、愛美さんのマンションへ向かって。わたしは前と同じように追いかけるから、その間も電話かけてね」
「分かった」
ポコリンがトイレへ入ると、拓は戻ってまた電車に乗ろうとする。しかし、行ってしまったばかりらしい。次の電車がなかなか来ない。愛美のマンションがあるのは、各駅停車の駅近くなので、急行が続くと意外と時間がかかる。
「接続が悪いなあ。もっと早く行動するべきだったかも」
時刻は18時半を当然上回っている。電話をする。また出ない。メッセージを残す。
「愛美、まだ帰らないのかな」
焦りながら、再び電車に揺られていく。
電車を降りて、愛美のマンションまで十分はかからないはず。
駅前の商店街を抜け、住宅地を通り、拓は走る。
タイムマシンのあるはずの場所へ、息を切らしながら戻っていく。
「拓さん!」
向こうからポコリンが走ってきた。
「愛美は?」
ポコリンは首を横に振ってから、尋ねる。
「連絡は?」
拓は首を横に振る。
「またかけるよ」
「それより、早くしないと火事が起きちゃう。家にはいないみたいだから、スーパーの方へ行こうよ」
「分かった」
刻一刻と火災の時間が迫っている。
愛美はどこにいるんだ? どうしたら連絡が取れるんだ?
拓は考えを巡らせながらも、ポコリンと一緒に入り組んだ住宅街を駆けていく。
ポコリンが突然立ち止まった。
「あれは……」
遠くに黒い煙が立ち昇るのが見える。
拓は一度スマホを取り出してかけてみるが、やはり愛美は出ない。
ポコリンと二人で火事の現場へ向かう。遠くから消防車のサイレンが鳴り響いてきた。さらに、やってきた救急車のサイレンの音に、息苦しいような不安を覚える。
火事はすでに起きてしまった。
拓はもう一度スマホを取り出すが、無駄だった。
現場は騒然としていた。スーパーの建物はオレンジ色の炎が燃え上がり、消防車が放水している。どうやっても、近づくことはできない。愛美はこのなかにいたのだろうか。
そのとき、救急隊員が担架に人を乗せてこちらへ運んでくるのが見えた。
「愛美っ」
拓は近寄るが、運ばれているのは中年の男性のようだった。
「あの、若い女性はいませんか」
慌ただしく尋ねてみるが、現場は混乱していて、結局それ以上は何も情報を得られない。
どう考えても、遅かった。
呆然とするうちに火災は収まり、人々も少しずつ散っていく。
「拓さん、……やり直そうよ」
ポコリンがぽつりと言った。
まるで間に合わなかったのだ。二人は言葉少なく、タイムマシンへと戻っていくしかなかった。
タイムマシンのそばへやってくると、突然違和感があった。何か膜のなかへ入ったような。出るときと同じ感触だ。
そういえば、半径一メートル以内は、時空の影響を受けない領域になっているとかいう話だった。
すでにポコリンが先にタイムマシンに入って、点検をしているので急ぐ。
「あっ……、何だ?」
突然、自分のなかから何かが引き出されたような気がして慌てる。その方向へ視線を伸ばすと、透明感のある自分の姿が。すうっと膜へ入って消えていく。
過去の自分との分離はこんな具合いなのか。
妙な感覚だった。膜の向こうがどうなっているのか、タイムマシンの電源が入ったせいか、よく見えない。過去の自分は自浄作用により、記憶を補正して、なるべくもとの自分の行動をとるそうだ。
大丈夫なのかな、僕。
過去の自分が少々心配になる。本来ならば会社で会議に出て、そのあと残業しているはず。それなのに、こんなところまで来させておいて、挙句、放り出してしまったようなものだ。
うまく会社に戻って、残業してくれるんだろうなぁ。
自分のことなのに、何だか申し訳ない気持ちになる。
どのみち、現在に戻ってまたやり直せば、なくなる過去のことだけれど。
ポコリンの話では、変更できた過去は原則として、以前の過去に上書きされる、という。そのまま未来へ向かって時間は進んでいくらしい。
拓がタイムマシンに戻った時点では、過去の拓は会社から会議中に抜け出していることになる。以前のずっと残業している拓から変更されている。
けれど、またやり直せば、抜け出した過去も変更されるのだ。
それで勘弁してもらうしかない。
二人は、再びタイムマシンに乗り込む。全く間に合わなかった今回のことを思うと、座席についたところで、重々しい空気は続いていた。
「もうちょっと、早い時間に着く必要があったのかな」
ポコリンの言葉に、拓は思っていたことを話す。
「だいたい、僕が会社から駆けつけるのが無駄すぎるんじゃないかな。電車に乗ったりしなければだいぶ時間の節約になるよ。どうせ、また愛美と連絡が取れないんだろうし」
「うーん、それなんだけどね、試作段階だからいろいろ制限があって、まだこれから検証しなければならないこともいろいろあるんだよねぇ」
制限があるなどと今さら言われても困るのだが、話を聞くしかない。