第6話 初めての時間旅行
タイムマシンは、まるで家族用のテントを思わせるコンパクトなものだった。
全体的にやや青みがかった銀色をしている。鈍く光る壁は金属製にも見えるが、もっと何か丈夫で柔軟性のありそうな物質にも感じられた。骨組みも継ぎ目も何もかもがそれで仕立て上げられている。
ポコリンのお父さんが家に持ち帰った、と最初に聞いたとき、どの程度の大きさや重さなのかと訝しく思った。けれど、人の乗っていない状態では、ある程度折りたためるし、素材はどれも軽量のようだ。
愛美のマンションの左側は、ちょうど空き地になっていた。今の季節は夏の間に伸びきった草がそのまま生えている。壁際に隠すようにして、その乗り物は草むらのなかに置かれていた。
ポコリンが近づくと、すっと扉が開いた。
人がせいぜい三人入れるくらいの大きさ。内装も銀色の壁。ポコリンが先に入って座席に腰をおろす。天井もそれほど高くはなくて、拓はすぐ隣に座り込む。
自動的に扉が閉まった。
メーターやスイッチのようなものがいくつか並んでいるが、ポコリンは目の前にある画面を見つめる。記号がずらずらと書かれているだけで、意味は分からない。やがてキーボードを叩いてポコリンは入力を始めた。
「二日前。月曜日の夕方、17時00分にタイムスリップするよ。いい?」
「あ、ああ。いいよ」
声が上擦る。
ほんの数日前とはいえ、本当に過去へ行けるのだろうか。こんなテントのような軽くて小さな乗り物で。
「ちょっと到着時間がずれるかもしれない。17時ぴったりはなかなか難しいかも。まだ試作品だからね」
「そうなんだ」
タイムマシンについて聞かされても、何と答えていいか分からない。
「着いたら、席を立たないで待っててね。いろいろ説明することがあるから」
ポコリンは画面を見つつ手を動かして、何やら操作をしている。
「何か手伝うことは?」
落ち着かなくて、拓はそのふっくらした横顔に向かって、尋ねてみた。
「うーん、ないかも。着いてからいろいろ話すね。それまでゆっくりしてて」
ゆっくり、と言われてもなあ。
心のなかでぼやきながらも、拓は緊張して体を固くしたまま、ポコリンの様子を見守る。
「そろそろ出発するよ。ちょっと揺れるかもしれないから、捕まってて」
過去への旅立ちは、随分地味な始まりだ。目の前の細い棒に手を乗せる。
何か重低音が響き渡る。浮遊感。振動。
確かに動いている。揺れながら浮かび上がり、進んでいく感覚。先の動きの予測がつかず、拓はつい棒を握りしめてしまう。重低音に時々ファン、ファン、ファンと高音が響く。
一体どこをどう通っているのだろうか。空間ではない。時間を通っているらしい。拓には覚束ない感覚だ。
そうこうするうちに、振動が続くようになる。
「えっ、嘘。何で?」
ポコリンが声を上げる。
「何?」
「こんなに揺れることって、ないんだけど」
「えっ?」
拓からすれば、電車の揺れよりも軽微で、たいしたことはない気がする。けれど、ポコリンは心配そうな顔をしてタイムマシン内をぐるりと見回した。その狭い室内は、ほとんど壁しかないのに。
ふと、振動がゆるむ。ふわふわとした浮遊感も規則正しい音も急速に消えていく。
止まったようだ。
動いていたのは、せいぜい7分か8分。もっとずっと長く感じていたけれども。
「ああ、びっくりしたぁ」
ポコリンが胸もとに手を当てて息をつく。
びっくりするのは、こっちだ。脅かさないでほしい。
「出発のとき以外で、これだけ揺れたのって初めて」
「そうなんだ。大丈夫?」
「あ」
何か思いついたらしい。ポコリンはメーターなどの計器類をよく確かめてから呟く。
「重量のせいなのかな……。わたし一人のときはあまり揺れないけど、もしかして、拓さんが一緒に乗ると……」
「それって平気なの?」
「うーん、多分。検証の余地がある」
13歳にしては難しい言葉をこぼして、ポコリンは口を引き結んだ。拓は不安を拭い切れない。
ポコリンは事務的に話す。
「まずはちゃんと着いたか、調べないと」
「別の場所ということは?」
どこか別の世界に行ってしまっていたら。想像すると、背中に冷たい空気を感じた。ぞっとする。
「それは大丈夫だけど、時間のほうがずれているかも。えーと、時計は……」
ポコリンは画面に何か映像を映す。どうやら外の景色のよう。
何の変わりもなく愛美のマンションが見えた。別世界には入り込んでいないと判明して、胸をなで下ろす。
そのままカメラは進んでいく。ドローンのようなものが飛行して撮影しているような感じだが、実際に飛ばしているのか、どういう仕組みなのかは分からない。
「時計探さなくちゃ。確か電光掲示板みたいなものがあったと思うんだよね」
「ああ、駅前の?」
「そうそう」
愛美の住まいの最寄り駅のそばに、デジタルで時間表示の出ている高い建物があった。それで確かめようというのだ。
「あ、これ……えっ」
ポコリンが声を上げる。
20:11
「ああっ、何で!」
ポコリンが頭を抱える。
「まさか……」
拓も呆然とする。
着くのは17時ごろでなければ間に合わないと言っていたのに。この時刻では、愛美はもう火災に遭って、病院に運ばれている。
見上げたカメラに映るのは、夜闇の空。街明かりの真上で淡い光を放つ星がぽつりぽつりと目に留まる。
夕方の17時ではなく、すっかり暗くなった夜の20時。
どう考えても、遅かった。
「どうしよう。とりあえず、戻ろうか」
戻る、というのが現在にもう一度行くことだと気づいて、拓は訊く。
「やり直すってこと?」
「うん。重量オーバーでずれやすいのかもしれないけど。もう一回調整してからやってみれば何とか」
言いながらも、ポコリンは計器類を確認して操作している。その真剣な表情に向かって、拓はつい口を開いた。
「ここって、本当に二日前なのか?」
「うん。一応駅前の売店で新聞の日付も見たけど、大丈夫だった」
そういえば、時計のあとにも何か映していた。
拓からすれば、月曜日に戻れたという事実自体がすごいこと。降りて確かめたい気持ちは強いのだが。眼鏡をかけたポコリンの懸命な横顔を目の前にすると、そんな贅沢も言えない。
代わりにひとつ確かめてみる。
「あのさ、わざわざ戻らなくても、もう少し前の過去にタイムスリップするとかはできないの?」
「このタイムマシンは、短時間だけの移動って、まだできないの。過去でも未来でも24時間以上の長さしか設定できないんだよ。ここから24時間以上戻るとすると、もっと過去になっちゃうでしょ。そこから始めると、それだけ過去が変わってしまいやすいし」
「そうか」
なるべく過去には短く留まり、干渉しないようにする必要があるのだろう。開発者の娘が説くのだから、こちらは従うしかない。
「それじゃ、出発。元に戻るよ。水曜日20時30分」
再び重低音が響き、時たま揺れが起こった。先ほどとは逆に、時間のなかを未来へ進んでいるのだと思う。けれど、最初に乗ったときと体感的にはほとんど変わらない感じだった。