第5話 プロポーズという問題
ポコリンは低い声で呟くように言った。
「タイムパラドックスが関係しているんじゃないかな」
もしかしたら、ポコリンが過去へ行ったことで、愛美だけでなく拓も巻き込んでいるのではないか。
過去が改変されるのを避けるために、未来の拓がポコリンと会うのを避けているのではないか。
そんなことを、ポコリンは訥々と語った。
「あくまで、わたしの推測でしかないのだけど。今回の改変にひいおじいちゃんの……拓さんのかかわりが必要な気がするの。それで、愛美さんの家の辺りを探して、拓さんを見つけたんだよ」
「だから、玄関の前で会ったのか」
そこまでして見つけてもらっていたとは。ポコリンは随分大変だったのではないか。
「そうだよ。わたし一人では難しくても、拓さんがいればうまくいくかもしれない。タイムパラドックスから考えた結果だけで、確証がないんだけどね。わたしが未来から会いに来たら、拓さんがいろいろ影響を受けちゃうのは分かってたんだけど、もうそういうリスクはしょうがなくて」
リスク、という言葉に息を吞む。
確かに、自分は本来は未来にいるポコリンに会うはずがないのに、そういう現在ができてしまっている。ポコリンのいる未来からすれば、これってすでに過去改変になっているわけだ。
呆然とする拓の目の前で、ポコリンは突然両手を合わせる。
「お願い、拓さん。一緒に来て。ひ孫のわたしを助けて」
ポコリンの懸命な姿に、拓はとまどう。
「お願いっ」
拓は固唾を飲み込んで、手を合わせて深く頭を下げたままのポコリンを見つめる。
これだけ真剣に人から助けを求められたことって、これまであっただろうか。多分ないと思う。
それに、ポコリンと出会った時点で、最早かかわりをなくそうとするのは、難しい。
拓はためらいつつも話す。
「……もちろん、何とかしてあげられたらいいけど、何をどうすればいいのかさっぱり分からないよ。だいたいどうやって、変わってしまった過去をもう一度変えられるのか、見当もつかないんだけど」
「うん。それは……ちょっと考えたんだけど」
ポコリンはひと息おいて話す。
「質問だけど、ひいおじいちゃんは……拓さんは、愛美さんに何てプロポーズしたの? 火傷のないときはどんなときにどう言ったのか教えてよ」
「えっ」
拓は完全に詰まってしまう。極めて重大な自分の問題が、こんなところでやってくるとは。
「ごめん」
何となく謝ってしまう。
「実はまだ、愛美にプロポーズしていないんだ」
「あっ、そうか……。まだ先かぁ」
ポコリンは額に右手のひらを当てて、考え込む。
「何か、そこに手がかりがあるかなって、思ったんだけど」
確かに、火事に遭ってプロポーズしたとすると、火事に遭わなかった場合のそれとは明らかに違いが生じている。
ポコリンが過去を変えてしまう前のプロポーズと、変えたあとのプロポーズが違うとすれば、そこに何らかの変更要素があるはずだ。
このことに、やはり僕はかかわりがあるのではないか。
拓は薄々そんな気がしてきた。自分としても、これまでずっと悩んでいたことだったのだ。
「ゆっくり少しずつだったけど、愛美とは二年の付き合いがあってね、僕もそろそろ何とかしたいとは思っていたんだ」
愛美とは、友人の紹介で知り合った。
しかし、彼女は子ども時代に容姿をからかわれ、特に男の子にはいじめられたせいか、やや男性恐怖症なところがあった。だから、拓としても遠慮しながらの付き合いが始まったのだ。
半年を過ぎて、ようやく愛美は打ち解けてきた。そのころ、拓はこんなことを言われている。
「こんなに長く付き合ってもらえるとは思わなかった。二三回デートしたら、つまらないと思われておしまいになるんじゃないかなって……。そういうことが何回かあって、やっときちんとお付き合いできる相手ができるんじゃないかと思っていたのに」
言葉とは裏腹に、愛美は嬉しそうに微笑んだ。
「つまらないなんて、全然思ったことないよ」
「そう?」
小首をかしげる愛美は、本気で疑問に思っている様子だ。愛美には時々、自信のなさが覗くことがあった。妙に謙遜したりもするが、それは付き合ううちに、彼女の美点のように感じられたものだ。
二年の歳月は、少しずつの積み重ねのうちに訪れた。とはいえ、ひとつだけ転機と言えることがあった。
愛美の転勤だ。
彼女の勤務している信用金庫は、首都圏に支店を多く構えている。自宅は千葉駅よりずっと東寄りにある。これまで千葉市内や江戸川区の支店くらいしか配属されていなかったのが、今年の四月に都内でも西の多摩方面に転属となったのだ。
「どうしようかなと思って。ちょっと通勤は無理かな」
そう言われたとき、一瞬だけ気持ちは動いた。二人で一緒に住もう、結婚しよう、と告げられたら、と。
だが、結局は何も口に出せなかった。
愛美は職場に近いところで、ひとり暮らしをすることになった。
それから半年ほどになる。
「このごろずっと、愛美と結婚することは考えていたんだよ」
拓は打ち明ける。
「だけど、何となくそういう話にならなくて。正直、どう切り出して、どうプロポーズしようか全然分からなくて、つい先延ばしにしてきたんだよ。今日にでも、機会さえあればプロポーズするつもりだった」
黙って聞いてくれるポコリンの前で、それ以上は言葉が出てこなくなった。
愛美は、自分から結婚したいとか言い出す女性ではない。
自分に対して、今はそういう気持ちを持っているだろうと思っていた。それは確かだと感じている。けれど、それをおくびにも出さない人だ。
控えめでちょっと臆病で、ともすれば自分の存在を世界からひっこめたくなるように生きている。
こっちが引っぱっていく必要は感じていた。
自分が何とかプロポーズをしなければ、とは考えていた。
まさか、その機会が間に合わず、愛美が火災に巻き込まれてしまうことになるとは。
「そうなんだ。それじゃあ、はっきり分からないよね」
ちょっとポコリンが自信なさそうに話す。そんな言い方や俯き加減の表情は、やはり愛美を思い起こさせる。
「とにかく、二日前の出来事を変える方法は、まだ残されているかもしれないんだよな?」
「うん」
「だったら、とりあえず協力するよ」
「えっ、いいの?」
ポコリンがぱっと表情を明るくする。
ころころと表情がよく変わる子だなあと、拓はつくづく思う。
迷いながらも、口を開く。
「いいけど、まだその、タイムマシンって信じられないんだよ。本当に過去に行けるんだったら、どうにかできないか僕も手伝ってみる、ってことなんだけど」
その言葉を聞いた途端、ポコリンはにっこり笑う。
「ありがとう、ひいおじいちゃん……じゃなかった、拓さん。これからすぐ行こうよ」
「行くってどこへ?」
「タイムマシンに乗って、二日前へ」
「えっ、本当に?」
思わず訊いてしまう。今すぐに、過去へ行けるというのだ。そんな非日常の話なのに、ポコリンはいとも簡単に頼んでくる。
「タイムマシンはマンションの下に置いてあるの。一緒に来て」





