第24話 変わるとき
拓はもう一度言葉をかける。
「愛美が気がかりなんだよ」
『……よく分からないけど』
愛美がためらいがちに続ける。
『でも、心配かけそうなら、そうするね』
ようやく、言葉を引きだせた。ほっとする。
「うん、今日はまっすぐ帰って出かけないようにね。約束だよ」
拓は一度目を閉じ、呼吸を整えた。今度は落ち着いて、気持ちを表せる。
「あの、水曜日に会えるの、楽しみにしているよ。愛美が肉じゃがを作って待っていてくれたら、すごく嬉しいんだけど」
『うん。この間より上手に作れると思うから、わたしも会えるの楽しみにしているね』
愛美の控えめながら明るい声に、拓は伝えるべきことを告げる。
「僕は、愛美が一番大切なんだよ。だから水曜日に、僕たちの将来のことで、大事な話をしたいんだ」
通話口で、愛美の息を吞む気配がした。
「それじゃ、結局電話で済んだってことになりそうだね……」
ポコリンは拓の話を聞いて、じっくりと考えた上でそう結論付けた。
会社までポコリンがやってきて、拓は愛美との通話について話した。拓自身、会話を思い返しながらも、今までとは感触が違うという確信があった。
未来の情報という点は気になっていたが、ポコリンは影響がなさそうだと判断した。
「愛美さんが火事に遭おうとする無意識に、ちょうどよく働きかけているような気がするよねぇ。なるほど。拓さん、すごい」と、しきりに感心していた。
「僕の気持ちは、愛美に伝わったと思う。今度こそ、愛美は火事に遭わない気がする。水曜日に話すことが何か、愛美も分かっているんだよ」
拓も、落ち着いた調子でポコリンに告げた。
「何だか不思議だなあ。あれだけ動き回って、いろいろやって上手くいかなかったのに、今度はちょっとしか動かなくて上手くいくなんて。拓さん、本当にありがとう」
「何となく、だけどね」
心の内では信じているものの、どこか照れてしまい、そう答えておく。
「思っていたんだけどさ、これまでのやり直しって、なんのかんので以前の過去とだいぶ変わっちゃったよね、拓さんの行動が」
やっぱりポコリンにもそう見えるよなと、拓は思う。
「月曜日はずっと残業していたはずが、愛美を探しに駅から走ったりして、随分時間をかけちゃってるからなあ」
「もともといないはずのわたしも動き回ってるし」
「正直なところ、僕が戻ったあとの過去の僕がどう行動するか心配になってたよ。あれだけ時間がかかって、また職場に戻って残業って、厳しいもんな」
難しい会議の途上で抜け出したのも、あまり褒められたことではなかった。
「そういえば、そうだったね。今回は改変前の過去とだいぶ一致していて、その点もいいんじゃないかなって気がする」
「うん」
愛美は火事に遭わず、家からも出ない。ポコリンにも会わない。職場で拓から電話をもらっただけだ。
ポコリンは、拓の職場へ迎えに行くだけ。
拓はといえば、親戚の子が職場に来て、しばらく席を外すことにする。だが、タイムマシンで分離したら、また職場へ戻って普段通り仕事をする。会議にもしっかり出席できる。
まずまずではないか。
「このまま帰れるといいね」
「そう願いたいね」
「そう強く気持ちを持とうね」
「うん」
ポコリンと拓は拳を握りしめて、力を込める。
あとは帰れればいいのだ。現在に。
二人は無事タイムマシンへ戻ってきた。時刻はそろそろ16時半。ポコリンは慎重に点検する。
「よし。次は肉じゃがだ」
つい拓は、そう気合いを入れてしまう。何しろ、ずっと前からお腹が空いているのだ。
「拓さん、その調子。よく願っておいて」
くすくす笑いながらも、ポコリンは計器類を確認している。
「あれっ」
突然、ポコリンが大きな声を上げた。
「どうかした?」
「こんなの気づかなかった……」
「何?」
今ごろになって、何があったのだろうか。
一瞬、またしてもタイムマシンが動かなくなったのかとひやりとする。けれど、ポコリンの呆然とした表情からして、そんな深刻な事態ではなさそうだ。
「ねぇ、このタイムマシン、高速モードになってたんだ。他に通常と低速のモードがあるみたい」
「え、今まで速く進んでいたってこと?」
「うん。それなんだけどね、このタイムマシンは試作品だから……」
ポコリンの声が沈んで消えるので、拓は首を傾げて促す。
「だから?」
「高速だと、揺れたり不安定になるのかも。通常モードしかないと思っていたんだけど。もしかすると、低速モードだと高速よりも揺れなくて、もっと時間ぴったりに着きやすいかも」
「え、そうなのか」
「うん。何で気づかなかったんだろう……」
ポコリンが俯く。
その様子を見守りつつ、拓は口を開いた。
「でもさ、考えようによっては、それも人々の総意なのかもしれないよ?」
「えっ」
「何度もやり直したり、方法を変えたりして、過去をこねていくような……それで一番想いに応える未来を作り出していったような気がしているんだ。それに多分、僕自身が過去を変えるために時間のなかに勢いよく入る必要があったように感じる。過去に何度もぶつかっていく必要があったんじゃないかって」
拓はこれまでを振り返って、そんなことを感じとっていた。ポコリンに向かって、尋ねてみる。
「どう? 検証の余地はありそう?」
「検証しなくてもいいよ」
ポコリンは眼鏡を押し上げると、腕を組んでから告げた。
「そっかあ。そうかもしれないね。実はさ、拓さんに初めて会ったときは、タイミングとかぴったりで、一度も失敗しないで到着できたんだよ。最初からわたしと拓さんでいろいろやることは、人々の総意には適っていたのかなって思ってた」
「へぇ、そうなんだ」
ポコリンが来たことで自分の未来は影響を受けたが、それ自体は間違っていなかった、ということか。その先に、試行錯誤することが必要だったのだろう。
拓はポコリンに提案する。
「じゃあ、今はもう高速モードの必要はないってことだよね。低速モードにして帰ろうよ、今度こそ」
「うん、今度こそ」
タイムマシンの起動スイッチを押す。今度こそ、うまくいきそうな気がした。
拓は、心の奥底から実感している。
愛美の過去を戻して、自分の未来を変えようとしていることを。
それは、きっと想いに応えることになるはずだと。
おそらく愛美にとって、僕からプロポーズされることは、こちらが思っている以上にずっと大事で、重要な意味があったのだろう。
人々の意識の総意で、過去も未来も作られているとしたら。
確証はないけれど、自分がプロポーズの言葉を言えなかった未来が実際にどこかにあったのだろう。愛美はそれを感じとっていたのかもしれない。
愛美は、一人の人から結婚相手として選ばれたという事実がほしかった。
僕のプロポーズの言葉が、自分を選んでくれたことを知る大切なしるべと考えていたに違いない。
でも、そうして選んでくれるという自信はなかった。
いつも選ばれない自分自身を、愛美はどれほど思いつめていたのだろうか。
特別に選ばれたい、一番に必要とされたい、という強い想いを。
妹の存在やピアノのことなど子どものころからの積み重ねがあった上での、最初に付き合った男性との出来事。それが、やせ細り心がひしゃげてしまうほど、強くのしかかっていたに違いない。
愛美は、未来を何らかの形で思い浮かべたときに、選ばれている自分を想像することができなかったのだろう。
余程のことがないかぎり、プロポーズをされる現実はないと思い込んでしまっていた。
ポコリンがタイムマシンで過去に入り込んだときに、たまたまその余程のきっかけとなる出来事を見つけてしまったのかもしれない。
意識の総意、というのなら多分、僕自身のなかなか言えずためらっていた気持ちも、要因の一つなのだろう。
多くは無意識のうちのことで、憶測でしかないが。
たまたまポコリンが介入したことで、愛美は気づいてしまった。火災に巻き込まれた自分に対してなら、拓がプロポーズの言葉を口にするのではないかと。
自信のなさから突然得た結論。ちょっとしたはずみにすぎなかったのだろうけれど。
「かわいそうに思って、って何だよ」
思わず拓はひとり言を呟く。
『それがね、当時付き合っていたひいおじいちゃんがお見舞いに来たとき、わたしの火傷した腕を見て、かわいそうに思ってプロポーズしてくれたのよね』
百一歳の、未来の愛美がポコリンに打ち明けた言葉を想起する。
ポコリンの話からすれば、自信もなくて、心にもエネルギーがないような愛美が未来にいたんだった。
プロポーズの言葉を火災によって辛うじて得ただけの愛美には、芯から力が湧いてこないような未来がそのまま形作られてしまった、ということなのか。
いや、違うなと、拓はすぐ否定した。





