第2話 ポコリンとタイムマシン
「本当の名前は、教えられないの。未来につけられる名前を過去に教えたら、何か影響が出るかもしれないでしょ」
女の子は真面目な顔で話す。
「でも、ポコリンって……」
拓が言いかけると、女の子は急ににこりと笑って、小さく頷いた。ツインテールの髪が一斉に揺れる。
「拓さんも知っているよね、ポコリン、って愛美さんが子どものときに呼ばれていたこと」
「ああ、うん」
そう、愛美にとっては、中学時代の懐かしいあだ名だったはず。
恋人の愛美は、子どものころだいぶ太っていたという。
もともとおとなしくて、ほかの子よりテンポも遅く、ひとりで家で過ごすのが好きな子だったと聞いている。
二つ下の妹は行動的で正反対だったのも、彼女のコンプレックスの一端になっているようだ。両親が妹と比べて注意するようなことも、よくあったらしい。
高学年くらいには容姿や性格からいじめられて、引っ込み思案な性格がますますそうなっていったようだ。
愛美は、あまり自分に自信が持てない人間だった。
ただ、中学のときのあだ名は、太めだとか否定的な意味合いが含まれていても、むしろ気に入っていたらしい。
『ポコリンって、何だかかわいいなあと思って。友だちもみんなそのころは、わたしのことをそう呼んでいたよ』
愛美は、拓に笑顔で中学時代の思い出を語ったものだ。
そのポコリンという名を、この子は自分の呼び名に指定した。
愛美の過去を、かなり知っているのでは。
ひいおばあちゃん、というのはいくら何でも変だが、やはり知り合いなのだろう。親戚か何か、近親者じゃないだろうか。
自称ポコリンは、口もとが愛美に似ている気がする。
「それじゃ、ポコリン。愛美はどこに行っているんだ?」
何をどう信じるかどうかはともかく、それだけは確かめたかった。
「……ここ」
ポコリンは、右手でテーブルをとん、と叩く。
「ここ?」
「そう、愛美さんは本当はここにいなければならないの。ここでお料理を作って、拓さんを待っていなければおかしいの」
「おかしいって……」
どういうことか分からず、ただ言葉を繰り返すしかない。
ポコリンは真剣なまなざしをこちらへ向ける。
「わたしのせいなの」
「え?」
「本当はここにいなきゃいけなかったのに。わたしが……わたしのせいで、愛美さんは火事に遭ってここに来られなくなってしまったの」
「火事っ? 愛美は?」
火事と聞いて、つい問い詰めるようにしてしまう。
「二日前に、愛美さんはスーパーの火災に巻き込まれて火傷を負ったの。命に別条はないけど、今は病院に入院している。拓さんにはまだ連絡がいっていないと思うけど」
「何だって?」
ひどく混乱しつつも、拓はここ数日のことを思い返す。
愛美も拓も仕事が忙しく、なかなか連絡を取り合えないことがあった。
二人は同い年だ。出会ったのは29歳のときのこと。
この二年間、焦らず慎重に、ゆっくりと歩み寄ってきた。積み重ねてきたこれまでの人生やプライベートを優先する、というルールが自然とできている。あまり日常を詮索しないのが暗黙の了解になっていた。
確か一昨日、ラインでメッセージは送っていた。既読は確認しているが、返事は来ていなかったと思う。
どのみち、お互い特に連絡がなければ、水曜日のこの時間に自分が愛美の家を訪ねることは約束してあったから。
「どこの病院? すぐ行かなくては……」
「待って。愛美さんは左腕に火傷を負っていて、まだ拓さんに会う気にはなっていないんだと思う」
会う気になっていない、という言葉は、拓を思いとどまらせるには充分だった。
愛美のことだから、すぐに自分に連絡しようとは思わないだろう。きっと一度は考えても、ためらうに違いない。
拓は確信する。
黙したままの様子を見ていたのか、ポコリンはゆっくり話す。
「まずは話を聞いてくれる? 愛美さんの怪我をなかったことにしたいから。タイムマシンで何とかするために、わたしはここに来たんだよ」
「どういうことなんだ?」
拓は息を吸い込み、ポコリンを見つめる。
「本当の過去は、愛美さんが火傷で入院するようなことはなかったの。わたしがタイムマシンを使ったせいで、そうなっちゃったみたいなんだ。それを修正したいから協力してほしいの」
「あの……、タイムマシンって、何?」
拓としては、『タイムマシン』というのが何か自分が思い込んでいるものとは別のものじゃないかと考えて、質問してみたのだけれど。
「うん、詳しく説明させてよ」
ポコリンは眼鏡を右手で一度押さえてから、話す。
「タイムマシンで、わたしは二つの過去に行っているの。ひいおばあちゃんの中学時代と、この、今の時点から二日前」
いつの間にかポコリンは愛美のことをひいおばあちゃん、と呼んでいた。
ポコリンの父親は世界的に有名な科学者で、ここ十年くらいはタイムマシンの開発に携わっていたという。
タイムマシンが本当に製造できるとは信じがたい話だが。未来ではそうでもないのだろうか。
話を聞きつつも、拓はどうしても確認したくなって、口を開く。
「ひとつ先に質問してもいいかな。僕のことをひいおじいちゃんって言ってるけど、きみ……ポコリンがいる未来って、この何年後になるの?」
未来から来たという言葉を半分は信じられないまま、尋ねてみる。
「ちょうど70年後だよ」
「70年……。僕は101歳になっちゃうじゃないか」
ひいおじいちゃんというのもショックだが、具体的な年齢が判明してしまうと、衝撃はさらに拡大する。
ポコリンは平然と応じた。
「そうだけど?」
「よぼよぼの年寄りの自分なんて、考えたくもないな」
思わず顔をしかめて、本音を言ってしまう。拓は三十代になったばかりなのだ。
しかし、ポコリンはきょとんとしている。
「よぼよぼ? 全然そんなことないよ。あ、この時代だと平均寿命が違うんだっけ」
聞いて驚いた。
日本人の平均寿命は、130歳に届こうとしているという。
「ええっ、そんなに長生きなんだ」
医学はかなり進歩したのだろう。
100年以上元気に生きるのは普通らしい。よぼよぼどころか、せいぜい現在の60歳程度に当たるみたいだ。今の時代の100歳のイメージは全くない。
拓は何だかほっとした。まだ完全に信用したわけではないけれど。
ポコリンは、幼少期から両親と共に北海道にある研究所の近くに住んでいるという。
そしてつい先日、ポコリンの父親は、密かに試験走行をするために、開発中のタイムマシンを家に持って帰ってきたとのこと。
「タイムマシンがほぼ完成したんだ。試乗してみようと思ってね。もしうまくいったら、一緒に乗せてあげるよ」
ポコリンのパパは、どうも娘に甘いらしい。そんなことのために、わざわざ家まで運んできたようだ。
その翌日は、都心から曾祖父母が遊びに来ることになっていた。
ところが、ひいおじいちゃんが風邪を引いたとのことで、家を訪れたのはひいおばあちゃんだけだった。
予定より早く着いて、そのとき家にいたのはポコリンだけ。ちょうど、両親が出かけている時間帯だった。