第17話 やっと会えた
「愛美、まだ気づかないのか」
拓はスマホを無造作に切った。握りしめて、どうにか心を落ち着かせる。
同じ時間に戻っても、全く同じ出来事が起こるとは限らないという話だった。もしかすると、この過去では愛美は全く電話に気づかない可能性も……。
19時になっても結局繋がらない。火事の起きる時間が近づいている。
諦めて、走る。愛美は何かに気づいて、火災の現場へ向かってしまったかもしれないのだ。もうすでに。
急に夜闇が迫ってくるような気がした。
夜空に炎が燃え上がるのはいつなのか。間に合うのか。
そういえば、火事の時間からすると、愛美が電話で「あれ」と言った時間帯のほうがどう考えてもずっと前だ。愛美は火事の煙を見たのではない。
ならば、何だろうか。
角を曲がる。
夜の深まるひととき。静まり返る住宅街は、まるで巨大な迷路のような錯覚に陥る。
さまよううちに、時間が過ぎていく。
そんな妄想を振り払う。
もう少しで現場には着く。また見つからないなんてことはないと思いたい。
すると。暗がりから浮かび上がる女性の影が。
いた。間違いない。
その後ろ姿を、拓は捕らえる。
「愛美っ」
小走りしていた女性が振り向く。やっぱり愛美だ。
白いカーディガンに黒いロングスカートの姿が明かりに照らされていた。
「え、拓? どうしたの?」
澄んだ瞳が、驚きで見開かれている。夜風が愛美のセミロングの髪をふわりとなびかせて通り過ぎていく。
やっと。
やっと、この時間の愛美に会えたのだ。
しかし、確かにここに僕が現れるのは変だよなと気づいた。本来ならば仕事中なのに。
不思議そうに首を傾げる愛美に、うまく説明する用意もなかった。ただ単刀直入に告げる。気持ちだけは込めて。
「向こうには、近づかないほうがいい。事故か何かあったみたいなんだ」
火事、とは言えないが、何かあったみたい、とまず危険を知らせる分には大丈夫だろう。ところが、愛美の答えは意外だった。
「え、大変。あの子行っちゃったかも」
「あの子って?」
拓は思わず問いかける。
「見かけない女の子が一人で歩いていったの。こんな時間に変だなと思って見ていたんだけど」
「どんな子?」
拓はまさかと思って訊く。そのまさかだった。
「ツインテールの子。中学生くらいだと思う」
「その子は……僕の親戚だよ。僕がこの近くまで連れてきていたんだ。だから、大丈夫だよ」
慌てて喋る。嘘は言っていないはずだ。
「ええっ、拓の親戚?」
「そう」
本当は愛美の親戚でもあるのだが。
「すぐ連れて帰るから、愛美も早く家に帰りなよ。愛美のことも、心配になっちゃうから」
拓は、愛美の目を見つめて、真剣な表情で話した。
「今日は仕事じゃなかったの?」
「うん、ちょっと。今度詳しく話すよ。それより、愛美も家に帰った方がいいよ」
不自然であっても、もう構わない。とにかく、繰り返し話すだけだ。
愛美は、風に吹かれる髪を手で軽く払うと、柔らかく微笑んだ。家への方角へ足を向けて。
「心配してくれて、ありがとう。それなら、帰るね。親戚の子、早く追いかけてあげて。拓も気をつけてね」
やっと、過去を変えられる。
「うん。それじゃ、またな。水曜日に会うの、楽しみにしている」
「うん」
愛美は拓に手を振る。家へ向かって、そのまま帰っていく。
拓は手を振り返し、その姿が見えなくなるまで佇んでいた。
「やったーっ!」
ポコリンが手を振り上げて、大きな声を出す。
タイムマシンのなかで、拓とポコリンは成功を祝った。
「何とかうまくいったな。よかったな」
「うん。拓さん、本当にありがとう。これでわたしも怒られずに済むよ。やっぱり、拓さんにお願いしてよかった」
「いや、二人でよく考えた結果だよ。僕自身、愛美とのことでいろいろと考えさせられることがあった。いい機会だったと思うよ」
素直にそう告げた。けれど、拓自身の役割はまだひとつ残っている。
「あとは、ちゃんとプロポーズすること、だよね」
ポコリンに言われてしまう。
「そうだな。まだ重要なことが残っている。まさか今日こんな形でプロポーズするって決めることになるとは思わなかったけどな」
拓は吐息をこぼす。
いろいろあったけれど、これからが本番だった。
「すぐに戻らない方がいいよね?」
「え?」
「わたしと練習する時間は?」
「ええっ、それはもういいよ。自分で何とかする」
すると、ポコリンは訝しげにこちらを見つめる。
「いいのかな。ちゃんとできる?」
「できるよ」
言いながらも、やはり自信はないような。
――ずっと一緒にいられたらって思っている。僕と結婚してください。
こんな言い方って何だか平凡で、気持ちがこもらない気がしてならない。かといって、どう修正すればいいのかも分からない。そのときになってみるしか、と思いつつ、そのときはだいぶ近づいていた。
「もしも時間が必要だったら、もっとこのまま過ごすっていう手もあるよ」
「このままって?」
「タイムマシンに乗らずに、もう一日以内なら過ごせるよ。現在に戻るまで24時間あれば大丈夫だから。ただ、極力同じ行動をとってもらわないといけないけどね」
「それは……やめておく。同じ仕事をする気にならないからな」
仕事のことを考えると、心身がますます消耗しそうだ。
「あ、そうか。拓さん、仕事いっぱいあるもんね。この時代の人は毎日たくさん働いていて大変だよね。こっちじゃ、みんなボランティアみたいな感じで、あまり長く働いていないから」
ポコリンの時代では、ベーシックインカムが導入されて久しいという。よく聞くと、仕事をしなくても何とかやっていけるような世の中らしかった。
「パパはタイムマシンに夢中でね、それ以外の研究なんて全然してないんだよ。熱心に研究所に詰めているわりに、お金はもらってないって、ママが文句を言ってる。でも、ママはママで、友達とお茶飲んでお喋りしている時間が楽しいみたい」
「みんなゆとりがありそうだね」
「そうだね。そっちの世界って、ほとんど仕事で一日終わりなんでしょ。好きなことあまりできなくて、つまんないよね」
そう言われてしまうと、拓は疲労感が増す。何となく肩を回すと、こきりと音がした。
改めて、未来がとてつもなく羨ましくなった。
「それじゃ、戻るよ。水曜日20時30分」
ポコリンが設定を確認して、再びタイムマシンは現在へと戻っていく。時折振動を感じながら、拓は心のなかで何度もプロポーズの言葉を唱えている。
すると、隣のポコリンが何かアルミの容器を取り出す。
「お腹空いたあ」
「おい、待てよ」
拓の声はやや鋭くなってしまう。
「こっちだって腹減ってるんだ。勝手に何か食べようとするなよ」
「あ、ごめん。クッキーだけじゃ足りなくて。栄養スープならお腹いっぱいになるかなと思って」
「そんなもの、飲まないでよ。こっちは余計にお腹が空く……」
言うが早いか、拓のお腹がぐううっ、と鳴る。
思いがけなく、長い時間何も食べていない。
「ごめんごめん」
ポコリンはすぐに容器をしまい込む。けれど、そんなポコリンのお腹もきゅううっと音を立てた。





