第15話 愛美との出会い
愛美からはわりとすぐメッセージが返ってきた。
初めて二人だけで会ったのは、そのあと二週間もしてからだったが。
食事をして、たまたま近くで開催されていた美術展に入った。互いに気になるものを見ている感じで、時々一緒にいるという具合い。あまり会話もなかった。
それなのに、不自然でないことに気づいて驚いた。
そのあと、喫茶店に入って、また少しだけ話した。
拓はそこでほぼ確信する。棚橋さんとは、わざわざ喋らなくても大丈夫なんだと。不思議と場が持つのだ。
拓と愛美はデートを重ねることになった。お互いのスケジュールを確認して、終わりには必ず次回会う日を決めていた。
二人の仕事が忙しく、休日の合うことが少なかったせいもある。
最初のうちは、言葉が少ない分、なかなか距離も縮まらないことが気になった。けれど、それでいながら一緒にいることが何だか心地よいと感じられる。こんな人と出会ったのは、初めてだった。
いつの間にか片手で足りないほど会ったのに、「深川さん」と呼ばれていることに気づいて、呆然とした。自分もつい「棚橋さん」と呼んでしまっている。
このままでは変えられなくなりそうだ。よくよく考え、ある日思い切って口に出してみた。
「あのさ、名前で呼び合わない?」
「名前って……拓さん?」
「拓、でいいよ。僕も愛美って呼ぶから。『拓さん』だと、何だかいっぱいみたいだし、『拓くん』でも何だか発音しにくいから」
なるべく自然を装って提案したつもり。愛美は一瞬目をぱちくりさせて、言われたことを丁寧に理解したようだった。
「それじゃ、……拓」
名前を呼ばれただけなのに、胸のなかにほわりとした温かさが満ちていく。
「うん、愛美」
互いにそれだけで照れてしまったような。
それなのにポコリンときたら。
会ってすぐにいきなり「拓さんは、ひいおじいちゃん」だもんなあ。
タイムマシンを点検しに行った後ろ姿に、拓は息をつく。
拓は愛美と付き合えば付き合うほど思うようになった。
大内夫婦のように賑やかに話ができるのもいいが、沈黙さえ悪くない関係というのもいいのではないか。距離が常に近いかかわり合いもいいが、離れても安定した気持ちでいられるかかわり合いもいいのではないかと。
拓は、人と話すのは苦手な方だ。
大内をはじめとする大学の仲間は大抵よく喋るので、そのなかにいて、合いの手を入れているのが自分の役割だった。
二十代半ばまでに付き合った女性が二人いる。どちらもよく話をする人だった。
自分にはそういう人が合うとばかり思っていた。けれど、双方ともいつの間にか連絡が途絶えて、長続きしなかった。さらに、ここ数年は仕事が忙しく、久しく何の出会いもないまま三十代になろうとしていた。
何となく自分は、あまり恋愛というものに思い入れがないのだと悟った。恋人がいなくても、特に何か物足りなさや寂しさなどは感じない。付き合っていたときも、心底楽しんでいたのか、振り返ると思い出せない。
友人たちが次々結婚したり、子どもを持ったと聞いて、初めて気になり出した。そんな時期に、大内に尋ねられ、現れたのが愛美だった。
愛美はあまり喋らないが、ひと言ひと言が丁寧に感じて、好感を持つようになった。話すのが億劫な自分がわざわざ口を開かなくてもいいのも快い。無理のない自然な付き合いは、心底安心できた。
寂しいほど会いたいとは思わないが、会うとやはり気持ちが高揚する。自分にとって、恋人とはこういうものなのかもしれない。
しかし、愛美の過去も徐々に知るようになった。
そもそものきっかけも、自分が結婚を尋ねられて「相手がいない」と答えたほど、愛美のほうは単純な話ではなかった。
大内の奥さんに、最初は「結婚相談所に登録しようと思っている」と告げていたのだ。
自分は、まだ男性とうまく付き合える気がしない。きっと最初は委縮して、すぐに振られてしまうと思う。だけど、そうしていく過程で自分も少しは上手に付き合えるようになって、もしかしたらこんな自分であっても、結婚相手として選んでくれる人が見つかるかもしれない、と。
愛美は、子どもの頃からいじめられて、未だにやや男性恐怖症なところがある、と拓に打ち明けてきた。
一番古い自身の記憶のなかでも、愛美は周りと比べて容姿も劣り、何をやってもうまくできなくて、いいからかいの対象だった。特に男の子たちに「ブス」「豚」「馬鹿」「のろま」と罵られ、存在を否定されるような言葉の数々にはひどく心が傷ついたし、時には叩かれたり物を隠されたりしたことにずっと恐怖を感じていた、と語った。
そんな愛美は、一度だけ社会人になってすぐのころに付き合った男性があったという。
けれど、拓は詳しく訊かなかった。
何となく向こうから一方的に交際を断たれたように推測していた。いい思い出ではないことぐらい、口ぶりからすぐに気づいたから。当時の写真を見てしまったという負い目もあって。
「それで余計に、自分に自信がないのかも」
愛美は俯いたまま、ぽつりともらしたのだ。それ以上は話したがらなかった。
男性との付き合いにも、すっかり自信を失くしたらしい。
後日「こんなに長く付き合ってもらえるとは思わなかった」と言われて、拓はそうじゃないよ、と強く思ったものだ。少なくとも、愛美に変わってほしいとは思わない。
ただ、今のままの自分に、もっと肯定的な気持ちでいてほしいと思っていた。
拓自身が平凡で、周りには常に自分よりずっと才能のある人間がいくらでもいた。華々しい活躍とか、他人に抜きんでることとは、まるで縁のない人生だ。
思えば、現実で熱くなるようなこともほぼない。仕事を終えた後に、開き直ってアニメやゲームに逃避しているのが日常だ。
自信を持てないのは、自分だって同じだろう。取り立てて得意なものもない自分に落ち込むことは、三十年もあれば数え切れないほど何度だってある。
けれど愛美の場合は、自信のなさに核のような塊を感じていた。時としてその否定的な自己像のなかにはまり込んでしまうところがあった。
そのせいで愛美の人生が何もかも否定されて薄らいでしまうような、そんな残念な思いがしていたのだ。
彼女の心の内にあるその冷たい塊を、少しでも溶かしてやりたい。
拓は常々そう思っている。
愛美は不器用で要領が悪く、何をしても人よりうまくできないとこぼす。
できのよい妹と比べられて、母親など周囲から注意されたり、否定的に見られた過去も積み重なっているようだ。仕事の面でもいつも劣等感を持ち、落ち込むことも多いという。
だからといって、いつでも俯きがちに人生を生きている必要はないと思う。
人より様々な面で劣っていると自覚するのは辛く、ひねくれたり失望することは簡単だ。そうしないで、そんななかで頑張っていることにだって価値があるはずだ。
愛美の一生懸命な姿を、自分はよく知っている。
タイムマシン、どこへ行った……!? な回でした。
次回はまた戻ります。
 





