第11話 愛美との通話
先ほど「もう少し前だったら」と話したときに、ポコリンが沈黙していたわけが分かった。
「一度少し早めに着いて、スーパーの入り口で愛美さんを待っていたことがあったの。そのときに初めて愛美さんは民家で火事に遭ったんだよ」
「……うまくいかないものなんだな。早めに着いて、愛美を待ち伏せするのは難しいってことか。あ、でも、もしも早ければ二人でそれぞれ民家とスーパーで待っていればいいのかな」
「それがね、調べてみたら、放火は全部で三件あったの。もしかして、両方で待ち構えているともう一件の方になるのかも……」
「……」
一瞬押し黙ってから、拓はもうひとつ思いつく。
「それなら逆に、愛美の家で待ち構えていればいいんだ」
「そうできればいいんだけど、やり直しはじめてから、愛美さんが帰宅する前の時間にはあまり着くことないなあ。だいたいは自宅から愛美さんが出たあとで、いつも追いかけることになるんだよねぇ。前回たまたま早めに着いたときは、そのまま帰ってみたし……」
何だか最初に思っていたより、ずっと難しい気がしてきた……。
ポコリンの話によると、やり直して似たような過去を繰り返すと、それが定着してきて、タイムマシン自体も揺れ動くのか、同じ時間に着きやすくなるとか。
「でもさ、結局違っちゃった過去をもとに戻すってことだから、きっかけさえあれば、何とかなると思うんだよね」
ポコリンは自分を鼓舞するように喋った。
何かこの過去に強い想いがあるかもしれないというのは気にかかる。それにしても、きっかけって何だろうなあ。
そう思いながらも、拓はポコリンの言葉に合わせる。
「僕もできるかぎり協力する。頑張ろうな」
「うん、ありがとう」
ポコリンは少し前向きになれたようだ。お礼を言ってからタイムマシンを操作する。現在へと動き始めたところで、何か袋を取り出した。
「それ、何?」
「クッキー。ちょっとお腹空いちゃったから」
ポコリンは、丸い形の焼き菓子をつまんで見せた。
「ポコリン……自分だけ」
低い声で唸るように拓は呟く。
「ごめんね。すぐ食べちゃうから。これはわたしの持って来たものだから、影響がないの。こっちではよく売れている人気商品。拓さんもわたしのいる時代になったら食べられるから、それまで我慢して」
「……」
拓は無言を貫く。
クッキーの香ばしい匂いが漂う。バター風味で、上質の卵を使っていそうな。すぐ隣でポリポリと歯ごたえを感じさせる音を立てる。気になって仕方がない。
だいたい愛美の肉じゃがを食べるつもりであのマンションを訪ねたところだったのだ。すぐに夕食にありつくつもりで、職場からそのまま来たから、当然空腹だった。
それがどうだ。
肉じゃがどころか、今の時点ではひとかけらのクッキーにさえありつけない。すべてはポコリンが愛美にかかわって、愛美が火事に遭ったせい。本当なら、もうとっくに愛美の肉じゃがを口にしていたに違いない。
根に持ってしまいそうなくらい、胃が空っぽの状態だった。
お腹がぐぐぐーっと、大きな音をたてる。
それを無視して、拓は鞄に入っていた水筒を取り出す。いつもお茶を入れて持ってきているのだ。
胃のなかに水分が入ると、返って刺激されてしまったのか、さらにぐっと空腹を感じた。
「そういえば、最初に愛美の部屋で麦茶を飲んだのは、大丈夫なのか?」
お腹の音を隠そうとして、拓はポコリンに問いかける。
「そうだね。過去のものを飲食するのは基本的に大丈夫。未来のものを飲食するのは、まだないものをすでに存在する人が食べるということになるから、ちょっと微妙。まだ検証の余地がある事項のひとつかな」
何の気なしに厳しい言葉をかけられてしまう。
「とりあえず、わたしがこの年代で何か食べたり飲んだりするのは、平気なんだけど。拓さんが未来のものを飲食するのは念のためなしにしてね。新たに買ったりするのは影響が大きいからなし、ね」
「何だか、面倒だな。それに、……僕の方が損みたいだな」
拓の胃袋は、まだまだ満たされない。
二人は再びタイムマシンで過去へ戻ってきた。
画面から時計を探していて気づく。辺りはどこも暗い。駅前の明かりが眩しく感じる。時間が少し先なのかもしれない。
映った時刻に、二人とも愕然とする。
18:23
「どうしよう。遅い時間になっちゃった。どうしようか」
ポコリンの呟きに賛同したいところだが、そんなゆとりはない。早く着くケースを考えていたというのに、実際にはこんなことに。
「とにかく、電話してみる」
二人はタイムマシンを降りて、同じように連絡してみるが、やはり繋がらない。
「そろそろ重なるな。またあとで合流しよう」
そういう感じなので、そう告げる。
前回の自分たちの行動を考えると、ポコリンはちょうど愛美のマンションへ向かっている時間。今度はマンションから住宅街を通り抜け、民家の火災現場へ向かうことにする。
「そっちは電話しながら探して。こっちはこっちで愛美さんを探すよ」
ポコリンの声が流れていく。重なる時間になったらしい。拓も突然職場に来てしまったときと同じような感覚がする。
前回のこの時間は、と考える間もなく、拓は商店街にいた。駅からしばらく歩いたところ。
お店の多くは、もうシャッターを閉じかけている。コンビニや飲食店のいくつかに明かりがあって、人の姿がまばらにある。
拓はスマホを取り出す。愛美にもう一度連絡を試みる。
『はい?』
突然の愛美の声。
通じることもあるんだ。
気が動転してしまう。一度唾を飲み込んで、拓は口を開く。
「まっ、愛美。今、どこ?」
『え、家に着いたところだけど。こんな時間にどうしたの? あ、さっき着信あったよね。仕事中かなと思って、あとで連絡しようと思ってたの』
普段通りの愛美の声が響く。やや低めで落ち着けるような声。
こういうときでも、愛美はすぐにかけてこなくて、遠慮してしまうのだ。いつもはそれでよかったけれど、今回に関しては、やり直しを強いられていて、何とも歯がゆい。
それでもするべきことを思い出して、気を取り直す。
「あのさ、このあと、出かけたりしない?」
『うん。特に予定はないけど? あ、でも今日は筑前煮を作ろうと思ってて。足りないものがあったら、買い物に行くかな』
のんびりした愛美の返事が、拓にはかえって焦燥感を生む。
過去の愛美は、ポコリンに会わなくとも、買い物に出かける可能性はあったわけだ。火災の現場へ向かってしまう理由は、少なくとも二つはあったことになる。
「足りないものがあってもいいから、今日はもう出かけないようにして」
『え、何で?』
「何でも」
うまく答えられず、拓はそう告げる。
火事に遭うから、家から出ないでほしい。
そう訴えられたら簡単なのだが、この先の出来事をここで告げると影響が出る可能性がある。未来に関しては最低限の言葉で、何とかしなければならない。
『拓、何かあったの?』
「いや、別に。その、ちょっと心配で。いいから、とにかく今日は出かけないようにしてほしいんだ。えっと、今度会ったときにでも理由は話すから」
言葉が見つからず、焦りつつも、拓は言い渡す。
『よく分からないけど。うん、分かった』
納得したかは不明ながら、愛美は了解した。拓は安堵する。これでいいはずだ。
「それじゃ、また」
『え、用事はそれだけ?』
「あ、ああ、そうだな」
やはり不自然かなと拓は自分で思う。何か言葉をかけなくては。そう考えたそのときだった。
『あっ、あれ』
電話口で愛美が高い声を上げる。
「愛美?」
拓が問いかけるが、愛美はなかなか答えない。
もう一度声をかけようとしたとき。
『あ、また今度ね』
急に冷静な声がしてほっとするが、何かあったのかもしれない。
「どうかした?」
『ううん、大丈夫。水曜日に待ってるね』
「うん、また連絡する」
『うん。またね』
通話は切れた。拓はひと息つく。
やっと、うまくいった……。何とかできた!





