【短編版】気立ても頭も良くクラスの誰からも敬われる完璧美少女の隣人は、僕の家に入り浸っている
久々に短編を投稿いたします
転勤族の父の影響で再び引っ越しをすることになったのは、僕が高校二年になったばかりの春のことだった。子供の頃から父の仕事の影響で引っ越しすることが日常茶飯事だった。引っ越しの度、仲良くなった友達と涙を流しながら別れる、そんな辛いことを何度も行ってきた。
いつからだろうか。そんな引っ越し続きの生活に辟易として、引っ越し先の地で友人を作らなくなったのは。
日陰者の性格も相まって、気付けば学校にいる時間中に人と話すことはかなり極稀になった。今回、引っ越した先で転校した高校でも、それは変わらなかった。
外では男子がサッカーを快活に楽しみ、教室内では女子達の快活な笑い声。どちらにも僕が交じれることはきっとない。
せいぜい僕に出来ることと言えば、遠巻きに周囲のする話を盗み聞きすることくらい。
「茜、今日カラオケ行こうよ」
「茜、この問題の解き方教えて」
そんなしょうもない時間を送る僕の耳に届く、一つの名前。彼女は、あそこで快活に話す女子陣の輪の中心にいる僕とは真逆のまるで日向のような存在。
彼女の名前は、櫻井茜さん。
このクラスの委員長であり、見ての通りたくさんの友人を持つ高いコミュニケーション能力と、そして学年トップの頭脳を持つ……僕から見て完璧で、非の打ち所がない女子である。
「芽衣ちゃん。ここはこう解けば良いんだよ」
女子陣の輪の中にいる少女の姿は、周囲の人だかりによってこちらからは視認できない。
「宇美ちゃんごめん。今日はちょっと用事があるの」
「えー、そっか。仕方ないかー」
「本当、ごめんねー」
ただ、人だかりの奥から聞こえる櫻井さんの声は、いつもとても楽しそうだった。
昼食も食べて、昼休みも終えて、そうして午後の授業を受けて、放課後。
たった数時間のことだというのに、酷く退屈な時間だった。
でも、もうそれも終わり。後はもう、帰るだけ。
僕は椅子を引いて、立ち上がった。
「ばいばい」
サヨナラの挨拶の声が、耳に届く。
「またね、茜ちゃん」
ただその挨拶は、僕に向けられたものではなかった。
櫻井さん達の会話を聞きながら、一足先に僕は教室を飛び出た。
トイレに立ち寄って玄関に行くと、櫻井さんが下駄箱で靴に履き替えているところだった。そんな彼女の後に続き下駄箱により、彼女が玄関に出る頃に、僕も靴を履き終えて歩き始めた。一定の距離を保ち、僕達は同じ方向へと歩いた。そして、彼女に続いて駅の改札を過ぎて、彼女と同じ方面のホームで電車を待った。
電車が来ると、彼女と別の号車に乗り込んで、同じ駅で下車した。
「じゃあね、宝田君」
「うん。またね、櫻井さん」
そして、僕は櫻井さんに挨拶されて、別れを告げる。
櫻井茜さんは、僕達家族の隣の家に住む、僕の隣人だった。
……そして。
「悟、ご飯よー」
夕飯時、母の呼び声が部屋に聞こえた。
その声に反応して、ベッドから飛び降りてリビングへと向かった。
父は、いつも通り残業中。恐らく終電帰りとなるだろう。
しかし、食卓に並ぶ三人分のご飯。
僕と。
母と……。
「遅いよー、宝田君。もうお腹ペコペコ」
「ごめん、櫻井さん」
そして、櫻井さんの分のご飯である。
櫻井さんは、気立ても頭も良くクラスの誰からも敬われる完璧美少女である。
そんな美少女は、今日も夕飯を食べに隣人である僕の家に遊びに来て、その晩しばらく家に入り浸るという、そんな摩訶不思議な生活を送っていた。
* * *
彼女との出会いは、引っ越し初日の荷入れの日。転勤族ながら社内ではそれなりの役職に就く父は、翌日には仕事に出なければならない、と土曜日、休日出勤で地方での最終出社を終えて、日曜日に新居となるマンションへの引っ越しを敢行したのだった。
深夜に当時の家を出て、早朝にはマンションの指定された駐車場に辿り着き、部屋の掃除を軽くしてから引っ越し業者のトラックから荷物を受け取るというハードスケジュールをこなし、さすがに疲れてきたと昼食に出掛けようとした十四時頃に、丁度家から出てきた櫻井さんと僕達一家は出会った。
「こんにちは」
櫻井さんの第一印象……。
「こんにちは。今度お隣に引っ越しさせてもらった宝田です」
「あ、私は櫻井茜、と申します。これからよろしくお願いします」
それは、とてもしっかりした人、というものだった。
なんとなく、自分と同じ年代だろうということはすぐにわかった。そして、自分と同じくらいの年の割に、目上の人への丁寧な対応をこなせる姿を見て、感服する気持ちで一杯だった。
その日の昼食。ファミリーレストランでの風景は、櫻井さんに気を良くした母による僕への文句で終始した。
そんな初対面を経て、僕達の関係が変わったのは、引っ越ししてから一週間後くらい、明日にも編入手続きの済んだ学校へ向かうことになる、ある晩のことだった。
「きゃあああああっ」
角部屋である櫻井さんの家から聞こえた断末魔の叫び声に、部屋にいた僕と母は飛び退くくらい驚いたのだ。
「ちょっと、様子を見てきなさいよ」
厄介ごとを察した母は、いの一番に僕にそう指示した。
「なんで僕が」
「なんでって、何かあった時に男手が必要でしょう。お父さんは今日も終電帰りだし」
父への文句も忘れず付けて、母は譲らず、強引に僕を櫻井家に向かわせた。
あの叫び声にただ事ではないと思いビビる気持ちと、同学年の女子の家に初めて入る羞恥で、扉の前で数秒制止してしまった。
それでも何とか体を動かし、チャイムを鳴らすが、反応がない。
扉を開けると、鍵は掛かっていなくて……この当たりからさすがに非常事態な気配を察知して緊張しながら部屋を進んで。
「……あれ?」
リビング。
見つけたのは、泣きながら腰を抜かす櫻井さんだった。
「ど、どうしたの?」
一瞬、状況を飲み込めずに固まった僕だったが、まもなく櫻井さんへ声をかけた。思えばこれが、僕達の最初の会話だった。
「……ご」
部屋の角を指さしながら、櫻井さんは震えた声で話し出した。
「……ご?」
「…………ゴキブリ」
部屋の角にいる黒い羽根を持つ虫。世間からの嫌われ者のそいつを見て、櫻井さんは腰を抜かしたらしかった。
それから僕は、スリッパを借りて奴を屠り、トイレを借りて奴を流して見せた。
「あ、ありがとう……」
櫻井さんは安堵のあまり、その場にへたり込んだ。
「ううん。……その、ゴキブリ駄目なの?」
「……うん」
「そっか」
沈黙。
コミュニケーション能力に長けていない僕では、櫻井さんと会話を続けるのも一苦労だった。
「いつもなら、お父さんがやっつけてくれてたの」
「そっか。今日は、帰り遅いの?」
「……この前、中国へ転勤したの」
「え?」
「お母さんも、しばらく遊びに行くってついていったの」
「……えぇ?」
「この家、当分あたししかいないの……」
両親不在の寂しさからか。
はたまた、しばらくゴキブリが出たら自分で退治しなければならないからか。
「……どうすればいいんだろう」
涙ながらに、櫻井さんは泣き出すのだった。
そんな彼女に、僕はかける言葉を見つけられず、その場でただおろおろとするばかりだった。
しばらくしてやって来た母に宥められながら、母に女を泣かした罪な男みたいな文句をもらいながら、僕達は櫻井家のリビングでひと息ついていた。
そして、母は櫻井さんに提案したのだ。
ご飯を作る手間だとか、家族のいない寂しさだとか、そういうのを紛らわすため、どうせなら我が家で朝食と夕食を一緒に食べないか、と。
「こうして隣の部屋同士で住まうのも、何かの縁でしょうしね」
いつもは喧しい母だったが、この時ばかりは何故か頼もしく感じるのだった。
そうして櫻井さんは、家に帰ると夕飯時に我が家に遊びに来て、ご飯を食べて帰って行くようになった。
同年代の友達がいない僕としては、彼女の存在が新鮮であり慣れなくて時々気疲れする時もあったのだが、その辺はさすが櫻井さん、というべきか。時と場合を選んで深入り、深入りせず、そんな調子で僕の調子を見ながら接してくれていた。
そして、最初はご飯の時だけだった櫻井さんとの時間も、最近では増加傾向にあった。
朝食、夕食だけだった当初から、二週間も経てば、櫻井さんは夕食後、寝る間際まで我が家に入り浸るようになったのだ。
櫻井さんとしても、家族がいない部屋に戻るのが辛いところはあったのだろう。
「うわあ、綺麗」
しかし、何もそれだけが櫻井さんが我が家に入り浸るようになった理由ではない。
彼女が羨望の眼差しを向けて魅入るのは、パソコン画面に表示された一枚の写真。荒れ狂う海に、断崖絶壁。そして、海の水面に反射する陽の光と、大きな太陽。太陽から伸びるフレアとゴースト。
それは、以前の住居の傍で僕が撮った写真だった。
「これは、どこ?」
「これは東尋坊」
僕は、父の持つ一眼レフカメラを使って写真を撮るのが趣味だった。
そして櫻井さんは、僕が撮った写真を見ることに、どうやら嵌ったらしかった。
共通の趣味を持ち、当時程の気まずさも感じなくなって、僕達は夕食を食べ終わると僕の部屋にこもって、勉強机に隣同士になって写真を見る日を送っている。
最初は、櫻井さんの家庭事情に同情している気持ちもあったが、それでも慣れない人が家にいる状況に馴染めず、早く立ち去らないかな、と思う日々も度々あった。
ただ最近では……。
「すごい。綺麗。宝田君、本当写真撮るの上手だね」
最近では、櫻井さんがいる時間が、櫻井さんが隣にいて一緒に写真を見る時間が、僕はとても好きになっていた。
* * *
「櫻井、放課後にちょっといい?」
ゴールデンウィークも終わった昼休み、他クラスの男子が櫻井さんを訪ねて教室にやって来た。
スラっとした長身で、顔立ちも綺麗な男子だった。
下世話が好きな女子が数人、その男子についての話をしていた。
どうやら彼は、サッカー部の部長を務めて、女子からの人気が高い男子らしい。
そんな彼が頬を染めて、大衆の目も気にせず櫻井さんを放課後誘う。
誰が見ても、この状況が意味することは理解出来た。
彼は、櫻井さんに好意を持っているのだろう。そして彼は、櫻井さんにその好意を伝えるつもりだろう。
胸騒ぎがした。
学校内でこれほど取り乱したのは、生まれて初めてだった。
だけど、どうしてそこまで取り乱すのか。
理由を考えてみるが、答えには行き着けなかった。
悶々とする気持ちで、僕は放課後一人家に帰った。
最近では、櫻井さんと同じ時刻に帰るのが定番になっていた。電車の号車は別だし、帰り道だって一緒に話すことはない。
それなのに、それが僕の中では当たり前になっていた。
一人での帰宅道が、これほど空虚に感じたのは生まれて初めてだった。
その日の夕食、櫻井さんは我が家に訪れることはなかった。
今日は、友達が予定があるから、と母のスマホに連絡があったそうだ。
「久しぶりに早く帰れたのになあ」
残念そうな父。
「お父さん、女子高生に手を出したら犯罪だからね?」
茶化す母。
そして、僕。
僕はと言えば、何も感じていなかった。
全ての感情は消え去り、感覚は鈍る一方で……食事だって、無味無臭のゴムを齧っているそんな気分だった。
その日は、眠ることが出来なかった。
ベッドから天井を見上げながら、悶々とする胸中に整理を付けよう。そうしないと、自分が駄目になる。おかしくなる。
そんな気がして、そんな刑罰とも思える地獄の時間を送っていた。
まとまらない思考。
悶々とする胸中。
ただそれでも……たった一つ、これだけは間違いないと思える事柄が一つあった。
それは、かの男子と櫻井さんの経緯。
見たわけでもない。風の噂で聞いたわけでもない。
でもきっと……多分、きっと、間違いないのだろう。
思考はまとまらない。
胸中も悶々とし続けている。
なのに、目頭が熱かった。
最後のプライドとばかりに嗚咽を堪えて、目から滴る冷たいそれを必死に拭った。
……どうして。
どうして、学校で取り乱したのか。
どうして、櫻井さんと男子が話すのを見て、胸騒ぎを覚えたのか。
……そうか。
コミュニケーションが苦手な僕に付き合い、気遣ってくれた。
僕の趣味を凄いと褒めてくれた。
……僕を、必要としてくれた。
「……好きだったんだ」
僕が櫻井さんに抱いたそれは、生まれて初めての感情。
そして、恐らくかの男子が抱いたそれと同じ感情。
恋。
「櫻井さんのことが、好きだったんだ……」
彼女への気持ちを自覚して。
恐らく、それを言えたタイミングは何度もあったことを理解して。
恐らく、もうそれを言えるタイミングが訪れないことに後悔して。
僕は一人、静かに枕を濡らした。
僕は理解した。
櫻井さんは、かの男子の告白を受け入れたのだろう。
櫻井さんは、かの男子と恋仲になったのだろう。
櫻井さんは……もう我が家に入り浸ることはないだろう。
だから後悔して、そして涙を流した。
そして、翌朝。
「あ、おはよう。宝田君!」
櫻井さんは、一足先に我が家に来て、朝食を食べていた。
齧りついた所から黄身が溢れたトースターエッグを美味しそうに食べながら、彼女はいつも通り……いつも通り、僕の家に入り浸っていた。
「ほら悟。あんたもご飯食べないと遅刻するよ」
どうして、と櫻井さんに尋ねるまもなく、母に指摘されて席に座った。
「……んー?」
向かいに座る櫻井さんが、僕の顔を注視する。
「宝田君、夜更かしした?」
「……え?」
「目、真っ赤だよ」
「……あ」
一旦席を立ち、洗面所へ向かった。鏡を見て、カーっと頬を染めて、水を何度も顔に打ちつけて、大きなため息を吐いてリビングへ戻った。
「駄目だよ、夜更かしは」
「……そうだね」
「食欲はある?」
「……うん」
「なら良かった」
こちらの気も知らず、櫻井さんは微笑んで再びトーストを齧った。
僕はしどろもどろしていた。
「おばさん。ご馳走様でした」
「いいえ」
「じゃあ宝田君、あたし先に行くね」
返事は出来なかった。
ただ、慌ててトーストを喉に流し込んで……。
そして僕は、櫻井さんの後を追った。
どれくらい遅れて家を飛び出したのか。
どれくらいすれば彼女に追いつけるのか。
どれくらい……彼女と、僕は、離れているのか。
駅。
ホーム。
まもなく、電車がホームに滑り込む。
「櫻井さん」
いつもなら、一定の距離を保っていた。
いつもなら、彼女と話すのは、我が家の中だけだった。
あれほど、彼女は僕の家に入り浸っていた。
何度もチャンスはあった。
なのに僕達は、今、初めて家の外で会話をする。
櫻井さんは……こちらを見てくれなかった。
いつもなら、諦めていた。
いつもなら、僕はもう、黙っていた。
だけど……。
「櫻井さん」
今日は。
今日からは……。
もう僕は、我慢できなかった。
彼女への気持ちを、理解してしまったから。
「……昨日、なんて返事をしたの?」
荒れた息で、僕は続ける。
「昨日の彼に、なんて返事をしたの?」
自白に近い問いかけを、僕は続ける。
……櫻井さんは、まだ僕を見てくれなかった。
ただ、一言。
「あたし、好きな人がいるの」
まるで、彼への答えの再現だとばかりに……僕に残酷な真実を突きつけた。胸騒ぎがした。
「……お母さんが、あたしに言ったの」
胸騒ぎは止まらない。
「茜はしっかりしているし、あたしがお父さんに着いていっても大丈夫でしょって。あたし、それに大丈夫としか言えなかった。全然、大丈夫じゃないのに。ゴキブリが出ただけで取り乱すのに。寂しくて、毎晩寂しくて……毎晩泣いていたのに、大丈夫だよって、ずっと嘘を付き続けてきたの」
櫻井さんの独白は続く。
「あたし、ずっとそう。良い子ちゃんぶってさ。皆が茜なら出来るよねって言うと、出来るって言っちゃうの。期待に応えないとって思っちゃうの。それは、親にだってそうなの」
櫻井さんは未だこちらを見ない。
「でもね、ただ一箇所だけあたしが良い子ちゃんぶらなくて良い場所があるの」
不思議な気持ちだった。
「宝田君の家でだけ、あたしはあたしの我儘が出来るの」
胸騒ぎが、顔色を変えていた。
「……気疲れしてるのに嫌な顔をしない人が好きなの」
心臓が、痛い。
「綺麗な写真を見せてくれる人が好きなの」
高鳴る心臓が、痛くてしょうがなかった。
「あたしの家に、ゴキブリ退治しに来てくれる人が好きなの」
電車がホームに滑り込む。
櫻井さんの長い髪が、電車の巻き起こした風で靡いた。綺麗な黒髪の長髪が、艶やかに靡いた。
気付けば、目を奪われていた。
ああ、好きってこういうことなのか。
いつしか僕は、そう合点がいっていた。
「櫻井さん、僕……」
櫻井さんの華奢な人差し指が、僕の口を塞いだ。
「それ以上はまだ駄目」
どうしてなのか。
「あたしが、良い子ちゃんぶれなくなるから」
そう照れくさそうに微笑む櫻井さんを見て、僕は悶々とするのだった。
でも何故か。
不思議と、胸騒ぎはしなかった。
多分、嬉しかったから。
僕は理解したのだ。
「今日は、忍野八海に行った時の写真を見せてね」
櫻井さんは……。
気立ても頭も良くクラスの誰からも敬われる完璧美少女だけど、少し甘えん坊な隣人は……今日も。そしてこれからも、僕の家に入り浸る。
サザエさんで言うところのノリスケおじさん
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