バビロンは遠い
「間違いありません。彼女は男を知らぬ身です」
司祭が告げた言葉にジョゼフィンは愕然とした。
あれからどうにかマリアを説得しすぐに向かうことにはならなかったが、ノクスがわざわざ大聖堂に使いを送り、翌日には鑑定を受けられることになってしまった。
マリアの潔白を証明するために……などと婚約者であるジョゼフィンの目の前で言うものだから思わず冷めた目を向けてしまった。
その視線に気が付いたノクスは友人として心配なんだと言い訳をしていたが、既にマリアに誘いをかけている事実があるのだから信用に値しない。
一晩のうちにマリアをどうにか陥れる策を練ろうとしたがあまりに時間がなく、その上エクセスとフェレスがマリアの護衛をすると言って彼女の家に張り付いていた。
なにもかもうまく行っていない。せめて検査の結果がクロであればいいのだが、とジョゼフィンは初めて真剣に神に祈るなんてことをした。
だが、結果は冒頭のとおりである。
魔道具による検査の結果、マリアは処女であることが証明されてしまった。
「間違いは……ないのですね」
「はい。神に誓って」
「そうですか……。では、私たちはこれで――」
「よかったあ!じゃあやっぱりこの子は神さまからの贈り物なんですね!」
「っ、マリア様……!」
検査を依頼する際、ノクスにはマリアの妊娠については触れないほうがいいだろうと忠告しておいた。もし処女で妊娠したという事実が明るみになれば神の祝福を受けた乙女だと祀り上げられ、教会の旗印として囲われてしまうかもしれないと。
ノクスもそれに同意し(教会にマリアを取られたくない気持ちが大半だろうが)理由は詳細に書かずマリアの検査をしてほしいと依頼した。
それなのに、今マリア自身の口から妊娠の事実を暴露してしまった。
「詳しくお聞きしても?」
「いえっ、なんでもないんです。今のは彼女の冗談で――」
「わたし、お腹に子供がいるんです。治癒師の先生が確認して間違いないと。覚えがなかったので驚いたんですけど……神様がきっと授けてくださったんです!」
「マリア様!」
ジョゼフィンはマリアの腕を掴み、立ち上がる。
「申し訳ありません、司祭様。私たちはそろそろ帰らせていただきます。検査ありがとうございました。マリア様、行きますよ」
「え、ええ?ジョゼフィン様、でも……」
「行きますよ!」
マリアの手を引き急いでその場から立ち去る。
司祭の引き留める声を無視し、外で緊張した様子で待ってた男たちの元へと向かう。
戻ってきたジョゼフィンとマリアを見て男たちは結果を聞き出そうとするが、またそれも無視して馬車に乗り込む。
「ジョ、ジョゼ、どうしたんだ?結果は――」
「早く出してください。結果は後でお伝えします。マリア様が司祭様の前で口を滑らせてしまいましたので。マリア様を教会に取られたくないのでしたら早くここを離れるべきです。そうですね、先にグラナトゥム家で待っていますね」
「えっ、あっ……っい、急いで出してくれ!」
ノクスが御者に指示を出せばすぐに馬車は発進する。
場所の中で二人きりなり、ジョゼフィンは正面に座るマリアをじっと見つめる。
彼女は不思議そうな表情でジョゼフィンを見つめ返していた。
「――マリア様。妊娠の事実を軽々しく口にしてはいけません。特にあなたは清い体であることを証明されたのです。教会からしたら喉から手が出るほど欲しい存在になるでしょう。神の子を宿した女性なのですから……」
そうして彼女と産んだ子は神に愛された存在として崇拝されるのだろう。そう考えて吐き気がした。
神の祝福などではない。ジョゼフィンがやったことだ。
だがそれを言うことはできない。
禁術を使ったとしてジョゼフィンが処刑されてしまうだろう。
それは神の子ではないと告げればこの幸せそうな女の顔は歪むだろうが、それだけだ。
その後絶望に突き落とされるのはジョゼフィンの方だ――
「……その……ごめんなさいジョゼフィン様。わたし浮かれていたみたいです。子供ができたのが嬉しくって。それも、神様からの贈り物で……」
「ええ。気を付けてください。子供は神の子と崇められ、あなたは聖母として教会に招かれ、その先自由がなくなるかもしれません」
いっそのことその方がいいのだろうか。そうすればもう彼女はノクス達と会うことはなくなるし、ジョゼフィンの前にも現れなくなるだろう。
だが、マリアは清いものとして扱われ続ける。
淫婦として裁きを下そうとしていたのに、真逆のものになるなんて。ジョゼフィンにとってそれが一番堪えられないことだった。
複数の男を誑かした事実を明るみにし、見る目のない馬鹿な男たちには勝手につぶし合いをさせ、マリアは罪に問われてしまえばいいと、そう、考えていたのに。
(ひとつもうまくいっていない)
「とにかく……マリア様は軽率すぎます。先ほどのこともですが、男性に誘われ簡単に寝室について行ったことも。噂が立っても仕方がないと思いませんか?身分の高い方ばかり狙っていると言われたって――」
そこでジョゼフィンは口を閉じる。
感情に任せ言葉を吐くなんて自分らしくない、と一度目を閉じる。
今のは言い過ぎた、と謝罪しよう。全く申し訳ないと思ってはいないが……と目を開けマリアを見るが、ジョゼフィンが言葉を紡ぐ前にマリアが口を開いた。
「ジョゼフィン様……優しいんですね」
マリアはひどく穏やかな雰囲気を纏い微笑んでいる。
「わたしのことを心配して言ってくれているんですよね。ジョゼフィン様の言う通り、わたしは軽率でした。友達だからと言って男性との距離が近すぎたかもしれません。教会のことも……わたしが閉じ込められないように止めてくれたんですね。嬉しい……ジョゼフィン様がこんなに私のことを心配してくれているなんて。ありがとうございます」
「…………え、ええ、そうですね。ご理解いただけてよかったです」
「本当に、もっと早くお話してみたかったです」
「そうですね……」
それきりジョゼフィンは口を閉じたまま話すのをやめてしまった。
マリアはそれを気にする様子もなく時折腹を撫でながらジョゼフィンに笑みを向けていた。
(……気持ち悪い)
素直な感想だった。
(自分は純粋無垢だと言いたいの?……もっと早くに話していればこの女はノクス様たちから離れたの?それじゃあ私がしたことは無駄だったの?余計なことをしただけなの?……だめよ、もうしてしまったことは戻せない。これからどうするか考えないと……)
ジョゼフィンだけが居心地の悪い馬車の中。
窓から外を見れば彼女の心境を表しているのか空は灰色だった。
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