R17:1-2
本当に、節操のないこと。
友人が呟いた言葉に、彼女は心の中で同意した。
彼女はジョゼフィン・グラナトゥム。公爵令嬢である。
深い夜のような黒髪に金色の瞳。顔立ちは少しキツい印象を与えるが美人で、大きめの胸が窮屈そうに制服に収まっている。
そして、彼女は今友人が冒頭の呟きをしてしまう原因について思案していた。
魔法学園シルラクルム。
魔力を持った人間が通う事を義務付けられたこの学園には、王族、貴族、そして平民までさまざまな立場の人間がいる。
王族や貴族は元々魔力を持つ者が多く、更に魔力量も多い。国内の所謂上流階級の人間は殆どここに通っている。
稀に平民にも魔力ーーと言っても王族は貴族程の魔力量はないーーを持った人間が産まれることがあり、そのような人々は魔力を正しく扱えば王宮やそれに準ずるような職場で働けるかもしれないと喜んで学園に来るのだ。
そしてその平民という枠で今年入学してきた生徒、マリア。
彼女は平民でありながら王族に匹敵する程の魔力量があり、入学直後から話題に上がっていた程だ。
その上容姿も恵まれており、目立つピンクブロンドの髪に、サファイアのような青い瞳。
体型は細身だが胸は少し大きい。
垂れ気味の大きな目で見つめられ微笑まれると心臓が高鳴り、一瞬で恋に落ちてしまうとジョゼフィンの婚約者も言っていた。
そう、言っていたのだ。
ジョゼフィンの婚約者であるこの国の第一王子、ノクス・アエテルニタスが。
それだけではない。
騎士団長の息子エクエス・ユースティティア、宰相の次男ウィリデ・ケルブルム、宮廷魔術師の息子フェレス・アクア、その他貴族男性複数人。
誰も彼もマリアに夢中になって行く。
自身の婚約者を蔑ろにする程に。
その結果が友人の呟きである。もちろんジョゼフィンもこの現状は全く面白くない。
公爵令嬢として生まれ、7つの時にノクスと婚約し王妃となるために今まで努力してきたし、なによりノクスが好きだった。
それをあっさり奪い、見せつけるように侍らせるマリアを見て腹が立つのは仕方ない話だ。
「噂ではあの方、殿方に誘われればすぐに着いて行くそうですよ。……二人きりで、夜でも構わず」
「まあ……!なんてはしたない。周りの方は承知の上で一緒にいるのかしら」
「知らないみたいよ。みんな自分だけが……と思っているみたい」
「考えただけで眩暈がします。獣のようだわ」
「獣以下よ。だって獣はそんな事をする時期は決まっているでしょう?」
「あら、失礼。謝罪するわ。獣に」
学園の中庭で集まり茶会をしている彼女達の声は他の人間には聞こえない。
防音の魔術結界を張っているからで、そのためか溜まっている鬱憤を晴らすように言いたい放題だ。
ジョゼフィンはそんな彼女達の話を黙って聞いていた。
「ジョゼ様、もうそろそろ彼女にも躾が必要では?」
「そうですわ!ジョゼ様がおっしゃってくださればすぐにでも……」
話を振られ、ジョゼフィンは口にしようとしていたティーカップをそっと置く。
そしていかにも傷付いているのを我慢するような笑みを浮かべた。
「皆様のお気持ちもわかります。ですが、今はまだ少し耐えてください。お父様にはお伝えしますのできっと陛下や他の家の方にお話が行くはずです。だから、安心してください」
ジョゼフィンの言葉に友人らは複雑な表情を浮かべるものの、一応は納得する。
公爵家から話が行くのならばきっと大丈夫だろう、マリアもただでは済まされないはずだとそう考えて。
そしてジョゼフィンはそんな友人達の顔を見て安堵する。
彼女達が独断でマリアに手を出す事はないだろうと。
(だって、私がこの手で追い詰めてやらないと気が済まない。皆様には悪いけれど、私が一人でマリアを排除する)
テーブルの下でそっと手を握り締め、瞳の奥に小さな憎悪の火を灯す。
(魔力量が王族並み?だからなんだと言うの。私もそれくらいある。歴代のグラナトゥム家当主よりもずっと多いと言われてきたのだから。容姿だって負けていない。勉強も、魔力の操作も、何もかも驕る事無く努力してきた。それなのにあの女は簡単に奪っていった、挙句に聖女だなんて呼ばれはじめている)
聖女。
マリアに心酔している男たちが口にしていた。
心優しく、誰にでも平等に接するマリアはまるで聖女のようだと彼らは言っていた。
聖女と言うものは確かにこの国に存在し、高い魔力と清らかな心と体を持って教会で奉仕活動を行なっている。
一定の魔力と条件を満たせば聖女になる事自体はできるがその門は狭い。
そのため聖女は特別な存在であり、人々から崇められている。
(馬鹿馬鹿しい。聖女なものか、あんな女が。聖女が閨に誘われて着いて行くだなんて笑ってしまう)
(そうよ。あの女は聖女なんかじゃない。姦淫に溺れる大淫婦よ。そして男どもは女が差し出すぶどう酒に酔いしれる愚物)
そう考えてジョゼフィンは頭から爪先まで冷めて行くのを感じた。
他の男と同じ愚物と言う括りに彼を簡単に入れてしまったことに気がついてしまった。
蓄積していた負の感情がノクスへの愛情に勝ってしまったのだろうか。
ジョゼフィンはそれを表情に出さないように微笑み、話題を逸らすかのように友人らに最近の流行りのドレスについてなど話すのだった。
「ジョゼ」
授業を終え迎えの馬車へと向かう途中、ジョゼフィンはノクスに呼び止められた。
「ノクス様。どうかされましたか?」
大切な婚約者に声をかけられた喜びが隠しきれないような笑顔を作りジョゼフィンはノクスを見つめる。
「いや……最近あまり会えなくてごめんね。丁度見かけたから、せめて帰りの挨拶だけでもしようと思って」
「あら、まあ!そうでしたか。ありがとうございます。本日の学園生活の終わりにとても幸せな気分になりました。嬉しいです、ノクス様」
「あ、ああ……気を付けて帰るんだよ。じゃあ僕はまだ生徒会の仕事があるから……またね」
ノクスはそれだけ言うと、少し遠くにいる側近達とマリアがいる方へと歩いて行く。
彼らと合流し校舎の中へと入って行くのを見届けるとジョゼフィンは表情を一瞬消した。
(マリアは生徒会ではないでしょう?まったく……わざわざ挨拶しに来たのは少しでも後ろめたさを無くしたかったのかしら。全然意味がないけれど)
(知っているのよ。先日、とうとうマリアを寝室に呼んだって。信じられなかったけれど、今の態度で確信したわ)
太陽のような金髪も、新緑を思わせる瞳も愛していたのに。湧き上がる嫌悪感に、ジョゼフィンは改めて自分の心にもうノクスはいないのだと感じるのだった。