品定め
イリアス学院生徒会長、ローズ・コイル。彼女は代々優れた騎士を輩出してきた名家、コイル伯爵の長女にして、イリアス学院の高等部三年生である。家督は貴族社会の慣習通りに弟が継ぐことになっているが、それは慣習を尊重したのではなく自分が前線に出たいがためであった。
伯爵家の歴史を紐解いても類を見ないほど騎士としての才能に恵まれた彼女は、通常生徒会長は四年生が就任するところ、三年生であるにも関わらず就任している。
生徒会長は、高等部の一年生から五年生までの生徒の直接選挙で選ばれる。つまり、生徒全体が認めているのだ、彼女の強さとカリスマ性を。
「まずは祝いを述べておこうか。編入おめでとう、シラン。これでお前も学院生だ」
「ありがとうございます」
「ふっ、そう言うならもっと嬉しそうな顔したらどうだ。この私が祝うなど滅多にないんだがな」
「……感情が表情に出づらいのです、すみません」
ローズは愉快そうに小さく笑った。ノア・シラン、イリアス学院の編入試験に合格した少年。実技試験で第二演習場の壁を破壊した少年。どんな男か見ておこうと思って、寮までの道案内と寮の説明を引き受けた。
だが、ここまでノアは鉄の無表情のまま。ローズを前にした男は大抵、敬意、畏怖、劣情、など彼女の強さや美しさに対して何か反応が顔に出るというのに。おそらく、ノアの言った、感情が顔に出づらいというのは本当だろう。緊張で表情が固くなっているのではなく、これが素なのだ。一族の特徴でもある銀の髪を掻き上げながら、ローズは探りを入れる。
「なかなか派手な立ち回りだったそうだな。防衛科の教官三人を連続で相手取るとは、今の時点で学院全体でも上位だろう」
「そう大したことはありませんよ。教官殿は最後まで私を侮っていましたから」
「クク、よく言う」
最初の一人が侮っていたのは理解できるが、二人目以降はきっと気を引き締めてかかったはずだ。なのにこの少年に一蹴されたということは、教官たちが実力で倒されたということ。防衛科の教官は引退した騎士が務めることがほとんどだ。彼らは全盛期ほどの力は持たないとはいえ、三人も正面から下すとは、16歳の少年の戦果としては異常である。
「しかし、演習場の壁を壊したのはやり過ぎました。会長にもご迷惑をおかけしたでしょう、申し訳ございません」
「気にするな。もともと定期的に建て替える予定だった。その予定が早まっただけだ。それより、怪我人を出さなかったのだろう。それでいいじゃないか」
ローズはさりげなく、隣を歩くノアを観察する。やはり、不可解だ。まず、長身だった。そしてよく鍛えられている。長袖の上からでも腕の筋肉の発達が分かる。拳は傷だらけであり、徒手空拳を高い水準で修めているのが一目でわかる。しかし、ここまでならいい、珍しいだけだ。学院の教官に引退した騎士が就くように、それなりの規模の街には退役騎士や引退した憲兵の開いた教室があり、そこで指導を受けるのは十分あり得る。真面目に徒手空拳に打ち込んだのだろう。不可解なのは、歩き方だ。背筋はピンと伸び、規律正しく歩く。明らかに軍事訓練を受けている。ローズは好奇心と警戒心を強めた。
「ええ、まあ、怪我人が出なかったのは良いことですが、壁を壊したのは意図してのことです。力を見せるために、安直な方法に頼ってしまいました」
「……そうか」
ノアは少し気まずそうにしている。ローズはその反応に警戒を少しだけ解く。この少年は少なくとも、不要な破壊を喜ぶ感性をしていない。学院においても破壊や暴力を好む者はいる。大抵が恵まれた魔法の資質を持つもので、そうした輩は力を振るう機会を求めてやまないから始末に負えない。推測だが、ノアが演習場の壁を壊したのは教官がゴネたからだろう。
そうこうしているうちに、二人は一年男子寮に到着していた。やや古いが、しっかりと手入れが行き届いた綺麗な外観で、これから五年間住む場所としては申し分無いだろう。女子寮には管理人がいて、男子が入るには申請は必要なのだが、女子が男子寮に入る分には、特に何の制約もない。
「ここがお前が五年間世話になる寮だ。なかなか綺麗だろう」
「ええ、良いところです」
女子寮も男子寮も概ね同じであるので、ローズはノアに寮の設備とルールを説明するため、二人で寮の中に入っていった。
◆ ◆ ◆
ローズに寮の案内をされた後、ノアは自室の片付けを済ませてくつろいでいた。イリアス学院では生徒一人一人に一部屋与えられる。寮の部屋は広くはないが、食材を保管する魔法具である冷蔵庫や小さめのキッチン、シャワー室が付いており、ベッド、机と本棚も用意されている。
今、ノアはベッド脇に腰掛けている。理事長と生徒会長、共に学院のトップである二人との初対面は悪いものではなかった。二人とも、演習場の破壊を問題視していないようであったし、気にするなと言う言質も取れた。生徒会長からは、演習場を壊した件で探りを入れられたが、これでこの件が『任務』に差し支えることはあるまい。
ノアの今回の任務は、同じ1-Aクラスの生徒であるエマ・ダイヤモンド嬢の護衛。任務に当たっての当然の支援として、ノアはエマの情報を提供されていた。手元にある資料には、彼女自身についての情報や彼女にまつわる利害の相関図が記されている。公爵家の三女と言う身分は隔絶しているが、エマ自身に特筆すべき点はない。紙の上に並ぶ数字は彼女の優秀さを示すものだが、貴族の義務の範疇を出ない。
現状、1-Aに所属する中で注目すべきなのは三人。一人目は、エマの従者兼護衛の少女、センリ。彼女は貴族ではないため苗字を持たない。卓越した氷魔法の使い手であり、同時にレイピアの天才と言う才女だ。彼女と対立せず、できれば協力関係を結べれば最上だが、ノア自身の守秘義務を鑑みれば難しいだろう。相手からすれば、ノアは理由はわからないが主人を守ろうとする人間になる。
二人目はケール・バタフライ。エマ・ダイヤモンドと同じく公爵家に名を連ねる淑女。ダイヤモンド家は医療の分野で影響力を持ち、バタフライ家は軍事分野で影響力を持つ。両家が利害で対立することは考えづらいが、最上級の貴人が一つの空間に集まれば、何が起こるかわからない。
「……参ったな」
とはいえ、ノアは一人目と二人目をそれほど問題視していない。真に厄介なのは三人目だ。名前はユリア・ヨーシナ。真実の眼という特殊な魔法に目覚めており、その効果は相手の明確な嘘に反応する。当たり前だが、ノアの名前以外の用意された経歴は全て嘘であり、ユリア・ヨーシナという少女はノアの秘密を暴きかねない。
「まあ、大筋は良しとするか。協力者がいて、障害が明確に分かっている。その上、俺の役割は保険でしかない」
障害がなんなのかわかっているだけで任務の難易度は下がる。現時点で問題はない。
ノアはそう結論付けて、手元の資料を念入りに切り刻み、水で濡らして判読不可能にしてから捨てた。
◆ ◆ ◆
学院があらかじめ用意したノアの寮室がどれだけ快適であろうと、冷蔵庫に食材が入っているはずがない。任務について頭の中で整理した後、ノアはいつものように自炊しようとして冷蔵庫を開けて、その当然の事実を突きつけられた。
片付けで疲れていて若干億劫だが、ノアは寮を出て、学院の敷地内に設置された商業施設、ヒルル商会のイリアス学院店を訪れていた。億劫だとしても自分で食事を用意しようとするあたり、ノアという男の食事への姿勢が察せられる。ヒルル商会はあらゆる分野の商品を扱う大商会で、この支店が学院生の生活に必要な大抵のものを提供している。
ノアは店に入って、積まれている籠を取り、食材を物色していく。数日分の肉や野菜、パンを、木の皮を編み込んだような独特の風合いの籠に入れていく。流石、王立学院に併設された店だと感心してしまう。牛や豚、羊や鶏の肉に、様々な季節の野菜、色々な麦を使ったパン。以前まで通っていた肉屋や八百屋、パン屋と比べて、びっくりするほどの品揃えの豊富さだ。生活が学院の敷地内で完結するように工夫されている。
「奇遇だな、数時間ぶりか」
「……会長」
明日の三食を何にするか考えながら並べられた食材に目を向けていると、数時間前に男子寮の説明が終わって帰っていった生徒会長に声をかけられた。視線を向けると、ローズも食材の入った籠を片手に下げている。
「会長も自炊されるのですか?」
「ああ、そういうお前もか。珍しいんじゃないか、男子で自炊するのは」
「そうかもしれません。ですが、食事はパフォーマンスに影響しますから、なるべく食堂を使いたくありません」
「同感だな。信頼のおける料理人か、さもなくば自分で作ったものしか口に出来ん」
彼女の身体つきを見ればわかるが、相当ストイックな性格のようだ。ノアが好む人種である。貴族の令嬢が自分で料理するなんて、世間ではあまり聞かない。
「もう会計に行くのか?」
「いえ、嗜好品の棚も見て回ろうかと思います」
「……まさか、菓子を買うつもりなのか?」
「まさか、そんなことはしません。コーヒーを嗜むので、豆とミルなどの道具一式を揃えておこうと思いまして」
意外そうな目を向けられたので訂正しておく。コーヒーはノアの数少ない趣味の一つだ。粉を買って淹れるのではなく、豆を挽いて淹れる拘り様だ。食材の品揃えからして、コーヒー豆の品揃えにも期待が持てる。
「コーヒーか。あまり、というか全く飲まないな。紅茶ばかりだ」
「……紅茶もいいですが、同じくらいコーヒーもいいですよ」
「そうか?何かオススメはあるか?」
「そうですね……このブランドは……」
ローズはもう会計を済ませて帰る雰囲気でここでお別れだろうと思っていたので、何故かついてきたローズに面食らったノアは返答に数瞬の時間を要した。その戸惑いに気付かない様子のローズは、ノアの説明に相槌を打ったり質問を挟んだりしている。
「……しかし、最初は自分で淹れずに、店に行くことをお勧めします。私は苦に思いませんが、慣れないうちは道具の手入れは面倒に思われますから」
「なるほど、そうしよう。悪いな、時間を取らせた」
「いいえ、私もついつい話し過ぎました」
本心だった。最初は戸惑っていたが、ローズが聞き上手なことと自分の趣味の話なこともあってか、舌が滑らかにまわっていた。
嗜好品コーナーで、ローズは特に何も籠に加えず、ノアは道具一式と二種類の銘柄のコーヒー豆一袋ずつを籠に入れて会計に向かう。つつがなく支払いを済ませると、寮の途中まで一緒に帰った。
数時間前の案内よりわずかに近い距離で。