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札付きの騎士  作者: トムヤムクン
編入
1/25

始まり

 

 16歳の初夏。黒髪の少年、ノア・シランの生活は一変した。身に纏うのは堅すぎない礼服で、なんの荷物も持たずに大通りを歩く。

 左右を見てみると、すでに多くの店が開いており、声を張り上げる売り子や朝食を買いに来た労働者が見える。ノアは朝食を既に済ませているのでそれらには寄らず、時折逞しい商人に店の中に引きずり込まれそうになるのを避けながら、目的地に向かう。

 貴族街と平民街を隔てる門を抜けて少し歩くと、目的地である王立イリアス学院が見えて来た。この学院こそが、これからノアが通う場所である。今日は休日であるため生徒の姿は見えず、正門も閉まっていた。ノアは門を開けてもらうために、正門の横の守衛室に声をかける。


 「おはようございます。編入生のノア・シランです。編入手続きのために来ました。門を開けていただけますか」


 守衛は短く肯定の意思を伝えると、正門を開けた。会釈しつつ門を通り、呼び出された通りに理事長室に向かう。その道すがら、ノアの思考は学院に編入することが決まった、あの夕方に向いていた。



 ◆ ◆ ◆



 「隊長、やはり、取りやめるわけにはいきませんか」

 「ああ、だめだ。この件はすでに根回しが済んでいるし、編入の手続きも粗方完了している。何より、公爵の希望だ」


 およそ三週間前の夕刻、ノアはある施設の薄暗い執務室で、直属の上司、特等騎士アーサー・セイヤーズからイリアス学院編入を、確定事項として言い渡された。上司は重厚なデスクの上で腕を組み、53歳と言う年齢相応に皺の多い顔を顰めている。この反応で上司が今回の『任務』を快く思っていないことが分かる。


 「ダイヤモンド家の令嬢の護衛のために学院へ編入ですか……。なんと言えば良いのでしょうか……」

 「ここにはお前と私しかいない。遠慮することなく言えばいいだろう、馬鹿らしいと」


 苦笑が漏れる。確かに馬鹿らしい。イリアス学院は王都の中にあり、正規の騎士が警備に当たっている。今更、護衛を増やす必要性など皆無であり、人員の無駄遣いでしかない。しかし、決まってしまったのなら仕方ない。今度も任務を遂行するだけだ。

 

 「貴族の道楽で振り回してしまってすまないな……」

 「気にしないで下さい。それより、私が抜けた後のことが気がかりです」

 「それこそ気にするな。情勢は安定しているし、もとよりお前一人に全て任せることはない。開く穴は大きいがなんとかする」


 ノアは良縁に恵まれたと改めて実感する。11歳で故郷を失い、半年ほど獣同然の生き方をしていたところを目の前のアーサーに拾われた。それ以来アーサーの元で働いているが、これまで一度も辞めたいと思ったことがない。


 「編入試験は筆記試験と実技試験を2日に分けて行うそうだ。お前なら筆記は問題ないだろう。だが、問題は実技だな」

 「ええ、魔法適性を測るものですからね。とはいえ、その件も根回しが済んでいるのではありませんか」

 「ああ、実戦形式にしてもらえるよう掛け合った。一応言っておくが、やりすぎるなよ」

 

 首肯する。これで編入はほとんど確定したと言っていい。あとはダイヤモンド嬢と円滑な関係を築くことが重要だ。だが、これはあとでいい。


 「そして言うまでもないが、お前の正体と所属は極秘だ。つまり、現場の騎士との連携は取れない。まあ、お前が動くことはないであろうが」

 「勿論承知しております。一般の騎士で対応できる状況なら手は出しませんし、隠蔽工作も怠りません」

 「わかっているならいい。お前の役割は、学院での不慮の事故を防ぐための保険だ。学院にいる間だけ気を張ればいい。それ以外は実質休暇だな」


 それは嬉しいことを聞いた。休みなんてここ数ヶ月取れていなかった。まあ、結局自主鍛錬をして休みらしい休みにはならないんだろうが。


 「今日のところは以上だ。明日から忙しくなる。今日はもう上がっていい」

 「はい、失礼します」


 アーサーの言う通り、これから編入の準備で忙しくなる。ノアがこれからやるべきこと、提出すべき書類について考えながら退出しようとしたとき、静止の声がかかった。


 「それからもう一つ。お前は学院に通うのは初めてだろう。編入を強いた身でおかしいが、編入祝いを用意した」


 そう言ってアーサーは立ち上がり、扉の近くのノアに薄緑の品のある箱を手渡した。ノアが開けていいか聞いてから箱を開けると、中には黒と銀のほっそりとした万年筆が入っている。ノアは別に優れた審美眼を持っているわけではないが、一目でかなりの高級品だとわかる。それほど、ノアにはこの万年筆が素晴らしく映った。思わず、ありきたりな恐縮の言葉が口をついて出てしまう。それに対してアーサーは朗らかだった。


 「オーダーメイドしたものだから確かに値は張るが、重要なのはそこじゃない。学院では、ここでは学べない多くのことが学べるだろう。この万年筆はお前の成長を願って贈るものだ。お前は優秀だが、若すぎる。一定期間、腰を据えてみるのもいいだろう。一回り大きくなって帰ってこい」


 目頭が熱くなる。受けた恩義も犯した失態もそれ以上の功績で返せ。それがアーサーの、そして彼の率いる隊のルールである。ノアは深くお辞儀して感謝を示し、克己を誓って、退出した。



 ◆ ◆ ◆


 

 理事長室までは特に迷うこともなく、すんなりとたどり着いた。ノアは理事長室の扉の前で深呼吸してからノックし、イリアス王国の上層社会で定められたやり方で入室した。いい趣味だな、というのが入室したノアの第一印象だった。もちろん表情には出さないが。理事長室の中には主人の趣味を反映しているのか、派手過ぎず質素過ぎない絶妙な塩梅で調度品が置かれている。


 「お初にお目にかかります。理事長。ノア・シランと申します」

 「初めまして。ここの理事長のエミリア・グローブです。よろしくね、ノア君」


 エミリア・グローブ。イリアス学院理事長であり、理事長職に就くまでは精鋭騎士として数々の戦場で武勲を挙げた女傑。消耗率の高い特等騎士の軍務を十年間勤め上げ、三年前のスルト半島奪還作戦の成功にも貢献した、生ける伝説。その英雄性から、新聞や雑誌でたびたび取り上げれ、『魔女』の呼び名で讃えられる。

 だが、彼女が魔女と呼ばれる理由はもう一つある。エミリアはアーサーと同世代にあたり、書類の上では歳の差はせいぜい五歳かそこらであるはずだ。だと言うのに、エミリアは完璧な美貌と妖艶な肢体を保っている。ほっそりとした顔の輪郭に、目元は優しげで、鼻筋はすっと通り、栗色の髪は艶やか、パリッとしたスーツは若々しさと色気を醸し出し、三十代と言い出しても信じられるくらいである。

 卓越した武勇と稀有な美貌で市井の尊敬と羨望を一身に集めるエミリアを前にして、ノアは恐れたり、あるいは見惚れたりといった反応を示すことはなかった。魔女エミリアはノアのそんな態度を気に入った。


 「書面でもお礼申し上げましたが、改めて言わせて下さい。編入試験の際のご配慮、有り難うございました。加えて、演習場を壊してしまったこと、お詫び申し上げます」

 「どちらも大したことではないわ。通常の入学試験で魔法適性と魔力量を測るのは、大量の入学希望者を効率よく回転させるためで、君しか受けない編入試験では別の方法を行う余裕があっただけよ。それに、演習場の件は君のせいじゃないわ」

 

 それでも、ノアは編入試験の書類選考が通ることはまずないことを知っているし、エミリアが手を回したことも察している。演習場の破壊も避けようと思えば避けられた。だがノアはこの話を切り上げることにした。エミリアが自分を呼び出したのは、こんな話をするためではないと分かっているからだ。


 「ノア君が学院に来た理由は大凡聞いているわ。情報統制が敷かれていて、警備の騎士と連携が取れないことも。君の事情を知っているのは、この学院では私と高等部一年生の学年主任のラチェット先生だけよ。君が配属される1-Aクラスの担任の先生を含めて教員のほとんどが、事前調査で分かったことしか知らないわ。ラチェット先生には私から話を通しているから、困ったら彼を頼りなさい」

 「お気遣い痛み入ります。とはいえ、私は積極的に動くつもりはありません。現場のメンツもありますし、あくまで保険として機能します。基本的には一学徒として、研鑽を積むつもりです」

 「そう…。学ぶ意思があるのなら尚更歓迎するわ」


 本心である。エミリアはノアの事情を知っている。ノアは同年代の富裕層と比較しても高い教養を備えているが、それは必要に応じてかき集めた急造品であり、謂わば歪なパッチワークのようである。人間関係にしても、上司と同僚で完結していて、同年代の友人などいなかった。学院でノアが足りないもの、捨ててきたものを取り戻せるのなら、エミリアはできる限りのことをするつもりだ。


 「編入の手続きはもう全て済んでいるし、寮の準備も終わっているわ。制服や教科書なども君の部屋に届けられているはずよ。今日と明日が休日で明後日から授業だから、明日中に準備しておきなさい」

 「承知いたしました」

 「寮への案内を呼んでおいたわ。もうすぐ来るはずよ」


 ノアが返事をするのと同時に理事長室の扉がノックされた。エミリアが入室を許すと、制服を着たショートヘアの女子生徒が入室した。イリアス学院の制服は、学年ごとに胸元の刺繍の色が異なる。しかし、女子生徒の刺繍の色は他のすべての生徒のものとも違う黒だった。


 「紹介するわ、ノア君。彼女はイリアス学院生徒会長のローズさんよ」

 「ローズ・コイルだ。噂の編入生とはお前だな、ノア・シラン」

 「はい、私がノア・シランです」


 美しいが獰猛な笑みを浮かべる女性だった。健康的に日焼けした肌に、女性にしては長身で、その肢体は筋肉質だが柔らかさとしなやかさを捨ててはいない。しかし、凡庸な者が彼女と相対してまず抱くのは畏怖だ。明らかに戦闘に精通した立ち姿、眼光は鋭く、故意か無意識か威圧するような圧を振り撒いている。ノアは流石に恐れることはないが、感心していた。流石、さまざまな偉人を輩出している学院のトップだ。


 「寮まで会長が案内して下さるのですか」

 「そうだ。お前とは話したかったからな、ちょうどいい。それでは失礼します、理事長」

 「ええ、お願いね、ローズさん」


 ローズは会釈してから扉に向かって歩き出し、ノアも辞去の言葉を言ってからローズに続いた。


 

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