世間話に国境はないな
値切りたいスルーフと追い出されたくない私とで侃々諤々、若干の私の
「質屋のおじさんに鞍替えするぞ」
という脅しも加わり、滞在一ヶ月で手を打つことになった。こちらは行くところがないから必死なのだ、許してほしい。
その代わり、彼女が髪を結ってほしいときは無料で行うことも条件に入れられている。
「まぁいいわ、私も現金はあまり持っていないし。この条件で済むなら」
豪華絢爛なドレスを身にまといながら現金はあまりないとはよくわからないが、そういうこともあるのかもしれない。
「あぁ~! これで当面屋根のあるところで寝れる!」
私は文字通り手放しで喜んだ。野宿、あれは常に怯えがつきまとって決して安心して寝ることができないものなのだ。
「私は朝まで帰ってこないからベッドも使ってていいわよ。どうせ夜に寝て朝に起きるタイプでしょう?」
「世の中の大体の人はそういうタイプだと思いますが」
現状に諦めた彼女は美しくドレスを翻しながら仕事へと向かった。
窓からちらっと見下ろすと夕日が陰り始めた質素な街で豪華に着飾った彼女のさっそうと歩く姿が見え、それはそれは皆のあらゆる種類の眼差しを集めていた。髪飾りだけ総額三百円だけど。
一人になると満腹感と疲労感でとたんに眠気が襲ってくる。パジャマは持っていないので着物と襦袢をなんとか脱いで、下着姿でベッドに入った。
スルーフのベッドは硬めではあったが、二日ぶりにまともな寝具で寝れる幸せに私はあっという間に飲み込まれていった。
気付くともう白い朝日が燦々と輝いていた。
よもや人様の家でここまで熟睡できるのかというほどに、寝た。まぁ居候とはいえ今日から私の家も兼ねるのだから、居心地の相性がいいということは良いことだ。
ベッドで寝たらかなり頭がすっきりしている。ここがどこかとか、どうしたら家に帰れるのかよりも、優先させるべき事柄がはっきり見えた。
住居が確保できているこの一ヶ月間の間にやらなければいけないのは食費の確保、すなわち収入であろう。
身ぐるみはぐには限度がある。このままでは幸福の王子の顛末だし、単純に着るものがなくなると困る。
とはいえ私はこれまでアルバイトすらしたことがない。自分に何ができるのかわからないし現状では何もできない。ハリー・ポッターなら全巻読んだしパクって書いちゃおうかな……いや、日常に魔法がある世界で魔法のフィクションはウケるわけないか……。
今日は買い出しで街に繰り出すので、帯はササッと手早く結べるカルタ結び。
これは長方形でカルタに見えることからその名がついたくらい実にシンプルな結び方で、しかも背中に結び目が全く無くぺたんこなので、映画や観劇やドライブなど長時間座る時によく活用していた。ひらひらもふわふわもしないので歩きやすい。
街は昨日スルーフに連れられて歩いたときよりも活気がある。ここは昼より朝の方が人出があるのだな。
散策途中でとてもいい香りがするのでフラフラと吸い寄せられると、パン屋だったので願ったり叶ったりだ。昨日のような露店ではなくてきちんとした店頭。
入るといっきに香ばしい焼き立ての香りがたまらない。
「いらっしゃい! 初めての顔だね」入るといかにも肝っ玉母さんという感じの女性が威勢よく声をかけてくる。「そんな変わった服初めて見るよ」
「私の国の民族衣装なんです」
「へぇそりゃ随分遠いんだろうね。リエッテより遠いかい?」
「ずっと遠くです」
リエッテがどこかは知らないが。
コンビニに売っているような白くて柔らかそうなパンではなくて、大きくて黒っぽい丸いパンがたくさん並んでいてみんなが同じように買っていくので、それに習う。前に並んでいた年配の女性が代金を支払いながら噂話をする。
「すぐそこにゼラン神官の馬車が来てるんだよ。道の真ん中に止めるんだから邪魔だったらないよ」
「またかい。こないだも宝石店や金細工職人のところで散々長居してたじゃないか」
「何か探し物みたいだよ」
「いくら王女様のためと言われても勝手していい訳じゃないじゃないよねぇ!」
「でも筆頭神官のゼラン様だから、誰も言えないんだろうねぇ」
こういうおばちゃんの世間話に国境はないな。国というか世界だが。というか国王がいるということは国家なのかぁ。
代金はもちろん昨日の巾着の中から取り出す。その際思い切って声をかけた。
「あの! ここの店長さんですか!」
「まぁアタシの亭主の店だけどね。このあたりじゃグランマってよばれてるよ」
「こちらで人手は募集してないですか?」
「うちは亭主と二人でやって丁度だからねぇ。人を養う余裕はないよ」
やっぱり……。まぁ私にパン屋の仕事が向いている気はしなかったけど。
初戦は敗退で店を後にする。