着物のお手入れ
「ゼランさんもやるんですよ」
イラついて本を取り上げると、露骨に不愉快な顔をした。
「私は修学中だ」
「後にして下さい」
「検分を広げるのは私の職務なのだ」
「空気読めよ!」
「読むのは本だ、空気ではない」
「優先順位が間違っているって言ってるんです。まずは生活基盤、それから職務、そのあとに娯楽。あなたが食事を一切しないのなら手伝わなくていいですけど」
「私は神官だぞ!」
「でも、あなたも食べるなら協力するのは当然です。ここはレストランじゃないんだから火加減の番くらいやってください」
「料理などやったことがない」
「私の国にこんな言葉があります、『立ってるものは親でも使え』」
「私は座っているではないか」
「目上の人であっても手があいていれば遠慮せずに使うという意味です」
そう、最近親しくなってたからなんとなく流していたけれど、この男の本質はこれだ。
年配の女性を雨の中膝間付かせてコインを拾わせてでも自分はかまわない立場だと思い込んでしまっている。明らかに七つの大罪の中でも最も重い『傲慢』の罪を犯している。クリスチャンでなくても人としていかんだろ。本来、そんな立場の人間は本当はこの世のどこにもいないのだ。
「て、亭主関白みたい」
とルゥバ他人事のようにが失笑したので、ますます腹が立つ。
「たかが亭主が関白な訳ないでしょ。それならいっそ正直に怠けたいと言え! どっちみち許さないけど」
「ひぃっ」
ゼランに命令する様子を他の三人は脂汗を書きながら見守っていたが、押し付けられた調理スプーンを私が引き下げる様子がないと察したのかゼランが渋々受け取って、のらりくらりではあるが焚き火を調節し鍋をかき回した。
おかげでその間に使い終わった調理器具を同時進行で片付けることもできた。やはり手は合ったほうがいい。
「なぜ私がこのような下働きを……」
「立場ってのは状況で変わるんです。料理ができないのなら今のあなたは下働きの神官です」
「神官のこの私が料理など……みっともない……!」
「みっともない? あなたの普段の生活を支えているのはそういった人たちでしょう? みっともない人たちがいないと生活が出来ないあなたはみっともない以下になりますよ」
素朴ながらも十二分にカロリーがとれるたんぱく質多めメニュー。さあ食べようという直前に、
「こ、こ、これ……さ、さ、桜子氏に……」
ルゥバが紙に包まれた細長い棒状のものを差し出してきた。
「何ですか?」
「い、いつだったか、泣かせたお詫び……」
出会った頃か。ずっと気にしていたとはルゥバらしい。
包みを開けてみると
「わぁ! 箸だ!」
ルゥバが持っていたマイ箸とよく似た手作りの箸である。綺麗にヤスリがかけてあってさらさらだ。
「それで食器なのか? 食べにくくないか?」
イラールが怪訝そうに見る。
「逆だよ! 持つのにコツはいるけど、これだけで掴む・切る・すくう・刺すの四役を全てこなせるから便利なんだよ」
肉野菜炒め(正しい料理名は知らない)を箸でかっこんで食べた時の感動ときたら! 味付けは全く異文化ではあるがそれでも懐かしい日本を感じた。
見上げると濃紺の夜空に月はないが無数の星。ミゲルとの野宿では味わえなかった屋外で食べる温かい食事の安心感や、火の美しい揺らめきは私の感性を大きく揺さぶった。
夕食後は荷馬車の裏で交代でシャワーを浴びる。シャワーと言うか、イラールが水魔法と火魔法でぬるま湯を出してくれている。温度調節が自在ではないから若干冷たいが、それでも野営ながらにシャワーに入れるのは有り難かった。
そのあと私は浴衣の手入れをする。寝間着にはインナーにしていたワンピースを使うので、一晩干しておく。
着物のお手入れは、着用後の熱と汗をとるためにハンガーにかけて一~二日程度部屋干しをしておく。今は旅路なので一晩しか干せないが、それでもだいぶ違うはずだ。
このハンガーは着物用の衣紋掛けや折りたたみハンガーがあればベストだが、私はそのお金も節約したくて、百円ショップの伸び縮みできるバスタオルハンガーを使っている。
襟や袖口など汚れやすい場所、汚れてしまった箇所は、絹意外はそっと手洗いをする。
絹の場合は縮んでしまう恐れがあるので大切な着物なら専門店に任せるべきだが、私の物はお下がりのお古でこれといって思い入れもないものばかりなので、駄目にする覚悟をもちつつ、キッチンペーパーに水を染み込ませてそっと叩くようにシミ取りをしたりする。食品関係の汚れは案外これで落ちたりする。あくまでも自己責任で。
浴衣の場合はたいていは木綿、最近はポリエステルが多いのでそこまでビビらなくても大丈夫、汚れた部分はザブザブ洗える。夏に着るものの性質上、お腹周りなどおはしょりで厚い分よけいに汗をかくので、霧吹きをしておくと水分と一緒に蒸発する。
とにかく一番に声高で言いたいのは、しまいっぱなしにせずにたくさん着てたくさん干すこと! と、まぁこれは祖母の数少ない金言なのだが、虫食い防止にも効果的だ。
私はこの手入れ時間も愛おしくてたまらない。
そしてやっと寝るぞと思った時に、またしてもゼランともめた。
荷馬車があるのだから男女で分かれるか、せめて交代で使うのかななどと考えていたが、ゼランは一人で馬車で眠り、四人が野宿というスタイルにあっという間に決定してしまった。
「私は神官だぞ。他人と寝所を共にはできない」
とゼランはきっぱりと言い放ちそれだけでも納得できなかったが、それ以上に他の三人がすんなりとその理由を受け入れたのが、私には全く理解し難かった。
「なんで!? 一人だけ個室なんてなんかずるいじゃん!」
と訴えたが、ユカタもイラール、
「だってなぁ……神官だしぃ」
「セラン様だから当然だろう」
とにべもない。
これ以上訴えを起こしても味方は増えそうになかったし、ただでさえ初めての旅で減っている体力をさらにゼロに近づけるのは躊躇したので、仕方なく飲み込んだ。
毛布にくるまるが地面の硬さはやはりリラックスはできない。不慣れな野営もあって、私は数時間おきに目を冷ましていた。
その間、荷馬車の幌には長いこと明かりと本を読んでいる影が写っていた。後から聞くと
「本を読んでいたのだ。私は睡眠は三時間もあれば十分だからな」
とゼランは涼しい顔で言う。
だったらなおのこと、場所を譲ってくれてもいいのに!




