スルーフの気持ち
「スルーフの気持ち……?」
彼女はいつになく真剣な眼差しだった。
「えぇ。ほとんどが希望的な憶測だから、所詮は『気持ち』の域を出ないの。だけどとても大切な話だからよく心に刻んで」
「……?」
「あなた達の世界では、死んだらこの世界に転生できることもあるんでしょう?」
「あぁ、うん……」
「それなら、あなたは一度自分の世界に帰って今の寿命を全うしてから、今度はきちんとこの世界に転生するの。そうすれば私達は再び会えるかもしれないわ」
「い……異世界転生を……!? 私が……!?」
考えもしなかった。そんな未来もあるのか。
いや、確かにこれこそが起死回生の策だろう。
確証も確信もない。だがルゥバ然りリプ然り、剣と魔法の世界に強い憧れと意志があれば、今度はこちらからこの世界を指名することもできるかもしれない。その未来を自分で選択するのだ!
「ね? だから今は、今の人生をきちんと送りましょう。ご両親も元の生活も本当はとても大切だったはずよ。今は薄れてしまっているだけ」
「……」
そうだ。忘れかけていたけれど、元の世界にも大切に思っていたものはたくさんあった。
「大丈夫よ、待っていられるわ、私は長生きだから」
そうだ、私達は終わりじゃない。今度は偶然ではなく、自分の意志でここで暮らせるように。
はらはらと流れていた涙が、ついにドバっと溢れて、止まらなくなった。
「私……転生する……! 絶対に転生するよ……! そしてもう一度スルーフに会いに来るよ……!!」
「えぇ! えぇ! 必ず! 大丈夫、私たちには未来があるわ」
私達は固くハグしあった。
これより、私の異世界ライフのカウントダウンがかかり始めた。最後の仕事はもちろん、レース着物である。
そのためにまずはもう一度マダムヴェルに会って相談と確認、何よりもザポが先に持って帰っているレース生地を受け取ってこなければならない。
マダムヴェルの定宿に向かっている最中、前方に変な人影が見えた。
「ん?」
なんか……踊ってる人いる? 路上なのに謎のぴょんぴょんした動作で、踏み切れていないスキップだとわかるのに時間がかかった。
しかも……どうも知り合いっぽい……。
近づくにつれて確信する、間違いなく知り合いだ。
「だーれが殺した クックロービン だーれが殺した クックロービン」
謎の踊りを踊りながら、歌まで歌っている。
「それは雀でしょ」
声をかけると、
「おぉ! さ、桜子氏! な、なんだか久しぶりですな」
ルゥバが妙にニヤついていた顔のまま振り返った。
「昨日まで旅に出ていたんですよ」
「た、旅ですか! そ、それはいいですなぁ!」
「袴を作ってきたんです」
「おおっ、ハ、ハイカラさんですな!」
なんか……この人にしちゃ饒舌だな……?
「随分とご機嫌ですね。楽しいことがあったんですか?」
「いやぁ、特筆することでもないですが、さ、最近世界がフルカラーなんです」
「もとからじゃない?」
「い、いや某が見えていたのはくすんでいて、あいまいな世界でしたんで」
「仕事が進捗してるんですか?」
新聞に四コマ漫画を連載していたはずだ。
「え、えっと」一瞬、間を溜めてから「さ、最近、しょ、肖像画を描く仕事を」
「肖像画? へー、それは高尚ですね」
「いやぁ、ど、どうしても漫画タッチになってしまうのが悩みですが」
話しながら、ずっと一緒に歩いている。同じ方向なんだなぁとは思っていたが、まさかマダムヴェルの定宿の真ん前で一緒に立ち止まったときは少々驚いた。
「えっ、もしかして肖像画って」
「さ、桜子氏もヴェル氏にご用件ですか!」
『ヴェル氏』という呼び方に違和感。ルゥバのいつもの言葉遣いとも言えるんだけど……。
「あんなに渋ってたくせに、仕事もらったんだぁ?」
イラついたのでつつくつもりで言ったのだが、ルゥバは素直に頷いた。
「あ、あの人は私の母になるはずの女性だった」
なんか気味の悪いこと言ってる……。
「あのね、未産婦に『母』なんて単語使ったら殺されても文句言えないですよ」
「ひ、ひいぃ!」
「おぉサクラコ、やっと帰ったか。それにルゥバも。さぁ上がられよ」
マダムヴェルの部屋にはティーセットが二客用意されていた。私が来ることは知らせていないので私のためではないのは確かだ。
「やっと帰りました、お待たせしました」
「待っておったぞ。ザポから布を届けてもらったが、あれはなかなか手のこんだものじゃ。良いものを手に入れてくれたな、ご苦労であったな」
「その説は高額なご融資をしていただきまして」
「なに、あれほど凝ったレースだ、等価であったと判断している」
ホッとした。
久しぶりに受け取ったレース布、いよいよこれで着物を作るかと思うと、なんだかズシリと重みを感じる錯覚すらある。
「それでは正式に制作を承らせていただきます」
「うむ。妾はキモノとやらについては明るくない、専門であるお前に詳細は任せるぞ」
「がんばります!」
私の用事はあっさりと済んだのだが、ルゥバはこれからここで肖像画を書くことになる。
手慣れた様子でイーゼルとカンバスを用意し、手持ちのかばんからは画材を出していた。
マダムヴェルの自室を後にしてから、
「えぇー……?」
思わず感嘆が漏れた。
なんなの、今の空間……
人見知りで対人に苦手意識のあるルゥバがあの態度、セレブがすっかり染み付いているはずのマダムヴェルが直々に用意していたアフタヌーンティーに二つのカップ。
何? あいつら付き合ってんの?
あり? もしかして肖像画ってまさかヌードじゃあるまいな?




