彼にこそふさわしい
「俺も自国へ帰らせてもらう」
タースが言った。この人ともこのタイミングでお別れとなるようだ。
「あの、色々ありがとうございました。タースさんがたくさんお話をしてくれたから、あんな状況でも平常心を保てたと思う」
「礼を言うのはこちらだ、孫娘。貴殿がいなければあの牢獄からの突破口はなかった。見事な発想だった」
横でゼランが「何っ? 何のことだ?」とつぶやいていたが、面倒くさいので説明はしないでおく。
「リプには元気でやっていると伝えてください」
「あぁ。帰国できる可能性が出てきたこともな」
そう言って踵を返す、と思いきや、すっと我々を横切ってうずくまっているライズの前に立った。
ライズはすでに涙は枯れて、今は親指の爪を噛みながら、
「何よ……どいつもこいつも……このアタシをコケにして……これから転落の一途をたどるといいわ……呪ってやる……呪ってやるんだから……」
ずっと何やらブツブツと文句を唱え続けていた。
「しっかりしろ。これからまだやることがあるのだから」
タースに声をかけられて、一応ライズが顔を上げた。
「何よ……アタシのことは放っといてちょうだい!」
「俺は約束を忘れていないぞ」
「約束?」
「お前が言っていた血縁を調べる白魔法の開発のことだがな、俺自身もとても興味深いので、国に返ったら本格的に資料を集めて研究使用と思っている」
「もうどうだっていいわよ、何もかも……」
「こういった調査を求めている民草もいるだろう。決着の付く争い事もあるかもしれない。民のためになるのなら俺はいくらでも骨を折る」
「民のため……」
「神官として、魔法使いとして当然だ。人の役に立つために我々は天帝の加護を受けて魔法を使えるのだからな。約束を果たすため、自国に戻っても折々で書簡を送ろう。待っているがい」
これぞ王族としての圧倒的な包容感。ノブレス・オブリージュとは彼にこそふさわしい。
ライズはそのタースの佇まいをただ見上げていた。
結局の所、私達はライズ邸に戻ることになった。クティの私物や、何よりレース布を取りに行かねばならないし、私も自転車を置きっぱなしだからだ。
ニペロ・フルカ兄妹だけは先に自転車で工場に帰ることになった。これにはリオンも一緒に。
「こちらです」
クティにより差し出されたのは丁寧にたたまれたレース生地。
「ザポさん、これを持って先に帰りますか?」
と聞くと、ザポもゆっくりと首を縦にふった。
……――さうさせてもらおうか。何分、昨夜分から走りっぱなしにて老御身に堪ゑておる――……
老体だったのか。魔獣の年齢などわかりませんて。
……――森の外にて少し休みてから、一足先に帰国させてもらおう。ヴェルにも早う見せたゐしな――……
麻袋にレース生地を入れて、サボの首元にロープで縛りとめる。
「マダムヴェルには帰国したら制作に入ることを伝えてください」
……――うむ。にては、しばし別れじゃ――……
ここでザポとも一時的に解散である。次似合うのは帰国後だ。
「クティさんは、荷物はそれだけ?」
レース生地を渡してしまうと、彼女の荷物はやや大きめなストレージバックのみだった。服も、布たっぷりのサーキュラースカートのメイド服ではなく、質素な木綿のシンプルワンピースに着替えている。
「私物は少ししかないの。あまり買えなかったし。編み棒とレース糸と編みかけのモチーフくらいかな」
「服や靴は?」
「服も、靴も、全て旦那様に買っていただいたものだったから」
ということは、彼の趣味ががっちり入っていたわけで。
今着ている服こそが元々クティが着ていた服なのだろう。靴も薄汚れたペラペラのサンダルになっていて、しかもこの数年間の成長によりかかとははみ出してしまっていた。
指にもあの大きな指輪はしていない。
「贈答していただいたものも置いてきました。返せと言われるかもしれないし」
個人的にはプレゼントされた物はもらってもいいような気がするが、思い出すから持っていたくないというのが正直なところかもしれない。
服装は格段にみすぼらしくなった。
だが、彼女の顔は見違えるほど晴れ晴れとしていた。
「大丈夫、服なんてそのうち買えばいい。お金はこれから稼げばいい。それよりも、私はもう誰の顔色も伺わないし、誰の命令にだって拒否できる」
笑顔は、誰にも媚びず嘘もない、スッキリとしたものになっていた。
そして三度、あの工場へ向かう。
徒歩の人数が増えたので、借り物の自転車は手押ししていくことにした。どのみち、この悪路を二度もサイクリングする気にはとうていなれない。
私とゼランとクティで森を抜けている間、ゼランはずっと渋い顔をしていた。
「なぜ街の工場に戻らなければならないのだ。意味がわからん」
「だって約束したんですもん。魔法学校の制服を用意してあげるって」
「それだ」ゼランはビシッと指を指してきた。「お前の魂胆は分かってるぞ。また着物を作ろうというんだろう」
「うーん、それはまぁ、なんと言いますか……」
たいして勘が鋭くなくても、ここまでの私のパターンなら大抵の人がそう思うだろう。
「だがな、着物はこちらの人間では一人で着用できないから所有していても困るはずだ。お前自身がそう言っていたぞ」
覚えている、ラザ国の献上品のとき。着物はやめて羽織で手を打ったんだっけ。
「とりあえず今回は、何をおいても依頼人の都合に合わせますよ」




