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真面目すぎる悪役令嬢は魔王に嫁入りして悪役ムーブを学びたい

 爽やかな春の朝は、どんな場所にも等しく訪れる。

 そう、険しい岩山に囲まれ、難攻不落とされるロータス城――通称・魔王城にも。


 とある一室、石造りの冷ややかな寝室で、勢いよく扉を開け放った少女がいた。


「おはようございます魔王様! 今日は昨日より少し暖かいですよ。春が近いのかも知れませんわ」


 少女の名はリリアナ・ノーフォーク。

 そのかんばせは大輪の椿のように艶やかで、すらりとした肢体は見る者を引きつけてやまない。

 銀糸のごとき髪は緩やかなカーブを描いて腰の辺りまで流れ落ちていて、動くたびに美しく揺れた。


 リリアナは窓を開け放った。爽やかな朝の日差し――は、ここ魔王城には届かず、曇天が広がるのみだけれど、それでも少しだけ爽やかな空気が舞い込んでくる。

 部屋の奥まった場所にある寝台に近寄ると、リリアナは寝ている男の体を揺さぶった。


「ほらほら魔王様、起きて下さいな。今日は西の村の家畜をさらうとおっしゃっていましたしょう?」

「むぅ……。さむい……」


 布団にくるまり、もぞもぞとベッドの端に寄っていくのは、黒髪の青年だ。長髪がシーツの上にしどけなく流れている。


「魔王様ったら、また髪を乾かさずに寝たんですね。髪が傷んでしまいますのに」

「ん……ん、ぅ? なんだ、朝か……?」

「はい、おはようございます魔王様。もう八時でございますよ」

「うん、おはよ……って、り、リリアナ!?」


 びゃっと飛び上がった青年は、顔を真っ赤にして飛びすさった。

 その体が蜃気楼のように揺らいだかと思うと、瞬きの間に、青年は一頭のドラゴンへと変化していた。


 ビロードのようになめらかな漆黒の鱗に、稲妻のように走る赤い傷。

 長く美しい尾に、二本のらせん状にねじれた角は、まさに凶悪なドラゴンにふさわしい。

 今は力を制御しているから、農耕馬より二回りほど大きいくらいだけれど、本気を出せば小さな城くらいの大きさになることができる。


「朝はダメって言っ……こほん! 寝所に入るときは許可を得てからにしろと言っただろう! 我は偉大なる魔王なるぞ!」

「申し訳ございません! でも、今日は朝早くから家畜をさらわないと、時間が足りないと仰っていましたわよね」

「あ、そうだった……じゃない、そ、そうだ! 言っておくがこれは寝坊ではないぞ、昨日の夜、どのルートなら効率的に家畜をさらえるか熟考していたがゆえ、朝の出立は、その、少し遅らせようと思っていたのだ」


 しどろもどろな魔王の言葉に、リリアナは深く頷いた。椿にも似た濃い赤の瞳がきらきらと輝いている。


「なるほど……! 効率的に悪事を働くためには、事前準備が欠かせないのですね! 参考になりますわ」

「う、うむ。で、リリアナ」

「はい?」

「本気で我についてくる気なのか?」

「もちろんでございます! なにしろ私、『悪役令嬢』という大事なお役目を仰せつかっておりますので!」


 拳を握りしめるリリアナ。彼女は熱に浮かされたように『悪役令嬢』の素晴らしさを語り始める。


「『悪役令嬢』とはですね魔王様、ヒロインを罵倒し、蹴飛ばし、ねじ伏せ、悪逆非道なやり方でたたきのめし――しかし最後は彼女の善良さの前に敗北する。ヒロインを引き立たせ、クライマックスをより良いものにするためのたたき台、噛ませ犬、徹底的な道化師なのです!」

「は、はあ」

「しかし! 生憎と私には、『悪役令嬢』に必要な悪事の素養が、全くないのでございます!」

「そうか?」

「はい、なんと言っても私は、善良が服を着て歩いているみたいなところがありますもの」

「ほんとうに善良な人間は、自分でそういうことを言わないと思うのだが……」


 魔王のツッコミは聞かなかったことにして、リリアナはにこりと笑う。


「そういうわけですので、魔王様。今日も私に嫁と弟子としてのおつとめ、果たさせて下さいましね?」

「う、うむ……」


 魔王はベッドの上で心なしか小さくなりながら、先週嫁いできたばかりの花嫁の言葉に、恐る恐る頷いた。






 リリアナが「自分は悪役令嬢である」と気づいたのは、雨の激しく降る夜のことだった。

 それは天啓のように降ってきたというよりは、忘れていたことをふっと思い出したような形だった。


「『悪役令嬢』ですか」


 リリアナはひどく戸惑った。「悪役令嬢」という言葉は初めて知ったのに、それがどんなお役目なのか、きちんと理解している自分がいたからだ。

 例えるならば、自分が「人間」であるように。動かしがたい属性として、リリアナは自分が「悪役令嬢」であることを受け入れた。そういうものだと分かっていたのだ。

 名前も顔も知らない、いや実在するかどうかさえ怪しい「ヒロイン」を引き立たせるための存在――それが「悪役令嬢」。

 戸惑いこそすれ、そのお役目に抗ったり刃向かう気はなかった。

 幸いまだ「ヒロイン」は現れていないようだった。


「ですが、悪役だなんて、今までやったことがありません」


 リリアナは名家の令嬢として、日々つましく、真面目に生きてきた。

 そう、真面目すぎるほどに、ひたむきに生きてきたのだ。

 だから――。


「ここはやはり、お手本が必要ですわね……。悪の頂点と言えば、やはり北方のロータス城に幽閉されている魔王でしょう」


 と、妙な方向に振り切れてしまう。

 いったん暴走すると手のつけられないリリアナは、最高のアイディアを思いついてしまった。


「その魔王に弟子入りすれば、最高の悪役ムーブが身につくのではないでしょうか!?」


 真面目で勤勉なリリアナは、早速行動を起こした。

 馬をたて、服装を北方仕様に着込み、反対する両親や召使いたちを千切っては投げ千切っては投げ、ロータス城へと向かったのだ。





 さて、困ったのは魔王である。

 そもそも魔王は、百五十年前の戦いで皇子に敗れ、誰も顧みることのない北方の城に封印された身である。

 ゆえに、ロータス城はほとんど廃城のような有様で、魔王の身の回りを世話する少数の魔物しかいなかった。

 そこへいきなり貴族の令嬢が「悪役ムーブを学びに来ました! 弟子にして下さい!」などと殴り込んできたのだ。

 出会い頭にファイアブレスをかまさなかっただけ良心的と言えよう。


 しかもこの令嬢、ドラゴン姿の魔王に、ちっとも怯えた様子がないし。


「私、悪役令嬢なのです。悪役としてヒロインと対峙しなければならないのですが、お恥ずかしながらその実力がなく……。ですから、是非私に、その極悪非道で悪辣で最凶な立ち振る舞いを教えて下さいませんこと!」

「ええー……やだな……っじゃない、わ、我は魔王だ。小娘にかかずらっている暇などない」

「身の回りのお世話はもちろんさせて頂きますし、微力ながら魔術も使えますから、お仕事のお手伝いもできますわ」

「そういう話じゃ、」

「そうだわ、魔王と言うからには、やっぱり人を召し上がったりするのかしら? そうであれば私のこの身を差し上げます。「悪役令嬢」の仕事が終わってからになりますけれど」

「人は食わぬ。まずい。……そういうわけではなくてだな、そもそも貴様は嫁入り前の大事な身だろう? ここは寒いし、魔王城に出入りしているとあれば醜聞にもなるだろうし」


 醜聞。リリアナはそんなこと考えてもみなかった。

 何しろ悪の道を究めることしか頭になかったのだ。

 それに――。


「醜聞などどうでもいいのです。私は悪役令嬢ですから。その末路はおおむね、不幸なものと決まっています」

「え?」

「ヒロインの幸せを引き立てるためですもの、良くて追放、悪くて処刑でしょうか? 幸せな結末など望むべくもございません」


 それは、年頃の娘が口にするには、ずいぶんと絶望的な言葉のように思えた。

 けれどリリアナの目はきらきらと輝いている。


「そういうものなのですわ、魔王様。私に配られたカードは『悪役令嬢』。であれば文句を言っていないで、そのカードを効果的に切ればよろしいのです」

「カードを、効果的に切る……」

「人生は配られたカードで勝負するほかないのです。その勝負を最高のものにするために、私は努力を惜しみません」

「例えその先に、幸せな結末がなかったとしても?」


 リリアナは強く頷く。


「ええ。幸せな結末など単なるおまけですわ。問題はその過程。私は『悪役令嬢』として最善を尽くして、破滅の瞬間を快く迎えたいのです。全てやりきったと確信できるように」

「だから我に悪のなんたるかを学ぼうと?」

「ええ! とは言え私の末路は決まっていますから、いくらあがいたところで、前に倒れるか後ろに倒れるか、くらいの違いでしょうけれど」


 艶然と微笑むリリアナ。

 魔王の金色の目が、ふと細められた。まるで人間のような仕草。


「なるほど。矜持ゆえか」

「ええ」

「その潔さは気に入った。弟子入りを許可しよう」

「ありがとうございます!」

「しかしだな、一つ問題がある」

「あら、なんでしょう」


 魔王は少し困ったように、


「百五十年前の戦いで、我は皇子に呪いをかけられた。我の身から生ずる瘴気を長く浴びた人間は、遠からぬうちに命を落とす」

「まあ」

「しかし、皇子は我に慈悲を垂れた。……まあ、慈悲と呼んで良いかは分からんが。何しろ我は今まで一度も、その、なんというか、女性と……」


 なにやら魔王がもごもご言っている。リリアナは美しい眉を失礼にならない程度にひそめ、


「ごめんなさい、お話が少し聞こえないようなのですが」

「っ、まあ要するにだな、我が永遠に孤独にならないように、皇子は一つだけ例外をもうけた。我が身から生ずる瘴気の影響を受けぬ者、それは」

「それは?」

「……我の、花嫁だ」

「ではそれで参りましょう、私めはあなたの花嫁でございます!」

「っぶぇ!?」


 魔王が飛びすさった。巨大な猫のようだった。


「ば、ば、馬鹿か君は!? そ、そんなにほいほいと、気軽に、嫁などと……!」

「あ……そうですわよね。私が花嫁だなんて、魔王様はお嫌ですわね。申し訳ございませんわ、図々しく名乗ってしまって」


 しゅん、とリリアナが肩を落とす。そうすると銀の髪がさらりとこぼれ、微かな光を受けてちらちらと光った。


「あ、いや、違う、そういうことじゃない」

「え?」

「あー、うー、だからだな、べ、別に君が嫌だとかそういうわけじゃなく、むしろ大歓迎というか……。いや違う、君も、自分を大事にしなさいというか」

「では魔王様は、私が嫁入りすることについては、特に異論はおありでない?」


 魔王はぎゅっと顔をしかめて唸った。鱗が生えているとは思えない見事な表情筋である。


「な……ない……」

「では決まりでございますわね! 私は魔王様の花嫁兼弟子として、悪事のなんたるかを学ばせて頂きます」


 リリアナはぱあっと微笑み、魔王の腕の辺りの鱗にそっと触れた。

 ひんやりなめらかな感触の奥に、ドラゴンの腹の中で燃える炎の熱さを感じる。


「これからどうぞよろしくお願いしますわ。――旦那様」

「っっっっ!」


 魔王は気力でファイアブレスをこらえた。





 空は地上とは比べものにならないくらい冷える。リリアナはしっかりと防寒具を着込み、空を単身で飛ぶ魔王の背中にまたがっていた。

 鱗が風を切り裂く小気味良い音を聞きながら、銀糸の髪をただ遊ばせている。その頬は興奮に染まっていた。


「わあ凄い、村人の皆さんが逃げ惑っていますわね!」

「うむ。我が姿は悪性そのものであるからな」


 心なしか誇らしげな魔王は、羊の囲いを見つけると、ゆっくりと下降を始めた。村人たちが慌てて遠ざかってゆく。

 魔王はそうっと着陸すると、リリアナが背中から滑り下りるまで辛抱強く待った。

 リリアナが地面に降り立ったのを見届けて、ようやく半身を起こす。


「この囲いの中から羊を頂いていくぞ!」

「ああ、魔王様、いつもありがとうございます……! 病気の羊には印をつけておきましたゆえ」

「うむ。ご苦労」


 羊飼いが示す囲いの中には、赤い印のついた羊が何頭か隔離されていた。リリアナは首を傾げる。


「魔王様? 食べるのならば、病気の羊ではない方が良いと思うのですが」

「た、食べるわけではない。これは、その……。こ、この地方の言い伝えには、病気の羊が幸せを運ぶという言い伝えがあってだな」

「なるほど! 幸せの象徴を奪う、つまり未来への希望を奪ってしまうというわけですわね! 後からじわじわきいてくるタイプの悪事、参考になります」


 うう、と魔王はやりづらそうにしている。それを村人たちは、笑いを堪えたような表情で見ていた。


「あの、魔王様? そちらの美しい女性は」

「我の……は、花嫁である」

「花嫁!? まあっいつの間に!」


 それからが凄かった。

 村人たちは次々と祝いの食料や工芸品、それに病気ではない羊を差し出してきた。

 目を白黒させている魔王とリリアナの両手が、次々とお祝いの品で埋まってゆく。


「も、もう発つぞ! 羊の件は分かったら連絡する!」

「はい、いつもありがとうございます」

「……?」


 悪行を働いているとは思えないやりとり。リリアナが首を傾げていると、魔王は無理矢理彼女をかついで、空に飛び上がった。


「あ、羊はどうするのですか」

「転移魔術で城に送った。……ほら、消えただろう」

「すごい! 転移魔術を使えるなんて、魔王様は魔術もお上手でいらっしゃいますのね」

「このくらいできて当然だ。そうでなければ、ドラゴンと人間両方の姿を取ることはできない」


 心なしか得意げな魔王であった。

 

 二人は一日中、小さな村々を回って、病気の羊を略奪した。村人たちは皆、リリアナの存在を知ると嬉しそうに祝いの品々を差し出してくれた。


「この村が最後だ。大丈夫か、冷えていないか?」

「ええ、魔王様の鱗と、この防寒具のおかげで暖かいですわ。ありがとうございます」


 最後の村は既に夕日に染まりつつある。魔王が病気の羊を略奪しているのを尻目に、リリアナはほうっと手に息を吹きかけた。

 春の訪れは近いとは言え、まだ冬の支配が及んでいるのだろう。体の芯から冷えるような寒さが身をさいなんだ。


「……北の方だからでしょうか。皆さん、暮らしが楽であるようには見えないのに」


 切り詰めた生活。簡素な服装。貧弱な家畜たち。

 村人たちはその中で辛抱強く暮らしているようだった。そうしてそのつましい生活の中から、祝いの品々を差し出してくれたのだ。


「やはり魔王様の支配が深く及んでいるようですね。そうでなければあんなに嬉々としてお祝いしてくれるわけがありませんもの」


 何事も日々の積み重ねが大事だ、と勝手に結論づけたリリアナは、ぐっと拳を握りしめる。


「私も、倦まずたゆまず悪行を重ねていかなければなりませんね!」

「リリアナ? 何をしている、そろそろ行くぞ」

「はい!」


 リリアナは魔王の背に乗り、共に城へと帰った。





 魔王は晩餐もそこそこに、さっそく羊たちを集めた納屋の方へ向かった。


「あら魔王様、人の姿でいらっしゃいますの」

「ああ。こっちの方が手先が使いやすい」


 長い黒髪を緩く結わえ、狩りの時のように着込んだ魔王は、納屋に入ると魔術で明かりをともした。

 病を得た羊たちが数十頭、ひしめき合っている。むっとするような家畜の匂いにも、魔王は顔色一つ変えない。


「さて。伝染性の皮膚病だと村人は言っていたが……。ああやはり、先月から流行っているものと同じ、ハデルタ病のようだな」


 魔王は一頭の羊を作業台に乗せると、患部をじっくりと眺め始めた。傍らにはよく手入れされた器具がずらりと並んでいる。

 リリアナはそれを見て小首を傾げた。


「魔王様? 病気の羊など見てどうするのですか」

「この病を放っておくと、羊毛が売り物にならなくなって、村人たちの暮らしが回らなくなるからな。対策としては病気の羊を隔離するしかないんだが、そうすると羊飼いたちの手間が増えて効率が悪くな……」


 そこまで言って魔王は口をつぐむ。


「あー……。と、という病気なので、これを人間にも応用できないかと研究をしているところだ。この病を都市付近の農場へ運べば、村人たちは大打撃を受けるであろう!」

「なるほど! そうすれば魔王様が手を下さずとも、羊は病み、村人たちの仕事は増え、暮らしが厳しくなるというわけですね! ……でも、病気の羊は幸運の証ではありませんでしたかしら」

「そ、それはこの地方だけのことだから……。都市部ではさすがに、病気の羊は厄介者だろう」


 魔王の苦し紛れの説明を、リリアナは興味深く聞いていた。

 さすがは魔王だ。ただ火を噴いたり物を壊すだけではなく、長期的に相手を苦しめる方法を熟知している。


「私、お邪魔しないようにしなければなりませんわね。何かお夜食でもお持ちしましょうか」

「いや、構わない。暖かくして寝なさい」

「ありがとうございます。お休みなさい、魔王様」


 魔王は少し戸惑ったような顔になった。けれど口の端を少し緩ませ、優しい声で答える。


「ああ、おやすみ」


 リリアナは自室に戻り、魔王の悪行を日記に書き残した。

 病気の羊を集めて研究し、その病を他の場所でも広げようという発想は、リリアナにとって新鮮だった。悪役令嬢になるにあたってかなり参考になるだろう。


「三日前の悪事は特に印象深いです。山奥の廃村をめちゃめちゃに踏み荒らして、火を噴き回るところなんか、まさに魔王という感じでしたわ」


 漆黒の鱗を持ち、自ら吐いた炎の中に凜と立つ魔王の姿。

 禍々しい角、金色の瞳、それら全てが悪の象徴として輝いて見える。

 リリアナは子どものように魔王を夢見ながら、ベッドに潜り込んだ。





 翌朝、朝食の時間になっても魔王は姿を見せなかった。

 元々あまり決まった時間に食事を取らないらしいので、最初はリリアナもあまり気にしていなかった。

 けれどお昼時になっても魔王は見当たらず、リリアナは首を傾げながら魔王の寝室に向かってみた。


「魔王様? ……あら、いらっしゃいませんわね」


 もしや、と思ったリリアナは納屋を覗きに行った。

 果たして彼女の予想は当たっていた。

 髪を振り乱し、目をらんらんと輝かせた魔王の姿がそこにはあった。昨晩見かけた位置から全く動いていないようだ。


「まあ、魔王様。もしかして昨晩からずっとこちらに?」

「え? ああ、リリアナか、うんあと少しなんだ、実験をあと三つか四つやってみれば分かるはず……」

「少し休んだ方がよろしいのではないでしょうか」

「これが終わったら休むよ」


 ふむ、とリリアナは魔王の姿を観察した。

 この様子だと全く眠っていないのだろう。いつもはよどみなく動く手も、心なしか無駄な動きが多い。言葉使いも素に戻っている。


「……魔王様。僭越ながら私の考えた悪役ムーブを見て下さいますでしょうか?」

「悪役ムーブって……? わっ」


 リリアナは行儀悪く作業机の端に座ると、俯いていた魔王の顎を指でとらえて上を向かせた。目の下に微かにクマができている。

 端正な顔立ちだ。すっと通った鼻梁も、金色の瞳も小さな唇も、全てが品良くまとまっている。魔王というよりはむしろ貴族を思わせる。


「花嫁の私を放っておくなんて、一体どういうおつもりですの? 新婚なのに独り寝をした私の身にもなって下さいまし」

「え、でも、前から一緒に寝てな……」

「言い訳は結構。私は朝食も一人で頂きましたのよ? いったん羊のことは忘れて、私と一緒に眠るか、昼食をとるか、選んで下さいな」


 魔王はぱちぱちと瞬きを繰り返し、ただじいっとリリアナの顔を見つめている。

 いつもなら、リリアナが触れると逃げ出すか、何か言い訳を作って離れてゆくのに、やはり頭が上手く回っていないようだ。

 リリアナはだめ押しで、にこりと微笑んでみた。


「私のわがまま、聞いて下さいますわよね?」


 決まった、とリリアナは思った。

 相手の気持ちを考えないわがまま、自分の意見をごり押しする我の強さ。いかにも悪役令嬢っぽい。

 しかし魔王はむしろ渋い顔になって、


「……それが君の悪役ムーブ?」

「え、あ、はい。こう、自分の我がままばかり主張する悪役令嬢というイメージでやってみたのですが」

「ぜんっぜん悪役じゃない。むしろかわいすぎる。結局私のことを休ませようとしてるだけだし。健気か」

「えっえっ、け、健気?」


 リリアナはショックを受ける。悪役令嬢っぽく振る舞ってみたかったのに、健気だなんて、一番受けたくなかった評価だ。

 どこか据わった目をしている魔王に、慌てて質問した。


「どの辺りがダメでしたでしょうか!? やっぱりもっとこう、研究成果を床にぶちまけて台無しにするくらいの方が、悪役っぽいでしょうか!」

「……いや、そういうことじゃない」


 魔王ははあとため息をつき、リリアナの両手を握った。大きくて骨張ったその感触に、微かに心臓が跳ねる。

 一方、ひと晩酷使した魔王の脳みそは、正常に働いていなかった。

 彼は目の前のきらきらした椿色の瞳を見つめながら、


「これは私の問題だ。君が来てから、ずっと調子が変なんだ。今までちゃんと魔王らしく演技できていたのに、うっかり喋り方を忘れてしまいそうになるし、夜はずっと君のことを考えてしまう」

「魔王、さま?」

「君は自分を善良だと言う。実際そうなんだろう、君は真面目で、ひたむきで、努力家で、だからここまで来て悪役ムーブとやらを学ぶんだろう。……だから、君はすぐ悪役のなんたるかを学んで、ここを出て行ってしまうに決まってる」


 今度はリリアナが目をぱちくりさせる番だ。

 訥々と語る魔王は、どこか切なげにリリアナを見上げる。


「君が来てまだ一週間しかたっていないのに、私はいつも君の気配を探してしまう。君がすごいと言ってくれると嬉しいし、君が寒そうにしていると心配になる。君が花嫁だからじゃない、君が君だからだ」

「……」

「どうせ君は悪役令嬢になるためにここを出て行ってしまうのに、こうやって私の心に入り込んでくる。その意味ではもう君は立派な悪役だよ。少なくとも私に不幸を与えることができるんだから」


 そう言って魔王は力なくリリアナの手を離した。

 が、逆にがっしりと掴まれてしまう。


「では私、魔王様に限っては悪役の素質があるということですわね!」

「え? ああ、まあ、そういうことになるのかな」

「でもそのお言葉、失礼ながら信用できませんわね。あなたはとても良い方ですから、お世辞という可能性もあります」

「私は魔王だ。お世辞を言えるほど良い人間じゃない」


 リリアナはくすっと笑う。


「いいえ、あなたは良い方です。だってこの羊たちを集めたのは、病気の治療法を探るためでしょう? それに三日前に廃村を焼き尽くしたのも、使われない家があれば、そこに野犬や野盗が住み着いて治安が悪くなってしまうから」


 魔王は唖然とした表情になった。


「っ、き、気づいてたのか、君は」

「はい。そうして、押しかけてきた私のために、それを悪行だと主張していたことも。――そんなこと、良い人間じゃなければできません」


 魔王の据わっていた目が緩む。はふう、と長いため息がこぼれた。


「取り繕っていた私が馬鹿みたいだな……」

「そんなことはありませんわ。なんて優しいお方なのだろうと、ずっと思っていました」

「だからそれが恥ずかしいんだって」


 魔王はリリアナの手を握ったまま、椅子の背もたれに体を預ける。自然とリリアナの体も引っ張られ、魔王の膝に座り込む形になった。


「私は邪悪な魔王だ。その証拠に、君をこの城から出す気がない……といったら、どうする」

「実行する前に、本人に確認を取っている時点で、人の良さが出てしまっているような気はしますが……。『悪役令嬢』と『花嫁』は両立できるでしょうし、問題はありませんわ」


 リリアナは嬉しそうに笑った。

 魔王もまたつられて口の端を緩めると、くあふ、と巨大なあくびを漏らした。


「良い悪事は良い睡眠から、ですわよ。そろそろお休み下さい」

「本当の悪役であれば、ここは眠らず働け! と言うところじゃないか?」

「眠らず働けば、羊の病気を治す方法に一歩近づいてしまいますもの。怠惰も立派な悪事ですわよ」


 魔王は顔をくしゃりと歪めて笑った。百五十年以上を孤独に過ごした魔王が、久しぶりに見せる笑みだった。





 ――そうしてその代の悪役令嬢は、ヒロインに悪事とも呼べないお節介を働きながら、夫であるドラゴンと共に、国を凶事から救うヒロインを助けたのだが。

 それはまた、別のお話。

お読み下さりありがとうございます!

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