弟子との出会い
その男は久藤喜三郎と言った。
彼は孤独だった。
彼は美術大学を出て画家となった者で個展を一度開いたりもした。しかし彼の絵は時代を経るにつれすぐに評判が悪くなった。
時は抽象芸術全盛期だった。その時代のさだなかで、執拗なまでのリアリズムを追求する彼の絵は次第に回顧すらされなくなっていった。
気難しく、生活感覚にも乏しい彼は貧しい生活を余儀なくされた。生きることに苦しむ中で彼はいつしか、『自分の絵に殉じて生きる』という人生のテーマを見出すこととなった。
ある日、雪が降りそうで降らない寒空の下、一人の若い娘が彼のアトリエにやってきた。そして彼女は言った。
「久藤先生!私を先生の弟子にさせてください!お願いします!」
彼は一度、丁重にその請願を断った。しかし、頻繁に彼女は彼のもとを訪れ、二十回も三十回も同じような台詞で、めげずに、弟子にしてもらうことをお願いするのだった。
呼び鈴越しで顔を見ることもなく、彼は何度もその声を聞いていた。
が、聞くうちに彼は彼女の澄んだ声、そしてあどけなさが残っていながらもどこか大人びて落ち着いた雰囲気のある語調、そして毅然として変わることのない言葉をなんとなく気に入り、この娘の遊びに付き合ってやろうという程度の軽い気持ちで玄関口のドアを開けて、娘を迎え入れた。
話を聞くと、彼女は岸島友恵といい、美術大学のデザイン科を出た後、イラストレーターとして大手デザイン会社にしばらく勤務していたが、子どものころからずっと志していながら果たせなかった、油絵画家になるという夢を捨てきれなかったのだという。
そして彼女はついに会社員を退職した。彼女の親は、折角軌道に乗り始めていた仕事を、夢のためだけに辞めるということが理解出来るはずもなく、彼女をすぐさま勘当したという。
そして、親には勘当され、会社に半年勤務したという経歴しか持たず、大学で洋画を専門的に学んだこともないのにも関わらず、子ども時代に虜になった画家、久藤喜三郎先生の弟子になることだけをひたすら胸に、藁をもすがる思いで彼の家の戸をたたいたということであった。
彼は最初、孫を迎え入れる老人のようなあっけらかんとした表情を取り繕っておいて、話だけ聞いてあげてお菓子とコーヒーをふるまい、ちょっと話した後は彼女に帰ってもらうつもりで聞いていた。
しかし、次第に事の重大さに気づき、しばらくするとうつむきながら、唇を真一文字にして真剣に彼女の話に聞き入り始めた。
彼は目をつぶり、考えた。
『この娘を弟子にしたところで、俺自身には利益があるどころか、生活の負担になるだろう。
ただ、この、将来というものがまだ広がっている娘の可能性を俺のさじ加減で潰してしまうことが最善であるともわからない。
そもそも、こんな愚直に画家の門をたたく者も珍しいのではないか。
才能はどうあれ、その負けん気で娘は画業の厳しさもどんどん乗り越えていけるかもわからない。』
しばらく逡巡していたが、彼はおもむろに目を開き、力強い声でこう言った。
「岸島さん。あなたはこれから貧しさや厳しさ、寂しさの三つで苦労することになると思います。
一日二食食べられたら運が良かったと思ってください。
また、最初の三年間は、最低一日に十二時間は絵を描かなければなりません。
友人と会う時間もその間は一切ありません。
それでも、私の家に住み込みで絵を学びたいという情熱はあなたにありますか?」
「もちろんです。私は絵に人生の全てを、捧げるつもりです。」
彼はその言葉を聞いて、内心とても嬉しかった。
「それなら、大丈夫です。」
彼は少し笑みを浮かべて、席を立ち、コーヒーカップを片手にこう続けた。
「岸島さん、あなたはこれから私の弟子です。
弟子として、沢っ山学んで、これからの日本の新しい油絵を作って行ってください。
そのためには、画壇・論壇の言いなりになってはいけません。真に自らの技術、思想、感性や個性を極めることで生まれる表現力を大事にしてください。」