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フロル・ネージュの街の歌  作者: 崎浦和希
15/19

終幕 フロル・ネージュの街の歌

 街に、歌がきこえる。


「ヨハンさんがびっくりして椅子からひっくり返っていたわ。ネージュの新曲のミュージックビデオをフロルと作るって言ったら」

「それはマネージャーさんに同情するなあ。下手すればスキャンダルの塊を直球で投げつけられたようなものじゃない?」

「お友達ですって言っておいた」

「どう考えても常套句」

 信号待ちをする横断歩道の近くで、木の芽がやわらかくふくらんでいた。寒さがゆるみ、薄緑に色づいていそうな春めいた若い風が街を通り抜けてゆく。

 街頭の大きなディスプレイでは、今日も街の人々の話題をさらうような映像が流されていた。街の流行り廃りは早い。ついこの間までチョコレートの宣伝、その前は冬の新色の化粧品、その前は年越しを祝う芸能人のプロモーション。さらにその前は、女神がフロル・ネージュを造った日を記念した聖夜祭にまつわる物語。その前が……。

「僕ときみで宣伝していた聖夜祭特別バージョンのお化粧品類」

 指折り数えていたユキが詰まったところで、すかさず隣にいるアレクシスが残ったユキの小指を折り曲げた。でもそれより前は何だったか、もうユキもアレクシスも思い出せない。

 あれから四ヶ月と少し。今流されている映像と音楽も、街の人びとは同じようにすぐ忘れてゆくだろうか。大勢の耳を素通りしても、たったひとりでも、誰かの心に残ってくれたらと願う。

「今日は、お稽古は何時くらいに終わるの?」

「一応午後六時。うちの劇団、そういうところ妙にしっかり管理しているから、たぶんずれることはないと思う」

「そう。じゃあいつも通り、六時に迎えにいくよ」

「最寄り駅で待ち合わせでいいって言ってるのに」

「寄り道して不審者に会ったらたいへんだからね」

 アレクシスの言いように、ふたりしてくすりと笑う。

 ユキとアレクシスはそれぞれ大きなマスクで顔の半分を覆って、ことあるごとに目を合わせては微笑みあっていた。花粉症の季節であることがありがたい。ふたりの手は指を絡めて結ばれていたが、誰もそんなところまで見ていないだろう。

 同じように信号待ちをする人びとの目は、ビル側面のディスプレイに釘付けで、みな上を見ている。

 付設のスピーカーからピアノの美しい調べが流れ出す。旋律に乗って、まろいやさしさを含み、天から降る光のように透き通る美しい声が、春の訪れを歌い始めた。歌にあわせて映像が動く。人がせわしなく行き来する街の中、まだ花をつけない寂しい木の下で、美貌の青年が淡いブルーの空を見上げていた。歌声は愛情に満ちて、ひとときも止まることなく、巡りゆく世界を歌う。青年の瞳はややくすんだ、だからやさしい色の藍。薄紅の唇は待ち人を想ってほころび、彼のまとう空気だけ、まるで一足先に花が咲いたかのようだった。彼が背を木の幹から離して振り返る。希望に満ちた瞳が光をたたえてこちらを見た。差し伸べた手に、ふたまわりは小さな手が重なる。青年が腕を引くと、白いワンピースを着た少女が、勢いよくも軽やかに、彼の胸に飛び込んだ。よろこびを表して微笑む青年の胸もとで、彼を見上げる少女の小さな唇からは、あの歌声が紡がれていた。


 あなたをずっと探していた。この世界をともに見るために。

 待っていた、かけがえのない、たったひとりのひと。

 どんな時でも、わたしはあなたのそばにいる。


 信号が青に変わる。上ばかりを向いて立ち止まっていた人びとは、信号機の合図の音を聞いて名残惜しそうにそれぞれの行き先へ歩き始めた。人波にまぎれて、ユキとアレクシスも横断歩道を渡る。たくさんの人間がひしめいていても、みな自分のゆくべき道を見ているから、誰もユキたちのことまで見ていない。手をつないで、ほほえみを交わして、ふたりで街を歩いてゆく。

 街のあちこちでネージュの歌が聞こえ、フロルの宣伝写真が掲げられている。人は彼らを指して言う。

 街の女神に愛された子ら、フロル・ネージュ、と。




 この街の名はフロル・ネージュ。女神が愛した、愛を育み、愛に満ちた、世界でいっとう美しい街。


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