第六話:学院理事たる森の賢人《レーシー》
「失礼します」
そう会釈をしたミラエル会長が、学院の理事長に挨拶をする。理事長席に座っていたのは、真っ白な長い頭髪と髭を持つ老人だった。
赤の帽子を被り、同色のウエストバンドをした老人は、ぽけーっとしていて、昼寝でもしているかのようだ。彼は精霊種に該当するレーシー族であり、賢者と呼ばれるまでになった魔術師には珍しく、所在の知れた人物である。
名前はシルワ・ボースタイン、〝森の賢人〟と呼ばれ、森にまつわる魔術を極めたと名高い賢者だった。
樹海に囲まれた地は、彼が万全の状態で過ごせる領域であり、森に満ちた魔素を自在に操れる老人は、威風堂々とした威厳を放つ――はずだったのだが。
「ふぁー、何か言ったかのお?」
まるで耳の遠い老人のように、ボースタイン理事長は耳を澄ませる。彼の隣には豹柄の猫耳と尻尾を持つ獣人族の女性が佇み、はあ、と頭を抱えていた。
尖ったつり目にインテリな眼鏡をかけ、見た目通りの生真面目そうな女性だが、胸元のはだけた大胆なスーツからは、女豹のような色香が放たれる。
人生経験が豊富な大人の女性、と表現できそうな容貌だった。
「理事長、例のお客様を連れてきました」
ボースタイン理事長の耳元に口を近づけ、ゆっくりとした口調だけれど、耳の遠い老人に配慮するためか、ミラエル会長は大きな声を出す。
と、おっかなびっくりしたボースタイン理事長は、目を見開いて狼狽える。とても威厳ある賢者には見えない。第一印象には肩透かしを食らってしまう。
「お、おおー。大声はやめてくれんかのう、脅されるのは嫌いなんじゃ」
耳を塞いだ学院理事長は情けなく、両の耳を塞いで震え上がった。
「埒があきませんね」と、またもや豹族の女性はため息を吐き、
「理事長に変わり、わたくしが歓迎しましょう。わたくしは学院の教頭を務めるアミス・スキャードと申します。校長はボースタイン理事長が兼任していますので、実施的にわたくしが、アルスファグナ魔術学院の教員代表となります」
「はい、お世話になります。この度は取材の許可を頂き、ありがとうございます」
三珠が挨拶をすると、礼儀の正しい記者代行に機嫌を良くしたのか、深々と頷いてくれる。
「まったく、我が校の生徒にも、貴女のような礼節を重んじてほしいのですが」
「学院の方達は、三珠姉さまのように、挨拶をしないのですか?」
「その通りなのです。研究に没頭するのは、学者として大変素晴らしいことなのですが、熱中しすぎた結果、目上の我々に対する配慮が欠けています」
「あ~、そうですね。スキャード教頭先生の不満は分かりますけど、本題に入ってくれませんか~? 山を登って、あたし達もクタクタなんですけど――」
「これは申し訳ありません。つい、日頃の不満が爆発してしまいまして、しかしながら……」
会話の成立しないボースタイン理事長とは正反対に、会話を始めたら止まらないのが、スキャード教頭である。「ちょっと苦手なタイプかも」と、生真面目な教頭に、リーシャは苦手意識をもったようだ。
若者思考のリーシャからすれば、規律を重んじる堅物らしいスキャード教頭とは、馬が合わないのかもしれなかった。
オシャレもしたいし、友達とも遊びたい。年頃の快活な少女に、頭の固い委員長気質な大人の女性は、目の上のたんこぶみたいな存在だったのだろう。
三珠は特に気にしなかったが、生真面目すぎる女性教員は、日本でも同性に距離を取られる節はあったように思う。その辺りは、異世界も一緒なのだな、と三珠は郷愁の念を抱く。
いざ離れてみれば、元の世界が懐かしくなるものだ。
ただし、せっかくできた友人達と別れてまで、帰りたいとは願わないが。
と、三珠が考えていると、インテリな眼鏡のフレームを持ち上げ、スキャード教頭は、胸の内に秘めた不満を出し尽くし、すっきりしたように息を整えた。
「改めまして、この度の取材は我々の学院にとって、大変に名誉あるものだと考えております。我が校の日常風景、ぜひともお収めください」
「んっ……任された……」
アベントゥーラ時報より貸し出されたカメラを手に取り、俄然、メルはやる気をだしていた。彼女は写真の撮り方を知らないはずだが……。
700年以上前から棺に封じ込められ、世界の文化に触れてこなかったために、彼女は時を越えたかのような気分を味わい、まだ見ぬ魔術道具に期待している。
とにかく新しい者は使いたい、と好奇心旺盛なメルだった・
メルがネックレスのように首から下げたのが、この世界にある新聞会社のカメラである。少し太めの箱型カメラといった感じだろうか。
サイズも少女の両手に納まるくらいで、腕に負担がかかるような重量はなく、程良い重さのカメラだろう。慣れれば、使い勝手も悪くはなさそうだ。
取材班という立場だが、これから始まる学院生活へ、一縷の期待を胸に秘めた少女達に、まるで水を差しにきたかのような男が、理事長室に入室した。
「おや、見ない顔がいると思えば――成程、君達が学院の風紀を乱しに来たという新聞記者の代理かね? 仲介屋での契約に誤りがあったようだし、魔術の極致に至らんとする研究者達の学び屋に、問題事は持ってきてほしくないものだな」
少女らと顔を合わせて早々に、そんな嫌味を言ってきた捻くれ者は、背の高いエルフ族の男性教諭だった。彼はピスカを見るなり、ふん、と嘲笑う。
「私の目には、衣服の上からでも魔術の流れが見える。それは奴隷が主人に反抗せぬよう、呪術的に植え付けられた刻印かな? 所詮は摂理の恩恵に辿りつけなかった者達の末裔か、売女になるとは、地中に逃げた君らならばお似合いだ」
「はあ!? あんた、何を言って!」
「次は粗暴な冒険者ときたか。戦うしか能のない野蛮な職業、魔物を殺す以外の知性がないのだな」
仲介屋にだって魔物討伐以外の仕事はあるし、元奴隷とかは関係なく、ピスカはリーシャの友人なのだ。知ったかぶりをして、嫌味を言うだけの捻くれたエルフの男に、リーシャの手が動きかける。
すると、彼女の暴挙を止めるために動いたのは、他ならぬピスカだった。
「やめてください、リーシャ姉さま」
「ちょっ、ピスカ! あんた、好き放題言われてんのよ! それでいいの?」
「い、いいんです! 事実は、事実ですから……」
「従順だな、そうやって今までも飼い主に尻尾を振ってきたのか? 実に奴隷らしい卑しさだ。道具は玩具らしく、遊ばれてきたのだろう?」
ふん、と素っ気なく鼻を鳴らしたエルフ族の男は、彼の妄想もひっくるめ、言いたい放題にピスカを中傷した後に、理事長室に集まった8人に背を向ける。
「ボースタイン理事長にお話があったのですが、明日にすることにしましょう。汚らわしい奴隷などと、同じ空気は吸いたくないのでね」
理事長室の扉が閉まり、何とも言えない沈黙が流れる。怒りの冷めないリーシャはピスカに宥められ、メルは表情を変えずに「……不快」とだけ言って黙り込む。
ミラエル会長は申し訳なさそうに眉根を下げ、スキャード教頭は「またですか」と、もう慣れっこだと言わんばかりに、部下の態度の悪さに失望していた。
初対面のはずなのに、ピスカが攻撃的な物言いをされたことが納得いかず、比較的に物腰が柔らかなルリアリアに、三珠は尋ねる。
「あぁ、あん人はなぁ。誰にでもあんな感じやで?」
「そうなの、あれかな? 嫌われ者とか?」
「あん人、ネルゼト・ハウガーゼン教授ゆうねんけど、学院にも好きな生徒はいいひんのやないかなあ」
ルリアリアは穏やかな口調で言うが、言葉の端々に棘があり、ハウガーゼン教授のことを本気で嫌っているのが伝わってくる。
『(スィアも、あの人嫌いー。ピスカ、いじめたー)』
「(だからって、乱暴はしないようにね)」
『(むうー、我慢するー。スィア、ピスカには笑ってほしいのにー』
不満たらたらなスィアだったが、こればかりは三珠も擁護できない。
友達が傷つけられたのだから、三珠もいい気はしていないし、彼の捻くれた性格を考えれば、好かれる教師になり得ないのは明白だろう。
たまにいる、生徒の顰蹙を買う教師筆頭という感じだった。
「気分を害したのであれば、申し訳ありません。彼は属性魔術の講師としては優秀なのですが、如何せん正確に難がありまして」
「いや、スキャード教頭先生に謝られても……」
横暴なハウガーゼン教授に苛立っていたリーシャは、スキャード教頭が学院を代表して謝ってくれたことで、だいぶ落ち着きを取り戻したらしい。
ほっと胸を撫で下ろすピスカを一瞥し、なにやら考え込むような仕草はしたが。
「やはり理事長にしっかりしてもらわないと、話が進まないわね」
幸先の悪い共同生活のスタートに、こほん、とミラエル会長は場の空気を和ませるために咳払いし、ローブの中に手を突っ込むと、葉巻の入ったケースを取り出す。
まさか、学生会会長の彼女が喫煙するというのだろうか。
此方の学院の校則は知らないが、生徒の模範となるべき学生会の会長が、葉巻を吸う姿を晒すのは、ルールで許可されていたとしても、対面はよくないと思う。
「あの!」と三珠が言いかけたところで、ミラエル会長は火属性の初級魔術を発動し、蝋燭の火程度の大きさの火を指先につけ、葉巻に点火した。
葉巻の先は徐々に燃え広がり、火元の煙と独特の臭みが理事長室に漂う。そしてミラエル会長は葉巻を吸うと見せかけ、ボースタイン理事長の鼻に近づける。
と、次の瞬間だった――
「こ、これは! 葉巻の臭いかの!」
くわっと、素早く瞼を開いたボースタイン理事長は、さっきまでの寝ぼけた老人という雰囲気がなくなり、ミラエル会長の手から葉巻を奪い取る。
レーシー族には煙草が好きな者が多いという。ボースタイン理事長も、その一人だったということだ。ミラエル会長が葉巻を準備していたのは、自分が喫煙するためではなく、ボースタイン理事長の意識を覚醒させるためなのだった。
「おんや、見慣れれぬ顔があつまっとるのう。わしゃあのファンか?」
「違います、例の記者代行の依頼を受けた仲介屋の方々です。私に説明してくれたのは、理事長ではなかったですか?」
「そうじゃった、そうじゃった。いやあ、すまんのう。ついつい、転寝しとったようじゃ。フォッ、フォッ、フォッ」
ご機嫌な様子で葉巻を吹かし、ボースタイン理会長は気の良い笑い声をあげる。煙草の臭いで目を覚ました老人は、好々爺といった貫録があった。
そうなのだ、三珠の見たかったのは、賢者らしい賢者の老人である。夢見心地ではない今の彼ならば、スケジュールの話もまとまりそうだった。
「待たせてしまったのう。お主らには学院の右棟、女子寮の方に貸し出す部屋を用意した。ファグナリア祭までの約30日間は、そこで過ごすといい」
「ただ注意事項として、寮では品評会に向け、死力を尽くしている生徒もいます。くれぐれも、彼女らの研究の妨げにはなりませんように」
スキャード教頭に念を押され、三珠達は頷く。取材に来たのであり、遊びではない。自分らとて、学院生徒達に迷惑をかけたくはなかった。
「ふむ。わしゃあは寝ぼけとる間に、色々あったようじゃが、後のことは学生会に引き継ぐとしよう。明日は学生会のメンバーに連れ添い、オリエンテーションの方針で、学内の授業風景を取材してもらうことになるじゃろう」
「本来ならば後2名、男性側の学生会メンバーもいたのですが、今日は朝から姿が見えず、取材班の皆様をお出迎えできなかったことは、お許しください」
「んっ……問題、ない。女子メンバー……だけに、なったから……男子寮の案内、必要……なくなった」
謝ってばかりのスキャード教頭を気の毒に思い、口下手の少女なりにメルは彼女を気遣う。元姫君という立場もあり、メルは下手に出ることができない。
礼節に手厳しいスキャード教頭ならば、忠告の1つでもありそうだったが、メルが素直な少女であることを見抜いたのか、お咎めなしで済む。
ハウガーゼン教授の態度もあり、強く言えなかっただけかもしれないが――とにかく、胃が痛みそうな立ち位置だな、と三珠はスキャード教頭を同情する。
「それじゃあ、行きましょうか?」
やがて学院の代表と顔合わせを済ませた4人は、ミラエル会長の指示に従い、学院の女子寮に赴くのだった。




