第四話:一万階段を登ろう
学院都市の宿屋で数日を過ごし、少女四人がアルスファグナ魔術学院へ、仮入学をする日となった。
真新しい漆黒のローブに――いや、死魔族の伝統衣装を着るメルだけは普段着なのだが、彼女達は魔術学院の正装に身を包む。 四人が立つのは、霊峰キリエストール山の麓。校門というには大きすぎる大理石の柱は学院への登山口に佇み、長く険しい階段が遥か山頂まで続いていた。
キリエストール山は、パスクルと呼ばれる白岩の地表が積み重なった岩山である。斜面に木々は根を這っておらず、白く綺麗な山肌をしている。つるつるとした肌触りのよい表面だが、実は魔素の濃縮した岩だという。凝縮した魔素がよく結晶化し、石灰岩が採取できるという。
貝化石などで有名なアラゴナイトだが、キリエストール山が元海底なのかどうか、それは調べられていないらしく、真相は謎のままだ。
もしかすれば、調べる技術がないのかもしれない。魔素という力が知覚できる世界だから、石灰岩が自然発生するという可能性もなくはないが。
「先輩からのアドバイスだけど、山の中腹ニ七〇〇メートル付近に休憩場があるらしいから、そこで一旦休憩。カルディアナ山道の時みたいに軽い運動をしつつ、バングルの結界に酸素調整の符呪をピスカにしてもらうって感じ?」
「うん。もっと高い山に登ったんだから、何とかなりそうかな」
「問題は徒歩、という点ですね」
キリエストール山の頂上まで続く長い長い一万階段を見上げ、「気合入れていきましょう」と、ピスカはやる気満々に脇を締める。
人身売買の商品だった頃の経験があるからか、ピスカは肉体的な拷問に耐性があるようで、辛い山登りを前にしてもへこたれない。
それに対し、三珠とリーシャ、メルの三人は立ち塞がる一万階段の苦役を想像してしまい、げんなりしていく。ロープウェーやゴンドラの甘えは許されず、取材許可の条件が一万階段を登り切ることとされており、引き返すという選択肢はないのである。
『ますたー、スィアね。皆を連れていくよー』
そう甘い言葉を囁いたのは、魔浄書のスィアだった。彼女に記された空間転移の魔法を使えば、学院の頂上には一瞬で到着するだろう。
だが、三珠は彼女に頼るのは悪手だと考える。ズルをした気分になるのもあるが、それよりも自分達を歓迎するのために、出迎えがいるパターンを連想したのだ。空間転移を目撃されたのならば、当然のように突っ込まれるだろう。
そうなれば、必然的に古文書の説明をしなければいけなくなる。相手は学生とはいえ研究者、過度な力の見せびらかすのは避けたいところだ。
『ますたー。スィアの力、嫌いなの?』
「えっ? 違うよ、どうしてそう思ったのかな?」
『んー、スィアね。ますたーの力になりたいの。でもね、スィアが頑張ると、ますたーが困っちゃうみたいだから。スィア、人間がよくわかんない』
「ええと、考えすぎじゃないかな? スィアは、ちゃんと私を助けてくれてるよ? それは、私が証明してあげるから」
『そうかなー? スィアね、皆と違うから。だからね、皆と一緒になりたいな』
スィアは魔導書であるが、三珠から独立した人格を持っている。まだ心が未発達な少女だからこそ、ウブな悩みを持ってしまったのかもしれない。
難しい年頃ってことかな? なんて大人びた思考を抱きつつ、三珠は徐々に変化していくスィアの心境に、なかなか順応しきれなかった。と、足を止めた三珠に、一万階段に挑み始めた三人が声をかける。
「三珠、なにやってんの? 尻込みしてても、登らないと始まらないっしょ?」
「三珠姉さま、ファイトです! 新聞社の皆さんに仕事を任されたのですから、期
待に応えなくちゃダメです!」
「怖じ気……づいた……?」
三人に誤解され、すぐ行くからと訂正した三珠は、仲間達を呼び止める。
『ますたー、行くの?』
「うん、自力で登り切らないと意味ないと思うから。それに魔法を使っちゃったら、スィアに綺麗な景色を見せられないかもしれないしね」
『そっかー、スィアのためかー』
「そうそう。だから、ゆっくり登ってみないかな?」
純粋なスィアを丸め込むために、三珠がもっともらしい理由付けをすると、優しい魔導書は騙されてくれた。「ますたー、応援するね」と、元気が出るようなエールをスィアから受け取り、三珠は友人達とともに、学院校舎までの敵となる一万階段に挑む。
◇
キリエストール山の中腹、屋根付きの休憩所のある広場に屯し、軽い運動を終えた少女四人は、二人一組で別れ、互いにストレッチをする。
休憩所は立派で頑強な白い岩石で造られ、キリエストール山の上層からは轟音を響かせ、白い泡飛沫を撒き散らす滝は、山の斜面にできた川を下る。
かなり大きな滝のようだった。学院へと続く道は、滝の内側に架かった吊り橋を通るようだ。魔術的な補強がされているため、見た目よりも丈夫な橋なのだろうが、滝の水飛沫で濡れてしまうのは、避けられないかもしれなかった。
「しっかし、驚いたわよね。街の裏がこんなに景色がいいなんて」
「はい、なんというか落ち着きますね。すごく高いのは間違いないのですが……」
背中を合わせ、相方と腕を組んだリーシャは前屈みになり、足が地面から浮いたピスカの背中を伸ばしつつ、二人は崖側に注目した。
キリエストール山の中腹は、アルスファグナ魔術研究都市の裏手となるが、崖の眼下は壮観なまでの樹海だったのだ。
木々の若葉が辺り一面を覆い隠し、葉の擦れ合う様子が窺える緑一色の風景――
魔術学院に訪れる際に、街道バスで通った街道の両脇には、やたらと育った木が多く、じめじめとした雰囲気だったが、高所から見てみれば、相当深い森の中に学院都市はあることがわかった。
都市が樹海に覆われていたのであれば、街道の道中に変わり映えしない景色が続いたのも、納得せざるおえない。景色はいいが山道は飽きてきた、とそう思ったのは、三珠の胸の内だけに秘めておく。
「うう……まだ、頭痛する……」
「メル、大丈夫? 普通にストレッチしちゃってるけど?」
「問題、なし……少しは、楽になった」
三珠に背中を押され、地面に座り込んだメルはつま先に手をつける。スポーツテストでお馴染みの長座体前屈の姿勢だ。
高い山を登る過程で体調を崩したメルだったが、今は呼吸を整え、多少は顔色もよくなったように思う。というのも、死魔族は青白い肌を持つ特徴があり、顔色が悪く見えてしまい、なかなか健康時と不健康時の見分けがつけにくいのだ。
「寒くない?」と彼女に尋ねた三珠は、メルに首を振られ、「そっちこそ……」と、逆に心配されてしまった。
キリエストール山の中腹にある休憩所は、おおよそ二六七〇メートル付近。学院の麓にある都市からすれば、気温も下がったことだろう。だが、三珠らは違和感を感じない。
それもこれも、水属性とそれに連なる複合属性への耐性が、学院指定のローブに符呪がされており、耐寒性を高めているからだ。山頂にある学院だけに、対策済みではあったのだろう。
耐性のない普段のローブを着たメルは心配だが、彼女によれば、死魔族の温度感覚は鈍く、寒さをあまり感じないらしかった。
羨ましいようでいて、少し寂しくもある。友人と分かち合える思い出の中に、「あそこ寒かったねえ」とか、「あの日はすごく熱かったね」とか、そういった感覚的な思い出を共有できないからだ。
折角、三珠達はメルとの和解まで漕ぎつけたのだから、彼女にも旅を楽しんでほしい。そんな思いを抱いた三珠だったが、自分達と過ごすメルは居心地が良さそうにしていて、すぐに杞憂だったと改める。
と、四人の休む広間に、黒いローブを着た見知らぬ成人男性が現れる。
「おっと、先客がいたようだね」
緑色の髪はツンツンと逆立ち、金枠の片眼鏡を装着した男だ。彼は興味深そうに四人を長め、モノクルの鎖に触る。
博学そうな男だが、実際に彼は魔術学院所属の講師だった。名前はノハメド・ヘレクセン教授、専攻は魔術神経学であるという。魔術神経学とは、大気に満ちた魔素を選出するための器官を研究する学問だ。
魔素の感知は肉体的に行われているのか、それとも精神的に処理されているのか、双方の議論が囁かれており、ヘレクセン教授はその分野の研究をしている。
魔素が人体に与える影響というのも、彼の研究課題ではあった。
「ええと、学院の人でいいんだよね?」
「名乗った通りさ、私はアルスファグナ魔術学院の教師の一人だ。ヘレクセン教授と、気安く呼んでもらって構わないよ」
なかなか気さくな男性講師である。生徒人気も高いのではなかろうか、彼のように生徒が相談しやすそうな空気をもつ教師は、日本の学校にもいた。
その辺りは異世界も変わらないな、と三珠はつくづく思う。
「一ついいですか、ヘレクセン教授。どうして、学院の教師が一万階段を使ってるんですか? 学院内には、都市への転移門があるって話じゃないですか?」
「獣人種の君、よく知っているね」
「まあ、一応は仲介屋の人間ですからね~。あと、あたしはリフォルシアです」
「失礼した、リフォルシアさん。しかし、仲介屋となると……」
記憶を辿るように、ヘレクセン教授はこめかみを突く。そして彼は、ポン、と右手の平の上に左手を打ち付け、納得いったというふうに頷いた。
「そうか、君達がアベントゥーラ時報から連絡のあった記者だね。いやぁしかし、若者を送り出すと聞いていたが、まさかここまで若いとは、少し予想外だ」
「やっぱり、そうなりますか? 私達も若輩者の身で不安はあったのですが……」
「いやいや、畏まることはない。それにしても、褐色のエルフ族ともなると、君が神官見習いの子かな?」
片眼鏡を擦る男に、ピスカは頷く。
「あっ、はい! そうです、学院の聖堂にお邪魔したくて」
「彼女の聖堂にか、それは喜ぶだろうね」
学院都市にある真皇教団の聖堂は、アルスファグナ魔術学院の構内にあるらしく、どちらにしても三珠達は学院を訪れなければいけなかった。
取材協力の依頼が受けられたのは、都合がいいと言えばよかったのである。そこでふと、ヘレクセン教授は少女達を見回し、
「しかし、男性の名があったような気がしたが、君達は全員女性だよね?」
「ああ、ええと……色々とありまして、私とこの子が代理を務めることになったんです。そうだよね、メル!?」
「それは、違う……私達は……」
正直に言いかけたメルの言葉を遮り、三珠は強引に押し切ろうとする。
名義の悪用が発覚したならば、多額の賠償金を払わされると聞いたから、ここはうまく三珠が立ち振る舞うしかなかった。
「メル、合わせてくれないかな?」
「あ、う……心得た……」
三珠の威圧的な笑みに脅されたメルは、こくこくと素早く首を縦に振る。メルには悪いけれど、今は正直者のお姫様でいないことを望む。
自分が悪役になったようで、少しだけ気が引けたのだが、金欲に目が眩んだ男の尻拭いをするためには、どうしても嘘が必要なのだ。
「フェレスさん、覚えててね」と泣きべそをかきつつ、三珠はグッと堪えた。
「VIP向けの急な仕事が入ったみたいで、後輩の私達が任されちゃったんです。だよね、メル?」
「ソウ……ミタマノ、イウトオリ……ワタシタチ、スケット……」
「そうか、それは大変だね。時期が時期だけに、君達の先輩も忙しいだろう」
目の笑っていない三珠の笑顔に気圧され、演技力皆無のメルは酷い棒読みになっていたが、ヘレクセン教授は疑いを持たず、真面目に聞き入れてくれる。
良い先生だと思う。それゆえに、三珠は嘘を吐いたのが心苦しかった。
「それで、君達は女性だけのグループとなり、学院への登山を決めたのかな?」
「まあ、そんな感じですね~」
「そういうことか。安心していいよ、有意義な学生生活を送れることを約束しよう。学生会の会長は淫らと言われる夢魔族の少女だが、それに反して生真面目で礼儀正しい貴族のご令嬢だ。君達の歓迎役でもあるし、期待しておくといい」
しかし、と考え込んだヘレクセン教授は、きらりと眼鏡を反射させる。
「少女だけで互いを支え合い、この過酷な一万階段に挑み、あまつさえ、かいた汗を君達は拭い合っていたということか。まさに友情、まさに異性には分からぬ絆。ああ、尊い! 素晴らすいいいいいいいいいいいいい!!!」
器量のいい教師かと思ったが、訂正しよう。少女達の絡みを妄想し、山谷に木霊する奇声を発した男性教師は、紛れもない変態である。彼と普通に対話していたはずのリーシャは、二・三歩距離をとり、思いっきり口角を引き攣らせていた。
しかし、ヘレクセン教授は少女に引かれたことなど気にも留めず、はあはあ、と息を荒げ、火照っ顔を冷ますために、すぅはぁ、と深呼吸をする。
「すまなかったね。恋というものに、魔術的神経は関係するのか。異性愛や同性愛についても、私はかなり興味を思っていてね」
「それで冷静さを失ったんですか?」
「その通りだ、エルフの少女。けれど、勘違いはしないでくれ。私はそちらの方面に理解があってね。大丈夫、邪魔をするつもりはない」
ビシリと親指を立てたヘレクセン教授に、ピスカが感銘を受けたように頷く。同性愛を理想とする彼女からすれば、学院教授たる彼に同士の如き共感を得たのだ。
「本当ですか!? お姉方への敬意、わかってくれる人がいるとは思いませんでした! ヘレクセンさんとは、長らく語り合えそうです!」
「おお、それはいいね。実は本職の子から聞きたいこともあったのだ!」
カッと目を見開いたヘレクセン教授に、ピスカががっつく。彼女受けする話題だったのだろう、長くなりそうだ。
「ねえ、どうすんの? あのアホっ子連中の会話」
「聞かなかったことに、する……それが、一番……」
「うん。二人が落ち着いたら、登山再開しよっか?」
無言で相槌を打つヘレクセン教授に、ピスカが熱弁を振るう姿を眺め、「いつまで続くんだろう」と言いたげな三人は、山の中腹に流れ込む風を肌に浴び、身も心も冷えそうになっているのだった。




