第五話:山岳都市オロス
アベントゥーラと呼ばれるこの世界には、大きく4つの大陸があった。四季のある温暖な大陸、トリミニエオス。1年の大半が冬季の大陸、ヒモナス。永劫に夜の明けない大陸、二フタ。
そしてここ、鉄と砂上の大地ともよばれるエレーミア大陸である。海上には未開拓の島が無数にあるらしいが、大陸規模の大きさではない。
フェレスたちが向かっているのが、エレーミア大陸南西に位置するオロスという都市で、エレーミア大陸の首都であるノルキアト共和国は、近代的な民主主義の方針を掲げているという。
元首は大統領として任期は4年、国民主権を訴える国家である。今から向かうオロスも、州知事のような政治家の統治下にあるはずだ。
「着きやしたぜ、旦那。それにお嬢ちゃんも」
車両の振動が止み、運転手のナシュタが声を掛けてくる。彼の言葉通り、目的地に到着したようだ。荷台のビニールシートの中からではよくわからない。
行くぞ、とフェレスは三珠の手を引き、ニ人は車両を下りた。
三珠が身を守る布切れが風に飛ばないよう、顔を赤くして布の裾を掴む。三珠も年頃の娘だ。下が裸なのだから、恥じらいもあるのだろう。
だが、黒髪は縁起が悪く目立ってしまうし、フェレスは余計なトラブルを避けるため、三珠に布きれをフードのように被るよう、指示をした。
それにより、彼女の着た布きれは膝までの高さとなる。絶対死守領域なのかもしれない。女の尊厳を失いたくないというふうに、少女は内股になって耐え忍ぶ。
「うわあ……」
ふと、顔を上げた三珠が感嘆の声を上げる。まるで、初めて異界の都市を訪れたかのような反応だった。嘘か、本当かは分からないが、彼女は記憶喪失だというし、この反応が正しいのかもしれない。
オロスは山肌に沿うように建造された都市である。高さ三十メートルはあろうかという砦が、フェレスの目の前にそびえ立っている。
横の長さを目視で計ることはできないが、ただ砦は大きく、山を囲っているということはわかる。
「さてさて、あっしは賃金分の仕事はしましたぜ」
「ああ、助かった。三珠、入国手続きを済ませるぞ」
「うん、わかった。フェレスさん、案内よろしく」
「言われなくても、迷子になられたら困るからな」
そう言ったフェレスは、砦の外壁にある入国者用の階段へと歩き出す。オロスへの道中、世界地理を教えるついでに、三珠とは自己紹介を済ませた。名前だけ覚えているなんて、便利な記憶喪失もあったものだ。色々と聞きたいことはあったが、今は少女の意志を尊重しようと思う。
ひとまず、敬語は不要だと言っておいたから、三珠もかなり話やすそうだった。三珠は車両の運転席に座るナシュタに頭を下げると、フェレスの背中を追う。
去り際に笑うナシュタの表情は、親切で温厚な運転手のそれだ。一時的な風評被害もあったが、ホブゴブリン族は昔から温厚で人間種に親しい種族だから、一族が復権し、旅人と会話できるまでになったのは、彼らも嬉しいことだろう。
やがて砦の階段の上りきると、いきなり三珠は駆け出してしまった。フェレスは引き留めようとしたが、少女は逸る気持ちを抑えられなかったらしい。
風で布が飛んだらどうするというのか。元気がありすぎだ、騒がしい娘を拾ったものである。
砦の壁上はかなり広い。前方の幅は百メートルくらいだろう。砦の端まで走り抜け、三珠がその内部を見渡している。
「俺としては、もう少し大人しい方がいいが……」
フェレスは遺跡探索を終えたばかりなのだ。腰も痛ければ、足だって筋肉痛でズキズキと痛む。 年寄りを労われよ、と不満を抱きつつ、フェレスは疲れた体に鞭を打つ。
三珠の視線を追い、フェレスはオロスの街並みを眺めた。
オロスは五段の都市階層を造った大きな街である。都市を行きかうゴンドラが何台も、砦の発着場から頂上までを往復していて、ギシギシと、ゴンドラのロープが風に流され、音を上げている。
都市内の階層移動には、そのゴンドラに使う。壮大な都市の景観に目を奪われていた三珠だが――
「――えっ?」
ふと、彼女の顔色が悪くなった。
砦の塀から体を乗り出す彼女に、危ない奴だな、と思う反面、彼女の見た光景はなんとなく想像ができる。地上三十メートル、流石に足の竦むような高さだが、しかし三珠の衝撃を与えたのは、砦の高さではないだろう。フェレスは彼女に追いつき、塀の真下を見下ろす。
そこには、第一階層のストリートスラムが広がっていた。
ニ階層以降の立派な建物が並ぶ居住区とはまるで違う。壊れかけの家。見るからに不清潔な路地。茣蓙を敷き、ぼろ布を着た物乞いがそこかしこに見当たる。これが貧富の差なのだ。
きらきらと瞳を輝かせていた三珠も、スラム街の治安の悪さにはげんなりしたのだろう。
フェレスは少女の隣に並び――
「実際に見てみると、酷いもんだろ?」
彼女の肩を叩き、オロスの都市構成を教える。
オロスには階層ごとに生活水準に違いがあった。第一階層が貧困層の掃き溜めで、第ニ階層が一般的な住人の居住区で、兵士の宿舎や都市警察の支部は、この第ニ階層にある。
第三階層は商業区として有名で、市場の騒々しい屋根色が壁上からも見渡せた。第四階層は行政の中核や富豪層の邸宅が並ぶ階層だ。
そして一番上の階層に、この都市のシンボルとも名高い真皇教団の大聖堂がある。三珠はこめかみをつつき、都市階層を頭に入れているようだった。
「真皇教団? それが、この街を統治する組織なの?」
「いや、違う。ここの管理は行政区の第四層が仕切ってるよ。教団はお飾りさ」
真皇教団はアンスロポスって言われた先住民の自然崇拝を、後世に語り継いだ教団で、世界規模で展開される宗教にしては、汚職の話もあまり聞かなかった。
古代遺産や未開拓遺跡の管理を任されていて、世界各国での権威は大きく、フェレスが遺跡の調査を頼まれたのも、真皇教団オロス支部の女司祭を務める女性だった。
彼女はフェレスの教え子でもあり、今回の仕事を指名してくれたのだ。鬼のような仕事だったことは、その女司祭には黙っていようと思う。
三珠は山頂を見上げ、山肌にめり込んだような神殿造りの大聖堂を見上げる。そして、再び第一階層のストリートスラムに目を戻した。彼女の心境は、だいたい想像できる。
ストリームスラムが第一階層の理由は簡単なのだ。仮にオロスを守る砦が魔物や敵軍に突破されたとして、最初の被害にあうのは第一階層の住人だ。
第ニ階層に軍の庁舎があるのだから、第一階層の住人が犠牲になっている間に、戦力を整えればいい。あまりいい気分はしないが、それでも政治的には合理的な手段ではある。
きゅっと、三珠は唇を結ぶ。少し、彼女は考えすぎているのかもしれない。フェレスと違い、未来のある若者には、あまりそういう顔はしてほしくなかった。
フェレスは肩掛けのリュックから厚い古本を取り出し、喝を入れるついでに三珠の頭を小突いておく。
あいたっ! と声を上げ、三珠は叩かれた頭を擦る。
そして、彼女は恨めしそうにフェレスを見上げた。若者はこのくらい感情的な方がいい。フェレスは古びた本を差し出し、三珠に預ける。
「とりあえず、この魔導書は返しておく」
「えっ、この本――」
「遺跡でお前が持ってた魔導書だ。一応、俺もお前が寝ている間に読もうとしたんだが、ページが開かなくてな。俺が持っていても、意味はなさそうだ」
「これ、魔導書だったの……?」
三珠は古びた魔導書を懐に抱え、その表紙を見た。『誰がためのグリモワール』、そう表記された怪しげな本だ。よくわからないが、三珠は不満そうにその古本を揺さぶる。
少女の気が済むのを待つのもいいが、彼女を裸布のままで連れ回すわけにはいかないだろう。これでは、フェレスが三珠に妙な性癖を押し付けている構図にしか見えない。
大人としての尊厳が失われてしまいそうだ。フェレスはゴンドラの発着場を指さし、三珠を促す。
「そろそろいいだろう。お前、いつまでその格好でいるつもりだ?」
「あっ……確かに……」
飛んだり跳ねたりしていた三珠だったが、ようやく自分が布きれ一枚であることを思い出したらしく、そそそ、とすり足で移動し、少女は顔を真っ赤にして、布のふちを押さえていた。
早いところ彼女の服を手に入れ、フェレスも人の目を避けたいところである。
申し訳なさそうに、三珠は眉根を下げ、
「あの、フェレスさん……申し上げにくいのですが……」
「わかってる、服は買ってやるよ。まずは第三層の商業区画だな?」
フェレスは肩掛けのリュックに入った小袋の中身を確認する。いったい、どれくらいかかるのだろうか。フェレスは三珠を引き連れ、ゴンドラ発着場の受付嬢に話しかけると、ニ人分の入国手続きを済ませる。そして、フェレスはゴンドラの運賃を支払うのだった。




