第三八話:楽園の終わりに御魂は還る(結・末話)
蠅の異形に変貌を遂げたアスターナは、猫背になって背中に生え出した虫の羽を動かす。むき出した目玉が裏返った黒肌の魔女は、己の使役するハエの群れを、フェレスへとけしかけた。
もはや異形と化した魔女が少女らを追うことはないだろう。彼女の意志は全身全霊をもって、卑怯な悪魔を倒すことに注力される。
アスターナを騙し討ちする際に、封印式を刻んだ設置型魔術は解除した。二ヵ所への設置魔術の仕様は可能になり、呪術弾を出し惜しみする必要もない。
フェレスは白い花弁の盾となる設置型の防御魔術でハエの進行を防ぎ、ハエの王を憑依させたアスターナの本体に、もう一つの魔術トラップの魔法陣を弾く。
聖なる輝きを発する浄化のスクロールを使い、ハエの大軍を眩い光によって一掃したフェレスは、魔女の肉体に設置したトラップを起爆する。
瞬間、異形化したアスターナの全身に駆け巡ったのは雷撃だった。複合属性魔術の威力とまでいかないが、設置型の魔術は汎用性の高さが売りだ。
必要とする魔素の量が少なく、フェレスのように魔素適性が低い者でも、属性型の設置魔術が使えないことはない。基本は足止め目的の魔術であり、一般人を失神させる程度の雷撃でしかないが。
「やっぱ、俺は魔術で戦うもんじゃないな」
体の表面に稲妻が走り、身を丸めたアスターナだが、彼女はあっさりと雷撃を跳ね除けてしまう。だが、僅かに怯ませただけでも、自分にしては上出来だ。
敵対者が1人の女性を生贄にし、生み出された蠅の王を宿しているのならば、生半可な呪詛では上書きできないだろう。強力な思念の塊には、さらに強力な執念をぶつける必要がある。
ゆえにフェレスは6発の呪術弾を、自分の蓄えた全ストックを消費し、最大最後の全身全霊を込めた一撃で、アスターナを仕留めようと考えた。
しかし次の瞬間、フェレスは自分の読みが甘かったことを思い知らされる。」
『何か、忘れていないか? 私には、未来が見えるのだぞ?』
体を丸め、やがて天井を仰ぎ見て、叫び声をあげたアスターナの口からは、ハエの大軍が吐き出された。未来を見通す魔女が、フェレスの呪術弾を警戒しないはずがなかった。
自分の最大最後の一手は、預言者の計略に阻まれる。
襲う来るは蠅の軍勢。浄化のスクロールは在庫が切れた。
呪術弾を撃ち込み、蠅の軍勢を討伐しなければ、殺されるのはフェレスである。戦闘中に血を補充し、呪術弾を製作する時間はないが、ここで銃剣に宿った呪詛を放たなければ、後がないのも事実である。
単体ではなく広域化した呪詛では、どれくらいにバアル・ゼブルの力を弱めることができるだろう。少なくとも、存在の上書きとまでいかないはずである。
フェレスは選択肢を奪われ、呪術弾を使用するしかなくなる――はずだったが。
『まさか、もう来たのか――っ!!』
計画が狂ったのだろうか、異形のアスターナが動揺した。
その理由を、フェレスはすぐに知ることとなる。
「フェレス、遅くなったね」
そう言った男の声は、アディンのものだった。上空を覆い隠すほどの広範囲に燃え上がった黒い炎は、蠅の軍勢を跡形もなく焼き尽くす。
首なし騎士との戦闘に勝利し、王城に駆け付けた男が放った魔術だ。
アスターナが錯乱したのは、彼の乱入を予知したからなのだろう。万一に未来が見えたとしても、覆せない力量の差はあり得る。
渦を巻く炎が蠅の群れに風穴を空け、フェレスの通り道を作った。
「行け、フェレス! 華は君に持たせてあげよう」
「そりゃ助かる、後でお礼はせびらないでくれよ?」
「さあ、それは僕の気持ちしだいだ」
仲間の援護に恥じることはない。それもある意味で仲間というものは、フェレスが手に入れた力であるのだから――ここまでお膳立てされ、それでも意地を張り通すことこそ、むしろ自らの恥だろう。
フェレスは銃剣の引き金を引き、刀身に敗北の呪詛を満たすと、守護のスクロールを使い、結界強度を高め、炎を免れたハエを1匹たりとも寄せ付けず、赤黒く光る刃を掲げ、黒炎の渦の中を走り進む。
渦の中に熱気はない、そこにあるのは獰猛なまでに燃え盛る炎の音だけ。
フェレスは剣を一振りし、前方を突くように構え、気持ちのこもった雄叫びと共に感覚を研ぎ澄ます。全力疾走で階段を駆けのぼり、異形化したアスターナの身に迫ると、渾身の力を振り絞って、彼女の鳩尾に銃剣で刺し貫いた。
肉を裂き、押し進んだ剣は魔女の血をこびり付け、彼女の背中に飛び出した。魔女の鮮血は散り、フェレスの頬や服に彼女の返り血がつく。
アスターナが血を吐き出すと、敗北の呪詛が彼女の体に入り込む。
「うぐ――がはっ!」
魔女の背中に這えた羽は消え失せ、裏返った瞳が元に戻った。異形ではなく、1人の女の姿となったアスターナは、フェレスに剣を引き抜かれ、階段を転げ落ちていく。
王城の階段に血痕を撒き散らし、やがて階段の下で止まった魔女は、かひゅうかひゅうと空気が抜けるような息を繰り返し、血管が浮き出すような赤々とした紋様を皮膚に這わせ、アスターナは虚ろな瞳に旧友の姿を映す。
「数日っぶりッスか、アスターナ?」
「カト……レア……?」
こほこほ、とせき込み、唇の端に血の筋を垂らすアスターナは、喧嘩別れした友の顔に、弱々しく手を伸ばす。王城にカトレアを連れてきたのは、アディンの計らいだった。
首なし騎士との決戦を終え、魔女団に送り出されたカトレアと合流した彼は、2人で王城を目指し、新星の魔女と暁の魔女を再会させたのだ。
「だから、言ったじゃないッスか。そんな結果は納得いかないって」
「そう……だな。そう……だった」
アスターナを守る母の願いもあと僅か、瞬く程度の存在だ。フェレスの宿す敗北の呪詛に飲み込まれ、母の怨念である蠅の王は魔女の体内から消え失せる。
命の灯火が消えかけているのは、母の未練に縛られた魔女ではなく、旧友と学問に励んだ1人の元女学生であった。
「どうして、ここまでしたんッスか――もっと、選びようもあったでしょう?」
「私は……証明したかった……」
社会に認められなかった者達にも、存在した意味はあったのだ、と。
人生の終着点を見失った母や、死を求めて彼女の下に集った魔女達にも、安寧を手に入れる権利があるのだと、一般的な価値観とは異なる考えを持っているだけで、自分達を否定した人間どもに、アスターナは言ってやりたかった。
「相変わらず、頑固ッスね」
アスターナの手を取ったカトレアは、哀れな同僚の末路に悲しそうな表情を浮かべ、それでもおどけたように言うのだ。
これはある魔女団が実行した集団自殺のお話。アスターナが作りあげた新星の魔女団には、死者の国の女王の復活などという大義名分はなかった。
仮にそれを成そうとしても、失敗する未来しか占えなかったからだ。
結局、母の本懐は果たせなかったアスターナだが、これで良かったのかもしれないと満足したように、彼女は笑う。アスターナには死ぬ理由が必要だった。
人生に疲れた母は「娘に任せる」という身勝手な自己満足で死を選び、母を守るために世間から排他され続けた彼女は、道を見失ってしまった。
母の意志を継ごうと躍起になってはみたけれど、報われない努力ほど心をへし折るものはない。
特にアスターナの場合、まだ母が健在だった時期に些細なすれ違いにより、カトレアと縁を切ったのがいけなかった。
彼女は友人という心の支えを失い、独りよがりの信念を貫かなければいけなくなり、魔女の羨望は歪んでいく。やがて彼女の醜い嫉妬心は、〝死〟への渇望に変換された。
まるで屍の王国となった地のように、眩しかった日々を振り返りながら――
なんとも迷惑な話だが、魔女は失敗するために計画を実行したのである、
ともあれ、アスターナには死の女神が自分の希望となり、安息の死に導いてくれるかもしれないという期待もあり、フェレスの外道ぶりが気に食わなかったのは、彼女の本心だったようだが。
虚ろな瞳に自分ヘとどめを刺した男の姿をとらえ、
「やはり、お前も……私達を、救っては……くれなかったんだな」
「悪いが――俺は弱者を救うために生まれたような、偉大な救世主様じゃないんだよ。そこに手が届かなかった惨めな悪魔さ」
「是非もないな……だが、感謝は……しよう」
「アスターナ……。逝けそうッスか、死の楽園に」
いつになく真面目な口調になり、カトレアは死にゆく友を見守る。
一方、フェレスに負け惜しみにも似た嫌味を言ったアスターナだが、しかし何かが吹っ切れたように、死に花を咲かせようとしていた。
『明け方が訪れた時、古き屍達は凱旋する』
思えば故郷が王国だなんて、その占いではまったく言われていなかった。
訳すればこうだろう。暁の魔女団が救世主をシワテテオスタ王国に招き入れた時、そこにある不浄の魂は、永遠に続く未練と闘い終わり、冥府の楽園に還る。
行き場を失った魂が帰郷するといえば、生前の故郷ではなく、魂の故郷なのだ。友人の手を強く握り返し、アスターナはカトレアに遺言を残す。
「カトレア……後は、任せた……」
そう言うなり、アスターナの瞳から光が消え、するりと彼女の手がカトレアの手から滑り落ちた。
安らかな眠りに入った魔女は、フェレスの呪詛に蝕まれてもなお、自分の体に残った母の未練と共に、アディンの炎に火葬されてゆく。
燃え逝く友の命の火が消える様を眺め、ずず、と鼻をすすり、背中向けに瞼を擦ったカトレアは、思い切って両頬を叩く。
「最終的に、運命は変わらなかったッスか」
「救いたかったのか、死に囚われた魔女を」
「どうなんッスかね。このまま生きてても、アスターナは苦しむだけだったと思ッスけど、自分には最良の選択なんてできないッスよ」
「これから、君はどうするつもりだい?」
「そうッスね。教団の力天使様のお墨付きももらえたッスから、本職の方で昇進を目指しつつ、暁の魔女団として活動していこうかと――頼まれちゃったしね」
本来はアスターナが教祖を務めていた暁の魔女団に、彼女が戻ることができなかったのは、カトレアと喧嘩別れしたこともあるだろうが、なにより死霊術と占術にのめり込むあまり、〝死〟に囚われすぎたからなのだろう。
母の惨めさと〝死の楽園〟への崇拝心が、アスターナという魔女を狂わせた。1人の女が歩んだ一生を見届け、滅びた王国は完全な終幕を迎え、亡者の国は魂を解放し、数多の未練が成仏していく。
もしかすれば、成仏する未練の光粒に満ちた今、この瞬間こそが、死した魂達の楽園なのかもしれない。
フェレスが銃剣の刃にこびり付く血を噴き取り、燃え広がらない不思議な炎に包まれたアスターナの遺体に黙祷を送る。
と、不意に自分の脳にダイレクトなメッセージが伝わってきた。
『(フェレスさん、聞こえる?)』
声の主は三珠だった。魔導書を使った念話の魔法を行使し、フェレスに連絡を取ってきたのだろう。
彼女が魔法を使ったということは、あちらもうまくいったに違いない。一件落着し、フェレスは心の底から安堵する。
と、そこへ――三珠の通信は続く。
『(よかった。そっちは大丈夫でいいのかな?)』
「(ああ、問題ない。片はついた)」
『(そうなんだ。それで、宝石屋の店主さんは……)』
「(俺が殺った。とはいえ、それが目的だったみたいだがな)」
えっ? と困惑する三珠に、フェレスは事件の顛末を語る。
〝死〟に囚われたアスターナだったが、あるいは自分が否定した友人への贖罪も含め、どうせ死ぬことが目的ならばと開き直り、滅びた王国を救おうとする意志が、彼女にもあったのかもしれないと、そう自分は信じたい。
アスターナの行動を説明し終えたフェレスに、三珠は黙り込んでしまう。
自分の境遇と重ねたのか。三珠は歯切れの悪い返答を返し、フェレスを――そしてアスターナの方も、少女が二者を責めるようなことはなかった。
三珠が喋らなくなったところで、フェレスは話題を振り、彼女に気を利かせる。
「(それで、三珠の方はどうなんだ?)」
『(ああ、うん。そうだ、メルは説得できたんだけど、もっとすごいことになっちゃって。私、どうすればいいのか……)』
「(いや待て、何があった? ちゃんと説明してくれないか?)」
言い淀む少女に問いかけ、とんでもなく面倒な予感がしたフェレスは――三珠の話を聞き、やはり驚愕することとなるのだった。




