第三六話:腐乱した蠅の王《バアル・ゼブル》
群がったハエの中心部に爆破型の設置魔術を発動させ、砕け散った魔法陣とともに、弱々しい爆破の炎と煙があがり、ハエの群れを散り散りにする。
だが、それも一瞬だ。群れを解体したハエは再び寄り添い、耳障りな羽音が王城の広間に響き続け、フェレスは鬱陶しいとすら思う。
偉そうに格好をつけ、少女らを送り出したはいいが、劣勢なのは間違いない。
年寄りが無茶をするものじゃない。格好悪いにもほどがある。
フェレスは早速、アスターナが降霊した〝ハエの王〟の相手を放棄したくなるが、そういうわけにもいかないだろう。
少女たちが友人を救うと意気込んでいたので、彼女らの説得に邪魔が入らないよう、アスターナの足を止める必要がある。
結果的に、謁見の間に続く扉を設置型魔術の封印式で封鎖したが、これの維持がフェレスの体力と精神力を根こそぎ奪っていたのだ。
「魔術適性が低いと、こういう時に不便なんだよな」
ぜえぜえ、と息を荒げ、フェレスは苦情を言う。
ただでさえ、自分は設置型魔術すら二ヵ所に設置するのがやっとなのに、その一ヶ所が奪われ、戦略の幅は大きく低減している。
さらに言えば、封印式の維持を維持しなければいけない手前、自分の切り札の呪術に頼れないのも痛い。自分への嫌がらせなのだろうか。
まるで見えざる力が働き、自分に不利な環境が整えられている気さえする。
「まあ、それはないか」
フェレスは腰のバレットベルトに手を伸ばし、はたと気づく。
光属性と火属性関連の魔術弾が底を尽きかけてきたのだ。
四大元素と異なり、上位属性に位置する2属性の魔術弾は値段が高く、控えめに調達していたが、それが仇となったようだ。火属性魔術弾に関しては、単に撃ちすぎが原因に違いない。
同行者が増えたこともあり、節約のつもりだったが、今更になって後悔した。
思えば、亡霊の相手ばかりさせられ、アンデット系の使い魔に有効な光属性弾ばかり使用すれば、底が尽きるのも当たり前ではある。
滅びた国に魔術弾の販売店があるはずもなく、カトレアの指揮する暁の魔女団はといえば、フェレスのように魔術適性が低い者も少ないだろうし、力不足な点は武器ではなく使い魔で補うだろうから、魔術弾を調達する余裕もなかった。
本当に自分は格好がつかない親父である。
強大な敵を前にして、運が悪いで片付けられないくらいに、フェレスは追いこまれていた。
牽制目的の無駄撃ちは避けた方がいいだろう。不浄のハエに有効なのは、光と火属性のようなのだが、温存していくしかなくなった。
無限にわくハエに対し、弾数制限のあるフェレスは不利であり、早期決着が望ましいのだが、制限の多い状況下では決定打に欠ける。
フェレスは冷や汗を流し、勝利への一手を模索していく。
と、その時だった――アスターナは蠅の王を背後に浮遊させ、フェレスの苦境を読み切ったように、彼女は確信を持って煽る。
「私の占いは的確だ。行き詰ったのだろう、無理をする前に降伏したらどうだ? 体に障ると思うぞ」
「そう言うのなら、おっさんには優しくしてくれないか? 若い奴らみたいに、体力ないんだよ」
ずっと年下の女に舐められまいと、虚勢を張るフェレスだったが、しかしアスターナには通用しなかった。未来視の扱える彼女に嘘は通用しない。
三珠らを謁見の間に向かわせた時みたいに、何かしらの手を講じなければ、アスターナの手のひらで踊らさせるだけだろう。
ならば、フェレスは落ち着き払ったアスターナの精神を乱す方法を考える。
そもそも未来視というのは、占術とはまったく別の感覚的な力なのだ。
共感作用による精神支配の類である占術に対し、未来視は対象の成す事象の観測にあった。魔素の領域まで己の精神性を高め、俯瞰視点により未来に起こり得る事象を閲覧し、その映像を脳が幻視する。
ただし、ここで術者の感情が揺さぶられれば、魔素と同化するだけの精神性が保てなくなり、未来視は効力を失うという寸法なのだった。
「問題があるとすれば……」
フェレスの妨げとなるのは、アスターナの召喚したバアル・ゼブルである。
彼女の母が犠牲となり、この世に顕現した強力な使い魔が、アスターナの心に信頼と安心感を抱かせているのだろう。
「母の愛に娘は守られる」とそう言えば、一般的に聞こえがいいのかもしれないが、フェレスにとっては厄介な存在でしかない。
母の思いがそこにある限り、アスターナの心が折れることはないのだから。
「リーシャの調達したあれを使って、凌ぎ続けるしかないか」
フェレスは肩に下げた収納袋に手を入れ、魔術を封じたスクロールを掴む。
すると、アスターナはフェレスの考えを見抜くかのように、
「予言しよう、お前は浄化のスクロールで対処する」
「ああ、そうだよ――くそったれ!」
ぶんぶんと、こやかましい羽音を重ね、全長5センチの大きなハエが束になり、フェレスに襲いかかってくる。完全にアスターナのペースだ。
この流れは切っておきたい所だったが、弾薬が底を尽きかけたフェレスは、スクロールで対処するしかなく、彼女の予見した未来の通りに動いてしまう自分に苛立ち、あてつけがましく舌打ちをする。
開帳、とフェレスはスクロールを広げ、発動した浄化の光が蠅の群れを照らし、病魔の虫どもを塵をした。
が、当然のように、そこまでがアスターナの予想の範疇だろう。
無限に蠅を生み出せる彼女に対し、フェレスの備えた魔術道具は有限である。彼女に狙いがあるとすれば、フェレスに魔術道具を乱用させ、ストックをなくすことだ。
戦局は圧倒的にアスターナの優位である――
「待てよ……」
そこでふと、フェレスは直感が働いた。これまでのアンデットの襲撃が、魔女の巧妙に仕組んだ計画というならば、自分は頷くしかなくなっていた。
未来を見通せる彼女であれば、フェレスを意図的に追い込むことが可能だっただろう。この最終決戦でさえ、アスターナには予定調和だったのかもしれない。
ハメられたか、とフェレスは殊更に情けなくなっていく。
あれだけ連れの少女らに啖呵を切ったいうのに、それも魔女の企みだったとすれば、滑稽にすら思われていたに違いない。
だが、活路がない訳じゃない。王城の広間を走り抜け、階段の上からはアスターナに見下ろされ、フェレスは浄化のスクロールと弾数のある魔術弾を駆使し、何度も懲りずに攻めてくるハエの群れを散らす。
銃剣より放たれた圧縮した風の弾丸は群がるハエの統率を乱し、地と闇の属性を複合した重力弾はバラバラに飛ぼうとしたハエを一ヶ所に集め、水の属性弾により発生した渦に吸い込まれたハエは、流れに飲まれて死んでいく。
渦の消失とともにハエの魂は消え去るが、しかし追加の増援が瞬く間に出現し、アスターナの背後に浮く王の元に群れ、羽を動かす。
未だにフェレスはアスターナの元に辿り着けず、1段目の階段に踏み締めることさえできずに、防戦に徹するしかなかった。
「――ったく、埒が明かないな」
スクロールの数も減る一方だ。フェレスは最後に残った2枚のスクロールを開き、上空を飛び交う鬱陶しいハエを駆逐した。
しかし、アスターナはお見通しだと言わんばかりの余裕な面持ちで。
「ハエにばかりに、気を取られてすぎていないか?」
「お前、何を言って――っ!!」
よく見ると、アスターナの背後にいたバアル・ゼブルが消滅していた。召喚の可能時間が過ぎ、一時的に冥府に送還したのだろうか。
いや、彼女の死霊術師として実力は十分高い。安直に切り札を退かせたとは思えなかった。ともすれば、攻撃に出たとみるべきだろう。
フェレスの背後に無数のハエは集る。それは次々と溶け、そして結合しあい、無数の虫羽を動かす腐食された男神が姿を現した。
肉体を苗床とし、彼の生み出したハエの子供達は至近距離でフェレスを襲い、体中がまとわりつくハエの病魔におかされる。自分の装備したバングルの魔素が奪われかけ、フェレスは銃剣に入れ込んでいた風の魔術弾を床に放つ。
自分の体を囲うように発生した竜巻は、ウェントゥス・アミュリュート。
風塵をまとう守護の結界である。獲物の体を覆った竜巻に引き離され、病魔のハエは風に流されるように、周囲に吹き飛ばされる。
そして、残り少ない火と光属性の魔術弾をシリンダーに装填したフェレスは、バアル・ゼブルの化身に浄化の炎を撃ち込もうとした。だが――
「いつの間に――っ!」
銃剣のトリガーが引けない。見ると、シリンダーの周りにハエが集っていた。賢しい召喚霊だ、流石は神と崇められた化身だけのことはある。
バアル・ゼブルは敵対者の持つ銃剣の仕組みを紐解き、シリンダーが回転しないように先手を打ち、フェレスを無防備にして見せた。
蠅の王が自らの分身の苗床とした生首を握り潰すと、砕け散った腐肉がハエに変化し、バングルの守りを失ったフェレスの口に、耳に、そして鼻の穴にまで入り込み、新たな寄生主とするために、皮膚の内側にある肉を貪り食う。
「が、あ……あああああああああああああああああああああ!」
男の絶叫が王城の広間に響き渡る。フェレスの目玉の隙間からハエが這い出し、血の涙はとめどなく流れ落ち、病魔におかされた内臓は破裂し、口からは大量に吐血する。
我ながらに、「これは死んだな」と思えるくらいの酷い有様だ。
アスターナがバアル・ゼブルを呼び戻すと、ハエの群がる肉塊が床に転がった。ハエに宿る病魔に憑りつかれ、腐りきったフェレスの亡骸だ。
「未来の通りだな。お前の敗北は、とうに決定事項だった」
物を言わなくなった肉塊を見下ろし、アスターナは復活させた女王の支援に向かうため、謁見の間に続く階段を登っていく。扉に付与された封印式も解除された。術者が死亡したことにより、設置型の魔術は効力を失ったのだろう。
アスターナは気を緩め、女王の娘と交戦している少女らの姿を先見し、彼女らへの対処を計画する――と、その時だった。
空を飛び貫く火炎の弾丸が、暗い広間に走る一筋の灯火となる。燃え盛る弾丸はアスターナの背後に迫り、そして彼女の肩の肉を抉り取る。
いったい何が起こったというのか、初めはアスターナにもわからなかった。
だが、粉砕された肩の肉片と上着に滲む赤い液体。すうすうと、肉の身が外気にさらされ、次第に焼けるような痛みが、魔女の痛覚に伝播していく。
「う、ぐう……」
大量の涙が目から溢れ出し、鼻水を垂らす魔女は、抉り取られた肩を押さえる。声にならない激痛が押し寄せ、意識が飛びそうになるのを歯を食い縛って耐えた。
何故こうなったのか、誰からの攻撃だ。敵対者はいなくなったはずなのに、自分が膝をついている現状に納得がいかない
まさかと思い、彼女は背後を振り返ると、そこに自分を守る結界の魔素すらも失わず、憎たらしい笑み浮かべる男が健在だった――フェレスである。
フェレスが浄化のスクロールに合わせ、幻惑のスクロールを重ねて使用していたのだ。幻術は未来視の天敵である。彼女が見せられた幻惑は、間違いなく未来の映像であり、確実に発生する事象であった。
確定された未来を欺き、預言者の慢心を打ち砕く。フェレスがスクロールや魔術弾による攻撃を乱用し、自ら相手の術中にはまるような真似をしたのも、アスターナの油断を誘うためだった。
自分が攻撃型のスクロールを乱発すれば、「敵は未来視に抗う術を持たない」と、アスターナは判断するだろう。そうすれば、必然的に幻術への警戒心が薄れ、魔女の足元が見やすくなり、アスターナは幻視した未来を当てにする。
3人の少女を送り出すため、一度は使った手段だ。
フェレスらの中で、幻術を使いこなせるのはリーシャだけ、とそう魔女に思い込ませ、アスターナの意識を幻術から逸らすには、段階を踏まなければいけなかった。
「やって、くれたなっ!」
ごほっ、と噎せるほどに、アスターナは怒気の込めて声を荒げた。
敵の虚をつく外道の極み。他人を陥れることに特化した男に、魔女は父の卑しい嫁どもの姿を重ねた。断じて、彼女は階段下の男を看過することはできない。
痛みを忘れるくらいの恩讐に囚われ、魔女は傷口を握りしめて血を噴き出す。アスターナの傷口にハエが群がり、羽虫が彼女の傷に入り込んで血を止め、魔女の壊死した肩からは母の悲壮感が流れ込む。
それは虐げられた女の叫び。人並みの幸せを求めただけの母が、どうして壊れなければいけなかったのかと、世の不条理を嘆く娘の義憤だった。
「お前のような下種がのさばる世界、私は許さない! 魂の楽園にこそ、安息と平等が成立するんだ! 私が母に誓った占いは、遂行されなければならない!」
「そうかよ、悪いが共感はできないな。俺も大概に無能だったが、それでも無い力にすがろうとは思わなかった。屑にはグズなりの、やり方があるもんさ」
「黙れ! お前のような外道は、ここで終わらせてやる!」
アスターナが片手を掲げると、細かいハエに分裂したバアル・ゼブルが、彼女の体に憑依していく。
神というシステムを自らの肉体に降ろし、膨大な魔素の恩恵を受け、魔女は気高き主の力と引き換えに、自壊していく悲劇を招く。
アスターナは人であることを捨て、哀れな神の依代となる。
「神霊憑依――馬鹿が、死ぬ気か!」
『もはやお前に語ることはない。その命を持って、楽園の踏み台となれ!』
腐臭を漂わせるハエに堕ちた魔女は吠え、アスターナの周囲には病魔のハエが大量に飛ぶ。
階段の先に浮遊する病魔の主と対峙し、フェレスは死に群がる死霊術師を打倒すべく、魔女を仕留めるための決戦を再開した。




