第三五話:黒き炎帝と首なし《デュラハン》の騎士
首を失った水棲馬の背中に跨り、自らの骸骨を脇に抱える女騎士は剣を持つ。
剣の刃を侵食するように浮かんだ紋様は、〝死〟を宿す刻印である。死の宣告者である女騎士の刃が掠りでもすれば、それは致命傷となり、呪殺へと導くだろう。
戦場の誓いを立てるかの如くに顔の前に剣を立て、死の凶器によって葬る男の命を、彼女は亡き友への忠義とする。
しかし彼、アスモデウス・オーディファンは落ち着いていた。
相手にとって不足はない。彼女が自分に死を刻むというのであれば、やってみるがいい。研ぎ澄まされた感覚と圧巻ともいえる風格をもって、滅びの化身は炎をまとう。
ただ真っ黒な火焔、まるで地獄で断罪された者の悲鳴が聞こえてくるかのように、黒い炎は赫奕と燃え上がる。
黒い炎から噴き上げる熱風を浴び、傲岸不遜として佇む男を前に、首なしの女騎士はグラシュティンの首を撫でた。
『すまないな。本来ならば、アタシが騎乗すべき背ではないが……』
『構わぬさ。そなたとは小生が主との盟約を守るため、ともに歩んだ身。ならば、この背にそなたを乗せ、何を恥ずべきことがあるか』
水棲馬に頭はなく、首の切断面には青白い光がゆらめく。それはまるで人魂があふれ出ているかのようで、首なしの女騎士にも同じ現象が起きていた。
肉体を失った魔素が離散しているのだろう。長らく彼女らを亡国の地に留めていた玉響が破壊され、存在が不安定になっているのだ。
玉響を破壊した者が何もせずに放っておけば、数時間後に成仏する魂だが、それでも彼女らは、とうに滅びた王国を守る剣であることを選ぶ。
これは彼女らのけじめなのだ。自分たちは最期の瞬間まで王国と共にあったと、後生に命ある者への証明として、首なしの亡霊たちは破滅の王に戦いを挑む。
『ゆくぞ、友よ。小生が疾走の果てに、蛮族を討ち果たせ!』
勇みある咆哮とともに、水棲馬の蹄の音があたりに響く。グラシュティンの走りに迷いはない。
気高き軍馬のたてがみは風になぎ、グラシュティンは自分の後方に水泡を浮かべ、それを射出しつつ、地面を踏み弾く。たかが水鉄砲だとは侮れない。
聖獣であるグラシュティンの放った水の魔素が凝縮した弾丸は、容易く人体を貫くだろう。
水と炎の相性は最悪だ――否、そんな考え方は空想の類でしかない。
グラシュティンにより射出された水の弾丸は、アディンの目前に迫った瞬間に、跡形もなく消え去ったのだ。正確には燃焼したといった方がいい。
アディンの得意とする火と地、そして闇の魔素によって構築された炎は、一般的な炎という現象ではなかった。それこそが破滅の業火、森羅万象いかなるものでも彼を仇なす限り、そのことごとくを破壊する原初の大火であった。
行く手を阻む者が己の到達しえない異形であると察し、だが脚を止めるような愚は侵さず、勇猛な水棲馬は眼前の怪物に立ち向かった。
彼の背には友なる女騎士がいる。全盛期のようにいかないとしても、伝説級の符呪を持つ、彼女の剣ならば男に届くと信じたのだ。
シワピピルティン一世が巫術を使い、忠臣である4人に分け与えた武器の1つ、エデルファリス――戦の無常さを嘆く古の王女が、瞳から流した血の涙を受け止めた剣であるとも伝わり、シワテテオスタ王国に継承された家宝の1つである。
石畳の地面を走り抜けたグラシュティンは、一気にアディンとの距離を詰め、馬上より振り下ろした首なし騎士、ミレスエナの持つエデルファリスは、アディンの首をはねた――はずだった。
しかし、彼も体は炎と一体化したように四散し、王国の守護者達の背後に黒い炎は集まり、アディンの体は再構築された。
「ずっと観察していたが、君たちの状態は気掛かりだ。他のレブナントはともかく、君らは玉響に宿っていた魂じゃない。いや、あれの破壊が発端ではあるんだろうが、君達はこの地に残っていた亡霊だね」
『ならば、どうしたというのだ? 小生らが滅亡した国に忠をつくすのが、それほどにおかしいのか?』
「違うさ、その忠義には敬意を払おう。ただ、そもそも君たちは消えかけだったんじゃないか? 玉響の宝玉が破壊され、王国民総意の願望を取り込むまでは」
戦闘中にも関わらず、アディンは冷静に思考していた。彼がミレスエナの出方を待ったのだって、慎重に分析を進めるためである。
彼女のような首なし族だが、その種族は赤ん坊として誕生した時から、首と頭がつながっていない訳ではない。出産時は人間種の赤子と遜色ない見た目だ。首なし族に変化が現れるのは、第一次成長期の終盤あたりだ。
本当に唐突だが、首の付け根に切れ目が入り、まるでトカゲが尻尾を切るみたいに首が落ちると、魂と肉体の結合が弱まり、幽体離脱してしまうらしい。
魂は生きながら肉体が死んでいる者、それが首なし族だった。
1000年前の暗君が、ニフタのある王国で無実の罪をきせられ、斬首台におくられた哀れな精霊種の一団に不完全な蘇生呪術を施し、誕生したとされている。
そんな種族である女騎士ならば、魂だけを仕えた王国の大地に残し、肉体を捨てるのは可能だろう。使い魔であるグラシュティンは語るまでもない。
長い年月が経過しても、ミレスエナとグラシュティンが王国に止まり続けた理由があるとすれば、女王が復活する手立てがあるということかもしれない。
急ぐ必要がある、今度はアディンが攻めの姿勢に転じた。
が、彼が黒炎を放つよりも早く、グラシュティンが問う。
『待て、そなたの魔術には見覚えがあるな』
「それはそうだろう。僕はかつて、暗君に仕えていた者の末裔だからね」
『つまり貴様は、異界の民の子孫というのか?』
「そうなるね。この魔術も暗君の忠臣だった父から継いだものさ」
『父、だと? なるほど、そういうことか』
ふはははははは、と高笑いするように、グラシュティンが空を仰ぐ。
彼の背に跨るミレスエナは、手綱を引いて水棲馬を落ち着かせた。
鼻息も荒く息を吐き出し、グラシュティンは友の女騎士に語る。
『分らぬか、小生が友よ。目の前に立つ男は、裏切者の子孫だということだ』
『旧帝国への反逆者、その生き残りということ?』
『そうだとも、これは僥倖だと思わぬか。首を失った軍馬として、この地を最期の瞬間まで見守り続けようと心に決めた小生だが、気持ちが変わりそうなのものだ」
『死に華を、咲かそうというんだな?』
幾星霜の年月、永遠と繰り返すセル・ウマノの祭日で、己の役を演じた続けた者達は、ようやく終幕の日を見つけられたのだ。
自分達の立ち向かう男は、あの日に王女の娘を処断した軍の関係者に連なる血縁者。男の生い立ちなどは知り得ないが、それは些末なことではあった。
国が滅びてもなお、王国を守り続けた忠臣らにとって、目の前のアディンが女王が従属した帝国に逆らい、かの国を打倒した英雄の息子であることが重要なのだ。
枯れかけていた愛国心。それを抱いたまま散れたのならば、彼らは王国を守護した騎士としての誇りを胸に、己が天命の幕引きとなる戦場に参じられる。
水棲馬は蹄を打ち鳴らし、闘気を吐いて武者震いした。
『そなたに恨みはないが、小生らが忠義の礎となっていただこう」
「困ったな、酷い八つ当たりをされる気分だ。君らの茶番劇に付き合う理由が、僕にはこれっぽっちもないんだがね」
『言うがいい、アタシ達は侵入者から王国を守るだけだ。それが朽ち果てた志だとしても、王家の剣に立てた誓いにかけ、騎士の役目をまっとうする!』
「確かに、その剣は危険だ。だからこそ、先に手を打たせてもらったよ?」
『――っ!! 友よ、エデルファリスを捨てよ!』
グラシュティンが大声で叫ぶと、ミレスエナの持つエデルファリスの剣に、真っ黒な炎が点火した。黒き滅びの火焔は、伝説級と目された剣を溶解し始めたのだ。
破壊の炎の化身となったアディンに斬りかかった瞬間から、エデルファリスの剣は男の魔術を受けてしまっていた。全てを焼き尽くす黒き凄惨なる炎は、女騎士の忠義もろとも彼女の誇りを壊し尽くす。
黒炎が自分の手に引火する前に、ミレスエナはエデルファリスの剣を手放すと、彼女は無情にも燃え尽きていく剣を見落とす。自らの誇りである剣を奪われ、ミレスエナは激昂する。
『これが、貴様のやり方か!』
「怒鳴られても困るよ、僕は誇り高い軍人じゃない。敗北の危険性があるのならば、それを絶ち、戦況を有利に転がすに越したことはない」
『戦況を有利に、と言うか。神位階級の魔術、その域に到達した者が……」
極位クラス魔術のさらに上位、そこに神位階級と呼ばれる最上位の魔術領域があった。
行き過ぎた秘術は魔法となる、古代魔法に限りなく近づいたそれを扱える者は、賢者の称号を得られるほどだ。
アディンの有する神位階級魔術は、自らを破壊の炎と同一化する。
ゆえに煉獄の皇帝は、火という現象そのものだった。
人が炎に触れることはできず、火に消失はあれど死は存在しない。
死を刻む刃が、アディンに届かなかったのはそのためだ。実力は拮抗すらしておらず、圧倒的な力の差を女騎士と水棲馬は見せつけられる。
グラシュティンは無我に至るべく息を深く吐き出し、
『友よ、覚悟はよいな?』
『分っていたことだろう、あたし達はもはや亡霊だ。既に失うものはない。死した者が、死を恐れて何になるというのか』
『左様か――では、ゆくとしよう』
グラシュティンは己と騎乗する女騎士の身を守るように、薄い水の膜を張った。ミレスエナは錆びついた脇差を左手で引く抜くと、右手の手綱でグラシュティンの胴を打つ。
彼と彼女の間にある突撃の合図である。
前足の2本と後ろ足の2本で力強く大地を踏みしめ、体の振動を騎乗する女騎士に伝え、たくましい爆走をする。
水の膜をまとった水棲馬の突進は、一直線に飛ぶ砲弾の如き疾駆だった。
だが、水棲馬の猛進と女騎士の錆びた刃が、アディンの元に届くことはなく、真っ黒な炎に包まれたグラシュティンは片足を焼切られ、派手に転倒してしまい、背に乗ったミレスエナが落馬する。
地面に叩きつけられた馬と騎士は、枯れた水路への侵入を防ぐ石の柵にぶち当たり、メラメラと燃える熱気を感じない黒の炎に敗北した。
現時点で死者である彼らが痛みを訴えることはない。やがて黒い炎は、亡国に居座った死者の魂を焼き尽くし、彼らの身を清めて魔素に還すだろう。
死者の未練が完全に消えてしまうのを待たず、アディンは王国の騎士達に背を向けて歩き出す。
『アタシたちに……とどめを、刺さないのか……?』
「既に死人である君たちに、どうとどめを刺せと?」
『違いないな、小生らへの慈悲か……?』
「いいや、理由としては君たちと同じだよ。君たちに守りたい友がいたように、僕にも加勢すべき友人がいる。嫌味な男だが、これでも付き合いが長いからね」
『小生らへのケジメはつけた、か』
ふん、と鼻息を荒くした水棲馬は、「礼を申そう」とアディンに感謝する。
彼らとて疲れていたのだろう。永遠に終わらない祭りの中で、極上の幸せを味わいつつ、その実は物足りなさを感じていたのかもしれない。
王女亡き王国で彷徨い続けた2つの魂は、きっと終わりを求め続けていたのだ。誇り高い王国の騎士として、栄誉ある死に際の花道を。
自分達の戦いに終わりをくれた男が立ち去った後――
『主以外の者を乗せ、小生がここまで気分がよかったこともない』
『それは、アタシへの賞賛と受け取っていいのか?』
水棲馬と女騎士は互いの武勇をたたえ合う。
と、彼女らの体が燃え尽きるよりも早く、淡い人影が2つの意志が宿る魂の残滓に黙祷する。
『悪いな、アタシらは先に逝かせてもらうぞ』
『そなたの望み、叶うとよいな』
そう言い残し、黒炎に焼かれるままに消失していく騎士達の心残りを聞き届け、淡い人影は「ご苦労様」と世界に還る2つの魂に呟いた。




