第三三話:不浄の女神《ドゥルジ・ナス》
『かの者は人の傲慢に狂わされ、醜きハエに堕とされし哀れな山神。その憤懣は腐敗人に集るハエとなりて、ここに嘆きの唄を刻む』
城門を突破し、謁見の間に続く階段があるエントランスに侵入すると、フェレスらの耳に詠唱する女の声が聞こえた。彼女、アスターナは先天的な未来視により、三珠らが再び王城に攻め込んで来ることを知っていたからだ。
アスターナは彼女らを迎え撃つために、神霊召喚の儀式を進めていたのだ。
人を生け贄として召喚した神霊とは、犠牲となった者の心に刻まれた神という偶像の形である。
城のエントランスに巨大な魔法陣が浮かび上がり、それは霧散して真っ白な煙となると、やがてハエを従える腐敗した男の姿が浮かびあがる。
無数の虫羽を背中に生やし、触角のある真っ暗な外見をしたハエの主。
4本の腕と足を動かすハエの主は、腐った人の生首を全ての腕に持つ。ハエの主が持つ腐食された生首からは、わらわらとハエが湧きだした。
かの召喚魔の名はバアル・ゼブル。かつて〝気高き主〟と語られた豊穣の神は、彼を崇拝する儀式を嫌悪した者達により、霊魂を運ぶ邪神に貶められる。
糞の山に住む醜き〝蠅の王〟、人々の嫌悪に歪められた存在は、1人の女に巣食う醜さの象徴として、その姿を顕現した。
高位の次元に累積した信仰心は、人の心を写す鏡となり、神というシステムを構築していく。
フェレスらの目の前に現れたバアル・ゼブルは、信仰の一部分が抜き出された化身であり、1人の女の心に同調した神様だった。
人の身を犠牲にして行われる呪術的な召喚儀式とは、そういうものなのだ。生贄の心に呼応した信仰心の御身が地上に降りてくる。信仰のイメージに沿った姿形のままに――
「お前ら、俺が撃ったと同時に走り抜けろ!」
襲い来るのは無数のハエ。フェレスは火と風、そして光の魔術弾で銃剣のシリンダーを一杯にし、上級クラスの複合魔術を放出した。
「発射、浄化の炎」
銃剣より撃ち出されたのは、浄化の効力を持つ聖火だった。病原菌ともなりうる呪いを宿したハエは、その群れごと焼き尽くされた。
フェレスの放った聖火は、三珠たちが階段を駆け上がるための道を開く。
「2人とも、急ごう!」
そう言った三珠に続き、ピスカとリーシャが階段を駆け上がっていく。
しかし彼女らの行動は、アスターナの持つ未来視の力によって予測されていた。
「そう来ると思ったぞ」
アスターナをハエの群れが取り囲み、病魔の羽虫は三珠らを包み込む。ぶんぶんと、群がったハエの羽音がうるさい。
群がったハエを振り払おうともがく少女らは、あまりの数に黒い大群となった羽虫に包み込まれ、防護バングルの結界を失っていくと、病魔を植え付けられる。
ハエの群がった黒い影の中で、少女らは倒れ込んでいく。あっけない幕切れに、けれどそれも予期した未来の内であり、アスターナを勝利を確信した。
だが、自分が真っ赤な炎に包まれる光景を視た彼女は、慌ててハエの大群を正面に展開し、フェレスの放った聖なる炎を受け止めル。
白い輝きを放つ炎は、ハエの群れを殺していく。焼け落ちるハエの死骸を見送るアスターナは、保護下の少女たちが始末されたというのに、冷静に対処するフェレスの行動に違和感を覚えた。
そしてアスターナは振り返り、謁見の間に続く扉を開ける3人の少女を見つけ、「そんなはずはない」と驚愕し、目を見開く。
「馬鹿な、私は確実に息の根を止めたはずだ」
アスターナが少女らをハエが覆い隠した場所に目を向けると、そこには誰の死体も転がっていない。
自分の身を守るため、ハエの群れを呼び戻したというのに、古い城の階段に少女らの遺体に汚されぬままだった。察したように、アスターナはフェレスを憎たらしげに睨む。
「未来を、騙したのか!」
「ああ、お前の未来視はカトレアから聞いてたからな」
レイスと交戦を開始したカトレアは、別れ際にフェレスに助言をした。もしカトレアの思うように、王国で暗躍していたのが彼女の親友ならば、アスターナの持つ未来視の力には気をつけろ、と。
フェレスの立案した作戦内容は、まずリーシャの幻術により3人の分身を作り、バングルの結界が損傷を受けるよりも早く、三珠が空間転移の魔法を使うというもの。
これにより、3人の少女がハエの群れに襲われた未来は変わらず、三珠らの死が確定したという予知に、アスターナが油断するように仕向けた。
そこにフェレスが攻撃を加えたことで、彼女の未来視が自衛に向くように調整した。先天的な力を過信するのは、時に本人の仇となる。
自分にない力を切望したフェレスだからこそ、他人の才能を最大限に利用する手段を講じられたのだ。
「悪いが、お前にあいつらを追わせるわけにはいかない」
「ならば、どうすると?」
「決まってる。殺虫作業員のおっさんになってやるさ」
フェレスは謁見の間の入り口を、設置型魔術により封じる。
同時使用できる設置型の魔術は残り1つ、フェレスは銃剣の刀身をハエの主に向け、三珠らの巻き起こす逆転劇を信じ、パリカーの意志を継ぐアスターナと対峙する。
◇
少女3人は足並みを揃え、謁見の間に敷かれたカーペットの上を走り抜ける。
主を失った城の玉座には、蛆を撒き散らす女王のミイラが座る。王座の隣に立つように、黒い大鎌を持った少女がいた。
彼女は母の亡骸を守るように、大鎌を構えて3人の前に立つ。
「みんな……もう、放っておいてほしい。私は、ここで……お母様と、静かに暮らしたいだけ……」
母の亡骸を振り返り、メルはぎゅっと大鎌を握りしめる。クールな彼女には珍しく、苦渋の表情を作ったのは、少女の心に迷いがある証拠だろう。
まだ間に合う。善意の押し付けだったとしても、滅びた国に居座り、メルが死んだまま生きる姿なんて、三珠は見たくなかったのだ。
その姿が、地球にいた頃の三珠に重なってしまうから――
そう。きっと自分の感情は、同族嫌悪に似たものなのだろう。
ゆえに、三珠がもつ感情は独善なのだ。後悔ばかりだった過去に縛られるのも、他の誰かの思い出に寄生するのだって、本質的には同じものなのかもしれない。
だからこそ三珠は、エメルフィア姫の記憶に縛られる彼女ではなく、自分たちと旅をしたメル》の思いが聞きたかったのだ。
「三珠姉さま、フェレスさんがやってくれたみたいです」
謁見の間の入り口に設置型魔術の封印が施され、ピスカがそれを三珠に伝えた。もう後には引けない。メルを説得できるか否かは、三珠の手腕にかかっている。
正直に言ってしまえば、自分に自信なんてなかった。
人と付き合うのが苦手で、本の虫みたいな文系少女を貫いた三珠に、相手を思い遣るなんて、器用な真似ができるとは思えない。それでも、この思いは届けたかった。
「私ね、メルと一緒に過ごしたのは数日間だったけど、結構楽しかったんだ。一緒に戦ったり、ご飯を食べたり、お祭りを見て回ったりもしたよね」
「それは……」
メルが手首に嵌めたバングルを握る。三珠とピスカ、そしてリーシャがお金を出し合い、彼女にプレゼントした品だった。捨てられなくてよかったと思う。それは三珠たち3人とメルが過ごした証だ。
まだ彼女が大切にしてくれているのは、メルの中で3人がどうでもいい他人ではなく、多少なりとも心を揺さぶる存在であるということだ。
『スィアもね、メルと一緒は楽しかったよ? 今のメルはね、楽しくないよ。一緒は楽しいがいいー』
自分もいるのだぞ、と名乗りを上げるように、スィアもメルの説得に加わる。
これで4対1だ、数の暴力でメルを言いくるめてやろうと、三珠は思いつく。
「あんたはあんたっしょ? 他人の記憶に惑わされてどうすんの?」
「はい! まだ、メル姉さまにやってほしいことはたくさんあるんです!」
「戻ってこない? 私たちの所に」
3人を代表し、三珠は精一杯の笑顔を作り、メルに手を差し伸べる。正直、三珠は怖かった。こちらの世界に来ても、他人に拒絶されることが。
誰かに嫌われたくないから、元の世界で三珠は誰とも距離を縮めなかったのだ。嫌われるくらいならば、居てもいなくてもいい空気でありたかった。
そこにいるだけで他人の邪魔となる環境が、自分を追い込んでいたのだ。
三珠の手が震えた。すると、リーシャが自分の脇腹を小突いてきた。
「あんたがビビッてどうすんの?」と、自分に喝を入れるみたいに。
グッと両手に作った拳に強く握り、ピスカもメルを受け入れる準備を整える。
そしてスィアまでも、「おいでおいで」と本を閉じたり、開いたりする。
一方のメルは友人の優しさに絆され、三珠の手を握り返すか迷うように、自分の片手の手の平を見つめる。だが、彼女を呼び止めようと、女王のミイラが呟く。
「エメルフィア……私を、置いて行くの? 私の……愛しい娘……」
ゆっくりと、玉座に座る女王はしわくちゃになった腕を伸ばし、まるで涙を流すように、目玉の無くなった黒い瞳から、大量の蛆を溢れさせる。
そんな彼女に振り返り、メルは思い止まってしまう。
「私は……いけない。お母様を……一人に、したくはない……」
「あんたね、この意地っ張り。本当はわかってるんでしょう!」
「ちょっ、リーシャ! 落ち着いて!」
「なに言ってんの、三珠も内心は思ってるっしょ? こういうのは、はっきり言ってやった方がいいの。力づくになってもね!」
どうどう、と三珠に宥められるが、リーシャは感情的になって言い放つ。
すると頭に来たのか、メルはむっとした顔をする。
「うるさい……意地っ張り、違う……っ!」
メルが大鎌の柄を床に叩きつけると、三珠らの足元に黒い霧が立ち込め、それは複数体の骸の王国兵へと姿を変えた。降霊魔術だろう。
遥か昔に滅びた王国だ。そこに眠る無念には計り知れないものがある。
リーシャは2本の小剣を幻術で生み出すと、大鎌を構えたメルと向かい合う。
「やっぱ、あたし的にはこっちの方が話が早くていいかも」
「リーシャ、そんなにメルを煽らなくても……」
「――ったく、引っ叩いても連れ帰るって、そう言ったのは三珠っしょ? 話し合いだけで解決できるとは思ってなかったし、責任は取ってくんない?」
「ああ、もう! わかったよ、私も覚悟を決める!」
『ますたー。スィアもね、メルにお仕置きするー」
「お仕置き、ですか? 使い方が正しいのかはわかりませんが……そうですね、細かいことは後にしましょう! 私も協力します!」
「いきます」と宣言したピスカが、複合魔術を発動させる。光の風の魔素を組み合わせたフェーデルライトという、上級クラスの複合魔術だった。
その効力は聖なる風の息吹となる。
透き通るように澄んだ風は、人の心に宿る怨念を緩和し、精神的に癒していく。その風を浴びた浄化されていない未練は、まるで行き先を教えてもらったのように、冥府に続く成仏の導を示される。
教団に伝わる神聖魔術の一種だ。聖なる風を浴びた使い魔の亡霊たちは、魂の抜け落ちた骨だけを残し、肉体から離れていく。
だが、不浄の意志が集結した女神、トゥルジ・ナスと化した女王への効果は薄く、彼女は痛む胸を押さえる程度に止まる。
「お母様を……苦しめ、ないで……」
強く地面を蹴ったメルはピスカに飛び掛かるが、彼女の振るった鎌の刃は、小剣をクロスしたリーシャに受け止められた。
リーシャの小剣とメルの大鎌。互いの得物がぶつかり合う刃音が響き、少女らの戦いが幕を開ける。




