第四話:砂上の荒野
赤い――どこまでも赤茶色の荒野だった。砂と岩石に覆われた大地は、地平線の彼方まで続く。じりじりと、灼熱の太陽が地面を焼き、熱をもった大地は蜃気楼でも見せるみたいに景色を歪ませる。
荒れ地には巨大な岩石の小山が散見し、草木は少なく、背の低い雑草が所々に生えていた。砂上の大地をエリマキトカゲのような生物は這い回り、その爬虫類は岩影に隠れて喉を鳴らす。
荒れ果てた荒野に一本の石畳が伸びる。移動車両用の道路だった。一キロおきに魔物除けの術式を組み込んだ低い柱が建てられ、車両の安全を保障している。その道路を一台のトラックが走る。
いや、トラックというにはあまりに不格好な車両かもしれない。荷台はビニールシートに覆われているが、運転席を守る外装がなく、まるで馬車をそのまま車にしたようなトラックだった。
その車両の荷台の中で少女、天津三珠は眠っていた。ぼろい布きれで体を覆われ、すぅすぅと彼女は寝息を立てている。
唐突に、車両の荷台が大きく揺さぶられる。車両が石でも踏んでしまったのだ。三珠の身体はわずかに浮き、荷台の横長い椅子で後頭部を激しく殴打した。
「あいたっ!」
安眠を妨げる意地の悪い後頭部の鈍痛は、三珠の意識を覚醒させるのには十分だった。迷惑極まりない、せっかくの心地よい気分が台無しだ。
「睡眠妨害罪で訴えてやる」なんて文句を言いたげな顔をして、三珠は苛立ちながら目を覚ますが、ぼやけた視界がはっきりした時、少女の思考回路が停止した。
「やっとお目覚めか?」
男がいた。ほどよく鍛え上げあられた細身の体に、白髪をしたつり目の男性だ。見た目の年齢は、二十代後半程度。大人びた雰囲気のある男だった。
彼は動きやすそうな半袖のレザージャケットに、皮のズボンを穿いている。肩に下げたリュックが印象的な旅人風の男だった。身長は三珠より高い、二〇センチ以上の差はあるのではないか。
衣服の細部が薄汚れた青年は一歩引いたような警戒心を露にし、目覚めた少女を睨む。当然だが、三珠とフェレスに面識はない。何故、自分はトラックの荷台らしき場所で目を覚ましたのだろう。
まさか、人攫いに誘拐されたというのか。そんな疑いをもつように、少女は悩ましげに眉をひそめる。だが、よくよく考えれば三珠に誘拐される理由がない。それに彼女は自宅のアパートにいたはずなのだ。
状況が飲みこめず、三珠は一番重要ことを問いかけることにする。
「誰……ですか?」
言葉を飾らずに、三珠は直球で尋ねた。
あまりに素直すぎる質問だったか、青年は呆れたような半目になり、
「それは俺が聞きたいが? お前、あの遺跡にどうやって現れた?」
「遺跡? 何のことですか?」
「とぼけんなよ、いきなり素っ裸で出てきただろうが」
「裸? そんな、私はちゃんと服を着て……」
へらへらと笑いながら服装を再確認すると、三珠は愕然とした。彼女の身体を包んでいたのが、一枚の布きれだけだったからだ。
やけに股の風通しが良いとは感じていた少女だが、こればかりは予想外だった。自宅で着ていた彼女の私服はおろか、下着まで消滅している。
「えっ? きゃぁぁぁあああああああ!」
素肌を隠す布きれの端を握りしめ、三珠はうずくまる。最悪だ、もうお嫁にいけなくなった。そう言いたげに、三珠は現実から目を背けたくなる。
「あの、私に何をしたんですか? まさか、襲った後とか!?」
睡眠中に生娘じゃなくなるなんて最悪だ。顔を真っ赤にした三珠は彼を警戒する。
だけれど、それは心外だとばかりに、青年は目尻を尖らせた。
「小娘を襲うかよ、俺の趣味じゃない。不審者を拾っただけだ」
いきなり犯罪者扱いとは失礼だな、と青年はため息を吐く。彼の言葉に嘘偽りは無さそうだった。三珠が勝手に勘繰り、責任転嫁しただけというのか。顔が火照るように熱い。
きっと真っ赤になっているとも思う。これでは三珠が露出癖のある変態みたいである。ありえない、認めたてやるものか。そう憤慨した三珠は、熱をあげた頬を冷ましたかった。
逃げるように青年の元を離れ、三珠は風にはためくビニールシートをめくり上げる。外の風も浴びたく、運転席に顔を出したのだ。瞬間、三珠は口をあんぐりと開けることになる。
一面の荒野だった、まったく見たことのない砂と岩石の大地。
車両の運転席にはブレーキもなければ変則ギアもない。車両にハンドルはあるらしく、クラックションの位置にエメラルドような結晶石がはめこまれていた。
荷台を覆うビニールシートの両側に入り口らしき切りこみがあったので、三珠は変だと気付くべきだったのだ。運転者への空気抵抗は大丈夫なのかとか、どういう構造の車なんだとか。
それこそ言いたいことは山のようにあった。しかし些細なことだ。一番の問題だったのは、それこそ運転手の男性であり、
「おや、やっとお目覚めですかい? お嬢ちゃん」
そう三珠を気遣ってくれた男は、小鬼のような見た目だった。身長は一三〇センチメートルもいっていない。長く伸びた犬歯が唇からはみだし、白色の小さな角がニ本ほど額に生えている。
どう見ても人間ではない。小鬼の男は陽気な笑みを浮かべ、三珠に話しかける。
「もうすぐで、オロスに着きまさあ。もう少し、辛抱してくだせえ」
「オ、オロ……何?」
「オロスですよ。このエレーミア大陸南西では有名な都市じゃないですかい?」
「エレミ……はい?」
意味不明な地名が飛び交い、三珠は混乱してしまう。
流暢に動く小鬼の口が、やたらと彼女には不気味に映った。
「危ないですから、座っててくだせえな」
ゆっくりと、小鬼の手が三珠に伸びてくるように錯覚した。
恐怖心にかられ、三珠の背筋に悪寒が走る。
「いや! 触らないで!」
大声を上げて叫び、三珠は尻餅をつく。
ぷっ、と青年は笑いをこらえるように吹き出し、膝を叩きながら盛大に爆笑を始めた。
「あははははははははは! おいおい、言われてんぞ。ホブゴブリン?」
「ちょっ、ひどいじゃないですかい! あっしは小鬼族でも、ナシュタっつう名前があるんですよ?」
「ああいや、悪い悪い。久しぶりに見たからな、こんな反応するやつ」
青年が手を振って謝る。
ホブゴブリンの男、ナシュタは不満を漏らした。
「あの意地汚い悪霊種の小鬼族、ゴブリンどもとあっしらを一緒にしないでくだせえよ。ここ数百年で、ようやっとあっしらの民族は復権し始めたってのに……」
「千年前の一件から、だいぶ苦労してたみたいだしな」
「そうでさあ、あの暗君が私兵の小鬼どもに、ゴブリンなんて名づけやがってせいで、あっしらは風評被害ひどかったんでっせ?」
落胆するナシュタを励ますみたいに、青年は彼をフォローする。
「もともと精霊種だったホブゴブリンは、人間に友好的な部族だったからな」
「ご先祖様たちは人様の家に住みついては、家事手伝いをしてやしたからね。多少の悪戯はしましたが、人様に恨まれることはしてねえですよ?」
ナシュタと青年の会話は続くが、見事に三珠は置いてけぼりである。二人の会話からまるでファンタジー小説に出てくる生き物の名前が上がり、三珠は全てを悟った。
ああ、そうとも。これは夢なのだ。
あまりにも現実に嫌気が差しすぎて、三珠の頭がどうかしてしまったらしい。明日、精神科医にでも相談しよう。夢オチならば、さっさと目を覚ました方が賢明だ。
三珠は現実に戻るべく、全力で頬をつねった。のだが、
「――っ!!」
三珠の頬は痛かった。とてつもなく痛かったのである。真っ赤になった頬をおさえ、涙目になってしまうほどに。どうやら、夢ではなかったらしい。
ここは現実だ、まぎれもない別世界なのだ。心が高揚した反面、三珠は大きな不安に襲われる。
これからどうすればよいのだろう。
右も左もわからない世界だし、行く宛てすらもない。けれど、現実として三珠は見知らぬ場所に飛ばされてしまっているのだから、それは事実として受け入れるべきかもしれない。
期待と不安がせめぎ合い、少女は目的意識を失っていく。三珠の木も知らず、呑気に笑う失礼な男は、しかし声のトーンを落とし、改めて三珠へに問う。
「さてと、俺はフェレス=エディーラ。放浪者をやってる人間だ。それで、お前は誰でどこから来た?」
フェレスは威圧的な剣幕で三珠に問いかけた。三珠は言葉に詰まる。本当の話をし、それでフェレスは信じてくれるのだろうか。無理な気がした。
三珠がフェレスの立場ならば、異世界から来たなんて信じない。少女はフェレスの迫力に押され、口ごもり、舌が回らなくなっていく。
「えっ? 私は、その……」
「やっぱりそうか、ナシュタを見た反応からして、予想はしてたけどな」
「何のことですか?」
「いやな。お前、記憶がないんじゃないか?」
予想の斜め上を聞く見解に、三珠は面食らってしまう。どうしてそうなるというのか、甚だ疑問ではあったために、三珠はフェレスに聞き返していた。
「はい? どうして……?」
「違うのか? それなら、自分のことを話せるよな?」
「んと、ええと……」
三珠は考える。チャンスかもしれないからだ。フェレスはかなり頭が回るようで、深読みしすぎて勘違いしているみたいだった。ならば、このまま押し切った方が、三珠にとっては都合がいい。
この世界については何も知らないし、幸いなことに、フェレスも悪い人間ではなさそうだ。三珠は少しでも情報を仕入れるための手段とし、
「はい、私――自分の名前以外を忘れることにました。これはきっと、記憶喪失でいいんですよね!」
と、高らかに少女は宣言してみせた。おおう、とフェレスは引き気味に言ったが、三珠は気にしていられない。こうして異世界に舞い降りし、自称記憶喪失乙女は爆誕する。




