第二九話:女王は玉座の間にて座する(転・末話)
地下水路から出た4人の少女は、ようやくヘドロの悪臭から解放された。
大気を肺一杯に吸い込み、彼女らは体に溜まった地下水路の汚れた空気を吐き出すように、大きく深呼吸を済ませる。
少女らが立ったのは、王城の敷地内にある庭園だった。中庭の花壇に植えられていただろう花は萎れ、生い茂った雑草の中に埋没する。
庭園なる小さな池の水は枯れ、噴水も止まっていた。ガーデンアーチを彩っていたはずの花は枯れ落ち、錆びついた鉄の骨子だけが残る。
決して、美しいとは言えない庭園だった。王城の敷地内には花の手入れをする使用人の姿もなく、もう随分と昔に廃墟と化したかのようだ。メルが不安そうに眉をひそめ、
「本当は……もっと、綺麗だった。嘘は……いわない」
彼女は他の3人に釈明する。メルとしては、立派な城の佇む姿を友人に見せたかったのだろう。だが、実物は城の外壁にツタが這い、所々にひびのような亀裂が入り、複数の窓ガラスに割れた痕跡がある。
メルの脳裏に浮かんでいたのは、庭師の仕事に励むメイドや執事の姿、そして彼女を受け入れてくれたはずの母や、女王の側近を務める騎士たちだろう。けれど、王城にかつての面影はない。
メルは俯き、こんな現実は受け入れられないというふうに、しきりに首を振る。
メル以外の3人は知っていた。
シワテテオスタという国が、おおよそ700年前に滅亡した国家であることを。
昨日、宿屋で集められた彼女らは、その事実をフェレスの口から聞いた。
だから動揺も少なく、しかしメルの姿にはいたたまれなくなる。昨日に引き続き、ネア・セリニの祭日が開催されていた時点で、もう薄々とはメルも感じ取っているのだ。
それでも彼女の心が、胸の内に秘めた本能が、現実を受け入れたくないと、そう叫んでいるかのようだった。
「きっと……中は、綺麗だから……」
その言葉は友人の3人に告げたのか、それとも自分に言い聞かせたのか。
蒼髪の綺麗な少女は長い前髪で表情を隠し、僅かな希望に縋り付くみたいに、彼女は足早に庭園を歩き進む。
◇
正面門が開かなかったので、メルの案内に従い、少女たちは王城の裏口より城内に潜入する。王城の2階に通じる階段を登った先にある裏口だった。
色の褪せた絨毯が敷かれた長い廊下だった。
鼻をむず痒くするくらいに誇りっぽく、独特な臭いが蔓延する。地下水路の汚臭を嗅ぎ続けた後なので、鼻の感覚がおかしくなってしまい、そこまでの異臭には感じられなかったが、それでも古い倉庫のような臭いではある。
天井に10足の小さな蜘蛛が巣を張っていた。長らく放置された城への来訪者に、大きなネズミが慌ただしく走り抜け、壁に作った穴に入り込む。
ぐっと唇を噛みしめ、メルは人のいなくなった我が家を歩く。「ようやく……帰ってきた、のに……」と少女が呟くが、彼女の帰還を喜んでくれる人々はおらず、無人の城は静寂が支配する。
もう心が折れてもおかしくないのに、それでも彼女は足を止めない。それが王族の務めであるかのように、亡国の姫君は主無き城をゆく。
「ねえ、メル。もうわかったしょ? あんたの国は――」
「それでも……私は、ここに帰った。だから、最期の……王家の血を引く者として……国の最期を、見届ける必要がある……」
「メル姉さまは、それでいいんですか?」
「構わない……それが、私の務め……」
落胆するでもなく、失意の底で打ちひしがれることもなく、メルは無表情のままで、壁に凭れ掛かった王国兵の白骨死体を見た。
城内でも激戦が繰り広げられたのだろう。壁には刃で切り刻まれたような跡が残り、真っ黒になったカーペットは血を吸い込み、カピカピになった血痕がへばりついていた。
圧倒的な兵力を前に、王国の騎士が諦めなかった証拠だった。
生き残った姫として、メルは兵士の奮闘を讃え、誉を送る。
「メル……」
無表情な顔が悲しみを覆い隠すようで、三珠は彼女に掛ける言葉を失った。
何か言ってあげたいとは思えたのだ。フェレスが彼女達をメルに連れ添わせたのだって、滅びた国の王城探索の方が魔女団の直接戦闘にならず、リスクが少ないのもあるが、根本的にはメルの心の支えになってほしかったからだろう。
なんでこんなにも、自分は不器用なのだろうと、三珠は思う。
気の利いた女の子になれればいいのだが、どうやら自分には要所要所で的確な言葉を選ぶ能力は低かったようで、メルを黙って見守るしかできない。
情けなくて、三珠は自分自身を嫌いになりそうだった。
「私に、気を……遣わなくていい」
「うん、ごめん。頼りない子で」
あげく、一番傷ついているはずのメルに励まされてしまい、三珠はさらに自分を責めそうになった。と、そこでスィアが口を出す。
『ますたー。みんな、どこか痛いの? スィアもね、チクチクするー。なんだろう、みんなに元気を分けたいのに、スィアの元気がでないよ?』
「うーん。きっと、それは悲しいって感情じゃないかな?」
『スィア、悲しいのー? 悲しい、嫌い。元気がいいー』
「そうだね。うん、きっとそうだ」
スィアに魔導書管理者の格好悪いところは見せられない。三珠は赤くなるくらいに頬を強く叩き、後ろ向きな自分に喝を入れた。
「ねえ、メル。まだお城を進む? それとも、もう帰る?」
「私は、進む……でも3人に、無理強いはしない……」
「そっか。じゃあ、とことん付き合うよ!」
「2人もね」と三珠はピスカとリーシャに振り返ると、彼女らも腹を決めたように頷く。不器用な三珠にできるのは、これしかなかったのだ。
うまく言葉にはできないし、舌も回らないけれど、不器用な人間は不器用なりに、「困ったときは私たちが側にいるよ」と三珠は訴えたかった。
その思いが通じたかどうかはわからないが、薄く微笑んだメルの歩みが早くなる。
しばらく城内を進み、窓辺の廊下に差し掛かった頃だった。
「信じられない」というふうに目を見開き、メルは足を止めた。割れた窓に手を添え、廊下に佇む女性がいたのだ。
メルと同じキメの細かい水色の長い髪に、まるで月光を映したのような儚い表情をした女性であり、彼女の灰色の瞳は煌びやかに潤む。
その女性こそがシワピピルティン12世、暗君の残党狩りを開始した新帝国の大義名分のため、死霊術にのめり込んだ魔女という汚名をきせられた女王である。
死魔族である彼女は肌色は青白いが、どこか薄く透けるような容姿だ。
まるでここにない映像を、写生機が映し出したかのようである。
女王はメルを一瞥すると、我が子の帰還を喜ぶ母を彷彿とさせ、慈しみに満ちた微笑みを作り、廊下を歩き去っておく。
「待って……お母様!」
声がくぐもったように小さいメルが、普段の彼女からすればありえないほどに声を張り上げ、去りゆく母の背中を追う。
女王の影は瞬間移動するみたいに現れては消え、自分を追いかけてくる娘を誘う。それに3人も続き、やがて彼女らはそこに辿り着いた。
カーペットの敷かれた階段を駆け上がり、大きな扉を押し開けた先――女王の玉座がある部屋は、王国でもっとも高貴な者と面通しをする謁見の間だった。
「あれは――っ!」
幻想の中に沈んだ王国の玉座に、ミイラ化した女の遺体はあった。王女の遺体なのかもしれない。不老不死と名が高い死魔族だが、不死者を殺すのは簡単だ。
いや、この場合は壊すといった方が正しいだろう。肉体は滅びることを知らない不老不死だが、その内にある魂は破壊できる。
自我の消失した肉体など、空っぽの器に等しい。死魔族の女王は強力な精神攻撃系の魔術、もしくはその効果を符呪した武器により、魂を殺されたのだ。
「この人って、やっぱり――」
「その通りだ、シワピピルティン12世。戴冠前の旧名は、メルフィアナ・シーマ・プリヴィディエーニ。時代の移り変わりに流され、事実無根な不名誉の罪状をきせられた上、理不尽に断罪された哀れな女王の亡骸だ」
玉座の間に揃う4人の背後に、1人の女性が現れた。
占い師のローブを身にまとう彼女は、顔を隠したフードを下ろす。
「貴女は……誰……?」
「顔合わせくらいはしたと思うが? そこのお友達に聞いたらどうだ? あの宝石は、ちゃんと使ってくれたのか」
「三珠……知り合い、なの……?」
「うん。一応、顔見知りになるのかな?」
フードを下ろした女性は色黒の肌に、濃い茶色の髪色をした癖毛のデックアールヴ族。三珠に占いをしてくれた宝石店の女店主だった。




