第二六話:彼は地下へ、彼女は地上へ
聖堂に消えた宿屋の女主人を追ったフェレスらだったが、水の噴き出す泉と水路に流れる水音が響くばかりで、肝心の女性の姿がない。
それどころか、昨日はあれだけ賑わっていた参拝者の姿が、綺麗さっぱりなくなっていた。
人影のない聖堂の水路をライトアップする光だけが揺らめき、不自然な静寂が、フェレスらの胸騒ぎを覚えてしまう。聖堂に入った女主人は、最奥の魔に行ったのだろうか。仲間たちの位置も把握できぬまま、最奥の間に続く扉のカギ穴を確認するが、錠は固く閉ざされていた。
「開きそう?」
「なんとも言えないな――っと、そこにいるのか?」
「ええ、すぐ隣にいるわ」
腰を屈めて鍵穴を覗き込むフェレスに、ユリアの声がかかる。
彼女の姿は目視できないが、おおかた自分に隣に屈み込み、膝を折って目線を合わせているのだろう。
鍵穴はオールドタイプの錠前のようだ。魔術的な封印式を組まれていないから、鍵穴さえ開錠してしまえば、比較的容易に中へ侵入できるだろう。
「どうする、燃やしてしまおうか?」
「何なら、私が扉ごと殴り飛ばしてもいいけど?」
「隠密行動の意味ないだろう、でかい音が出る。というか、全員考えることは一緒みたいだな」
「おうよ、おいらもいるぜ」
不意に、「あいたっ!」というロークの痛みを訴える声が響く。フェレスの肩に何か小さなものが当たった感覚があったから、それがロークだったのようだ。
「お互いが見えないのは、かなり不便だね」
「仕方ないだろ。この手が一番、無警戒の魔女団に近づける」
そう合理的な計画を優先したフェレスだったが、面倒がるアディンの気持ちはわからないでもない。
実際に、お互いの距離が把握できないため、音や声を頼りに判断するしかなく、作戦を立案したフェレスさえもうんざりしそうになっていた。
ひとまず、些細な問題は受け流すとして、フェレスは収納袋の中からピッキングツールを取り出し、聖堂の錠前をいじっていく。一口に透明化の薬と言っても、実際に透明人間になるわけじゃない。
他者の認識を阻害し、視覚的に捉えられなくなるだけで、自分の姿はしっかり見えており、錠前をいじくるのに困ることはない。
透明化の薬の欠点は、やはり同じように薬を飲んだ仲間が見えないという点に限る。
カチャ、と錠前が外れる音が響き、フェレスらは聖堂の奥地に侵入する。扉の先はT字路の広間になっていて、廊下に沿うように神官たちの寝室があった。
物静かな通路だ、教団関係者は何をしているのだろう。いくら外が夜のままとはいえ、就寝中というにはあまりに生活感がなさすぎる。
埃っぽい空気に割れた壺、そして花瓶の残骸。ひび割れた壁からはレンガの欠片が、ポロリと床に落ちる。随分と年季の入った聖堂だ。
使われなくなって、もうかなり時間が経っているに違いない。ここで昨日は典礼の儀が行われていたなんて、どう考えても信じられなかった。
「うっ、うぉおおお。何だこりゃ」
ロークが声を張り上げて驚く。彼が尻餅をついたであろう場所には、祭服を着た白骨死体があった。その骸骨は1体だけではない。
色褪せたカーペットには赤い染みが残っており、床に散らばるように白骨遺体は転がり、壁にへばり付いた黒い液体は血痕なのだろう。
遺体の骨格からして女性の可能性が高い。祭服が昨日の典礼の儀に、少女らが着ていたものと一致している。王国の闇は深い。
聖堂の壁には紋様の入った旗が飾られ、それは真皇教団とは無縁のものだった。どちらかと言えば、国旗に刻まれた紋様に近い。
聖堂に吊るされた国旗は、ここが真皇教団の支配に抵抗する勢力だという証だ。
元来より、魔女団は教団に反する思想を持つ者や行き場を失った者が寄り添い、ともに支え合うために結成された組織だ。
放浪者が集って結成する狩猟団という非合法的な傭兵部隊あるが、それの構成員が女性だけになった印象だろうか。
真皇教団の方針上、魔女裁判で断罪されるとまではいかないが、危険な魔術の研究を独自に展開している節もあり、世間一般的には快くは思われていない。
王国は魔女団により結成された国だから、王国独自の支配下による信仰が、国民に重んじられたのかもしれなかった。
「これ、水晶玉?」
壁に凭れ掛かった白骨遺体の正面にあるドアが倒れた一室。綿の出た布団に汚れたカーペット、さらには本棚に納まっていただろう古本が、床にぶちまけられたような部屋である。
その奥に、表面が濁ったように薄汚れ、美しさを失った大きな水晶玉が、専用の台座に安置されていた。不可思議に思ったユリアが触れてしまったらしく、「触れちゃいけないものだったかもしれないわ」と、困惑する彼女の声とともに、水晶玉が輝き始めた。
そして、礼拝堂の方から聖堂を震わせるような地鳴りが反響する。
「今のは……行ってみるか、フェレス?」
「そうだな、何かありそうだ」
「おいらもそうするぜ、こんなはずじゃねえんだけけどな」
期待外れだったと肩を落とすように、ロークは言う。とぼとぼと歩いているだろう彼の愚痴を右から左へ聞き流しつつ、フェレスらは礼拝堂に戻った。
過失だが、ユリアが仕掛けを作動させたらしく、聖堂の泉はまるで見えない壁に阻まれるように分断され、魔術的な空気の層に水のせき止められた場所に、地下へと進む階段が現れた。
隠し通路というやつだろう。
地下から噴き上げてきた風に、魔素適性値の低いフェレスですら、強大な力の奔流を感じ取る。間違いない、階段を下りた先にパリカーのアジトがある。
「偶然だったみたいだが、これはユリアティルの功績だね」
「ま、まあ。これがお姉さん的な発想力よ」
「いや、絶対にまぐれだっただろう? 策士ぶっても無駄だぞ?」
フェレスとアディンの容赦のない突っ込みに、ユリアは肩身が狭くなる。
一方、目論見通りにいかなかったロークは足を急がせ、
「ほら、アンちゃんたち! 行くなら行こうぜ!」
そう威勢よく言った彼に続き、フェレスらは聖堂の地下室への階段を踏みしめ、4人の靴音が地下通路にどよむのだった。
◇
一方、その頃――王国の地下水路に4人の少女の姿があった。
地下水路に降り立った三珠らはメルの後をつけていく。
王国に潜入した時と変わらず、地下水路は不衛生であり、水路の水こそ干上がっているが、沈殿したスラッジの異臭は強烈で、三珠は汚臭のせいで偏頭痛になりそうだった。
魔導書と契約し、人間離れしてしまった三珠だが、アベントゥーラでは元人間種という立場にあるから、その自分にもきつい臭いともなれば、やはり嗅覚の優れた獣人種のリーシャには、致命的な環境となるだろう。現に、リーシャの顔は顔面蒼白で、必死に吐き気を我慢しているようだった。
「無理に……ついてくる必要、なかった……」
メルはリーシャに振り返り、普段の彼女よりも尖った言い方をする。持ち前のポーカーフェレスのせいで、心身の焦りが顔こそ出ていない彼女だったが、冷静さを失っていないのは明らかである。
体調不調のリーシャを気遣いつつ、珍しくピスカがむっとする。
「メルフィアナさん、今の言い方はどうかと思います」
「別に……私は、頼んでいない……」
「それでも、リーシャ姉さまは心配してくれているんですよ?」
「私は……1人でも、いく。みんなには……関係、ないこと……」
ピスカとメルが向かい合い、ぷくぅと頬を膨らませ合う。喧嘩は構わないのだが、自分たちの置かれた状況は把握すべきだと思う。
『ますたー。スィアね、喧嘩は嫌いだよ?」
「うん、わかってる。何とかするから」
仲間割れ中に敵に襲われては浮足立ってしまい、後手に回ってしまう可能性が高い。三珠は意地を張り合う2人の仲裁に入り、彼女らを団結させようとした。
「はい、ストップ。ピスカちゃん、気持ちはわかるけど抑えて。メルは一回頭を冷やす。私たちがいる場所が危険なの、わかってるよね? 八つ当たりはご法度」
「それは、そう……でも私、わからなくて……」
「――ってか、それを見つけにきたんっしょ? わからないのは当然じゃん」
うう、と鼻を摘まんだリーシャに窘められ、はっとメルは目が覚めたような顔をする。そして、彼女はピスカに頭を下げ、
「謝辞……貴女に、きついことを言った。許して……ほしい」
「ああ、いえ――私もムキになっていたのでお相子です。それに、私は貴女じゃありません。ピスティリカって名前があります」
「ピス、ティリカ……」
「はい! 私もメル姉さまと呼びますね」
「それは……反応に、困る……」
「ダメです、もう決めました! よろしくお願いしますね、メル姉さま?」
「あっ……うぅ……。ピスティリカ……容赦、ない……」
屈託のない笑顔をピスカに向けられたメルは、軽く目線を逸らして口ごもる。恥ずかしかったのだろう、彼女は僅かに頬を紅潮させていた。ピスカの無遠慮なお姉さま呼びが恥ずかしいのは、三珠もなんとなくわかる。
ピスカからすれば、親しみを込めた呼び名だったり、女性人口の多い教団に勤める神官として、彼女に身についてしまった習わしだったりするのかもしれないが、三珠は慣れるまでに時間がかかった。思わず、メルには共感してしまう。
『やっぱり、仲直りが一番ー。スィアね、みんな大好きだよー」
少女らの口喧嘩に一段落つき、スィアはご機嫌になって喜ぶ。自分が喧嘩をしたわけではないのに、無邪気なものだった。
そこでふと、リーシャ肘が三珠の脇腹を小突く。
「ねえ、三珠。やっぱ静かすぎない?」
「ああ、うん。リーシャもそう思ったんだ。覚悟はしてきたけど、あれだけ禍々しかったレイスの気配が、今日はまったくしないよね? 生態探知の魔法の強度を上げて、霊体にも反応するようにしたけど、反応はないみたい」
「私は、敵がいないのは……いいことだと、思う……」
「そうですね、不必要な戦闘は避けられますし、危険は少ない方がいいです」
「まあね、心配のしすぎかな?」
嵐の前の静けさ。それに近い胸騒ぎを覚えたが、三珠は杞憂だと自分に言い聞かせた。それよりも早く王城に乗り込み、メルの願いを叶えてあげたかったのだ。
それに暗い場所は苦手だし、三珠には早く外に出たいという感情もある。レイスに襲われた時は、それこそ恐怖で胸が張り裂けそうだったのだ。
今は保護者の男性陣がいないし、やはり同世代の子だけでは不安を拭えない。
一方、リーシャは不可解そうに眉をひそめ、ここまで歩き進んだ道筋に振り返っていたが、彼女の視界には地下水路の闇が続くばかりだった。
三珠とリーシャの思考を中断するように、メルが梯子を指差す。
「とにかく、ここが終点……地上に、上がろう……」
気づけば、4人は地下水路の終着点に辿りついていたようだ。
梯子を登った先は、王城の中庭だという。三珠のイメージでは、少女マンガのような綺麗な花壇に囲まれたお城の中庭だが、果たしてどうなのだろう。
少女たちは梯子に手をかけ、1人ずつ順番に王族の敷地に潜入するのだった。




