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遥か永劫の敗北神  作者: 輪叛 宙
第二部:屍の王国編 在りし日の望郷の都
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第九話:エルデリカ鍾乳洞

 エルデリカ鍾乳洞はエルデフィース港の北西にある洞窟だった。太古の昔から大海に流れゆく河川の支流の水源となる鍾乳洞で、石灰岩が流水によって浸食され、巨大な洞穴となる。

 飛空艇による空路の発達で鍾乳洞に潜る人間も少なくなり、舗装や整地が行われていない天然物の洞穴として、そこにあり続ける。洞穴を通り抜ける冒険者もいなくなり、鍾乳洞内には行方不明となった人間の遺体も残っているという噂だ。

 遥か昔、まだ夜の大陸ニフタが群雄割拠の戦国時代だった頃、敗残兵が逃げ込んで命を落としたという言い伝えもある。

 

 そんな鍾乳洞の天井に張り付いたコオモリのような鳥が、鍾乳洞を歩き進む黒いローブをまとった少女を眺めていた。


「ここは……どこ……?」


 光り輝く岩石と苔が淡い明かりを灯す薄暗い鍾乳洞の壁を伝い、少女は体力を使い果たしたかのようによろめき、倒れそうになった体を支える。

 死人のような青白い肌に、悪魔のような羽と尻尾、そして頭に角が生え、髪艶のいい水色のストレートロングをした彼女は、悪霊種の死魔族と呼ばれる種族だった。

 ほどよく発育した胸に、線の細い体つきに小顔の美麗な少女だが、しかし口数が少なそうな儚い雰囲気のある彼女は、薄幸美人のようでもある。

 少女は身の丈に合わない大鎌を引きずり、ぽとりぽとりと、鍾乳洞に反響する岩石の伝って落ちる水滴の音を聞き、まるで行き場を失った亡霊のように、薄暗い鍾乳洞の中を当てもなく歩き進む。


「早く……帰らないと……」


 また一歩、少女は足を踏み出す――が、そこに地面はなかった。頬に温かな飛沫が散るそこは、鍾乳洞に流れる水が作った大穴だった。

 行き先は真っ暗で、意識の朦朧とした少女はやかましい滝音こそ聞いていたが、光源そのものが少なく、足元の注意を怠っていたのだ。

 轟々と下層に落ちていく滝の音は鳴り響き、少女は足をすくわれて鍾乳洞の大穴に落ちていく。やがて鍾乳洞は少女の入水の音でどよめいた。



      ◇



「今の、何か聞こえたか?」


 光り輝く岩石に仄かな青白い明かりに包まれ、複雑な地形をした鍾乳洞を進むと、何かが水に打ち付けられたような音が、かすかにフェレスの耳に届く。

 幻聴かもしれないが、激しい水音が少しずつ近づいていて、鍾乳洞の壁も湿っぽく、空気の湿度が高いようなので、鍾乳洞内部に水があるのは明らかであり、フェレスは警戒したのだ。


「水の音に混ざった着水音って感じですね~」

「リーシャに聞こえたのなら間違いないな」


 ぴくぴくと狐耳を動かし、リーシャがフェレスに伝達する。獣人族の彼女はフェレスよりも耳が良い。

 そんな少女に聞こえたというのだから、幻聴や空耳の類ではなかったのだろう。


「流石に夜光石の明かりだけじゃ心もとないな。アディン、頼めるか?」

「仲介屋の上位ランカーが、まさか雑用係みたいに扱われるとはね。フェレス、それはかなり贅沢だとは思わないか?」

「嫌なのかよ、依頼したのはお前だろう?」

「ちょっとした嫌味さ、すぐにやろう」


 アディンが指を鳴らすと、まるで灯籠のような灯火が、一定間隔で空中を漂うようにゆらめき、発光する岩石のみが頼りだった鍾乳洞を明るく照らす。

 しかし、アディンの魔術が届く範囲に水源らしいものはなく、流水の浸食作用で進路上の地面が削り取られているということもなく、深い闇に吸い込まれるような先の見えない通路が続くばかりだった。

 鍾乳洞の水源は、さらに奥にあるのだろう。


「先に進まないとどうにもならないな」


 フェレスは振り返り、夜光石に群がる三珠とピスカ、そして彼女らに連れ添うユリアに目を向けた。

 夜光石に張り付いた苔を採集しているようである。


 夜光石とは魔素を含んだ低純度の結晶体のことだ。

 岩塩のような白い結晶に光の魔素が微量に集まり、結晶化が進んだ魔素結晶である。闇の魔素が多いニフタでは、相反する光の魔素が行き場を失い、洞穴や河川沿いの石として結合することがある。

 夜光石が輝くのは内部に含んだ光魔素の影響が大きく、微弱な熱を発し、岩壁の表面は生温かい。


 呑気なものだ、緊張感が足りないように思う。

 旅行気分の少女たちに呆れつつ、「ずっと張りつめてるよりはいいか」と思い直し、フェレスは三珠に近づいて脳天を小突く。あたっ、と頭を擦る三珠は、フェレスに振り返る。


「何やってんだよ、お前は」

「ユリアさんからヒカリゴケが錬金術の材料になるって聞いたから、ついでに採取しておこうと思って」

「錬金術? 誰が作るんだ、ユリアか?」

「あっ、いや……まあ、そんな感じかな? 私はお手伝いしてたんだよ」


 隠し事をするように三珠が笑う。嘘の下手くそな娘だった。どうやら、三珠が錬金術に興味があるらしいことをフェレスは見破る。

 教えてやった方がいいだろうか、とも思ったが、三珠は恥ずかしそうに両手を振りまくり、突っ込まれたくなさそうだったから、フェレスは騙されてやることにする。

 自主的に努力する少女の意欲を削ぎたくはない。誰かに言われてやるよりも、自分で手探りに技術を磨いた方がいい。百聞は一見にしかずと言うが、実際に体験して覚えた方が身になるものだ。

 レナ司祭の補佐として錬金術の知識があるピスカもいるし、教団の実力者であるユリアがついているのであれば、フェレスも口出しを避けるべきだろう。

 

「魔素を内包したヒカリゴケは、いい霊薬エリクサーを作る素になりますから、保持しておくに越したことはありません」

「特に天然物は、ね。最近は農家が栽培するようにもなったけれど、養殖と天然だと、やっぱり質に大きな違いが出てくるわ――博学のお姉さんが言うのだもの、絶対に間違いないぞお」


 良い子いい子、と三珠を抱きしめ、ふくよかな胸の谷間に埋めて頭を撫でるユリアだが、当の三珠は首を絞められたように悶え、彼女の腰をタップする。


「ユリア姉さま、そのくらいで……」


 友人の危機を察したピスカが間に入り、三珠とユリアを引き離すと、強い束縛から解放された少女はふらつき、ついに湿った地面に足を取られる。

 つるりと足を滑らし、尻餅をつくはずだった三珠だが、むにゅりと柔らかい何かを踏みつけ、臀部でんぶに痛むことはなかった。


「――ほげえ!」


 声変わり前の少年のような声が上がり、三珠は慌てて体を起こす。服をはたき、三珠が見下ろした先には三角帽子を被り、耳と鼻が大きな小人がいた。

 全長は50センチにも満たないだろう。鍾乳洞の小さな壁穴の前で倒れた毛深い茶髪をした小人は、精霊種小人族のトロルだった。1000年前に暗君に攫われ、実験体として扱われて以来、トロルは二面性のある種族とされ、巨人化することができるようになった。

 巨人化したトロルは悪霊種巨人族のトロールになり、著しく知性が低下し、代わりに超再生する体と怪力を手に入れる。そんなトロルの少年だが、この鍾乳洞を住処にしていたのだろう。

 うう、と彼は唸り、地面にキスをしている。


「あ、あの……大丈夫かな?」

「これが、大丈夫に見えるのか? おいら、内臓が出ちまいそうだったぜ」

「ご、ごめん。こんなに小さい人がいるとは思わなかったから」

「しゃ、しゃーねえな、安心していいぜ。姉ちゃんの尻、柔らかかったからさ」

「えっ? ななな、何言ってるの?」


 咄嗟にお尻をおさえ、三珠が顔を真っ赤にしてトロル族の男から距離を取る。一方の彼は、ふへへ、と気持ちよさそうな顔をして、満足するみたいに涎を垂らした。

 とんだマゾ男である、流石に女性陣の顔も引き攣っていた。フェレスは薄着のトロルを摘み上げると、アディンが手のひらに炎を作り上げ、彼の眼前へと近づける。


「お、おい! 何すんだよ、アンちゃんたち!」

「いやな、いつからいたのかと思ってな」

「僕たちを尾行していたのなら、遠慮なく焼き尽くすが、それで構わないね?」

「ちょ、ちょ! 待ってくれよ、アンちゃんたち! おいらの住処に近づいてきたのはそっちだろ! あいつらかと思っちまったぜ」

「あいつら……」


 ふう、とため息を吐くトロルの男を地面に下ろし、フェレスはアディンに目配せをして、彼に炎を消すように頼む。命の危機を免れて安堵するトロルの少年に、フェレスは問いかけた。


「その話、詳しく聞かせてくれないか?」

「ああ、いいぜ――って、その前に。おいらはロークって名前だ、この鍾乳洞を縄張りにしてる。ここを通りたければ、おいらの許可をもらえ」

「ああ、そうか。アディン、もう一回頼む」

「フェレス、君も容赦がないね。まあ、僕としては大好きイベントだけどね」


 長い髪を払ったアディンの背後から放たれた火球が、ロークと彼のすぐ横にある壁に撃ち込まれ、めらめらと残り火が揺れる。

 ロークは目を見開き、「こいつらゲスか!」と怯えた表情になり、すっかり尊大な態度は消え失せた。


「な、何しやがるんだ! 鬼か、アンちゃんらは!」

「聞きたいことがあるんだよ。前振りされても困るんだ」

「先ほど君が言った、あいつらというのは?」

「アンデットだ、ちょっと前からおいらの縄張りを徘徊してやがる。どこから来たのかはかわんねえが、急に現れやがった」


 チェッ、と舌打ちをするように、ロークが言う。彼の悩みに心当たりがあり、フェレスとアディン、そしてユリアが顔を見交わす。と、震え上がったのは三珠だった。


「ア、アンデット! それって幽霊のこと!?」

「ちょお! 三珠、いきなり抱きつくなし!」

「大丈夫です、三珠姉さま。アンデットは亡霊じゃありません。死んだ人や動物の肉体に疑似的な魂を埋め込み、自我のない動く死体となった怪物です」

「いや、もう――それって、お化けみたいなものだよね!」


 ピスカの補足の意味はなく、リーシャの腕に三珠は縋り付く。まさに、その時だった――ぺちょりぺちょりと、不気味な足音が鍾乳洞に響きわたり、フェレスは銃剣に手を当てる。


「あいつらだ、あいつらが来やがった!」

「先輩、死肉の臭いが近づいてます! 十分に注意してください!」


 「しっかりしろし!」と三珠を一喝して遠ざけたリーシャは、くんくんと鼻で空気に混じった臭いを嗅ぎ、腐敗した肉の臭いを嗅ぎ分け、幻術で創り上げた弓を持ち、フェレスに警告する。

 一方のロークは頭を抱え、蹲って弱気になった。


「聞いてすぐにこれかよ。アディン、なんかに憑かれてんじゃないのか?」

「死霊だけにという話か? それなら、君が引き付けたかもしれないじゃないか?」

「なんだ、随分と余裕じゃないか」

「万が一にでも、僕が死体如きに負けるとでも?」

「そりゃそうだ」


 文句を言い合いながらも、フェレスとアディンは前方を警戒する。

 大きく構えたアディンには、勝ちを確信する強者の余裕すら見て取れた。


「ついに、お姉さんの出番かもね。リフォルシア、援護お願いねえ」

「了解、こっちは任せて」

「三珠姉さまは私と一緒に! 皆さんの援護をしましょう!」

「うん、ローク君を助けてあげないと!」


 小手を打ち合わせたユリアと弓を持つリーシャが後方を警戒し、三珠とピスカは怯えるロークを守るように、2人は背中を合わせて身構え、彼女らは陣形を組む。

 気味の悪い足音は四方八方から聞こえる。完全にアンデットたちに包囲されているようだった。

 

 やがて暗闇の奥、蠢くそれらが姿を現す。


 武装した動く白骨死体はスケルトン、鍾乳洞に残った白骨死体に、死霊術師が降霊術を使った証拠の置き土産だろう。その化け物どもに付き従うように、朽ちた足からは白い骨がはみ出し、飛び出した目玉を垂れ下げ、だらしなく舌を出して、腐臭のする唾液を撒き散らすゾンビ犬がいる。

 犬の死体を代償に造られたらしいゾンビは、フェレスたちを生きた供物であると認識したのか、グルグルと尖った牙を噛みあわせて威嚇し、彼らも襲いかかった。 

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