第四二話:後悔の先へ
「マザー、おはようございます」
三珠が退室し、ピスカはアイナの分の椅子もベッドの横に運ぶと、2人は隣り合うように座り込む。
シルキリアは合わせる顔がないと、2人の顔か視線を逸らす。それもそうだろう。大切な子供たちをいまさらどうしろというのか、言い訳でも並べて許しをこえというのか、バートランド・クルシュターの策謀に乗せられたとはいえ、実際にシルキリアは子供たちの母親であることから逃げた事実は変わらない。
が、アイナがベッドの端に手を置き、ぐいとシルキリアに顔を寄せた。
「よそ見なんてさせない」と、アイナは根暗な性格に似合わず、強い目力で母の顔を覗き込む。
「マザー、うん。、私、怒ってる」
「当然ね。私みたいな最低の親が助かったのに、あの子たちはもういないんだから。恨んでくれてかまわないわ、私は母親失格だもの」
「うん、私――マザーのこと、大嫌い」
「ええ、わかっているわ。だから、私は死ぬべきだったのよ。せっかく、自分の命を捨てて償おうとしたのに……助からなければ、よかった」
「……そう、ですか。それが、マザーの言い分なんですね?」
ゆらりと立ち上がったピスカには、普段のおとなしさなどとうに消え失せ、前髪で隠した顔は怒気がこもったように暗くなる。
今の発言は撤回してほしい、それは妹たちへの残した家族愛への侮辱だ。
他人を怒ったり、否定したりする感情を、ピスカは調教師に矯正されたはずなのに、腹の中に溜まった何かが、ぐつぐつを煮えたぎるようなやり場のない思いが込み上げてきて、気づいた時には大きく右手を振りかぶっていた。
そして乱暴に振り下ろす。パアアン! とまるで風船が割れたみたいな音が病室に響き渡り、じくじくと痛む真っ赤に腫れあがった頬を擦ったシルキリアは、ぐっと涙をこらえようとするが、しかし耐え切れずに、照明の明かりを反射して輝く雫を両目からあふれさせ、憤懣するピスカを唖然として仰ぐ。
「マザー、取り消して下さい! 今の言葉は、取り消してください!」
「ピスカ、貴女なにを……?」
「みんな、マザーのことが大好きだったんです。エリシアだって、ヘルゼとクリオクだって、それに私とアイナもそうです! 孤児院での生活は楽しかったんです。ずっと物みたいに扱われてきたのに、周りの景色が変わったみたいでした。マザーは――お母様は私の大切な思い出まで奪うんですか!」
「ピスカ、違うわ! 私は、そんなつもりなんて……」
自分の発言した愚かな世迷言を改めるように、シルキリアは娘たちに言い繕う。
アイナに見上げられたピスカは、初めて怒った姉の様子に怖がる妹の頭を優しく撫でてやり、彼女が安心して目を細めたところで、口調を穏やかにした。
「それなら、どうして拒絶するんですか? お母様が生きているのは、3人のおかげなんです。あの子たちはバラバラの氷の肉片になったのに、それでも孤児院に散らばった自分たちの命の結晶を使って、お母様を延命しました」
「じゃあ、私が三珠さんに救われたのは、そういうことなの?」
「はい、3人が最期に使った治癒呪術があったからです。お母様に死んでほしくないからって、エリシアたちは消えきる前に、結晶石を代償にしました」
腹部のあたりを触り、シルキリアが悲痛な面持ちになると、「それでも死にたいですか?」と追い打ちをかけ、ピスカは母の愚行を全面的に否定する。
と、アイナがシルキリアの手を握り、3つの結晶石の欠片を――自分の姉兄たちの残滓を渡す。
「うん、私ね。マザーのことは許せないよ? けどね、それでもマザーは私たちのお母さんだから――それはもう、しょうがないと思う」
「私たちはお母様がいなければ、形はどうあれ、人に奉仕するだけの道具になっていました。実際、闇市の競売で落札された子供の中には、そうなった子もいたでしょう。きっと私たちは幸運だったんだと思います。お母様が3人を殺したことは今でも信じたくないですし、許すことはできません。けど、お母様は私を道具ではなく、人間にしてくれた人でもあるんです」
「うん、私も一緒。だから、今度は私がマザーを助けるね。もう、道に迷っちゃわないように――だって、私はお母さんの娘だから」
どんなに非道な人間だって、どんなに周囲の評価が最悪な両親だったとしても、子供からすればやはり親なのだ。もう切っても切りきれない腐れ縁だから、どこかで妥協して諦めるしかなく、「ああ、そういう人なのだ」と、納得できないままで受け入れるしかない。
ピスカはアイナの手をつなぎ、
「マザー。アイナは私の代わりに教団の方で、レナ司祭のお世話になるそうです」
「うん。私、マザーに心配かけないくらいに頑張るから、だから――」
「私がオロスを離れることになっても、お母様はちゃんとアイナに、まず最初に相談してくださいね。破ったら、神の裁きを下しますよ?」
「うん。明日からの家族条約第一番、困ったら相談する。わかった、マザー?」
そう宣言すると、「家族条約を破った時のお仕置きが怖いわね」と力なく微笑んで、後悔に苛まれながらも2人の母親であろうと努め、今度こそは、と手の中に包みこんだ3つの結晶石を握りしめ、胸元に引き寄せて柔らかく温かい胸の中に埋めて、母は我が子へ懺悔する。
「ごめんなさいね、エリシア。ごめんなさいね、ヘルゼ・クリオク」
2人の娘に見守られ、背中を丸めてむせび泣く母の啼泣が、病室に差し響く。
◇
二階建てのオロスの診療所には、まだ退院していない多くの患者が歩いていた。
足に包帯を巻いて松葉杖をついて歩く者や、錬金術で生成した治療薬が入った点滴棒を押して歩く者、そして車椅子のような乗り物に座る患者が診療所の廊下を行き来する。三珠はなるだけ人目のつかない階段の影に隠れ、魔法を読み上げる。
「朗読第33項、イレーズ・コンシェンツェ」
その魔法は人々の認識を阻害する魔法だった。魔法の効果中に他者は三珠を認識できなくなり、自分の行動や存在を動物的に感知することができなくなるから、透明じゃない透明人間になるような魔法と言えばいいだろうか。
三珠は診療所を歩く人々に手を振ったり、大声を上げたりするが、誰一人として自分の存在に気付かず、「ちょっと寂しい魔法だな」なんて思いつつ、背中に背負ったスィアに声を掛けた。
今ならば、魔導書である彼女が喋ったところで変な噂は立たず、スィアものびのびと飛び回れるだろう。息苦しかったのか、スィアは三珠のリュックから這い出て、診療所の天井付近を飛び回り、ひとしきりはしゃいだ後は、三珠の元に戻る。
「ごめんね、スィア。窮屈だったでしょ?」
『ん~、少し? でも、スィアはますたーを困らせたくないから、我慢するね』
「うん、ありがとう。スィアはいい子だね」
『うん、スィアね。いい子~』
褒められたのが嬉しかったのか、お姉ちゃんの側で元気よく遊ぶ妹みたいに、スィアは三珠の体を中心に、くるくると何十週も周回していた。
「子供だなあ」と思ってはみたけれど、実際にスィアは生まれたばかりの赤ん坊みたいな魔導書だから、そう感じるのも仕方ないかもしれない。
「ねえ、スィア。どこの世界の人だって、本質的には変わらないんだね」
ピスカたち家族のやり取りを病室の外で聞き届け、あとは家族の時間だなと立ち去った三珠はしみじみ思う。アベントゥーラに訪れたばかりの三珠は環境が変わり、この世界ならばうまくいくかもしれないと高をくくっていたが、そう都合よくはいかないことを痛感した。
自分の生活環境が変わっても、どんくさい不器用さが直ることはなく、自分の性格だって簡単には変わることもなく――結局、強い力を手に入れても守れないものはあって、それだけで評価されようなんて、虫のいい考えだった。
それでも、元の世界にはなかった絆が手に入ってしまったから、三珠はこの世界に逃げるのではなく、この世界と戦おうと決めたのだ。
きっと前の世界にいた方が楽なのは間違いない。皆が「可哀想な子だ」と自分を特別扱いしてくれて、親族の目を気にする義父はまるで奴隷みたいに、三珠の我儘を聞いてくれただろうし、義母だって育児ストレスでお腹の調子を悪くしながらも、その本心をしまいこんでくれたはずだ。
今ならばフェレスの怒った理由がわかる。そこは夢の世界だったのだ。
張り合いのない人生には飽きたと、自分の命の価値を示したいなどと、そう求めるのも生意気でおこがましい。
それは生存することが当たり前という価値観で、人があっさりと死んでいく世界に来て、「明日死なないかな?」なんて思い悩むのは、幸せ者のすることだったと思い知る。
そう悟りはしたが、それでも幼少のころからの経験で、三珠に刷り込まれた死生観は変わらない。だとすれば、考え方を改めようと思う。
「スィアはさ、私がいなくなったら寂しい?」
『うん、ましたーがいないと寂しいよ。だからね、いなくならないでほしい』
「そっか、そうだよね。それじゃあ、いなくなっちゃだめだよね」
少なくとも、三珠の死を悲しんでくれる人たちがいた。ピスカはまた泣いてしまうだろうし、リーシャは素直じゃないけど、孤児院で彼女が遺言みたいに残そうとした言葉は、ピスカからこっそり言伝されたから、大切な友達だと思ってくれていることは知っている。それに、自分を拾ってくれた男は言葉にしないだけで、三珠たちの成長を見守ってくれていようだから、その期待を裏切りたくもない。
三珠は自分のパートナーとなった魔導書に振り向き、
「たぶん、自分が変わろうと努力しないと、私の取り巻く環境は変わらないんだよね。でも、私は自分のために行動できない子みたいだから、じゃあ誰かのために、少しずつ頑張ろうと思う」
『ん~? ますたー、よくわかんない』
「そんなことない、簡単な話だよ。これから私はスィアに一杯、い~っぱい迷惑を掛けちゃうってこと。その時は、力になってくれる?」
『そっか、いいよ~。スィアね、ますたーと一緒に頑張るね!」
胸元に突撃してきた魔導書を抱きかかえ、三珠は「次こそはうまくやるんだ」と生涯の課題を背負い、自分に甘えるスィアに破顔した。




