第四十話:山岳都市争乱・終幕(結・末話)
聖堂に飛び散ったフェレスの血痕が、ゆらゆらと真っ黒な霧を噴き始め、その影は廃墟の村を投射した。端々が崩れ落ち、半壊した家屋の壁には苔が生え、枯れた木々が鬱蒼と茂る暗闇の村だ。
『永劫の敗北者たれ』
そう願った人々の欲望が薄く映し出され、負け組が集った村の怨嗟が、フェレスの内界に潜む欲望を通し、陽炎のように現実すらも侵食していく。
1人の負け犬が侵食した世界、それはアベントゥーラとは異なる小規模の亜空間を創り上げ、四次元世界上に並行して存在する個の小世界へと変換した。
ここは人々の嫉妬と憎しみで形作られた敗北者の未練が集合した世界であり、足を踏み入れた者には例外なく、文字通り劣等者に落ちぶれる。
敗北者の生み出した世界で堕落の蛇は胴体をうねり、〝世界の主〟に勇猛果敢に食ってかかるが、しかし邪なる人間は避けようとせず、数多の蛇の牙をその肉体で受け止めた。
その刹那、黒蛇たちの牙がフェレスに触れた瞬間に、蛇の体はまるで積み上げたブッロクが崩れ落ちてしまうように、音もなく分解されていく。
特定範囲までに効力を弱めた呪術弾と違い、呪詛の制限を解除した呪いは、あらゆる法則に基づいた能力が術者に加わった時点で、その能力を敗北の呪詛に変換し、効果のない無意味な力へと貶め、相手の努力や才能で培われたものを奪い去り、非力な凡人へと回帰させる。
ゆえに敗北者を前に、フェレス=エディーダに能力を保持してはならなかったのだ。
「なんだ、これ? そんな、僕の力がああああああああああ!」
堕落の蛇はぽろぽろと崩壊を始め、バートランドの黒化した片腕は指先から消え始め、やがて彼の片腕は完全に消滅した。
フェレスが無作為に敗北の呪詛を拡散すると、魔術弾は魔素を失って使用不可となり、バングルの結界も効力を失うのだが、既にバングルは魔素を消耗していたし、銃剣も直立させて剣形態に可変して、普通の刃物として扱えるから問題はない。
フェレスの創り上げた怨嗟の世界では魔素が消滅し、魔術を扱うことはできなくなるが、代わりに自分の宿す呪詛の力が増幅されるから、差し引きゼロといったところで、つり合いは取れるだろう。
「ふざ、けるな! 僕はここまで色んなものを犠牲にしたんだぞ! それをあざ笑うみたいに――」
「悪いな。俺はどうしようもない悪魔だから、お前の都合なんて知らないよ」
「くそっ、なんで僕が君みたいな無能と同じ立場にならないといけないんだ! 返せ、僕の力を返せよおおおおおおおおおおおお!!」
バートランドは発狂し、けれで諦めようとはせず、彼は右手の片手剣を握りしめ、フェレスに突撃した。一方のフェレスは銃剣を剣形態に可変させ、彼に応戦する。
上段から下段へ、下段から横に薙ぎ払い、バートランドはがむしゃらに剣を振り回し、フェレスは彼の攻撃に合わせて剣を受け流す。
「僕は教団の在り方を変えたかったんだ。どんなに教団へ尽くしても、男というだけで不利になる。出世できずに、苦労する同僚だってたくさん見てきた」
「それで、この強行策ってか? ふざけるなよ、お前は自分の悲願を実現するためだけに、どれだけ無関係の人間を巻き込んだ! もっとやりようはあっただろ?」
「ああ、だからこそ試したさ! けど、うまくはいかなかった」
「だからって力に頼っても意味ないだろ、わからなかったのか! 確かに、お前は不遇な立場にあったのかもしれない。それでもな、他人に八つ当たりした時点で、お前は被害者面していい人間じゃなくなった! もう、取り返しのつかない加害者になっちまったんだよ」
剣を乱暴に振り回しながら、バートランドは胸の内に秘めていた心の叫びをぶちまけ、フェレスは彼を譴責しつつ剣を交えた。
バーロランドの剣の技量はお世辞にも高いとはいえない。
神官として事務的な仕事がメインだった彼は、卓越した剣術など披露できるはずもなく、感情に任せて大振りしているだけで、フェレスでも簡単にいなせる。
どこかの流派を師事したという経験もなく、剣術に関しては我流を貫き通したフェレスだったが、野性的に鍛え上げた感覚はバートランドの動きを見切り、確実に致命傷に至らない立ち回りをする。
そして、バートランドが大きく振り下ろした隙だらけの剣を、フェレスは下段から押し返した。
剣が弾き返され、バートランドが体を後方に仰け反らしたタイミングで、フェレスは自分の手の甲を銃剣の刃で軽く切り、血を滲ませた拳を彼の頬にくいこませ、全身全霊を込めて殴りつける。
「――がはっ!」
バートランドは頬を歪ませ、前歯を空中に吐き出すと、フェレスが破壊した女神像の下部に叩きつけられ、彼は咳き込み、右手の片手剣を床に落とす。
フェレスの血痕が付着したバートランドの頬に、血管が浮き上がったような模様が皮膚を這い、さらさらと、白色の灰が彼の司祭服の隙間から漏れ始める。
自分の体を代償として自滅覚悟の呪術を使っていた男に、フェレスが強力な呪いを重ねがけしたのだ。
バートランドの肉体がもたなくなるのも、時間の問題だったのである。
「まったく……よく言うよ。君も……僕と同じじゃないか」
己の死期を悟り、自分は志半ばで眼前の男に倒されたのだと悔い、バートランドは嘲笑する――結局、彼の努力は何だったのだろうか。
たくさんの犠牲を払って必死に抗ってみたけれど、バートランドが執念深く地盤を固めた計画は、積み木のようにあっけなく崩れ去り、水の泡と化してしまった。
憎いを通り越して、怒りすら覚えないどん底をあじわう。
絶望だ――まるで自分の思いが否定されたような思いだった。願わくは、なにゆえ死んでしまうのか、その定義づけをしてほしい。
「わかるかい、フェレス君? 君は僕の覚悟を踏みにじったんだ。君は――君にとって都合のいい人間を守るために、僕の存在理由を奪った」
「ああ、その通りだ。俺の行為は利己主義でしかない。敵も味方を救っちまうような、偉大な英雄にはなれなかったからな」
「君は、僕の願いは切り捨て……レナ君たちの命を、とったのか」
がはっ、とせき込んで吐血しながらも、はは、とバートランドは弱々しく笑って瞼を閉じる。
「君は……英雄とは程遠い。救いようのない……悪魔だね」
そう言い残し、バートランドが真っ白な灰になって命を散らすと、女神像の慈悲に抱かれるように、すかすかになった彼の司祭服の裾がたなびく。
「ああ、悪魔だとも」とフェレスは旧友の残した言葉を噛みしめ、彼の亡骸となった灰に埋もれた司祭服に背を向け、自分の呪詛で生み出した欲望の幻想風景を消失させて、礼拝堂を立ち去った。
◇
三珠は片足を失って動けないレナ司祭に抱きかかえ、聖堂の外で待機していた。
礼拝堂への門は不気味な黒い霧に覆われていて、それがフェレスの行使した呪術であることは察したが、それでも彼の安否は心配だった。
レナ司祭は三珠の柔らかい胸に凭れ掛かり、
「大丈夫よ、先生は帰って来るわ。いつも約束はちゃんと守ってくれる人だったもの。だからきっと、うまくやってくれてるわ」
「レナさん、随分とフェレスさんを信頼してるんですね」
「ええ――だって、先生は私を救ってくれた恩人だもの。普段は頼りないけれど、やるときはやる人よ? それは、三珠ちゃんもわかるでしょう?」
「うん、まあ……放っておけない感じも強いけどね」
「三珠ちゃん、その考えはダメな人に引っかかるタイプよ。気を付けなさい」
「そ、そうかな? 自覚はないけど……」
『三珠ね、優しい。だからね、スィアも好きー』
表紙で頬擦りする魔導書には背中のリュックに戻ってもらい、レナ司祭にはくすりと笑われて、三珠は困り果てた表情をする。
と、そこへ――オーク族の男、ガウスが聖堂の前に現れた。
「ん……フェレスの、連れか……?」
「ガウスさん! 大丈夫だったんですか?」
「あの程度……オーク族の、敵にはなりえん……」
真っ赤な返り血を浴び、服や彼お気に入りのサングラスを汚してはいるが、武器屋の大男は無傷だった。あれだけの敵を前に、恐ろしい戦闘民族の男である。
それでもガウスの無事がわかったのは嬉しいことではあり、「はやく戻らないかな」と待ちわびるように、三珠はフェレスの帰還を望む。
「どうやら……片が付いた、みたいだな……」
ガウスが見上げていた聖堂の入り口に漂う黒い霧が晴れ始め、「えっ?」と反応した三珠が目を向けると、フェレスが礼拝堂から姿を現れた。
「先生! よかった、無事だったんですね!」
「まあな、俺はそうそうやられないよ。それより、レナは体に違和感はないか?」
「ええ、問題ありません。むしろ、体の調子は絶好調です。これも三珠ちゃんのおかげかしら? 少し生まれ変わった気分ね」
「そうか。でも悪い、お前の片足は守れなかった」
「いえ、先生が謝ることじゃないません。それに私の名前は――」
「ああ、そうだったな。レステリナ」
フェレスは三珠に体を預けたレナ司祭に歩み寄り、そして腰を落とすと、彼女の温かな太ももと肩に触れ、不格好なお姫様抱っこをするみたいに抱き上げた。
レナ司祭は軽々しく抱き上げられ、さらりと綺麗な金髪の髪を流し、あわあわと顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに身を縮めてしまう。
レナ司祭が子供のころにやってやった抱き方だが、成長した彼女は少しだけ体重が重くなり、女性らしい色香を放って、フェレスの顔をぼーっと見つめる。
そんな彼女の動揺などはお構いなしに、フェレスはガウスに頼み込んだ。
「ガウス、合流ついでに頼みたいことがあるんだが……」
「ああ……その司祭の、義足か……」
「悪いな、一仕事終わったばかりだってのに」
「構わん……俺は採寸の、準備をしよう。後で……仕事場に連れてこい」
そうとだけ言った寡黙なオークは、フェレスの無事が確認できて満足したように、彼らに背を向けて聖堂前の階段を下っていく。
「これで一安心か」と頬を緩めたフェレスが、ぷしゅーとゆでダコみたいな顔をしたレナ司祭の体をゆすり、しっかりと抱き直すと、三珠は1つだけ気になることがあって、彼に問いかける。
「フェレスさん。それで、バラドさんはどうなったんですか?」
「ああ、あいつか。始末したよ、それが最善だったからな」
「――えっ?」
あっさりと言い放ったフェレスの言葉が信じられず、三珠は閉口してしまう。
本当に、彼の行為は正しかったのだろうか。
三珠がこの世界を訪れ、ずっと側に連れ添ってくれて、まるで家族のような親愛の念を抱き、心を通わせられたと思い込んでいた男が、なぜか遠くに行ってしまった気がする。
たぶん、フェレスならばバートランドも救ってくれるはずだと、三珠はどこかで無責任に期待していたのだろう。だから、彼がバートランドを殺したという事実を受け止めたくなかったのだ。
「フェレスさん、それでよかったの? 確かに、バラドさんには私も1回殺されちゃってるし、この街の人達だってひどい目に合わせた悪い人だとは思うけど、そこまでする必要はあったのかな? それに、フェレスさんだって人殺しに……」
「三珠、俺はもうずっと昔から人殺しだぞ? 今回に限った話じゃないんだ。自分の利益のために戦争に参加して、何人もの命を奪ってきた。今更、もう1人増えたところで、大した変化はないんだよ」
フェレスは言ったのだ。自分は人殺しに慣れている、と。
それが悲しくもあり、自分が置いて行かれているようで寂しくもあり、三珠はぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感情をどう発散すればよいのか、それがまったくわからなくて、ぎゅっと服の袖を掴む。
「納得できないみたいだな――三珠はまだ若い、それでいいと思うぞ? 俺はレナとお前たちを守りたかった。そのためには、バートランドの信念を切り捨てる必要があったんだ。あいつが法廷に立てば、真っ先にレナが責任を問われたからな」
「レナさんやピスカちゃんに被害が及ばないように、バラドさんを……?」
「ああ、殺した。俺に守れる人間はな、そう多くないんだ。幻滅したか?」
「それは……受け入れられないと思う。私、そんなに器用じゃないし、でもフェレスさんにだって覚悟があったんだから、私は否定しようとも思わないかな?」
どっちつかずの回答をした三珠だが、フェレスは満足していた。三珠には自分にない力があって、まだ十代半ばの小娘なのだから、結論を急ぐ必要はない。
いつか彼女たちが成長しきった時に、自分の選択は間違いじゃなかったと思える日がくることを、もう後戻りのできない悪魔は願っていた。
次話より第一部エピローグです。
二・三話くらいでまとめます




