第三五話:最終決戦の始まり
「あっしは、ここまでですかね」
荒野の真ん中に飛空艇を下ろし、見上げるほどに大きな船体に凭れ掛かったナシュタが、フェレス一行を見送る。
空の旅の後に立った地面は足元がおぼつかず、奇妙な違和感があるが、しばらくたてば直るだろう。
それよりも、荒野に舞う風が砂埃を吹き上げた先、フェレスは戦火に巻き込まれた都市を見つめる。
街に響く人々の悲鳴と銃声が風に乗って聞こえてきた。魔獣の咆哮が耳をつんざくように空へ響く。
フェレスは仲間たちに向き直り、作戦を立案する。
「この惨状じゃあ、都市のゴンドラは使えないだろう」
「ならば、都市の東門を使うかのう。すぐそこに軍人用の通行路がある」
ゲイルズ中将の指さした先に、ぶち破られた大門があった。ここはオロスの外周を囲う砦の東側にあたるのだが、湾曲した砦は山の斜面と重なり合うようにして、ぴったりと途切れている。
そこが東側砦の終わりの位置になるからだ。大門が壊れされているのは、大型の魔物が魔術を使ったか、もしくは壊れるまで体当たりし続けたか、その二択だろう。
街の被害は甚大そうだ。少数精鋭で乗り込む以上、役割を決めなければいけない。
すると、珍しくピスカが自発的に手を上げる。
「すいません、フェレスさん。私もお姉さまのことは気になるのですが、第1層の孤児院の方も気掛かりでして……」
「そういえば、ピスカはあの孤児院の出だっけ? そりゃ、家族が襲われてんだから、助けに行かないのも薄情って感じ?」
「はい、私には大切な家族でもありますから」
ピスカは孤児院の子供たちを無事を願うように、震える手をきゅっと組み合わせる。そんな年下の少女を気遣うように、リーシャが肩を叩いた。
そこへ、大槌を抱えたドワーフの男が威勢よく振る舞う。
「ならば、第1層は娘っこたちに任せたらどうだ? 見たところ、大型の魔獣は下層よりも上層に登っているようじゃからのう。兵士や警察隊の援護があるからには、小型の魔物では対処しきれまい」
「だから、肉食系の小型魔物は下層に集まったって推測か?」
「わしの勘じゃがな。歴戦の勇士の勘ほど、よく当たるものはないぞ?」
「まあ、一理あるな。魔物には多少なりとも知性があるって話だったか?」
ゲイルズ中将を除く4人の中では、リーシャが遠近両用の戦闘を得意とするし、実践経験と実力もフェレスに次ぐといった立ち位置だ。
ここはピスカの援護にリーシャを割り当て、第1層を任せる方針にしよう。ともなれば、後は第2階層から5階層までだが、これは話し合う必要もない。
「第2階層から第4階層までじゃが、そこはわしらがカバーした方がいいな」
「妥当だな。軍人はゲイルズだけじゃないし、お前の部下も援護に入るんだから、数では圧倒的に広範囲をカバーできる」
「じゃが、軍は隊として行動するからのう。小回りはきかん」
「だから、第5層にいるであろう戦犯は、俺と三珠で処理するべきだな。バラドには一杯食わされた。あいつの野望を打ち砕く形で償ってもらう」
フェレスは冷たい目をして言う。ほんの1日だが、仲間として行動した男を手にかけるのは本意ではないが、そもそもバラドの目的は犯罪者として捕まって、法廷に立たされることなのだ。
自らの人生を棒に振ると決めた男の執念は、そう易々と捨てることはできないだろうが、フェレスにだって誰かの努力や信念を踏みにじってでも、救いたい者がいるのだ。
執念と執念がぶつかった先には、破滅と決別しかありえない。そんな取捨選択をしていると、三珠がフェレスの顔色を窺っていた。彼女は別人みたいだった男の顔に、不安を覚えていたのだろう。
三珠には話すまい、これはフェレスのような年寄りが背負う業なのだから。
「三珠。お前は来るなと言っても、俺についてくるんだよな?」
「そりゃあね、スィアを取り返さないといけないし」
「魔法の対処はできないでしょ?」と、確信をつくような姿勢を三珠は崩さない。
実際、フェレスは魔導書の対策をとれないし、どうあっても三珠に同行してもらわなければいけなかったのだが、しかし彼女に下劣な悪魔の姿を見せるのは、あまり好ましくなかった。
いいや、いい子ぶっても取り返しはつかない年齢なのだ。フェレスは合理主義を貫き通すことにする。
それが、フェレス=エディーダという男が到達した答えなのだから。
「それじゃあ、あっしは魔物から身でも隠しておくんで、旦那方は気を付けてくだせい。皆さんが死んじまったりしたら、あっしの報酬がなくなるんでね」
そんな軽薄な小鬼のブラックジョークに送り出され、ゲイルズ中将は部下を引き連れてオロスの兵舎に急ぎ、ピスカとリーシャは第1層のストリートスラムに走り抜け、フェレスと三珠は第5層の教団大聖堂に向かうのだった。
◇
「全員、手を休めるな! 市民の安全を最優先にしろ」
オロス第2階層の市民街では、地属性魔術で地面を広範囲に隆起させ、バリケードを作った兵士たちが、魔術小銃を構えて速射する。
バリケードの内側には一般市民の集団が固まり、襲ってくる巨大な魔獣の猛威に怯え、身を寄せ合い、びくびくと体を震わせていた。
兵士たちが交戦していたのは、赤茶色の毛並みをしたキマイラの上位種だった。獰猛なライオンの顔に、白蛇の尻尾が2本伸び、ねじ巻き角を持つ山ヤギが歌うように吠え、大気中の魔素が赤いキマイラに吸収されていく。
魔術小銃の弾丸は赤キマイラの発生させた防御魔術に阻まれ、一切通じてない。
だが、キマイラの方は魔術使用をしているのがヤギの頭だけであり、猛獣は太い4本脚を踏み出せるから、じわりじわりと歩を進め、兵士たちの死守するバリケードに接近していく。
そして尻尾がうねった。2本の白蛇の尻尾が鞭のようにしなり、大蛇の牙から緑色の毒液を垂らし、バリケードを強打する。
まるで逆さにしたジグソーパズルのように――
岩石のバリケードは粉々に打ち砕かれ、砂埃と石つぶては乱れ散り、白蛇の尾が地面に叩きつけられた衝撃と風圧で、「ぎゃああ!」と短い悲鳴を上げた兵士たちが、後方へと吹き飛ばされた。
キマイラの亜種は特に群れを成すことはないが、個体能力が極めて高く、肉食性を有する野蛮な生態から、仲介屋の危険度指定はAランクとなっている。
一介の兵士が相手にするには、荷の重い相手なのだ。
一般市民の傍まで吹き飛ばされた兵士を守る結界に付着した毒液が跳ね、それはすぐ近くにいた何の武装もたない少年の肌にこびりつく。
彼の若々しい肌に付着した毒液は、じんわりと毛穴から体内に浸透してゆき、まだらの斑点模様を浮かべ、少年は自分の首を絞めて過呼吸になったような息を吐き出し、地べたをのたうち回ると、ぐるんと白目をむいて唇から大量の泡を吹きだしてから、若い命の瞬きを終える。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああ!」
少年の死に悲鳴を上げたのは、彼の隣にいた少女だった。少年は彼女を庇うように体を覆っていたから、少女の恋人か、あるいは兄といったところだろう。
少年の死を嘆く少女の悲鳴により、恐怖にかられたのは一般市民たちだった。
我先にと、身近に迫る死を恐れた市民たちは統率を乱し、非力な老人や子供、女を突き飛ばして、赤い猛獣から逃げ始める。
「落ち着いてください」と市民たちを宥める兵士の言葉など聞かずに、彼らは散逸して逃げ惑う。
まるで蟻んこのような市民たちの姿がキマイラの嗜虐心を煽ったのか、その猛獣は尖った牙を見せて笑い、地面を踏み鳴らしてヤギ頭に詠唱させる。
途端に膨れ上がった大地は逃げ惑う人々を宙に打ち上げ、ある老人は頭から落ち首を折って即死し、ある男性は倒壊した家屋の瓦礫で胸を貫かれ、真っ赤な鮮血を吹き上げる。そしてまたある女性は、キマイラの頭上まで身を投げられてしまい、彼女は白蛇の尻尾に咥えられ、全身に毒が回って絶命した後に、胴体から真っ二つに裂かれて丸飲みされた。
無残に殺された市民を見て、唇を噛みしめた兵士たちが小銃を強く握りしめる。
「どけいい、小物がああああああああああああああああああああああ!!」
と、真打ち登場と言わんばかりに吠え叫ぶもう1匹の獣が、キマイラの背後から側面へと距離を詰める。
戦場の雄叫びを上げた老将軍のドワーフは、両手で柄を支える大槌に魔素を流し込むと、硬度を引き上げた鉄槌をキマイラの横腹に叩き込み、強化魔術で筋肉を活性化させた剛腕で、猛獣の巨体を宙に浮かす。
近くの民家を崩落させたキマイラは、横倒しになって足をもがく。
しかし立ち上がることはさせまいと、地属性の上級魔術をキマイラの上空に展開したゲイルズは、巨大な岩盤を猛獣の顔面へと落下させる。
ゲイルズが大槌の柄を打ち鳴らすと、キマイラは顔面を岩石に潰され、おびただしい量の赤黒い血を垂れ流し、ついには死亡した。
怪物が討伐され、さらに知名度の高い共和国軍の将官の救援に、兵士たちは戦意高揚として、市民たちは安心感のようなものを抱いて、全身の力を抜いた。
「さて、オロス支部の担当は誰だったかのう?」
「はっ、自分であります。ゲイルズ中将閣下、ご足労を感謝いたします」
敬礼した人間種の中年男性は、胸に佐官を示すバッチが付けられていた。ゲイルズの覚えが確かならば、オロス支部に滞在する中佐だったはずだ。
それよりも、市民への被害と骸となった兵士の数に愕然として、むう、と思いため息が漏れる。戦場で人殺しも重ねてきたゲイルズとて、無力な一般人や同じ軍に属する同朋の死は、なるだけ最小限に止めたいのだ。
「中佐、戦況はどうなっておる?」
「はっ、各階層に配置した兵が対応中です。第4階層の有権者や富豪層の皆様は、最優先で飛空艇に乗り込んで頂き、避難は完了しています」
「となれば、今は残された住民の救助活動中か」
「はい。魔物の群れはそれこそ唐突に現れたので、あの短時間では……」
「全員の救助は不可能、か――よい、下がれ。わしはもう一回り、別の場所の援護に向かおう。生き残った者は丁重に扱うのだぞ?」
「はっ、了解しました」
びしりと素早く敬礼を済ませ、中佐は部下に指示に飛ばす。
政府重鎮優先の救助活動に反吐が出そうになるが、それでも社会という基盤ができている以上、それは避けられないことなのだ。
自分の配下にいる軍の精鋭たちに声を掛け、ゲイルズは次の場所へ救援に向かい始めるが、ふと横たわる子供の死体が目に入って立ち止まった。
「やはり、いつの時代も虐げられるのはか弱き者よな。のう、フェレス?」
ゲイルズは悠久の眠りに落ちた子供の見開かれた瞼を優しく閉じ、かつて「弱者を救いたい」と、ともに酒の席で志を語り合った男の名を呼んだ。




