第三一話:報復の意志(転・末話)
リーシャはつがえた幻術弓を下ろした。
自分たちを襲ってくるはずだった毒怪鳥の群れが、いきなり腹部を輝かせたと思えば、内側に吸い込まれるように潰れ始め、ぼとぼとと赤黒い血と肉片を上空からばらまき、一瞬にして黒い空間異常が魔物を殺し尽くしたからだ。
何が起こったのかとか、誰がやったのかとか、疑問は多く残るが、ひとまずは目前の危機が去ったことに安堵する。
リーシャの背後では死亡した仲間を囲み、3人の女性兵が身を寄せて抱き合い、ポロポロと涙の粒を落としていた。
上空に突如として現れた魔方陣から降り注ぐ光にあてられ、瀕死だった2人の女性兵は傷ついた内蔵と骨が修復され、体内を汚染した毒も浄められて助かったのだが、肉体が半壊した女性兵に効果はなかったようだ。
「やっぱり、そこまで都合よくはいかないか」
いかに奇跡的な神秘の力であっても、どんなに優れた能力であっても、全知全能にはならないのだと、リーシャは思い知る。
傭兵会社の入社テストで、戦闘実技の好成績を修め、仲介屋の会員として好評かもされ、実力をつけたつもりだったが、とんだ間違いだったらしい。
リーシャがもっと優秀であれば、女性兵士たちの友人は死ななかったのだろうか。父を失った日の無力さを見せつけられたようで、リーシャは悔しかった。
「ミーゼンフェルシェ氏が気に病むことはありませんよ。我々は軍人です、命のやり取りが仕事なのですから、仕方のないことではあります」
そう淡白に言ったのは、長槍を地面に刺したノクト少佐だった。
彼は槍は高山の風に吹かれ、その柄についた小さな共和国軍の象徴となる旗をなびかせる。
「少佐さんは随分と薄情なんですね~」
現実を受け入れたようなノクト少佐の言葉が気に入らず、突っ慳貪な敬語をリーシャは使う。
しかしノクト少佐は首をふり、
「これでも、自分は部下の死を受け入れたくはないんですよ? しかし、ここで自分が立ち止まっては、他の者に示しがつきません」
「だからって、その塩対応はどうかと思います」
「痛いところを疲れましたね――ですが、自分は軍の少佐なのです。状況次第では、1部隊の指揮を執る立場にありますし、部下に死んでこいと命令する立場なんです」
「だから、メソメソしていられないってことですか?」
「はい。大人には立場というものがあるんですよ。ミーゼンフェルシェ氏のように、感情に任せて行動するわけにはいきません」
「――なっ! それってまだあたしが子供ってことですか?」
「そうですね、自分から見れば成長途中の段階かと」
「な、舐めないで下さい! あたしはもう成人なんです!」
ぷんすかと苛立つように、リーシャはヴァルケ砦に戻り始める。
ノクト少佐は「やれやれ、気の強い娘だ」とでも言いたげに、ずれた軍帽を被り直す。
上り坂になった山道の途中、リーシャはむかむかしながらも、自分たちを救った力を使った術師に心当たりがあり、ちょっとだけ気持ちを落ち着けた。
「きっとあの力って三珠のだよね?」
彼女が自分の部屋に止まった時、三珠が異世界から来たという境遇は聞いている。あれだけの数の魔物を瞬殺できる力、それを羨ましいと思いながらも、けれどそんな強力な力にも成せないことがあると知って、三珠もリーシャと同じ無力感を味わったはずだ、
ならば、まだ手は届く。負けてやるものか、とそんな闘争心が沸き起こる。
これをライバル心だというのならば、きっとそうなのだろう。
「あたし、強くなるからね。三珠なんかに負けないっての! それできっと――」
誰かを守れるくらいに強く、リーシャは大切な友人の顔を思い描く。
そしていつか、彼女が憧れて好意を寄せた1人の男の背中に追い付いて、それで追い越して、彼が背中を預けられる女になれることを願う。
◇
砦のバルコニーに続く階段を降りきって、三珠とピスカは砦内の通路に戻った。
三珠の役に立てて嬉しかったようで、魔導書はご機嫌な様子で空中を一回転する。
事後処理に終われているのか、砦内は慌ただしく、三珠たちのいる通路ま衛兵の足が伸びることはなかった。
「一件落着ですね。すごかったです、三珠姉さま」
「あっ、うん。ありがとう」
『ますたー、元気ない?』
「ちょっと、ね。そう、うまくは行かないんだなって」
1つの事件が解決し、ピスカは緊張もほぐれて賞賛するが、三珠自身はあまり良い気持ちにはなれていなかった。
三珠は強い力を使って気持ちよくなりたかったわけではなく、人を救って誰かのためになりたかったのに、既に手遅れだった人もいたのだから、自分が功績をあげたとしても、素直に喜べなんてしない。
と、そこへ――兵士用の腰刀を手に持ったバラドが駆けつける。
「大丈夫かい? 二人とも!」
駆け足で走り寄ったバラドが、2人に怪我がないか、じっくりと観察する。
「あの、クルシュター助祭。目付きがいやらしいです」
『ましたーとぴすか虐める人、スィア嫌い』
「――なっ! 僕にやましいことはなく、うら若き乙女たちを心配してだねえ――って、本が喋ってるじゃないかいいいいいい!」
ピスカと似たような反応をして、バラドが目を見開く。
「また説明しないといけないのかな?」と若干気疲れする三珠だか、「やっぱり教えないとだよね」と思い直す。そして三珠は事情を明かし、
「ふむふむ、彼女は1000年前にこの世界を救った魔導書か。それで砦を襲う魔物たちを倒した、と」
「うん、信じられないかもですけど、本当です」
「いや、信じよう。教会には報告させてもらうけどね」
「やっぱり、そうなりますか?」
「まあね、ピスカ君。君も教会の信徒ならば、受け入れないといけないよ?」
バラドにたしなめられ、「乗り気ではないですが」とピスカは渋々同意する。
古代の魔導書なんてものを個人が所有するのは危険が大きいし、スィアは古代遺産として管理されるか、その契約者である三珠ともども監視下に置かれるか、どちらかの未来しか見えないから、ピスカも乗り気ではなかったのだろう。
彼女としては三珠とスィアが引き裂かれる結末は、やはり納得できないものがあったようだ。
と、バラドは彼女の心境をさっしたのか、気休め程度の助言をする。
「まあ、僕もそれなりに説得してあげよう」
「いいの? なんか、迷惑をかけちゃうみたいで、バラドさんに申し訳ないけど」
「いやいや、うら若き乙女のお願いを叶えるのが、ぼくの勤めさ」
そう言ってウインクしたバラドは、彼らしくない男らしさを見せる。
そして後悔するように首をふって嘆いた。
「惜しむべきは、魔物相手に奮戦する可憐な僕を見せられなかったことだね」
「ごめん、せっかく持ってきてくれた剣を無駄にさせちゃったみたいで」
「いやいや――三珠が気にすることじゃないよ。これの役目は果たせるからね」
「えっ? ――かふっ」
本当に唐突に、三珠の腹に何か冷たいような熱いような異物が入り込んだ感覚に襲われた。痛いとか、苦しいとかじゃなく、ただ熱くて冷たかった。
逆流した血が気管を逆流し、大量の血を三珠は口から吐き出し、顎に伝わせる。
理解が追い付かない。絶望感が込み上げてくる。
三珠の腹部に突き立てられた剣を握っていたのは、信頼していたはずのバラドだった。しばらく目の前の現実が受け止められず、唖然としていたピスカは、やがて失望と憎しみを込め、バラドに叫んだ。
「貴方は――何をやってるんですか、クルシュター助祭!」
「いやはや、ピスカ君は小やかましいな。昔から苛ついていたんだよ、君のそういうところには」
「……カちゃ……て……」
「逃げて」と言おうとしたけれど、三珠の声はかすれてしまい、自分の声が届くより先に、バラドが光属性魔術により無数の光剣を空中に浮遊させた。
それはピスカめがけて一斉に射出され、防護バングルの結界ごと後方に吹き飛ばされ、壁に体を打ち付けた彼女はずり落ち、そして自分を守る結界を消失させて気絶した。キマイラ戦で消耗していたのがもあるし、バラドの裏切りなんて誰も予想していなかった。
腹部を指し貫いた剣が引き抜かれ、全身に虚脱感を感じた三珠は、力なく崩れ落ち、そして自分の体から溢れ出た血溜まりに、その身を沈めた。
朦朧とした瞳で「どうして?」とバラドを見上げた彼女に、彼は答える。
「どうせもうじき散る花だ。教えてあげようかな?」
「うっ……くふっ……」
「全てはブラフさ。僕はね、女ってやつが死ぬほど嫌いだったんだよ。人を甘く見るのも大概にした方がいい、この世は君が思っているほど、優しくはない」
「がっ! ああああああああああ!」
腹部の傷口をバラドに蹴りこまれ、三珠は激痛に絶叫をあげた。
神経を直接いたぶられたのようだ。痛いとか、そういう次元じゃない。まるで脳が焼ききれてしまうかの如く激痛に、三珠の瞳から涙は絶えず流れ落ち、唾液の混じった血が口から噴き出される。
『ますたーを、虐めるなあ!』
勇敢にもバラドに飛びかかったスィアだが、所詮は彼女も本にすぎず、教団の裏切り者は意に介さず、メガネを反射させて魔導書を封印術の結界で包む混む。
『~~~~! ~~~~~!』
スィアは暴れまくるが、結界は頑強な上に防音仕様だったらしく、魔導書の叫びは遮られる。
バラドは身動きを封じたスィアを回収すると、必死に空気を吸い込もうと口を動かし、虚ろな瞳になりかけた三珠に見せびらかす。
「僕の計画は魔導書をみた瞬間に実行しようと思った。本来ならば、あのバカな暗主崇拝者を利用して、じっくり進めていくつもりだったんだけどね。状況が一変したのさ、君のおかげでね」
ずっと前からバートランド・クルシュターは、女性優遇の教団のあり方に不満を持っていた。
そして、女教皇派とは別の、教団内で男性復権派を提唱する法王派に属した彼は、ここオロスで教徒の不祥事を起こすことを計画する。
教徒の暴走により問題が起こったならば、それは教団最高位に位置する女教皇の監督不行き届きとなり、そして理由が「男性軽視の結果」となれば、法王派に付け入る隙ができる。
良くも悪くも熱心な教徒だったバラドは、教団に尽くし努力しても報われない男性教徒のために、自らが捨て石となる決意をした。どこが怠け者の女好きだろうか、バラドは教団の在り方と真剣に向き合っていたのだ。
「一番厄介なのは、フェレス君だった。彼は用心深いし、気づかれると厄介だから、君以外の子の防護バングルには細工をしなかった。彼らの警戒を解くために、僕は演じなければいけなかったのさ」
そう、これは魔導書を持った三珠とバラドが出会ったその日から、仕組まれまたものだった。三珠に呪いを埋め込んだのは暗主崇拝者ではなく、あの日の夕食時に自分の手を握ってきたバラドだったのだ。
呪術の解呪に精通している者は、逆に扱い方だって知っている。
夜の山道で防護バングルの調整をしてくれた時も、他のメンバーにはしっかりとした巫術を使い、防護バングルの感覚に慣れていない三珠の腕輪だけは、魔素を抜いておいた。
彼が男子禁制の真皇教団オロス支部の最奥に行ったのだって、女性教徒の寝込みを襲いたかったのではなく、魔導書の記録が残った資料を隠蔽するためだ。
オロスの第1層で目撃されていたのも、暗主崇拝者に与太話を吹き込んだバラドだったのだろう。
そして彼は魔導書の覚醒を誘発させ、ここで計画通りに前契約者の三珠を排除して、自分が魔導書の持ち主となり、女教皇率いる教団に報復するのが目的だった。
完全に出し抜かれた。バラドの方が1枚上手だったらしい。
彼は剣をもう一度振り上げ、
「少し手を貸しただけど、あっさり騙されてくれるなんて、異界の民というのは、こうも平和ボケをした連中が多いのかい? まるで現実ではなく、夢に生きているかのようだ。短絡的すぎて、実に呆れてしまうね。さようなら、勘違い屋のお嬢さん。僕達のために、栄誉ある犠牲になってくれ」
かろうじて命をつなぐ三珠は背中を串刺しにされ、びくんと少女の体は跳ねて、やがては身動きをしなくなった。
「ピスカ君も始末しておきたかったが――時間がなさそうだね」
数名の足音が聞こえ、魔導書を抱えたバラドは早々に退散を決め込む。
『(ますたー。ますたーーーーー!!)』
バラドに持ち去られるスィアの悲痛な心の声だけが、胸あたりの高さの背中に剣が突き立てられ、血だまりの中で倒れ伏す三珠を呼び続けていた。




