第二五話:雲海の砦に淑女《ようじょ》は戯れる
ヴァルケ砦は軍用飛空艇の格納庫もある巨大な砦だった。
1つの山の山頂をまるまる砦に使ったような大きさだ。
ヴァルケ砦は山頂と山頂を結ぶ長い石橋があることで有名であり、雲の流れる雲海を目下に覗むことができる石橋は、〝雲海の遺橋〟と呼ばれ、観光名所ともなっている。
おおよそ296メートルの橋は、上品な服に身を包んだ家族連れ、もしくは裕福そうな若いカップルで賑わっていた。
砦に軍用の飛空艇発着場があるから、普段は一般向けに開放されているが、飛空艇の利用料が高く、必然的に富裕層の旅行客が多くなる。
毒怪鳥の襲撃から一夜が明けた翌日の昼前――フェレスたちは砦に辿り着いた。
軍用の戦車も置かれた石橋の手前にある駐車場に、一般車両用の区画もあり、ナシュタはそこへ車両を運び、長時間走行の疲れを癒している。
途中までは一緒だったバラドだが、彼は砦の観光を満喫するため、さっさと単独行動に移ってしまった。大方、旅行客の中にいる独り身の若い女性でも口説きに行ったのだろう。
ぶれない男ではあるが、それを仕事方面に発揮してほしい。
フェレスは同行者である3人の少女を引き連れ、石橋を渡っていた。
雲の上の空気はやたらと湿っぽく、フェレスの乾いた喉を潤した。
「すごい、本当に真っ白」
石橋の手すりに近づいた三珠は、その真下を見下ろした。
どこまでも続く、モクモクとした綿毛のような雲の世界は、決して深い山谷の底を覗くことはできず、目が酔いそうなほどにゆっくりと、白い雲海は流れてゆく。
「フェレス=エディーラ氏一行ですね?」
網目状の鉄門が下りた砦の関所に近づき、ふと軍服を着た男がフェレスに敬礼する。ヴァルケ砦に駐屯する将校だろう。
深緑色の軍服に軍帽を被った男の胸には、佐官を示すバッジが付けられていた。
身長は174センチ程度、見た目的には20代中盤といったところだ。
細く尖った耳は、彼が人間種と精霊種の混血児である証明だった。
端麗な外見的特徴からして、ハーフエルフであることは間違いない。
遠い昔は忌み子とされていたハーフエルフだが、今や人間種と精霊種が交友を深め、それから愛を育んで婚姻することも珍しい事例ではなくなった。
寿命の長さが違い、将来を考えて忌避しようとする者も少なくないが、多重婚や同性婚の保障といい、恋愛の自由はなるだけ守られている。
魔素の影響で細胞の劣化速度が低下するから、この世界では人間種の寿命も、平均300歳前後なのだが――やはり1000年単位で生きる精霊種には、大きな違いではあるのだろう。
「自分はノクト・フォーゼンと言います。軍の階級は少佐、あのクソ酔いどれ――いえ、訂正します。ファウスナー中将閣下の補佐を務めるものです」
「つまり、直々の呼び出しってことか。俺1人の方がよさそうだな」
「そちらの方が助かりますね。あの頑固オヤジはめんどうくさ――いえいえ、とても頭が固いお方なので、話がこじれるのは厄介です」
「相変わらず元気が有り余っているわけだな、あの老いぼれは」
「ええ。早々に特進して、大将になっていただきたいものですね」
「つっても、将官は死んでも特進しないんじゃなかったか?」
「そうですね、実に残念です。あの方の最終階級が中将閣下であらせられるのは――いやはや、エディーラ氏とは話が合いそうですね」
上官を尊敬しているのか、そうでないのか、ノクト少佐はため息を吐き、気疲れするように腕を下した。彼は毒舌家のようだが、上司があの男では苦労性の参謀なのかもしれない。
なんとなく同情心が芽生え、フェレスはノクト少佐の苦労を悼む。
「ひとまず、俺は少佐に同行する。ピスカとリーシャは三珠を頼む」
「え~。あたしは先輩と行きますよ~」
「やめとけ、あの老いぼれは面倒だぞ? 大人しく待ってろ」
リーシャが腕に飛びついくるが、フェレスはあっさりと跳ね除ける。
「リーシャ姉さま、ここはフェレスさんの言うとおりにしましょう」
「まあ、仕方ありませんね~。あたしもいい女でいたいですから~」
上目遣いであざといアピールをしつつ、リーシャはピスカの説得に応じた。
今までは1人旅が普通だったのに、随分と騒がしくなったものだ。
フェレスは三珠に走り寄る2人の少女を眺め、頃合いを見てノクト少佐に続き、砦の中へと向かうのだった。
◇
「――っで、三珠はいつまで橋の下を見てんのよ」
背後からリーシャの声がかかり、三珠は振り返った。
いけない、いけない。
ちょっとした旅行気分に浸ってしまい、自分の本分を忘れるところだった。
「ああでも、スマホがあればなあ」と三珠は残念がる。
他ではなかなかにお目にかかれない景色だ。日本の富士山には登ったことがあるが、その2倍近い高さの山なのだから、迫力も段違いである。
何より、周りには雄大な大自然しかないのだ。
幾重と連なる山の峰に、深い谷を隠す霧のような雲なんかは、実に写真映えしそうじゃないか。記録に残せないのが口惜しい。
「う~ん、充填完了。ごめんね、待たせちゃった」
せめて思い出のフィルターに焼き付け、三珠は伸びをする。
そして、ピスカとリーシャの元に走り寄った三珠だが、フェレスの姿はすでになかった。
「あれ、フェレスさんは?」
「砦の中に入ってしまいましたよ?」
「あんたが砦の景色に浮かれている間に、ね」
「ええ!? ど、どうしよう……追いかけてみる?」
「いや、問題ないっしょ? 大人だけで話があるみたいだし、あたしも成人してるってのに」
むすっとした顔をして、ピスカは物言いたげに腕を組む。
子供扱いされたのが気に食わないのだろう。
この世界では満15歳を越えれば成人らしく、つまりリーシャだけではなく三珠も成人なのだ。
教会の巡礼信徒となるのが13歳というのは、修行の一環のようで、先輩信徒か、もしくは教会に雇われた護衛と共に、3年近くの時間をかけて各都市の教会をまわり、成人の儀の前に修行を積み始めるという。所属の教団支部から追い出されたピスカの地位は、修行僧扱いのようなものだ。
何にせよ、結婚も可能な年齢になったのだから、もう少しリーシャは大人として見てほしいのだろう。その気持ちは三珠にもわかる。
日本の成人式は20歳だったが、アルバイターとして自力で生計を立て始めた当初は、背伸びして大人の気分を味わったものだ。
結局、まだまだ乳臭い子供だったことを知ることになりはしたが。
「あら、三珠じゃない? それに、そちらはお友達のお姉さんたちかしら?」
不意に、上品な話し方をする少女の声が耳に届く。
優雅なゴシックドレスに身を包み、淡い紫色の髪をした彼女は、レティーナ・フォルゼ・メルデンティア――数日前に、飛空艇乗り場であった家族の1人娘、レティと名乗った10歳児の少女である。
裕福な家庭で育ったような高貴な立ち振る舞いは、貴族然とした気品がある。
ヴァルケ砦には両親と共に、家族旅行に来たのかもしれない。
レティは興味深そうに、三珠の顔を覗き込む。
「1ついいかしら? 三珠、そちらの2人を紹介してほしいわ」
「ああ、友達の2人。獣人の子がリーシャで、エルフの子がピスカ」
「そう。リーシャお姉さんに、ピスカお姉さんね。初めまして御二方、私はレティ、とっても優雅で淑女な乙女よ?」
ふふ、と悪戯っぽく笑い、レティは礼儀正しいお辞儀をした。
リーシャは「この子知り合い?」と三珠の反応を待ち、ピスカは昇天しそうなほど安らかな顔をして、とろんと口元を緩める。
「私がお姉さん。お姉さん……うへへ、えへへへへへ」
「ちょっと、ピスカ大丈夫なの?」
「普段年上ばっかりと話してるから、嬉しかったのかも」
「困ったお姉さんね。淑女の威厳がまだまだだわ」
「それ、ガキんちょのあんたが言うの?」
「まあ、失礼なお姉さんね。レティは何処からどう見ても、立派な淑女じゃない」
「うん、そういうことにしよう。話がややこしくなりそうだし」
「三珠もそういうこと言うのね。でも、淑女なレティは許してあげるわ」
「うんうん、えらいえらい」
三珠に頭を撫でられ、ほわほわとレティは表情を和らげてゆく。
子供をあやしている気分だった。三珠とレティのやり取りを眺め、「やっぱり子供じゃん」とリーシャは言いたげに、半ば呆れて肩をすくめる。
はっ、と何かに気づいたように、レティは三珠から離れる。
「しゅ、淑女はこの程度で懐柔されないわ。残念だったわね、三珠」
つん、と紅赤くなった顔を逸らし、レティは得意げに言う。
今更言い訳しても遅いのだが、彼女にもプライドがあったようだ。
可愛らしいものである。もっとからかいたくなってしまうが、三珠は我慢した。
そんなことよりも、レティが前みたいに両親とはぐれていないかが心配だ。
「そういえばレティちゃん、パパとママはどこなのかな?」
「ええ、パパとママは砦の人とショー談? をしに行ったわ。しっかり者な淑女のレティは、こうやってパパとママを良い子で待っているのよ?」
「そうなんだ。じゃあ、退屈してたわけだ」
時間があまり、暇を持て余したからこそ、レティは知り合いを見かけて話しかけてきたのだろう。
う~ん、と三珠は首を捻って考える。
彼女の時間潰しに付き合ってあげる方法はないだろうか。
フェレスの話し合いも長くなりそうだし、三珠たちにも予定があるわけじゃなく、レティと同じく、暇といえば暇なのだ。
と、先に口を開いたのはレティのほうで――
「三珠、知っているかしら? ここの食堂に出されるデザートはおいしいそうよ」
「えっ、そうなの? でも、食堂は砦の中なんだよね?」
「確か観光名所でもある砦だから、食堂が一般出入り自由なんだっけ?」
「ええ、リーシャお姉さんは物知りね。パパとママが絶品だって言ってたわ」
「じゃあ、行ってみる? まだ時間もあるけど?」
「別にいいっしょ。先輩がいつ戻ってくるのかもわかんないし」
「じゃあ、決まりね。お金はレティも出してあげるわ、パパとママからお小遣いをもらったのよ。白金水晶1枚だけど」
何でもないように言ったレティは、鼻歌交じりに関所へ向かう。
それを聞いた三珠とリーシャは顔を合わせ、「子供が持つ額じゃないよね?」と以心伝心をして通じ合う。
「うへへ、えへへ……私がお姉さん、お姉さん……へへ」
「はいはい、あんたはそろそろ戻ってきましょうね――ってか、いつまで放心してんのよ? アホっしょ?」
いまだに魂の抜けかけたピスカの腕を引き、リーシャがレティの後を追う。
先に行く3人を眺め、三珠は足を踏み出す。
「あれ?」
ふと何もない橋の上で三珠は躓き、妙な倦怠感を抱きながら。




